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8 初風呂に入る

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食事の後、ふと気がついたように宇城が呟いた。

「ひとり、身の回りの世話をする者を付けさせていただきます。」

「え…世話?」

いや、それはあんまり…とは言えなかった。
俺はこの世界で電気すら付け方を知らないのだ。
扉すら開けられない。

「ご心配なさらず。
私が幼い頃から傍に仕えてくれていた者の中に、特に性質の優しい者がおります。」

「あー、うん…はい、助かります。」

決して驕ってるわけじゃない。この世界では俺は赤子同然なので、ここで暮らしていく為には日常のサポート役が必要だと気づいたんだ。
選出されてしまう人には申し訳ないけど、致し方ないんだ。

宇城が

「隠月。」

と呟くと、スっとその後ろに誰かが片膝をついているのが見えた。
え、今どっから出てきた?と俺は訝しむ。
本当に、このシステムどうなってるんだろ。
何かをボソッと小さく呟く度に何かが成され、物が出現し、とうとう人迄。
しかも、秒で。

どういう世界なのか理解するのに時間がかかりそうだなと思った。


「隠月、お前は今日この時から先生の従だ。」

隠月と呼ばれた人はそれに頷いているようだった。

「挨拶を。」

宇城がそう言うと、その人は立ち上がった。
隠月は思ってたよりすらりと背の高い男性だった。

「隠月でございます。
末永くお守りいたします。」

「よ、よろしくお願いします。」

俺が吃りながら挨拶を返すと、宇城が隠月に向かって告げた。

「先生は以前の先生とは違う。入れ替わりに入り込まれた稀な方だ。
こちらの事は何もご存知無いゆえ、そのつもりでお世話をするよう。
それから、この事は他言無用だ。
この先は先生を私だと思い、二心無く仕えよ。」

「御意に。」

隠月は流麗で優しげな面立ちの、儚げにも見える青年だった。俺より少し歳下かもしれないが、落ち着いている。

「桐原先生。隠月はこう見えて部隊一の使い手です。気働きも優れておりますので、お役に立てるかと。」

宇城が俺にそう言うと、隠月は俺を見て小さく頷いた。

「そう、なんですね。頼りにしてます。」

俺は曖昧に隠月に笑いかけた。
すると隠月は少し目を瞬かせた。驚いているのか、それは。
そして、ゆっくり胸の前で手を重ね、頭を下げた。





寝る前に風呂に入りたいと言ったら、寝室だけだと思っていた部屋の壁にまた扉が現れた。
手を引かれて中を覗き込むと、大きなバスタブのあるバスルームで、既に湯も入っている。
…だから、これは何なの?イリュージョンかな。

広いバスルームの中は温かかった。
シャワーは、まあ普通。
体を流してから湯船に浸かった。気持ち良い。

ドアを全部隠してるのは何故だ。美観か?美観がどうとか、そういう拘り?
まさかトイレも…。

そうだ、何時でもトイレに行けるようにトイレのドアだけは出したままにしておいて貰おうと思い出した。
俺は失神して寝て起きた後も、未だ手洗いに立っていない。慣れない環境に緊張しているのかも知れないが、順応してきたら生理現象は戻って来る筈だ。
食欲だって出たんだから。


湯の中でだと、血行が巡って頭がはたらくのか、昨夜からの事を色々思い出してみた。
入れ替わって向こうへ行った俺は、今頃どうしているんだろうか。
俺のアパートなんて知らないよな。職場だって、仕事だって。
どうやって生きてくつもりで…。まあ、この俺と違ってバイタリティ溢れる逞しい性格みたいだから、心配ないかな。
次元を越えようなんて生半可な覚悟で考えてた訳じゃないだろう。
何も知らないままいきなりこっちへ放り込まれた俺よりは、遥かに色々考えての行動に違いない。…多分。
俺があの場にいた事は、アイツにとっても不測の事態だったんだろうが、自分と同じ姿の俺を見てどう思ったんだろう。
すれ違った時に見たアイツの表情は、笑っていた。
自分で決めた事とはいえ、不安じゃなかったんだろうか?
つーか、そもそもなんだけど、もし俺があの場に居合わせなくて、アイツも俺のいた世界に来てたら、俺が2人存在する事になってたって事?
そういう場合って…どうなるのかな。
そのまま、名無しの誰かとして生きてくのか。
…でも、最初からそのつもりで行ったんだろうしな。

つーか、これ幸いとばかりに俺をこっち側に差し出して逃げた奴の事なんか心配してやる謂れもねーな!!

少し頭に来たので、俺は湯に頭迄潜って10数えた。

「ぷはっ!」

少しだけ、モヤモヤした割り切れなさが霧散した気がした。
どの世界でも、風呂は命の洗濯である。

因みにこの世界で体を洗うのは手動ではなかった。
バスタブに使ってたら勝手にミスト洗浄される奴があちらにもあったけど、それが更に進化を遂げた感じ。
どの世界でも日本人の便利を追求する執念は凄かった。
まあ世界に名だたる風呂好きを誇る日本なんだから、当然か。


そして長湯をしそうになった俺は、様子を見に来た隠月に問答無用で引き揚げられて、衣類を着せられ、髪を乾かされ、ベッドに寝かされた。

マジで赤ん坊になった気分だった。








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