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6 感情ジェットコースター
しおりを挟むくちづけは短かった。
多分、これは宇城なりの慰撫なんだろう。
いい歳をして、寄る辺ないと泣いた俺への。
おそらく性欲とは無縁のキスなのだ。
俺はぼんやりと、そう思った。
その証拠にその後、宇城は暫く俺を抱きしめたままでいてくれたのだ。
どれ程時が経ったのか。
窓の外の空の色は変わり、景色は茜色に染まりつつある。
あれ、とまた思った。
もう夕方に?
ほんの数時間前に起きた俺は、夜の公園から連れて来られてから一体どれくらい寝ていたんだろうか。
「俺、ここに来てからどれくらい気を失ってたんだ?」
宇城の腕の中に囲われたままそう問うと、宇城は俺の背中を撫でながら答えた。
「香が効きすぎたようで、15、6時間程でしょうか。」
「そんなに…。」
道理で足も縺れる訳だ。何時もの倍以上寝てるもんな。体が覚醒し切れなかったんだろう。
「…何故、俺は入れ替わったんだろう。」
そう質問をぶつけてみたのは、さっき宇城がその答えを知っているかのような口振りだったと思い出したからだ。
なら、もしかしてもう一度入れ替わり直す手段も知っているんじゃないかという淡い期待もあった。
宇城は少し考えているような素振りだった。何を何処迄話して良いものか、考えていたのかもしれない。
「大昔から、時折そういった現象があるんです。
貴方のように、入れ替わりで来る人が。」
「昔から…。」
「そういったポイントがあるのは確からしいのですが、何時何処に現れるのかはこれ迄の研究でも正確に割り出せた事はありませんでした。
でもこの世界にいた貴方は、どうやらその位置をあらかた算出する事に成功していたのだと思われます。隠していたようですが、彼は学生時代に研究していた理論物理学を今でもコソコソ続けているのは知っていました。
しかしまさかここ迄進めていたなんて…。
どうせ何も出来る筈が無いと思っていたんですけどねえ。」
そう言って困った顔をする宇城。
だがそれを聞いた俺はその意外性に驚きを隠せなかった。
「えっ、こっちの俺ってそんな事してたの?
あの、マルチバースってやつだよね。」
そういう理論や概念はこっちの世界にも存在するのか…。
俺は学生時代、そっちの方面には興味すら持たなかったのに、マジで不思議な話だ。こうなってくると全然同一じゃないじゃん。別人じゃん、としか思えないんだが。
「まあ、彼は私から逃げるという事を原動力にして、その研究を突き詰めたのかも知れませんね。
実際、この世界で皇族である私から逃げられる場所は無く、究極は死ぬしかないんですから、必死だったのでは。
そしてそれは成功した。
事実、彼は消えて代わりに貴方が来たんですから。
執念ですよね。」
そう言って宇城は一息つくと、更に続けた。
「けれど、彼は…時空の歪むポイントのおおかたの日時計算は出せても、本当にそれが出現するのか、並行して存在していると言われているどの世界に繋がっているのか迄は、わからなかった筈です。そしてその地点に、その世界の自分自身である貴方がいた事も、計算できる事ではなかった筈。
貴方が彼と入れ替わりにこちらに来てしまったのは、全くの偶然だと思われます。」
「…つまりそれって、俺がめちゃくちゃ間が悪いって事?」
「不運でしたね。」
不運と口にする割には凄くにこやかに言われて、俺はまた泣きたくなった。
なんて理不尽なんだ…。
宇城は落ち込む俺の両脇腹に手を入れて、よいしょと立たせた。そして、傍にある椅子に座らせてくれる。それから向かい合わせに置かれた椅子に腰を下ろして、語り出した。
「偶然が重なって入れ替わりが起こり、しかし入れ替わった事により両方の世界には同じ貴方が存在する。何の問題も無いと認識されたまま、時空の歪みは閉じたんでしょうね。
あの後調査班を派遣しましたが、既に痕跡は確認出来なくなっていました。」
「そんな…。」
言葉を失う俺。
つまりあの時あの公園のあの場に少しの間開いていた歪みは、必然と偶然が重なって起きた奇跡でしかなくて、二度は無いであろう現象だったって事なのか。
じゃあやっぱり、元の世界に帰る事は絶望的。
俺にはそんな研究も計算も出来ない。
「私は天の采配かと感謝しておりますけどね。
貴方を失わずに済んで。」
そして、笑顔。
なんてノーブルな笑顔なんだ。さす皇。
…や、違う。そうじゃなくてぇ…。
「うじ…いや、君、さあ…。
失わずに済んで良かったとか言ってるけどさ…。
言っちゃなんだけど、俺とあの"俺"って、どうやら生まれ育ちもやってきた事も、性格だって違うんじゃないのか?
マジで見た目だけ同じなら良いのか?」
そんなの、不健全だ。
そう言いたかったのに。
どうやらそれは、宇城には本当にどうでも良い事のようだった。
「構いませんよ。
それに異世界から来て右も左もわからない幼子のように稚い貴方を放り出す方が、酷だと思いますが。」
「それは…。」
ぐっ、と言葉に詰まる。
確かに俺はこの世界がどんな歴史を辿ってきて、どんな状況かも未だ知らない。ここでの自分の家族構成すら知らないし、住んでる家だって街並みがどんな風かとか、どういう貨幣が流通しているのか、コンビニが存在するのかすら、知らないのだ。
ここで"彼"とは違うからと本当にたった一人で放り出されたら、俺には金を稼ぐ手段もわからない。ホームレスになるしかないんじゃないのか?
幸い言葉は通じるようだし、学術面では同じ流れを辿っている部分もあるようだけど、それだけだ。
自分で言うのも何だが、この歳まで何不自由無く生きて来た俺が、ホームレスなんか出来るだろうか。
不安でロクに筋肉の無い薄っぺらい胸が押し潰されそうだ。
俺の顔色が悪くなったんだろうか。
宇城は俺の背中を擦りながら、
「ほら。見てごらんなさい。」
と、すっかり暮れた外を指差した。
気付かぬ間にそこはすっかり夜景になっていて、街明かりがキラキラと瞬いていた。人々の暮らしの灯り。
「きっとこういう光景は貴方の世界ともそう変わらないでしょう?」
そう言った宇城の横顔は、数日前に相談室で話した時と変わらないように見えるのに、この宇城は彼ではないのだ。
でも、慰めてくれているのはわかる。
何処の世界の宇城も、性根は優しいのかもしれない、と、少し気持ちが落ち着いて来た。
「うん…。夜景は、何処も似たり寄ったりなんだな。」
俺は頷いて、眼下を眺めた。
昼間見えていた遠くの山々はもう真っ黒いシルエットにしか見えない。
空には半月。
そんなところは同じでホッとした。
少なくとも、2次元物によくあるような異世界とかではなくて、ベースは同じリアルの地球であると思えたから。
暫くぼんやりと夜景を見ていると、宇城がまた口を開いた。
「先程の質問ですが。」
「うん?」
どの?と聞く前に、宇城が続けた。
「確かに厳密に言えば、貴方は彼とは違います。
話していれば、それはとてもよくわかります。
ですが、私は既に貴方を好ましく思っているんですよ。」
「えぇ…何で?」
質問&弱音しか吐いてないんだけど。何か良いとこあった?と、困惑する俺に宇城は言った。
「言ったじゃないですか。
貴方は素直で純新無垢だ。一度理解してからは、状況の飲み込みも早かった。」
「いや、それは…もう認めざるを得ないと思ったからで…。」
「"彼"相手に抱いていたのとは、別の感情で貴方を欲しいと思っている自分に戸惑っています。」
「そうかぁ。…えぇ?!」
シレッと何か怖ろしい事を言われたのに気づいた。
そういやコイツは、元々こっちの世界の"俺"を調教しようとしていたんだったと思い出した。
一気に蘇ってくる危機感。
短時間で感情の起伏がジェットコースターである。
俺、心臓もつかな…。
「ですから、予定通り従姉妹姫との婚約破棄の手続きは進めます。」
「え?婚約、え?破棄?」
婚約者がいるのか。さす皇。年頃の皇子様なんだからそりゃ居るか。と納得した後の、破棄。
え、それを何故俺に言う?
俺の目を真っ直ぐ見ながら言う??
「以前 宣言した通り、貴方を正妃に娶り、生涯の伴侶と致しましょう。」
目ん玉落ちそうになった。
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