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出原 祥、退路を絶たれる
しおりを挟む「七居…。」
「七居さん…。」
僕も伊藤君も声のした方を見た。そこには部屋の入り口ドアの前に立って眉を吊り上げている七居が。
玄関開いた音なんてしたっけ?
よく見ると体を震わせている七居は、此方を睨みながら足音も荒く近づいて来る。
わ、怖。あんな顔、初めて見るんだけど。
ちょっとドン引きしてたら、体を抱きしめている伊藤君の力が強くなった。
何でだよ。離してくれ。
「七、これは…、」
僕が状況を説明しようと口を開いた途端に、直ぐ傍に来た七居が伊藤君の胸倉を掴んだ。
「離せ。祥は俺の男だ。」
聞いた事も無いような低い声でそう言った七居の目は据わっている。
その瞳の瞳孔は開いていて、見ただけで背筋にゾワッと悪寒が走った。
でも伊藤君はそんな七居に対して、思いの外冷静だった。
「何でそんなに怒ってんですか?」
「…てめぇ…。」
「だって七居さん、もっと酷いとこ、サチさんに見せてきたんでしょ?
ついこないだだって、俺とガッツリやってるとこ見られたじゃん。」
「…そうだな。だから俺はサチに怒ってんじゃねえ。てめぇにキレてんだよ。」
伊藤君の指摘に場の空気は不穏を通り越して一気に殺伐。普段のゆるっとした七居とは声も口調も変わって全身から放たれる殺気。それにも動じない伊藤君。
この子のメンタルどうなってんの?
というか、僕、別に七居と誰かのセックスなんか見たって、特に思う事は無かったんだけど…。だから七居がそこ迄僕と伊藤君のキス如きに激怒してるのが驚きだよ。
逆に、何でそんなに?って不可解だ。
僕ら、元々そんなに熱量のある関係じゃなかったと思うんだけど…。
まあそこは置いといて、今は七居を宥める方が先だ。
「伊藤君、離して。」
「サチさん?」
「これじゃ話も出来ないから。」
解放するように要求すると、胸倉掴まれてる癖に僕を離さなかった伊藤君は、渋々って感じでやっと腕を解いてくれた。はー、やれやれ。
だが僕が解放されたのに、七居が伊藤君を離さない。
「七居、ちょっと落ち着いてくれ。」
僕の言葉で七居も渋々、掴んでいた伊藤君のシャツの胸倉を離す。
「なあ、何でこんな事になってんの?何で琉太を入れてんの?祥。」
僕には怒ってないと言った手前か、苛立ちを抑えたような声で問いかけてくる七居。さて、何と答えたものか、と状況を整理しようとしていた時、またしても伊藤君が口を開いた。
「俺が頼んだんです。サチさんと話したくて。」
「お前が祥に何の話がある訳?」
切れ長の大きな目を眇めて伊藤君を真っ直ぐ睨む七居。それにも臆さず、答える伊藤君。2人の応酬を既にうんざりしながら見守る僕。いたたまれない。
「告白したんです。」
「はああああああ?!」
伊藤君の一言に七居がキレた。
「ふざっけんなよ?!マジでてめぇ、ふざけんな!!
祥はもうずっと!俺の!!俺だけの!!!男なんだよ!!!!」
伊藤君に殴り掛かろうとする七居を僕が羽交い締めにして止める。何だこの状況。君ら、仲良しなんじゃなかったの?セフレだって言ってたじゃん。
と言うか、"俺の男"って言い方、何か生々しくてヤだなー。
「七居、落ち着いてって…。」
「落ち着いてられるかよ!祥、何大人しくキスなんかされちゃってんの?何で一人の時にコイツを家に上げてんの?」
とうとう爆発してしまって僕にも質問攻めしてきた七居に、少し呆れながら返答。
「さっきのキスは不可抗力だよ。それに、最初に勝手に僕の家に彼を連れ込んでたのは君だろ、七居。
ここは僕の家だし、彼が話があると言うから僕自身が許可して上げたんだ。
居候の君にとやかく言われたくはないよ。」
「でもっ!」
「それにさ。さっきの伊藤君の言葉じゃないけど、僕が見た時は君ら、キスどころじゃない事してたじゃないか。
その時に限らず、今迄ずっと同じような事ばかりしてた君が、今更何故この程度の事で怒るんだ?」
「ぐっ…。」
返事に詰まった七居が大人しくなった。
どうやら理不尽な事を言った自覚はあるらしい。
僕と七居の遣り取りを見ている伊藤君は、さっき迄の穏やかさや明るさが嘘のような無表情だ。
「自分は散々身勝手してる癖に独占欲丸出しとか…。七居さん、アンタ最低ですよね。サチさん気の毒っすわ。」
「るせぇよ、ガキ。」
「七居。伊藤君も、やめて。それ、君の立場で言えた義理じゃないだろ。」
「…すいません。」
平坦な声で窘めると素直な謝罪が返ってきたけど、僕は少しイラッとしてる。
別に僕は気にしてないから気の毒ではない。勝手に哀れまれるのは嫌いだ。祖母の呪文を思い出すから。
何とか落ち着いた七居をダイニングテーブルの椅子に座らせて、その横に座る。僕の向かいには伊藤君。
セフレの筈なのに今や敵同士の如く睨み合う2人に、僕は頭が痛くなる。
この2人の仲は一体どうなってるんだろ?まずはその辺から聞いてみるか…。
「七居と伊藤君は、好き同士なんじゃないの?七居が出てったって事は、彼と付き合うつもりだと思ってたんだけど。」
僕が横の七居にそう聞くと、彼は苦虫を噛み潰したような顔でボソッと答えた。
「…別に、普通だよ。ちょっとタイプだったから遊ぶのに良いかなって思っただけ。セックスはともかく、マジで付き合う訳なんかないし。」
「俺も大体同じです。でも俺はサチさんに惚れたんで、七居さんと付き合うとかは無いです。」
七居の言葉に、伊藤君もシレッと続ける。
つまりお互い遊びの関係なのか。相変わらず爛れてるな。僕は思わず胡乱な目で2人を見てしまった。
正直、ちょっと引いてる。
「割り切った関係って事か。病気には気をつけなね。」
「気をつけてるよ!祥に伝染す訳にはいかないし。」
「あ、そう。」
「避妊具だって使ってるし検査だって月一で行ってる。
だけど祥、信用してくんないじゃん…。」
「そりゃ…。」
「祥が社会人になってから、殆ど抱かせてもらってない。」
「……。」
しょんぼりと言われて、記憶を反芻する。
……確かに。
七居が遊ぶのは構わないけど性病対策をちゃんとしてるか心配になって、ある時から滅多にセックスに応じなくなったのは事実だ。
「…俺が他の奴とシてるの見ても、全然その気になってくれないもんな。」
もしかして七居、注意しても毎回浮気相手連れ込んでたの、その当て付けとかじゃないだろうな?と思ってたら……。
「いや普通、目の前で浮気してるカレシを見ての感想は、欲情よりも嫌悪感じゃないですか?
見せつける事での催淫効果を狙ってたってんなら、逆効果だと思いますけど。」
意外にも尤もな意見を投入してくる伊藤君。しかしまさか君が言うとはね。
「…別に、そんなつもりじゃ…。」
「そうなんですか?じゃあ、何時かは嫉妬してもらえるかもって感じすか?」
「……。」
「一縷の望み賭けすぎっしょ。七居さん、自分で言ってたじゃん。
どんだけ浮気しても、高校の頃からいっぺんも怒られた事無いって。
そんな人に何時かは…なんて、無謀過ぎでしょ。
長年一緒に居たアンタが一番よくわかってるっしょ?」
「…くっ…。」
「……。」
…待って?
気の所為か、何かすごい言われ方してる気がする。
「だからね、こういう人にはそんな人間的ムーブ期待しちゃ駄目ですって。
感情揺さぶってこっち向かせるなんて小細工するより、もっと建設的な方法にシフトしないと。」
「どゆこと…?」
七居が食いついた。
何で?僕が人間じゃないみたいな言われ方してるのには突っ込みスルーなのに?
人間的ムーブを期待されていない事に微妙にダメージを受けた僕は、やや信じられない気持ちで2人の遣り取りを傍観するしかなかった。
そんな僕の胸の内なんか知らず、自分の話に食いついた七居に畳み掛けるつもりらしい伊藤君は、七居に頷きながらとんでもない自論を語り出した。
「根本の考え方を変えてみません?」
「…どういう事?」
「AIみたいなサチさんからのリアクションを待ってたら、俺も七居さんもジジイになっても報われませんよ。」
「…確かに。」
「……(AI?)。」
なんかひどい。本格的にひどい。
そりゃ僕は多少薄情かもしれないけど、AIは無いんじゃないのか。
珍しく内心ちょっと腹立たしく思い、眉を寄せて伊藤君に抗議の視線を送った瞬間、彼の口からとんでもない言葉が。
「だから、待ちは辞めてこっちからガツガツ取りに行って良いと思うんですよ。」
「ガツガツ…。」
「取りに。」
え、ガツガツ取りに?何を??
僕から搾取出来るものなど何も無いぞ…僕くらい持たざる者は滅多に居ないぞ。
伊藤君の言わんとしている事がわからない僕の頭の中には疑問符だらけだ。
そして2人の会話はまだ続くようだ。
「で、俺、思うんですけど。」
「何だよ…。」
「サチさんみたいな人を、一人でどうにかしようっての、無理があると思うんですよね。」
「うん?」
「でも…俺と七居さん、2人でなら…囲い込めると思いません?」
「……祥を2人でシェアするって事か?」
「流石七居さん、理解が早い。」
(はあっ?!?!)
ガツガツ取りにの次は2人がかりでシェア?!
僕が驚いて後退ると、2人の顔が瞬時にこちらを向いた。
「ヒッ…。」
「…祥を俺以外の奴と分けるなんて、そんな…。」
迷っているような言葉を口にしながら、七居の目はさっき迄とは違う熱で潤んでいるように見える。
「七居さんの付き合い方だと、何れは何も手に入れられないまま破局しますよ。でも、俺達2人なら…サチさんをずーっと逃がさずに済むと思いません?」
「……2人なら、逃がさずに…?」
伊藤君、君、思ってたのと違うじゃないか。爽やかなイケメンなのに家庭的なんて素敵なギャップ男子だと思ったのに、今の君はまるで、ターゲットを口車に乗せて洗脳しようとする狡猾な詐欺師みたいだよ?
七居も…何時もはもっとゆるっとして、コケティッシュで掴み所の無い蝶々みたいなのに、今の君は一点集中で狙いを定めてるハント中の虎みたいなんだけど?
2人の視線が茨のように体中に絡み付いてきたような錯覚を覚えて、動けなくなる。唇から何か言葉を紡ごうと思うのに、それは空しく乱れた吐息になるだけだった。
にじり寄ってくる2人に感じる、えも言われぬ居心地の悪さ。これは恐怖、だろうか。
「3人で、仲良く恋人になりましょうね、サチさん。」
「祥、これからは余所見なんかしないから…。」
2人は綺麗な笑顔で、僕に手を伸ばしてきて……。
男2人に囲まれて逃げ場を無くした僕がそれからどうなったかは、ご想像にお任せします。
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