メイクオフ後も愛してくれよ

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 ある意味罵詈雑言を浴びせられた方がマシだったとも思える屈辱を受けた上で振られたあの日から二年。大学生になり、覚えたメイクで試行錯誤しながら、それなりの顔を作れるようになっていた依人。元から普通体型だったが、更にダイエットと運動で絞り、高校時代より見違える程細身のスタイルになる事にも成功していた。重たく見える原因の一つだった真っ直ぐな黒髪も流行りのカットとカラーで軽い印象にして、メイクを覚えたのと同時進行でファッション誌を参考に服装も整えたからセンスは悪くない筈だった。そんな状態で恙無く大学生活を送っていたら、当然の流れというのか、ぼちぼち告白されるという事態が起きてきた。
 最初は同じゼミの女子。次は先輩女子、次に何と大学に入ってから出来た友人の男子生徒。
 思いもかけない告白にテンパって丁重にお断りしてしまったが、その謙虚過ぎる断り方が思いがけず好感を与えてしまったようで、何故か『見た目によらず良い奴』と評され、依人のファンを公言する学生が出てきた。意味がわからない。
 大体、見た目によらずとは何なのか。そこはかとなく失礼さを感じるのだが、自分はパッと見性格が悪そうに見えているのだろうか、と困惑した。メイクを変えてみるべきか……。

 要するにそれは、外見レベルを格段に上げる事に成功していたという事に他ならないのだが、和泉に振られた時のトラウマで自己評価が0に近い程ガクンと暴落していた依人はそうは思わなかった。恋愛に臆病になり、日々美容系動画や関連SNSでの情報を元に肌ケアとメイク研究に明け暮れていた依人は、急に始まったモテ期に困惑し疑心暗鬼になった。だって残念ながら、そっちの方面は1ミリも経験値上げてない。多少マシになった筈だとは思っているが、人目を惹く程ではないと思っていた。
 どうして良いものかわからず、結果、在学中された告白は全て断り、男子学生なのに高嶺の花と囁かれる事態に。ますます訳がわからない依人。何故、そんな難攻不落キャラみたいな扱いに…という気持ちだ。 

 そんなこんなで結局、依人が初めての彼氏を作ったのは社会人になり実家を出て、一人暮らしを始めて暫く経ってからの事だった。

 初めての彼氏との出会いは、会社の帰宅途中にあるのを見つけて、たまに寄るようになった店。彼は、渋い初老のマスターがやっているこじんまりとしたジャズバーで働く、依人の2つ歳下のバイトの大学生だった。少し吊り目で色素の薄い瞳と、それに似合う明るめのブラウンの髪、人懐こそうな雰囲気が、少し高校時代の和泉に似ていた。
 背は依人より少し高く、やや筋肉質で所謂細マッチョというやつだ。
 けれど過去の傷は思いの外深く、和泉似という事もあり、依人は最初、彼の事が少し苦手だった。

 ところで、意外にも依人はそこそこ酒を好む。そして、酒を良い雰囲気で美味く飲ませてくれる空間が好きだ。でも長居はせず、ジントニック一杯飲み切ったら帰ると決めていた。ほんの30分程だから、翌日にも響かない。職場や人間関係で鬱憤が溜まった時に飲みたいのを100我慢するより、20許してやる方がストレスも溜まらないし日々の活力にもなる。
 依人は何時も店の奥になるカウンターの端に座り、ジントニック一杯を飲み切る迄の時間を、流れるジャズを聴きながら静かに過ごす。
 マスターが睨みを利かせるこの店では、ひっそり酒と音楽を楽しむ客に声をかけて邪魔をするような無粋な客は居ない。
 依人は店の居心地を楽しみ酒を堪能したらサッと帰るので、入店時のオーダーと会計時以外では店員と話す事もなかった。
 なのにある夜の帰りがけに、その若い吊り目の店員から連絡先を渡された。けれど、最初は連絡先だとは気づかなかった。何故ならクレジット決済のレシートの下に重ねて渡されたのは店の名刺だったのだ。何を改まって今更名刺を?と思いはしたものの黙って受け取り、名刺の裏に書かれた名前と連絡先に気がついたのは、家に帰り着いてからだった。
 久賀 勝己と記されたそれは、十中八九あの店員の名前なのだろうし、その下の数字と英数字の羅列は彼の携帯電話やIDに違いないだろう。しかし何故、ロクに話した事も無い自分に?と、依人は疑念を抱いた。

(これってナンパなのか?)

 それとも、単なる友達付き合いを求めて?そういう友達のなり方もあるのだろうか?
 恋愛経験値ポンコツの依人には、その行為の意味がよくわからなかった。相手の真意がわからない故に、少し逡巡した末、その連絡手段のどれにも掛ける事もアクセスする事も無く、名刺をテレビ台の上に置いた。それからキッチンに立って豚肉と人参と小松菜や他の余り野菜を入れた雑炊を簡単に作り、食べた。
 その後片付けをして、風呂に入り、髪を乾かしながらルイボスティーを入れて飲み、その一時間後には寝た。
 そんな風にして、朝起きたら昨日の名刺の事はすっかり忘れて仕事に行き、その2日後に再びバーに行ってカウンター奥に座って、オーダーを取りに来た件の店員を見て、やっと思い出した。

『いつもので良いですか?』

 そう言った久賀は何時もより無表情だった。怒っているのだろうか、と依人は思った。
 依人のオーダーを受け、淡々と仕事をこなしている久賀の動きはなかなかさまになっている。

 目の前にコースターを置く久賀の長いしなやかな指を見つめながら、依人は思い切って声を掛けてみた。

『帰る時、少し時間良いですか?』

 コースターの上にグラスを置いた久賀の肩がぴくりと揺れて、伏せられていた目が見開かれながら依人を見た。今日初めて目が合った、と思いながら依人はじっと見返す。

『…わかりました』

 久賀は小言で答え、小さく会釈をしてからカウンターの真ん中に戻っていき、依人は何時ものように一人静かに酒とジャズを堪能した。

 30分後、他の客が入ってきたのと入れ替わるようにして依人が席を立つと、会計をしてくれた久賀はそのまま外に送り出しという形で出て来た。マスターが新たな客を構っているからちょうどタイミングが良かったのかもしれない。
 少し話そうと店横の路地に入って、依人は久賀に渡された名刺裏の連絡先の真意を聞こうとした。

『あの、』

と、自分より少し背の高い久賀の顔を見上げるようにして口を開きかけると、突然唇に何かが触れた。
 その柔らかい熱が何かを考える前に、ごく至近距離に久賀の顔があって、唇を奪われているのだと気づいた。有無を言わさず押し付けられる生々しい熱。これがキスなのか……。
 23にもなって、恋人の一人も出来た事が無く、変に生真面目な性格故に遊ぶ事すらしてこなかった依人にとって、久賀とのそれが人生で初めてのキスだった。
 当然、突然の事に驚いて呆然と固まってしまい、それをどう捉えたのか、久賀は依人の体を抱きしめてきた。仄かに鼻を擽るウッディな香り。
 久賀の事が苦手な筈なのに、ときめいた。

『好きです。綺麗な人だなって、ずっと見てました。
付き合って、欲しいです』

『…………はい』

 真意を確かめる間も与えられず、依人・陥落。
 本人の与り知らぬところでは涼やかな目のクールな美形キャラが定着していた為、お行儀の良い告白しか受けてこなかった依人は、久賀の速攻で激しい熱烈な告白に抗う事が出来ず陥落してしまったのだった。

 それから依人は久賀と付き合い始めた。
 依人は人生初彼氏に戸惑いながらも浮かれ、2人の仲は順調に進展した。

 2ヶ月後、初めてのセックスをした、翌日の朝迄は。












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