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激動! 体育祭!

35.チャラ男くんの親友は○○がお好き

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アーチェリーは好きだった。

というか、元々感情の起伏が少ない自分が向いているのがアーチェリーだった。
道具を揃えれば子供でもできる。矢が的の中心に当たれば満点。単純明快で、けれど風速による矢の機動予測に射る姿勢の調整。考えること、やることはいくらでもある。

それが楽しかった。

『それでは、ルール説明を行います』

使っていない第二グラウンド。70メートル先の的を射る、日本において最も主流であるリカーブ部門。的の大きさはわずか122cm、中心は12.2cm。

あの小さな丸を、かつては水瀬も目指していた。

(何か、懐かしいな)

水瀬はどこまでも凪いでいる。対戦相手のことなどロクに聞いてやしなかった。役目を果たせればそれで良いのだから。

今回は個人戦。最大5セットあり、1セットにつき3射。
二十秒の制限時間で交互に1射ずつしていき、各セットで得点が高い方に2ポイント入る。
6ポイント先取で勝ちだ。

学校に置いてあるリカーブボウを渡される。ここにもアーチェリー部みたいなのはあるらしい。水瀬にはもう関係のないことだった。
道具のグレードはお世辞にも高いとはいえない。まぁ、初心者向けとなればそうもなるだろう。

弓道と違い、アーチェリーにはサポートのための道具がいくつもある。
安価なものから、オリンピックでも使われるような高価なものまで。

しかし一概に、安価なものが悪く高価なものがいいとは言えない。初心者には高価な道具は重いだろう。

「水瀬……!」

ふと、凪いでいた世界に声が聞こえる。

「水瀬っ、馬鹿っ、馬鹿だお前っ! ぶん殴ってやるからな!」

ああもう、うるさいなあいつ。仮にもこっちは競技者なんだから、集中を乱すなよな。
──目を閉じた。かつての自分を葬りたかった。


全国の小学生が集まる大会だとかで優勝したのが、全ての始まりだった。

その日は心地のいい日だった。気温とか、香りとか、考えている事全てが鮮明に思い出せる。それでいて夢の中の出来事みたいに不確かだ。
胸の奥から熱く込み上げる確信のもと、初めて当たる前に当たる、と予感した。

そうして水瀬はその日から、神童と呼ばれるようになる。

「普段はどんな教育をなされているんですか?」
「そうですね、普通に学校に通わせて……浮き沈みのない子ですので、ええと」
「なるほど、常に平常心!」

実際のところ、彼らは名門である水瀬家に生まれた子供に、他の人とは違うがあることに注目していたのだが、能天気な母は気が付かなかった。

「ひろし、という名前には何か深い意味が?」
「えっ? ああいえその、穏やかで、広々とした性格の子に育ってほしいと思って……」
「まさにアーチェリー選手向きですね! 最初からこう育てるつもりはあったのでしょうか?」
「それは……この子が育ちたい方向に育てばと思うので……」

いい親だと思う。今も水瀬は彼らが好きだし、頭も上がらない。だが父母は心優しく、対外に向いていない。

人というのは、自分よりずっと上と判断した相手を叩くのが好きだ。反撃してこないし、したら被害者になれるから。

それに大義名分がつけば、最高だ。

『国民の血税を、子供の育成に使う、水瀬さん。子供は本当に、それを望んでいるのでしょうか』
『選手にするために門限六時ってマジ?お金持ちって考えること違うな~笑』
『昔見たことあるけど、ほんの小さい子だった。でもあまり笑わなくて、お母さんといる時も顔が硬い。子供は親の真実を写す』
『大人びてるっていうか、異常だよね。やってるんじゃない?』

──それを全て、実力で黙らせてきた。

水瀬が結果を出し、出し続け、中心に当て続ける。才能がなければできない。幼少期の努力で一切埋められない差を、ただ見せ続ける。

水瀬が中学に上がった頃には、もはや虐待を疑う声は消えていた。才能に溢れた天才選手。日本代表に選ばれることすら期待されていて。

そして水瀬は、アーチェリーを辞めた。


……矢を正しく当てるために、まず姿勢を調節しなければならない。中学生の時散々していた基本動作。身体は覚えているらしく、寸分の狂いもなくの姿勢を作った。

矢をつがえ、顔を向けるまで一連の動作も反射的に体が行う。この動作をノッキングと呼び、これが終わればセットアップだ。

凪いでいる。誰の声も聞こえない。

ドローイング。セットアップされた弓を左右均等に引き分けること。引かず引かれずの──要するにバランスを取るのだ。

(──ダメか……)

ど、ど、と心臓が鳴った。体の中に和太鼓でも置いてあるみたいだった。的しか見えないはずなのに、とっくに視界は開けている。煩雑だ。ぐしゃりと顔を歪めた。わかっていたし、予想していた。それでも。

(俺はもう、的を狙えない)

1射。
見ずともわかる、ハズレだ。

「う……うおおお!! 五点!」
「あんな小さい的に!?!?」
「水瀬様、何者!?」

(どこがだよ)

手が震える。姿勢が崩れる。凪いでいた心が暴れ始める。よほど競技者とは思えないコンディションだ。たまたまなのではない。ずっとそうだった。
はしゃいでいる生徒を黙らせるように、スタン、と矢が命中する音。九点。

「射てなくなったという噂は本当のようだな、水瀬ひろし」

知っているのか。
自分の顔色が悪い自信はあった。脂汗が滲む。思わず左手を覆いかけて、やめた。
鼻の奥で薬の匂いがする。真っ白な壁。泣いている母、抱きしめてくる父の体温。痛む裂傷がまだ、鮮明に甦る。

「矢の劣化に気付かず折り、左手親指の付け根から指先への裂傷。がっかりだよ。我らの憧れがまさか、こんな腑抜けなんて」
『私語は厳禁です。次あるようでしたら、失格となります』

そう。全部自分が悪い。道具の手入れを怠っていて、射った瞬間に矢がへし折れた。前半分は的に当たったが後ろ半分は押し手の部分に擦り、二針縫う裂傷を起こした。

そんなもの気にせず射てればよかった。
けれどどうしても、怖いのだ。怪我をすることではなく──次はもう二度と射てなくなるかもしれないことが

(それでイップスになって、全く当たらなくなりゃ同じことだが)

なのに渡された道具の点検を反射でしてしまうのは愚かとしか言いようがない。

対戦相手は見事だった。当たり前のように9点や10点を叩き出す。

「うわ、凄……あんな当たるもんなんだ」
「いや意外と簡単だぜ? 俺に言わせてみれば水瀬ひろしのほうが──」
「水瀬さま、顔色悪くない?」
「ええ? まさか……」

こりゃ負けるな。まぁ狙い通りなんだけど。せいぜい上手くしてくれよ。俺の集中はもう続かないし。

観覧席で見ているはずの親友を振り返ろうとして。

「なっっ……に振り返ってんだ! 悔しくねーのかよバーーカ!!」
「──」
「お前、馬鹿にされてんだぞ!!」

涙で潤んだ瞳にかち合った。
悔しくないのか、なんて久しぶりに聞いた。

辞めた時すら、ほとんど聞かれなかったように思う。
水瀬がただ淡々としているからか、悔しいのかと尋ねることすら馬鹿らしいというように。

『観覧席からの野次は控えてください。選手の集中を妨げないように』
「え……何熱くなってんの?」
「そういう人だったんだ、なんか幻滅」
「仕方なくない? 別に……」

……そうだよ、馬鹿だなお前ほんと。

だって俺、何年ブランクあんだよ。それで的に当ててる方が凄いだろ。

(宗介)

イップスだぞ? 何度縋りついたと思う。しがみついたさ、たとえ負け続けたってこの場所にいたいと思った。最大5セット、それでも負け続ければ3セットしかここにはいられない。

これならばと思って試したこと、全部裏目に出た。何度やっても何をしても、指先の震えが止まらないんだよ。

当たらないんだ。あの小さなまん丸に、俺は見放されている。

ここまでしたら諦めるさ。当たり前だ。
当然、

「……死ぬほど悔しいよ」

勝ちたい、と思った。
隣の男に勝ちたいわけではない。そんな話ではなく、ただただ勝ちたいと、漠然と。

何もかもに勝てたら、気持ちが良いだろう。今この瞬間から。

目を瞑る。開ける。
何でだろう。今、何も聞こえない。

(そういえば……久しぶりに、勝ちたいと思ったな)

あと一射。もう先手で二十七点取られてて、水瀬の先程までは六点と四点で十点。3セット目、勝ち筋はない。諦めたって良い。

「なぁ、あんた」

初めて対戦相手の顔を見た。結構イケメンじゃねーか、俺の次にさ。


「、何を──」

心が澄んでいる。的がよく見える。
たとえ偶然だと思われたって、この一本は必然だと、覚えててくれよな。
なぁ、俺を初めて負かした相手よ。

手から離れた矢は折れることなく、まっすぐ真ん中に吸い込まれていった。

「──水瀬!!」

あーもーうるせーうるせー。
涙声の親友に笑いを漏らす。手の中にある懐かしい感触を逃さないよう、忘れないよう記憶する。
そんなに泣かなくてもわかってるよ。嬉しそーにしやがって、人が負けてんのに。

負けるのが悔しい、当然だ。
俺はずっと、勝つのが大好きなんだから。
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