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1巻
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しおりを挟む「まあ、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。あの人は女性や子供には暴力を振るいませんから。あ、野郎は別ですけどね。俺なんかいつも殴られ蹴られ怒鳴られ、やれやれですよ」
そうは言いつつも笑っているベリルは、いじられやすい人なのかもしれない。
そして本人もそれを受け入れている。というか、喜んでいるように見えた。
シエルについてふたりで他愛ない会話をしつつ、ベリルはきちんと私を王宮図書館まで送ってくれた。
「すご……こんなの町の図書館の比じゃないわ」
王宮図書館は今まで見たこともないほど壮大で、圧倒された。
美しい曲線を描く螺旋階段に吹き抜けの天井とステンドグラスの窓。
そして、目がくらむほどの蔵書数。
これほど本があれば一生退屈することはないだろう。
ああ、神様ありがとう。私の人生にこんな潤いを与えてくれて。
美麗な男性たちを目の保養にしながら毎日ちゃんと食事を与えられ、趣味をたっぷり堪能することができる生活なんて最高ですよ!
それもこれも、今まで実家で耐えてきたことの褒美に違いないわ。
インクの香りを胸いっぱいに吸い込んで、私は本棚の下で手を握りしめる。
さて、どこから手をつけようかしら?
目に入る書物は初めて見るものばかり。これは読み切るまでに一生かかるかもしれない。
さっそく手に取ったのは物語ではなく、王宮について書かれた書籍だ。無知のまま過ごすよりは多少知識を身につけておいたほうがいいものね。
そういえば、アンバーは少し想像した『意地悪なお妃様』に近かったけれど、思ったよりも優しかった。王宮のドロドロというのも、やっぱり物語で誇張されたものに過ぎないのかもしれない。
広大な庭園が見えるテーブル席に本を積み上げて、私はたっぷり読書を堪能した。
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
ふと本から顔を上げると、天窓から覗く空はオレンジ色からどっぷり紺に染まっている。
どうやら長居しすぎたようだ。
慌ててクリスタル宮へ戻る。
すると正門前で騒ぎが起こっていた。
門兵と言い争っているのは侍女長のカイヤだ。なぜかルビーとアンバーもいる。
なにがあったのかしら?
そう思いつつ近づくと、全員の視線が私を射貫いた。
「アクア妃がお戻りですわ!」
私の姿に気づいた侍女が突然わあっと泣き出す。
それを聞いたカイヤが門兵から私へ目を向けた。それもかなり怒りの形相だ。
カイヤはずんずん私に近づくと、問い詰めるような口調で訊いた。
「あなたは、わたくしに嘘をつきましたね?」
「え? 何のお話ですか?」
「あなたが騎士訓練所に向かったと、この侍女から聞きました。わたくしはあなたが騎士訓練所へ行く許可など出しておりません」
――騎士訓練所?
それが何かもすぐにはわからなかった。けれど、恐らくシエルとベリルが訓練していた場所だろうと見当がつく。
私は慌てて理由を説明した。
「道を間違えてしまったのです」
「嘘です! アクア妃は自らの意思で訓練所へ行き、騎士たちと会っていました! 私は見たのです!」
侍女の言葉に胸がざわついた。
たしかに私が騎士訓練所へ行ったのもそこでベリルと会ったことも事実。けれど、侍女はクリスタル宮を出られないと自分で言っていたはず。でも、彼と会った私の姿を目撃したということは、彼女が私を尾行していたことになる。
――侍女が嘘をついたの? 何のために?
「アクア妃は騎士たちと会って何がしたかったのかしら? もしかして密会でもなさるつもり?」
アンバーの言葉に驚愕し、すかさず反論する。
「そんなこと絶対ありません。侍女の方に教わった道を行ったら、そのまま――」
「嘘ですわ! 侍女長様、アクア妃は私の言葉を無視して、まっすぐ騎士訓練所のある右の道へ向かったのです。図書館は左の道なのに!」
何を言っているの? あなたはたしかに右の道だって言って……
反論しようとしたが、はたと思いとどまる。
これは私、侍女に嵌められたのではないだろうか。
アンバーが何か言おうと身を乗り出すと、横からルビーがそれを遮った。
「訓練所で稽古をなさる陛下を、あたくしも拝見したことがございます。けれど、それはきちんと許可を得てすること。アクア妃が陛下を見ようと嘘をついたのであればクリスタル宮の妃における決まりごとを違反したということになりますが、いかがでしょう? 侍女長」
ルビーのまっとうな意見に私は何も言い返すことができない。
だってシエルに会ったことも事実なのだから。
たとえそれが偶然だったとしても、今のこの状況下で私を信用してくれる人などいない。
嘘をついた侍女、怒りの形相のカイヤ、疑いの目で見ているルビーとアンバー。
ああ、詰んでしまった。ドロドロがないなんて、気のせいだった!
そう思って、瞠目した瞬間。
「何を騒いでいる?」
シエルが、ベリルとともに現れた。
ルビーは目を見開き、アンバーは軽い悲鳴を上げ、カイヤと門兵はすぐに深々と頭を下げる。
シエルは訓練所にいたようなラフな格好ではなく、それなりにきちんとした服装だった。
とはいえ、国王の正装というほどではない。だからこそこの夜道では誰も気づかなかったのだろう。
「これは陛下。このような時間においでになるとは、予定にはございませんでしたが」
カイヤが少し焦りを含んだような声で言うと、シエルは眉根を寄せて険しい顔つきになった。
「散歩をしていたんですよ! たまたま通りかかったんです。そうですよね?」
ベリルが笑顔で同意を求めたが、シエルは真顔で無言のままだ。
この場の空気は凍りつくように冷えた。
ベリルは肩をすくめて、話題を変えた。
「それより、こんな時間にみなさん揃ってどうされたんですか? そろそろ夕食の時間では?」
それにはカイヤが返答する。
「アクア妃が身勝手な行動をしたので叱っていたのです」
「え?」
「わたくしの許可なく騎士訓練所へ行ったようです。まったく、妃の立場でありながら男性の多くいる場所へひとりで行くなど言語道断。以前に嘘をついて騎士と密会していた妃もおりますからね。事実であれば厳しい罰を与えねばなりません」
ベリルが困惑の表情になった。このまま黙っていると本当に誤解されてしまうので、どうせ信じてもらえなくても潔白は主張しておきたい。
一歩前に進み出て、カイヤを見つめる。
「私は訓練所があることを知りませんでした。本当に道に迷ったのです」
「ではなぜ侍女を連れていかなかったのです?」
「彼女が自分はこの宮殿から出られないと言ったのです」
すると侍女はすぐさま反論に出た。
「嘘です。アクア妃は私を陥れようとしているのです。こんな下劣で品性の欠片もない人が妃だなんてあり得ません! どうかアクア妃を厳しく罰してくださいませ」
私はもう反論する気にもなれず、ただため息をついた。
どうせ証拠はないし、門兵も証人になってはくれないようだ。この件に関して関わりたくないのか遠くで傍観している。それに実際シエルとベリルを目撃しているのだから逃れようもない。
この侍女がなぜ私をそこまで敵視するのかわからないけど、ここはどうにか場を収拾したほうがよさそうだ。
まあ、これでもし王宮を追い出されたとしたら、実家にも戻れないだろうし市井で生きるしかないだろう。そのときは――
そんなことを考え始めたときだ。
「おい」
シエルがひと声発した。それだけで、この場の全員が一斉に注目する。
「そこの侍女は解雇だ」
シエルの発言にみな硬直し、カイヤにいたっては目を見開いて狼狽えた。
ベリルが慌てた様子でシエルを見つめる。
「あの、いきなり解雇というのは……」
「俺の妃を侮蔑したのだ。ここには必要ない」
意外な発言に驚いてしまった。
てっきり、彼も侍女のほうを信じると思っていたのだ。いや、私が勝手に訓練所へ行ったことよりも、侍女という立場で妃に暴言を吐いたことのほうが、彼の逆鱗に触れたのかもしれない。
目を瞬かせると、シエルが一瞬こちらを見た。睨みつけるような視線だったが、悪意は感じない。お礼のつもりで会釈をすると、すぐに視線はそらされてしまった。
一方、シエルに解雇を告げられた侍女は、顔面蒼白だった。地面に膝をついて深々と頭を下げている。
「ももも、申し訳ございませんっ!」
しかし、誰も彼女の肩を持つものはいない。
ルビーもアンバーも黙り込んでいて、カイヤは苦悶の表情を浮かべて彼女を見つめている。
シエルはそんなカイヤに鋭い視線を向けた。
「お前は侍女の教育もできないのか?」
「大変申し訳ございません」
カイヤは頭を下げて、それ以上のことを言わなかった。
シエルはそれきり誰と目を合わすこともなく、そのまま静かに立ち去る。
慌てて追いかけるベリルは一瞬だけ私と目を合わせて苦笑した。
嵐が過ぎ去ったように緊張感の抜けた空気の中、侍女が急にアンバーにすがりついて声を上げた。
「アンバー様、お助けください。私は平民の生活に戻りたくありません」
「うるさいわね。あなたはもう用済みだって言われたでしょ?」
「そんな……私はアンバー様のために」
「黙りなさいよ!」
アンバーに怒鳴られた侍女は驚いて固まった。
ふたりのやりとりを見てなんとなく理解した。
私を敵視していたのはアンバーであり、侍女に命じて私に誤った道を伝え、陥れようとしたのだろう。そして、その事情をおそらく知っているはずのカイヤは見て見ぬふり。
同じ妃であるルビーにとっても、手を下さずに敵が消えてくれるなら本望だろう。
なるほど、つまり私の味方はここにはいなかったわけだ。
ぐすぐすと泣く侍女の声だけが、門の前で響いている。
「アクア妃はしばらく謹慎です」
カイヤにそう言われて、私は素直に了承した。
◇
謹慎、とは一体何かと思ったが、本当に部屋から一歩も出ることが許されなかった。
一週間ほど時間が経っただろうか。窓際で空を眺めながらひとりでチェスゲームをするか、雑記帳に気づいたことを記すことくらいしかやることがない。
だけど、ひとりでチェスもつまらないし、雑記帳はネタがないのでほとんど空白のまま。
交代で来てくれる侍女たちは、どこか冷めた雰囲気で寡黙な者たちばかりだったから、話し相手にもならなかった。私が一方的に話すか、イエスかノーだけが返ってくるばかりで会話が続かないのだ。
新しい本すら読めない日々が続くとだんだん退屈に心が蝕まれてきたので、私は雑記帳で創作を始めた。
そうね。シエルがとびっきり優しくて素敵な人だったらどんなふうになるだろうとか。
そんなあり得ない空想をして心を守った。
しかし、この窮屈で寂しい日々にも終わりが訪れた。
私に新しい専属侍女が派遣されたのだ。
「本日より私がアクア様付きの侍女として配属されました。ミントと申します。どうぞよろしくお願いします」
栗毛の髪を三つ編みにして、ぱっちりとした目の彼女は、まさに私を照らす太陽そのものだった。
まさかきちんと話せる侍女が配属されるなんて思わなかったから、ぽかんとしてしまう。
そんな私を見て、ミントはくすっと笑い、折り目正しく礼をしてみせた。
「何かご不便なことはありませんか? ご入用の物がありましたら衣装屋と宝石商を呼ぶこともできますよ」
「大丈夫よ。パーティー用のドレスもあるし、私には充分だわ」
「他の妃様は衣装部屋がいっぱいになるほど買い物をされるんですよ。それぞれに予算が組まれていますから遠慮なさらなくていいんです」
ミントは衣装部屋を覗いてドレスが少ないことを危惧しているようだ。正直、謹慎中には無用の長物だ。でも自分用の予算、だなんて言われると、急にわくわくしてきた。
実家ではすべてのお金は継母に費やされるのが当然だったし、少しばかり稼いだ給金だって、妹たちを着飾るので精一杯だったから。
「それなら、ドレスより本を買いたいわ。いっそこの部屋を改造して書斎を作るのはどうかしら?」
ふざけるな、と言われてもおかしくない提案だ。
けれど、ミントは嬉しそうに笑ってくれた。
「いいですね! アクア様専用の書庫ですね。テラス席も作って花を飾りましょう」
「わあ、素敵ね」
――ああ、こんなに話が合う人に出会ったのはノゼアン以来だわ。
そういえばノゼアンは元気かしら? あれからまったく会っていないけど。
機敏に部屋の中を見て回るミントを見て癒されていると、ふと彼女はこちらを向いて微笑んだ。
「そうそう。アクア様、陛下から図書館へ行く許可を得ておりますよ」
「え? どうして……」
この部屋に閉じ込められてしばらく、一番飢えているものを目の前に吊り下げられて、唖然としてしまった。
ミントはそんな私を見つめて、ころころと笑っている。
「陛下はアクア様のことが気になっておられるようです。私を侍女に指名されたくらいだし。これでも私は王宮専門の侍女だったんですよ。今回はご命令によりクリスタル宮に来ましたけど」
「あなたが来たのはシエル様のご命令なの?」
訊ねるとミントは満面の笑みで答えた。
「はい。アクア様の専属侍女にと」
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けれどそう言うと、ミントはぐっと手を握りしめてみせた。
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「え? ミントには兄がいるの?」
「はい。私の兄はベリル・ゴーシェナイト。陛下の護衛騎士をしております」
「あなた、ベリルの妹だったのね……」
なるほど。ミントも初対面で話しやすいわけだ。
私は頭の中で、貴族の家門一覧を思い出す。
「ゴーシェナイト家はたしか子爵家だったわね」
「はい。兄は次男なので爵位を継げません。代わりに陛下の護衛騎士となりました。その縁で私も王宮入りしたのです」
王宮に仕える人間は基本的に貴族の子女だ。平民出身の下働きとは違って、常日頃から主人のそばにおり、服装もそれなりにきちんとして社交の場に主人と出向くこともある。
ふたりは気の置けない仲のようだったから、ベリルがシエルにとりなしてくれたのかもしれない。
「じゃあベリルが頼んでくれたのかしら?」
「どうでしょうね。そのあたりの事情はわからないですが、とにかく私がアクア様にお仕えするのは陛下のご命令だということは事実です」
私の疑問にミントはにっこり笑ってそう言うだけだった。
わからない。どう考えてもシエルに気に入られることなんてひとつもなかったのに。
一体どうなっているのだろう?
それでもこのクリスタル宮で気さくに話せる相手がいるのは素直に嬉しかった。
◇
「第五妃の侍女にミントを送り込んだ。これでいいんだろう、ノゼアン」
声をかけると、ノゼアンはテーブルでチェスの駒を並べて遊んでいた。
ゲームをしているわけではなく、ただ駒を縦一列に並べているだけだ。案の定、俺の言葉を聞いてノゼアンは駒から手を放して笑った。
「ああ、そうだよ。これでアクアはシエルの庇護下にあることを示すことができる。多少強引だけど他の妃には知らしめておいたほうがいいかなと思って」
「……しかし、なぜ俺があのような生意気な娘の庇護などしなければならない」
訊ねるとノゼアンはきょとんとした顔で返答した。
「アクアは生意気じゃないよ」
「どこがだ? 俺の前に現れた初日のあれを見ただろう」
『結構でございます。私も陛下を愛することなどございませんので』
国王に向かって言うべきセリフじゃないだろう、と言うとノゼアンが肩をすくめた。
「あれは正当な主張だ。君が初対面であんな冷たい言い方をするからいけないんだ。他の子たちは泣いていたよ」
「はっ! 俺に気をつかえと言うのか?」
「そうだよ。女の子には優しくしなきゃだめ」
「ならお前がやれ」
「だめだよ。シエルが王なんだから」
その言葉に苛立った。
国王など望んで手に入れた地位ではない。そもそも王位継承権は先代国王の正妃の子であるノゼアンにあった。それが、紆余曲折あって今は側妃の子である俺が王位にいる。
滑稽なものだ。
俺がソファに沈み込むと、ノゼアンが静かに笑った。
「大丈夫。ちゃんと王の威厳は保たれているよ。まあ、黙っているだけだけど」
「今後はどうなるかわからないぞ。俺は帝王学など身につけていない」
「わかってるよ。だから準備しているんだよ」
ノゼアンは呑気な声で軽く返す。
それがまた苛つく。ノゼアンの計画は知っているが、彼が何をどこまで考えているのかはわからない。
「なぜあの妃だけ特別扱いする?」
「うん、アクアは大切な駒だからね。失うわけにはいかないんだ」
眉間にしわを寄せてノゼアンを見つめる。しかしノゼアンは、俺の視線など知らないというように、綺麗に並べ置いた駒を指先でより丁寧に一直線に揃える。一見すると無駄のように見える行動だが、その遊び方でノゼアンがどれだけ神経質で几帳面なのかわかる。
彼はどんな物事でも完璧に計画して忠実に行動する。
俺とは真逆の性格だった。
「アクア、可愛いよね」
突然そんなことを言い出すノゼアンにますます困惑した。
「何が言いたい?」
「素直でまっすぐで、勉強家で物知りだけど世間知らず。はっきりものを言うし、堂々としているけど、ちょっとつついてやると簡単に壊れそうなくらい脆いんだよ。あれは騙されやすい性格だな」
ノゼアンはわずかに笑みを浮かべながら、ポーンの駒を指で弾いた。
駒はころころと転がって、チェス盤から落下していく。
下は絨毯だから壊れはしない。そうわかっているはずなのに、俺は思わずソファから身を乗り出すと、手を皿のようにして受け止めてしまった。
「うん。そんな風に誰かが守ってあげないと」
それを見て、ノゼアンがまた笑う。それから俺の手の上の駒を拾って、再び縦一列に並べた駒の最後尾にそれを置いた。
「――言いたいことがわからん。邪魔だ。用が済んだらさっさと出ていけ」
「ええー? せっかくの兄弟水入らずの時間なのに」
「お前を兄だと思ったことはない」
「でも兄だよ。シエルは僕の弟だよ。事実だよ」
「うるさい」
ノゼアンといると調子が狂う。
子供っぽい発言をしたかと思えば、時折見せる冷酷な表情にはぞっとする。
だからこそ、ノゼアンがどれだけ笑顔で接してきても警戒心が解けない。それがどれほど作られたものか知っている身としては。
「あ、そうそう。アクアに失礼を働いた侍女、解雇したんだって?」
その言葉にぴくりと反応する。
だが、ノゼアンは屈託のない笑顔で続けた。
「やっぱりシエルだね。僕なら処分しちゃうのにな」
こういうところだ。ノゼアンを絶対に信用できない理由は。
女には優しくしろと、よくもその口が言えるものだと思う。
「出ていけ。二度目だ」
「はぁい。じゃ、おやすみ」
ノゼアンはひらひらと手を振りながら部屋を出ていった。
静寂の中で無駄に綺麗に並べられたチェスの駒を見て、ふとアクアの顔を思い浮かべる。
とりあえずノゼアンの言う通り妃を五人も迎えたが、それらはすべてお飾りに過ぎない。
誰にも興味などない。
それなのに……
『私も陛下を愛することなどございませんので』
思い出すと腹が立ち、そんな自分にも苛立った。
どうでもいいはずなのに、どうにかしてやりたいと思ってしまうのは、きっとノゼアンのせいだ。
あの妃の話ばかりしやがって。
俺は、苛立ちながら一列に並んだ駒を全部崩した。
第二章
専属侍女としてミントが派遣されてから数日。
謹慎期間があけるとともに、私の生活は激変した。
「おはようございます、アクア様。今日は晴れて暖かい日ですよ。絶好のお散歩日和です。図書館へ行くのもいいですね。お供しますのでまずは朝食をいただきましょう」
ミントの明るい声で朝を迎えるようになってから、沈んでいた私の気持ちもずいぶん救われた。
朝食も以前は硬いパンとスープに肉の欠片と熟れていない果物が出ていたが、今はふわふわのパンに温かいスープ、たっぷりの野菜とステーキに甘いフルーツの盛り合わせが出されるようになった。
食事や身の回りの世話をする下働きの者たちだって以前はとても不愛想だったのに、ミントが来てからはにこにこしている。といっても、ぎこちない笑顔だけど。
それほどにミントは影響力のある侍女なのだ。
「ではルビー妃とアンバー妃にはお会いになったのですね」
「ええ、とても強烈……素敵な方々だったわ」
「強烈な人たちですよねー」
ミントが私の本音をさらっと拾ってくれた。
彼女たちの他に妃はふたり。まだ幼いガーネットと第一妃のオパールだ。そのふたりにはまだ会っていないと言うと、ミントが人差し指を顎に当てて、思い出すように教えてくれた。
「ガーネット妃は少しアンバー妃と似ていて我の強いところがありますけど、まだ子供なので可愛い範囲かと。オパール妃はとても穏やかでお優しいお方です」
ミントはかなりの情報通だ。
謹慎期間中に、このクリスタル宮では誰がどれほど影響力を持っていて、王族派や貴族派が誰なのか、または中立派はどの家門であるかなど事細かく説明してくれた。
やはり、他の妃がどれほど反発しようが第一妃のオパールが絶対的な権力を持っているようだ。その妃が優しい人ならとりあえず安心ではあるけれど……
届いた封筒を指でつつく。燃えるような赤の封蝋がされたそれは、ルビーからの招待状だった。
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