上 下
21 / 24
シエル視点

53、彼女が可愛すぎてしねる【シエル視点】

しおりを挟む
 その夜、シエルは緊張しながらアクアの部屋を訪れることになった。
 今まで剣術にしか興味のなかったシエルは女相手の経験があまりにも少ないのである。

 だが、絶対に知られたくない。
 ここは平静に、王としての家厳を保ち、スムーズに事を進めなければならない。

 そもそもこんなことになったのは周囲がうるさいからだ。


『好きな子には好きだって言わないと!』

 などとベリルに言われたことを気にしている。

『早く正妃として扱ってあげなきゃだめだよ』

 などとノゼアンにも言われている。


 そうだ。昼間確かにアクアは正妃になることを承諾した。
 だったらもう、行動に移すのみだ。

 言葉で言わずとも行動すれば理解できるだろう、とシエルは考えていた。
 つまり、夜を過ごせば好きだという気持ちが伝わると思っている。


 再びベリルの言葉が頭の中をこだまする。

『好きな子には好きだって……』

 シエルは「うるさい」とひとり呟く。


(そんな恥ずかしいことが言えるか!)


 アクアの部屋を訪れると、彼女はシルクの寝間着ナイトドレスを着て笑顔で出迎えた。
 近づくとふわっと妖艶な花の香りがした。
 アクアの髪も肌もつやつやしている。

 シエルは触りたい衝動を何とか抑制し、クールな表情を保つ。
 しかし、アクアの次の言葉で崩壊した。


「陛下、お待ちしておりましたわ」

 まるで誘うようなセリフ。
 シエルは真顔で硬直した。
 しかしその胸中は大変動揺している。


(可愛すぎるだろ!!!)


「どうかなさいましたか?」

 アクアは首を傾げながら訊ねる。

 シエルは心臓が飛び出しそうな衝動に戦場を思い浮かべた。
 血生臭い命をかけたあの場所よりも、今のほうが数倍緊張するとはどういうことか。
 だが、それは決して表に出さず、あくまで冷静な顔をアクアに向ける。


「少し飲むか?」

 と静かに訊ねた。
 アクアは「はい」と答えた。
 シエルは酒でも飲まないとこの場をどうすることもできない。

 バルコニーに面した大きな窓から月明かりがこぼれる。
 テーブルにはワインとともにチーズやクラッカー、フルーツの盛り合わせがある。
 アクアがシエルのグラスにワインを注ぐと、彼はそれを一気にぐいっと飲み干した。
 シエルはアクアの手がわずかに震えていることに気づく。


「どうした? 疲れているのか?」
「え?」

 シエルがその手に触れると、アクアは驚いた様子でワインボトルを傾けてしまった。
 どぼどぼと中身がアクアのドレスにこぼれる。

「きゃああっ!」
「すまない」
「い、いいえ。私が悪いのです」
「いや、俺が触ったから」


(なぜ、触ったら驚くのだ!?)


 疑問に思ったが、今はとにかく急いで拭き取らないとドレスがシミになってしまう。
 シエルは素直に思ったことをそのまま口にする。

「とりあえず脱げ」
「ええっ!?」

 アクアが真っ赤な顔で仰天すると、シエルはしまったと思った。

「違う。そういう意味じゃない。シミになるだろ」
「わ、わかっておりますわ」
「そうか。じゃあ脱げ」
「き、着替えてきます」

 そう言って立ち上がるアクアを目にして、シエルはとっさにその手をつかんだ。
 自分でもなぜそうしたのかわからない。
 アクアは驚いてシエルを凝視している。


「あ、の……陛下?」

 これ以上、理性を保つのは困難だった。
 シエルはクールな仮面を静かに剥ぎ捨てる。

「いい。このままで」
「えっ……」

 アクアは真っ赤な顔で硬直した。
 だが、向こうのほうが理性を保っているようだ。


「シミになってしまいます」
「ならば新しいものを買おう」
「もったいないですわ」
「俺は、今……」

 シエルは自分でも情けないような声を出していることに気づく。
 しかし、それを自分では制御できなかった。
 アクアの手をつかんだまま、彼は切実に訴えるように彼女に言う。


「離れたくない」

 そうしてアクアを抱き寄せると、静かに口づけをした。
 今度はアクアは嫌がらなかった。
 だから、これは同意なのだろうとシエルは思った。

 これで、気持ちが通じただろうと思った。


 窓から差し込む月明かりの中で、あまりにも広いベッドの上にアクアは横になり、シエルは彼女に覆いかぶさるようにじっとその表情を見つめている。
 ちょうど月明かりがアクアの顔を照らして、それがあまりにも妖艶で、シエルはさらに気持ちが高ぶった。

 何度かキスをしていると、アクアは急に涙を流した。
 シエルはぎょっとして顔を離す。


(嫌だったのか……!)


「あ、ごめんなさい……続けてください」

 とアクアはいかにも辛そうな顔で言う。
 いきなり泣き出した女にこれ以上できるわけがない。

「いや、すまない。無理強いをした」

 シエルはふいっと体を背けてしまった。
 そして、ショックのあまり気持ちが萎えている。


(そんなに泣くほど俺のことが嫌いなのか!!)


「今日は歩かせてしまったからな。疲れたのだろう。また今度にしよう」
「え? そんなことはありませんわ。私は何ともないので、どうぞ好きになさってください」

 シエルが振り向くと、アクアはうるうるした目で見つめているのだ。
 そんな顔で見つめられたら罪悪感がつのってくるというものだ。


「わかった。今夜は添い寝してやる。安心して眠るといい」

 そんな思ってもないことを口にした。
 するとアクアは安堵したように微笑んで、すぐさま寝入ってしまった。


(そんなに俺が相手だと嫌なのか!!!)


 シエルは悶々とする気持ちでアクアのとなりに寝そべった。
 アクアの顔を見つめながらその髪を撫でる。


 これは失恋したのだろうか。
 だが、アクアはもう正妃になることが決まっている。
 悪いが手放してやることはできない。


(たとえ、彼女が俺のことを嫌いでも)


 シエルは複雑な胸中で浅い眠りに落ちた。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

自分勝手な側妃を見習えとおっしゃったのですから、わたくしの望む未来を手にすると決めました。

Mayoi
恋愛
国王キングズリーの寵愛を受ける側妃メラニー。 二人から見下される正妃クローディア。 正妃として国王に苦言を呈すれば嫉妬だと言われ、逆に側妃を見習うように言わる始末。 国王であるキングズリーがそう言ったのだからクローディアも決心する。 クローディアは自らの望む未来を手にすべく、密かに手を回す。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。