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シエル視点
13、国王陛下と王兄殿下【シエル視点】
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先代国王の時代にはひとりの正妃と3人の側妃がいた。
サファイヤ宮と呼ばれる場所には側妃で唯一子を持つ妃ラピスが息子のシエルと暮らしていた。
不自由を強いられたことはないが、シエルはいつも王宮を見ては複雑な思いにかられていた。
それを、母に伝えたことがある。
「お母さま、どうして僕は王宮に行ってはいけないのですか?」
「それは決まりごとだからですよ」
「でも、王宮にはお父さまがいらっしゃるのでしょう? 僕はお父さまにお会いしてみたいです」
「父君は偉大なお方なのです。お前は簡単にお会いすることはできないのです」
シエルは納得できなかった。
絵本の中の動物の親子はみんな一緒に暮らしているのに。
目の前に父親がいるというのに会うことが叶わない。
「僕はどうすればお父さまにお会いできますか?」
「そうね。あなたが国で一番強い騎士になれば父君は会ってくださるでしょうね」
「では僕は国で一番、いいえ世界で一番強い騎士になります」
最強の騎士と呼ばれるほどになるには、努力だけではどうにもならないものだった。しかし、シエルは才能があったのだろう。幼少期から飛び抜けて強かった。
彼が野蛮な騎士と呼ばれるようになったのは、ある出来事がきっかけだった。
「お母さま、この城を出るとはどういうことですか?」
「正妃がお亡くなりになったのです」
「それで、どうしてお母さまが出ていくのですか?」
「シエル、よく聞くのです。あなたはもっと強くなくてはいけません。けれど、ここにいてはあなたまで狙われてしまいます。身を隠す必要があるのです」
「意味がわかりません。もしかしてお父さまに危険が迫っているのですか? だったら僕がお守りします。お父さまにお会いしたいです」
「お黙りなさい! お前は父君は会えないの! わがままを言わないで!」
普段は穏やかな母が声を荒らげたのはこの一度きりだった。
そのときの母親の姿は今まで冷静で物静かだった印象とは一変し、感情的で何かを恐れているようだった。
そして、母親は泣いていた。
母の涙を見て、シエルは幼心にもこれが尋常ではない状況なのだと理解した。
それ以上、何も言えなかった。
翌日、シエルは母とともに王宮を去った。
遠く離れた郊外にある古城で母と使用人たちと一緒に暮らした。
シエルはやがて街の騎士養成所に入り、王国騎士を目指して訓練に励んだ。
いつか、父に会うために。
父を守るために。
この国を守るために。
しかし、シエルは生きている父の姿を見ることは一度もなかった。
そして、十数年の時が過ぎ、シエルは王となって王宮へ戻ってきたのである。
*
その日、深夜に部屋を訪れたのはノゼアンだった。
シエルは窓際でひとり酒を飲みながら物思いに耽っていた。
今朝、幼い頃の夢を見た。すでにどうでもいいことだったが妙に苛立つ自分に嫌気がさし、酒をあおって忘れようとしていた。
そんなときに一番顔を合わせたくない奴が来たのだから気分は最悪だ。
「また今夜も酒ばっかり飲んでいるの? たまにはクリスタル宮へ行ってあげたらいいのに」
シエルはノゼアンの顔を一切見ない。
ノゼアンは困惑の表情で苦笑する。
「お気に入りの妃はいないの? みんなシエルが来るのを待っているよ」
「うるさい。用がないなら帰れ」
シエルは酒の瓶を乱暴に手に取り、グラスになみなみと注ぐ。
「僕もお酒が飲めたらいいのにね。こうやってシエルと飲みながらおしゃべりできるし」
そう言いながらテーブルの向かい側に腰を下ろすノゼアンに、シエルは苛立ちを募らせる。
「座るな。出ていけ」
「そういうこと言っちゃう? たったひとりの兄に冷たいなあ」
「お前を兄だと思ったことなどない」
「まあ、そりゃそうだよね。僕ら敵同士だったんだから」
シエルがじろりと睨むと、ノゼアンはにっこりと笑顔で返す。
しばらくの沈黙のあいだ、シエルは今朝の夢を思い出していた。内容はそれほど頭に残っていないが、強烈に覚えていることがひとつだけある。
あの頃、自分が絶対に足を踏み入れることのできなかった王宮には、ノゼアンがいたということだ。
つまり、ノゼアンが次期後継者だった。
それが、今は自分が王位に就いている。
「滑稽だな」
とシエルはグラスの酒をぐいっと飲み干して笑った。
王冠を求めたことなど一度もない。王位に就くなど夢にも思わなかった。
ただ、父に会いたかった。父のために、国のために。それだけがシエルをここまで強くした。
目の前のこの男は腹が立つほど弱々しいのに、生まれたときから父のそばにいた。
将来の王となるために。
「あ、そうそう。クリスタル宮のことに口出ししたんだって? カイヤが泣きながら僕のところに来たよ」
「ちっ……あいつ、めんどくせぇな」
「そういうこと言わないの。カイヤのおかげで規律が守られているんだから。でも、まあ庭を出歩くくらいなら僕もいいと思っているよ」
「ふんっ」
シエルは再びグラスに酒を注ぐ。
お前などにあの窮屈さが理解できるはずがないだろう。そうシエルは思った。
そもそも側妃を置く気などさらさらなかった。
5人も側妃を迎えたのは、すべてノゼアンの提案だ。
ノゼアンは非常に頭の切れる男で、何を考えているのかシエルにもよくわからない。
だからこそ、警戒心を解くことはできない。
ノゼアンは立ち上がり、ゆっくりと扉へ向かっていく。
やっと出ていってくれるかとシエルが嘆息すると、ノゼアンは振り返って言った。
「ねえ、アクアのことどう思う?」
「何の話だ?」
「やだなー。君に初対面で言い返したあの妃だよ」
「気に入らん」
「そう? 僕はいい子だと思うんだけどね」
「何が言いたい?」
シエルは苛立ちを何とか抑えながらノゼアンを見据える。
ノゼアンは満面の笑みで答える。
「アクアは正妃になる素質があるよ」
シエルにはノゼアンの言っている意味がわからなかった。
サファイヤ宮と呼ばれる場所には側妃で唯一子を持つ妃ラピスが息子のシエルと暮らしていた。
不自由を強いられたことはないが、シエルはいつも王宮を見ては複雑な思いにかられていた。
それを、母に伝えたことがある。
「お母さま、どうして僕は王宮に行ってはいけないのですか?」
「それは決まりごとだからですよ」
「でも、王宮にはお父さまがいらっしゃるのでしょう? 僕はお父さまにお会いしてみたいです」
「父君は偉大なお方なのです。お前は簡単にお会いすることはできないのです」
シエルは納得できなかった。
絵本の中の動物の親子はみんな一緒に暮らしているのに。
目の前に父親がいるというのに会うことが叶わない。
「僕はどうすればお父さまにお会いできますか?」
「そうね。あなたが国で一番強い騎士になれば父君は会ってくださるでしょうね」
「では僕は国で一番、いいえ世界で一番強い騎士になります」
最強の騎士と呼ばれるほどになるには、努力だけではどうにもならないものだった。しかし、シエルは才能があったのだろう。幼少期から飛び抜けて強かった。
彼が野蛮な騎士と呼ばれるようになったのは、ある出来事がきっかけだった。
「お母さま、この城を出るとはどういうことですか?」
「正妃がお亡くなりになったのです」
「それで、どうしてお母さまが出ていくのですか?」
「シエル、よく聞くのです。あなたはもっと強くなくてはいけません。けれど、ここにいてはあなたまで狙われてしまいます。身を隠す必要があるのです」
「意味がわかりません。もしかしてお父さまに危険が迫っているのですか? だったら僕がお守りします。お父さまにお会いしたいです」
「お黙りなさい! お前は父君は会えないの! わがままを言わないで!」
普段は穏やかな母が声を荒らげたのはこの一度きりだった。
そのときの母親の姿は今まで冷静で物静かだった印象とは一変し、感情的で何かを恐れているようだった。
そして、母親は泣いていた。
母の涙を見て、シエルは幼心にもこれが尋常ではない状況なのだと理解した。
それ以上、何も言えなかった。
翌日、シエルは母とともに王宮を去った。
遠く離れた郊外にある古城で母と使用人たちと一緒に暮らした。
シエルはやがて街の騎士養成所に入り、王国騎士を目指して訓練に励んだ。
いつか、父に会うために。
父を守るために。
この国を守るために。
しかし、シエルは生きている父の姿を見ることは一度もなかった。
そして、十数年の時が過ぎ、シエルは王となって王宮へ戻ってきたのである。
*
その日、深夜に部屋を訪れたのはノゼアンだった。
シエルは窓際でひとり酒を飲みながら物思いに耽っていた。
今朝、幼い頃の夢を見た。すでにどうでもいいことだったが妙に苛立つ自分に嫌気がさし、酒をあおって忘れようとしていた。
そんなときに一番顔を合わせたくない奴が来たのだから気分は最悪だ。
「また今夜も酒ばっかり飲んでいるの? たまにはクリスタル宮へ行ってあげたらいいのに」
シエルはノゼアンの顔を一切見ない。
ノゼアンは困惑の表情で苦笑する。
「お気に入りの妃はいないの? みんなシエルが来るのを待っているよ」
「うるさい。用がないなら帰れ」
シエルは酒の瓶を乱暴に手に取り、グラスになみなみと注ぐ。
「僕もお酒が飲めたらいいのにね。こうやってシエルと飲みながらおしゃべりできるし」
そう言いながらテーブルの向かい側に腰を下ろすノゼアンに、シエルは苛立ちを募らせる。
「座るな。出ていけ」
「そういうこと言っちゃう? たったひとりの兄に冷たいなあ」
「お前を兄だと思ったことなどない」
「まあ、そりゃそうだよね。僕ら敵同士だったんだから」
シエルがじろりと睨むと、ノゼアンはにっこりと笑顔で返す。
しばらくの沈黙のあいだ、シエルは今朝の夢を思い出していた。内容はそれほど頭に残っていないが、強烈に覚えていることがひとつだけある。
あの頃、自分が絶対に足を踏み入れることのできなかった王宮には、ノゼアンがいたということだ。
つまり、ノゼアンが次期後継者だった。
それが、今は自分が王位に就いている。
「滑稽だな」
とシエルはグラスの酒をぐいっと飲み干して笑った。
王冠を求めたことなど一度もない。王位に就くなど夢にも思わなかった。
ただ、父に会いたかった。父のために、国のために。それだけがシエルをここまで強くした。
目の前のこの男は腹が立つほど弱々しいのに、生まれたときから父のそばにいた。
将来の王となるために。
「あ、そうそう。クリスタル宮のことに口出ししたんだって? カイヤが泣きながら僕のところに来たよ」
「ちっ……あいつ、めんどくせぇな」
「そういうこと言わないの。カイヤのおかげで規律が守られているんだから。でも、まあ庭を出歩くくらいなら僕もいいと思っているよ」
「ふんっ」
シエルは再びグラスに酒を注ぐ。
お前などにあの窮屈さが理解できるはずがないだろう。そうシエルは思った。
そもそも側妃を置く気などさらさらなかった。
5人も側妃を迎えたのは、すべてノゼアンの提案だ。
ノゼアンは非常に頭の切れる男で、何を考えているのかシエルにもよくわからない。
だからこそ、警戒心を解くことはできない。
ノゼアンは立ち上がり、ゆっくりと扉へ向かっていく。
やっと出ていってくれるかとシエルが嘆息すると、ノゼアンは振り返って言った。
「ねえ、アクアのことどう思う?」
「何の話だ?」
「やだなー。君に初対面で言い返したあの妃だよ」
「気に入らん」
「そう? 僕はいい子だと思うんだけどね」
「何が言いたい?」
シエルは苛立ちを何とか抑えながらノゼアンを見据える。
ノゼアンは満面の笑みで答える。
「アクアは正妃になる素質があるよ」
シエルにはノゼアンの言っている意味がわからなかった。
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