上 下
18 / 24
シエル視点

13、国王陛下と王兄殿下【シエル視点】

しおりを挟む
 先代国王の時代にはひとりの正妃と3人の側妃がいた。 
 サファイヤ宮と呼ばれる場所には側妃で唯一子を持つ妃ラピスが息子のシエルと暮らしていた。
 不自由を強いられたことはないが、シエルはいつも王宮を見ては複雑な思いにかられていた。
 それを、母に伝えたことがある。


「お母さま、どうして僕は王宮あちらに行ってはいけないのですか?」
「それは決まりごとだからですよ」
「でも、王宮あちらにはお父さまがいらっしゃるのでしょう? 僕はお父さまにお会いしてみたいです」
「父君は偉大なお方なのです。お前は簡単にお会いすることはできないのです」

 シエルは納得できなかった。
 絵本の中の動物の親子はみんな一緒に暮らしているのに。
 目の前に父親がいるというのに会うことが叶わない。

「僕はどうすればお父さまにお会いできますか?」
「そうね。あなたが国で一番強い騎士になれば父君は会ってくださるでしょうね」
「では僕は国で一番、いいえ世界で一番強い騎士になります」


 最強の騎士と呼ばれるほどになるには、努力だけではどうにもならないものだった。しかし、シエルは才能があったのだろう。幼少期から飛び抜けて強かった。
 彼が野蛮な騎士と呼ばれるようになったのは、ある出来事がきっかけだった。


「お母さま、この城を出るとはどういうことですか?」
「正妃がお亡くなりになったのです」
「それで、どうしてお母さまが出ていくのですか?」
「シエル、よく聞くのです。あなたはもっと強くなくてはいけません。けれど、ここにいてはあなたまで狙われてしまいます。身を隠す必要があるのです」
「意味がわかりません。もしかしてお父さまに危険が迫っているのですか? だったら僕がお守りします。お父さまにお会いしたいです」
「お黙りなさい! お前は父君は会えないの! わがままを言わないで!」


 普段は穏やかな母が声を荒らげたのはこの一度きりだった。
 そのときの母親の姿は今まで冷静で物静かだった印象とは一変し、感情的で何かを恐れているようだった。
 そして、母親は泣いていた。
 母の涙を見て、シエルは幼心にもこれが尋常ではない状況なのだと理解した。
 それ以上、何も言えなかった。

 翌日、シエルは母とともに王宮を去った。
 遠く離れた郊外にある古城で母と使用人たちと一緒に暮らした。
 シエルはやがて街の騎士養成所に入り、王国騎士を目指して訓練に励んだ。

 いつか、父に会うために。
 父を守るために。
 この国を守るために。


 しかし、シエルは生きている父の姿を見ることは一度もなかった。


 そして、十数年の時が過ぎ、シエルは王となって王宮ここへ戻ってきたのである。




 *




 その日、深夜に部屋を訪れたのはノゼアンだった。
 シエルは窓際でひとり酒を飲みながら物思いに耽っていた。
 今朝、幼い頃の夢を見た。すでにどうでもいいことだったが妙に苛立つ自分に嫌気がさし、酒をあおって忘れようとしていた。
 そんなときに一番顔を合わせたくない奴が来たのだから気分は最悪だ。


「また今夜も酒ばっかり飲んでいるの? たまにはクリスタル宮へ行ってあげたらいいのに」

 シエルはノゼアンの顔を一切見ない。
 ノゼアンは困惑の表情で苦笑する。

「お気に入りの妃はいないの? みんなシエルが来るのを待っているよ」
「うるさい。用がないなら帰れ」

 シエルは酒の瓶を乱暴に手に取り、グラスになみなみと注ぐ。


「僕もお酒が飲めたらいいのにね。こうやってシエルと飲みながらおしゃべりできるし」

 そう言いながらテーブルの向かい側に腰を下ろすノゼアンに、シエルは苛立ちを募らせる。

「座るな。出ていけ」
「そういうこと言っちゃう? たったひとりの兄に冷たいなあ」
「お前を兄だと思ったことなどない」
「まあ、そりゃそうだよね。僕ら敵同士だったんだから」


 シエルがじろりと睨むと、ノゼアンはにっこりと笑顔で返す。
 しばらくの沈黙のあいだ、シエルは今朝の夢を思い出していた。内容はそれほど頭に残っていないが、強烈に覚えていることがひとつだけある。

 あの頃、自分が絶対に足を踏み入れることのできなかった王宮には、ノゼアンがいたということだ。

 つまり、ノゼアンが次期後継者だった。
 それが、今は自分が王位に就いている。


「滑稽だな」

 とシエルはグラスの酒をぐいっと飲み干して笑った。

 王冠を求めたことなど一度もない。王位に就くなど夢にも思わなかった。
 ただ、父に会いたかった。父のために、国のために。それだけがシエルをここまで強くした。

 目の前のこの男は腹が立つほど弱々しいのに、生まれたときから父のそばにいた。
 将来の王となるために。


「あ、そうそう。クリスタル宮のことに口出ししたんだって? カイヤが泣きながら僕のところに来たよ」
「ちっ……あいつ、めんどくせぇな」
「そういうこと言わないの。カイヤのおかげで規律が守られているんだから。でも、まあ庭を出歩くくらいなら僕もいいと思っているよ」
「ふんっ」

 シエルは再びグラスに酒を注ぐ。
 お前などにあの窮屈さが理解できるはずがないだろう。そうシエルは思った。


 そもそも側妃を置く気などさらさらなかった。 
 5人も側妃を迎えたのは、すべてノゼアンの提案だ。
 ノゼアンは非常に頭の切れる男で、何を考えているのかシエルにもよくわからない。
 だからこそ、警戒心を解くことはできない。


 ノゼアンは立ち上がり、ゆっくりと扉へ向かっていく。
 やっと出ていってくれるかとシエルが嘆息すると、ノゼアンは振り返って言った。


「ねえ、アクアのことどう思う?」
「何の話だ?」
「やだなー。君に初対面で言い返したあの妃だよ」
「気に入らん」
「そう? 僕はいい子だと思うんだけどね」
「何が言いたい?」

 シエルは苛立ちを何とか抑えながらノゼアンを見据える。
 ノゼアンは満面の笑みで答える。


「アクアは正妃になる素質があるよ」


 シエルにはノゼアンの言っている意味がわからなかった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつまりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

うたた寝している間に運命が変わりました。

gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。