53 / 66
53、もう怖いものなどないわ
しおりを挟むイレーナの必死の訴えにヴァルクは戸惑っている。
彼の目にはイレーナがずたぼろに映っているのだ。
それもそのはず、イレーナは鞭で打たれただけでなく、髪の毛も乱雑に切り落とされてしまっているのだから。
「お前をこんな目に遭わせた奴らを許せない」
「個人的な感情は、今は抑えてください。まず、首謀者を捕らえるのです」
「それならもう済んだ。スベイリ―侯爵は捕らえてある」
「いいえ。もうひとりいます」
「お前……」
ヴァルクがハッとしたような顔つきになったので、イレーナは彼もわかっているのだろうと思った。
口には出せない。
もっとも信頼する騎士が裏切ったのだから。
「傭兵たちは暴れたくてたまらないでしょう。あなたならきっと叩き伏せることができるでしょうが、血を流さずに解決できる方法を模索してください」
「イレーナ、一度戦が起こったらそう簡単に止めることは……」
「まだ起こっていません! どうか、少しは頭を使ってください!」
呆気にとられるヴァルクを見て、イレーナはもうどうにでもなれと思った。
皇帝相手にとんでもなく無礼な発言をしているのだ。
しかし、つい先ほどまで命を失うところだった。
今さら怖いものなどない。
「女が戦のことを語るとはな」
ヴァルクはふっと笑いを洩らした。
イレーナは真剣な表情で話す。
「私の中では情勢や商売の話をするのに男も女も関係ありません。私の母は、女は着飾ってお茶でも飲んでいればいいという考えを持つことを嫌っておりましたので」
ヴァルクはぎゅっとイレーナを抱きしめる。
イレーナは胸に抱かれてどきりとした。
「あ、あの……生意気なことを申しまして」
「いや、だからこそ俺は自ら願ってお前を妻にしたんだ」
「えっ……」
ヴァルクの腕にぎゅっと力が入る。
そのせいでイレーナは背中の傷にずきりと痛みが走った。
「い、いたたっ……」
「ああ、悪い……くそっ、服が破れるほど鞭打ちしやがって」
ヴァルクがふたたび怒りの表情になるので、イレーナは彼を安心させるために笑顔を向けた。
「大丈夫です。こんなのは子を産む痛さに比べたら、かすり傷のようですわ」
「産んだことがあるのか?」
「ございません! 例えです」
ヴァルクは怪訝な表情をしていたが、わずかに口調が柔らかくなった。
「背中の傷は治癒師が癒してくれるだろう。大丈夫だ。傷が残らないようにしてやる」
「そうなのですか。それはありがたいです」
イレーナはそっと目を閉じると、ふたたび意識が薄れていった。
ヴァルクの懐があまりにもあたたかく、安心してしまったから。
その後――。
115
お気に入りに追加
1,862
あなたにおすすめの小説

「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた
菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…?
※他サイトでも掲載中しております。



【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

どうせ運命の番に出会う婚約者に捨てられる運命なら、最高に良い男に育ててから捨てられてやろうってお話
下菊みこと
恋愛
運命の番に出会って自分を捨てるだろう婚約者を、とびきりの良い男に育てて捨てられに行く気満々の悪役令嬢のお話。
御都合主義のハッピーエンド。
小説家になろう様でも投稿しています。


【完結】僻地の修道院に入りたいので、断罪の場にしれーっと混ざってみました。
櫻野くるみ
恋愛
王太子による独裁で、貴族が息を潜めながら生きているある日。
夜会で王太子が勝手な言いがかりだけで3人の令嬢達に断罪を始めた。
ひっそりと空気になっていたテレサだったが、ふと気付く。
あれ?これって修道院に入れるチャンスなんじゃ?
子爵令嬢のテレサは、神父をしている初恋の相手の元へ行ける絶好の機会だととっさに考え、しれーっと断罪の列に加わり叫んだ。
「わたくしが代表して修道院へ参ります!」
野次馬から急に現れたテレサに、その場の全員が思った。
この娘、誰!?
王太子による恐怖政治の中、地味に生きてきた子爵令嬢のテレサが、初恋の元伯爵令息に会いたい一心で断罪劇に飛び込むお話。
主人公は猫を被っているだけでお転婆です。
完結しました。
小説家になろう様にも投稿しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる