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39、どうしよう、今さらだけどドキドキするわ

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「も、申しわけございません。幼い頃からずっと母についてあっちこっちでボランティアをしておりましたので、いつヴァルさまとお会いしたのか記憶にないのです。あまりにも多くの人と接していましたので」
「まあ、俺も平民の格好をしていたからな。森の中をさまよってボロボロだったし」
「そうですか……でも、そんなに昔から私を知ってくださっていたなんて」


 だとすれば、彼はそのときの少女がイレーナだと知り、妃に迎え入れたのだろう。
 それなら最初からそう言えばいいものを、噂で聞いた姫だからとか何とか、わざわざ別の適当な理由をつけて、意味がわからない。


(照れ屋さんなのかしら?)


 イレーナはわずかに頬を赤らめるヴァルクを見て、妙に胸の奥がくすぐったくなった。

「お前のおかげで救われた命だ。まあ、俺だけではないだろうが」
「とんでもないことです。私はただ母に言われたとおりにしていただけです」
「そこは謙遜するところじゃないんだ。お前は当時の次期皇帝の命を救ったのだぞ。英雄だ」
「買い被りすぎです」


 イレーナはぎゅっと胸もとを押さえる。
 とても嬉しいのに、妙にそわそわするのだ。
 じわりと熱いものがあふれてくるような感覚と、同時に高鳴る鼓動。
 イレーナがヴァルクを見上げると、その視線に気づいた彼はやけに優しい微笑みを返した。
 イレーナはとっさに目をそむける。


(どうしよう。ただとなりで歩いているだけなのに……ドキドキするわ)


 ヴァルクのごつごつした手がイレーナの手の甲に当たる。
 この手はもう十分すぎるほど知り尽くした。
 けれど、ふたりきりで触れ合うのとはまた別の感覚がする。


(手を、つなぎたいわ……)


 そう思ってさりげなくヴァルクの手に触れようとしたら、突然彼は立ち止まった。

「え? ヴァルさま、どうかしました……?」

 ヴァルクの視線の先には護衛騎士たちが真っ青な顔で立っていた。
 そして、侍従のテリーは怒りに満ちた表情をしていた。


「陛下! 一体どこへいらしたのですか! 私たちがどれほどお探ししたか……もしも御身に何かございましたら、私は自ら処刑台へ首をさらすことになりますぞ」

 ヴァルクは「大袈裟」と呆れ顔で言い放つ。


「もう子どもじゃないんだ。暗殺者のひとりやふたり、この手で叩き伏せてやる」
「そういう問題ではないのです!」

 侍従のテリーは普段から鬱憤が溜まっているのか、この際とばかりにヴァルクに愚痴をこぼした。
 ヴァルクは怒ることもなく、穏やかに返す。


「悪かったよ。だが、お前たちがいると話どころか、茶も出してもらえなかっただろうからな」
「は? 一体何のことでございますか?」
「教会と和睦を結ぶことにした」 
「ええっ!? そ、それは一体……」
「イレーナの力だ。感謝しろよ」

 テリーと騎士たちが一斉にイレーナの顔を見る。
 イレーナは慌てて事の顛末を説明した。


「ほう、変わった妃さまだとは思っておりましたが、想像の斜め上を行きますな」
「そうだろう。だが、俺はわかっていてイレーナを同行させたのだ」
「なるほど、そうでございましたか」

 ヴァルクとテリーの会話を背後で聞きながら、イレーナは別のことに気を取られていた。
 テリーが現れなければ、うっかり手を握るところだった。
 自分の立場を忘れるところだったのだ。


(正妻じゃないんだから)


 ふたたび自覚すると、胸の奥がぎゅっと痛んだ。


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