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31、とても皇帝とは思えないわ(いい意味で)
しおりを挟むしばらく町を歩いていると、少し景色に変化があった。
中央市場のあたりは賑やかだが、このあたりは静かだ。
建物も古く、みすぼらしい服装をした者が行き交う。
貴族であれば当然足を踏み入れる場所ではないだろう。
しかし、ヴァルクは平然と歩いている。
それも無言だ。
気まずくなったイレーナはヴァルクに声をかけた。
「そういえば、陛……ヴァルさまは先ほどの食べ物にまったく抵抗がなかったのですね?」
「ん? ああ、戦場ではあのように野営で肉を焼いて食うからな」
「そうなんですか」
「それに……平民の格好も初めてではない」
「え?」
ヴァルクは立ち止まり、なぜかイレーナと向かい合う。
その視線はやけに鋭く、つい先ほどまでふざけていたのが不思議なくらいだ。
「あの、ヴァルさま……」
「子どもの頃、異国の地で迷子になったことがある」
「は、はあ……」
急に幼少の頃の話を始めたので、イレーナは戸惑った。
だが、ヴァルクはそのまま続ける。
「護衛と離れてひとりで森の中をさまよった。腹が減って死にそうになっていたとき、美味そうな匂いがしてつられて行ったら、古い食堂があってな」
「……はい」
「そこは食糧が不足していてすでに他の者たちに分け与える分しかなかった。だが、店の者は俺に食べ物を分けてくれた」
イレーナはじっとヴァルクの話に耳を傾ける。
「具のないスープだったが、美味かった。あれからどんな豪勢な料理を食べても、あの味には勝てない。おそらく生涯あのような食事にはありつけないだろう」
ヴァルクは口もとに笑みを浮かべながら、なつかしそうに話す。
その姿を見たら、イレーナは胸の奥が熱くなった。
彼はそういった過去があるからこそ、平民に対してもあのような接し方ができるのかもしれない。
「それはきっとヴァルさまがお腹をすかせていたから、余計に美味しく感じたのかもしれませんね」
「それもあるが、何より店の者たちの対応がよかった。俺のような見ず知らずの者に親切にしてくれた。あの出来事は一生忘れないだろうな」
「そんなふうに思われて、その者たちが知ったらとても喜ぶでしょうね。けれど、その者たちからすれば、当たり前のことをしただけなのかもしれません」
ヴァルクはじっとイレーナを見つめる。
イレーナはきょとんとして首を傾げる。
「どうかしましたか? もしかして私は何かまずいことでも……」
「いや、何でもないさ」
ヴァルクはふっと意味ありげに笑った。
イレーナはさらに不可解だったが、ヴァルクが笑顔なのでほっと安堵した。
(先ほどのことで気を悪くしているかと思ったけど、大丈夫みたいだわ)
あまり綺麗ではない店の串焼きを頬張って美味いと言う。
とても皇帝とは思えない振る舞いだが、本当に国を治める者が知るべきことを、彼は心得ている。
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