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29、陛下、逃げました!
しおりを挟む町は活気にあふれている。
市場には新鮮な食糧が並び、異国から取り寄せためずらしい宝飾品や衣服などを取り扱う店もある。
イレーナはとある店の行列に目を留めた。
「ずいぶん賑やかだわ。何を売っているのかしら?」
「行ってみるか」
「はい」
ヴァルクがにやりと意味ありげに笑い、イレーナは首を傾げる。
店の前には客たちが押し寄せて、来たばかりの客と購入済の客でごった返していた。
「これは一体どうしたの?」
イレーナがそばの女性に声をかけると彼女は目をキラキラさせながら答えた。
「素晴らしいクッションを売っているんですって。何でも宙に浮いているような気分になれるそうよ」
すると別の老婆が話に割り込んできた。
「私はすでに使っているんだがね。あのクッションのおかげで腰が軽くなってね。天にも昇る気分さ」
さらに、若い夫婦が話に加わった。
「私たちは奮発して布団を購入したの。もうふわっふわで最高の寝心地よ」
「ああ、そうだ。妻と一日中ベッドにいたいくらいさ」
「やだわ、あなたったら。うふふ」
それだけ聞いてイレーナはぴんときた。
店の中を覗いてみると、そこには布団や枕、クッションやぬいぐるみとあらゆるものが置いてある。
押し寄せる客たちが次々と購入していくのだ。
「そういうことだ」
ヴァルクは満面の笑みを向けた。
イレーナは感動して涙ぐみながら礼を言う。
「ありがとうございます。この様子を私に見せてくれるために、わざわざ平民のふりまでして連れてきてくれたのですね」
「まあ、それもある。だが、別の理由もあるぞ」
「えっ……?」
ヴァルクは突然イレーナの手を握り、走り出した。
「ああっ! 陛……ヴァルさまああっ!!」
侍従のテリーの悲鳴じみた声とともに護衛騎士たちが追いかけてくる。
イレーナはわけがわからず、足がもつれそうになりながら必死に走る。
つまずきそうになると、ヴァルクはいきなりイレーナを抱きかかえた。
「陛下、お待ちくださ……」
「愛称はどうした?」
「ええっ? こんなときに?」
ヴァルクはイレーナを抱えたまま猛スピードで人々の中を駆け抜ける。
あっという間に護衛騎士たちを撒いてしまった。
「もう、ヴァルさまあっ!!!」
どうしようもないが、イレーナはその名を叫んだ。
しばらく走って追手がいなくなった頃にようやくヴァルクはイレーナを下ろしてくれた。
そこは先ほどよりも建物が古く人々の格好も質素だった。
都から少し離れているのだろう。
イレーナを担いでかなり長い距離を走ったのに、ヴァルクは息も切らしていない。
戦で鍛えられた体力と強靭な身体を見て、なぜかただ運ばれただけのイレーナがどっぷり疲れた。
「こんなことをして、あとでテリーさんにすっごく怒られますよ?」
「かまわん。それでも俺はお前とふたりきりになりたかった」
「えっ……?」
イレーナはどきりとして言葉に詰まる。
そんなふうに言われると、また勘違いしてしまう。
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