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2、それほど恐ろしいイメージではないわね
しおりを挟むイレーナの待遇は人質とは思えないほどよかった。
食事はふんだんな野菜を使った前菜に魚料理と肉料理、ふわふわのパンにスープ、それにデザートはケーキやチョコレートやプディングまであった。
正直、公国はあまり裕福ではなかったので、公女といえどもあまり贅沢はできなかった。
しかし、帝国はやはり国の規模も大きく、おまけに戦勝国とあって街は活気にあふれている。
皇帝ヴァルクは恐ろしい怪物とか生きた死神とか、そんな噂ばかりを耳にしていたイレーナは少々拍子抜けしてしまった。
「民は明るいし、陛下もそれほど恐ろしいイメージではないわね」
食事中にそんなことを呟くと、そばにいた侍女が話しかけた。
「そうなのです。陛下はあの体格で言葉遣いも少々荒々しいところがございますから、誤解されやすいのですが、私たちを好待遇で雇ってくださっているので感謝ばかりです」
侍女はにっこりと笑った。
その笑顔でイレーナはすべてを悟る。
もしも噂どおり簡単に人を殺してしまう恐ろしい皇帝なら、使用人たちはこれほど落ち着いてはいないはずだ。
イレーナが見る限り、使用人たちは皆、穏やかに仕事をしている。
「お食事のあとはお庭を散歩されますか? 軽く運動をされて湯浴みをされるとすっきりしますよ」
「ええ、そうするわ」
侍女の気遣いがイレーナの心に沁みる。
食事は美味しいが、今夜のことを考えると緊張しすぎてあまり進まなかったから。
日の暮れた庭園は照明の光で幻想的だった。
帝国では夜に光を灯す技術が発達しているとはイレーナも耳にしていたが、これほど明るく庭園を照らすことができるとは思ってもみなかったのだ。
「素晴らしいわ。本当にこの国は発展しているのね。見るものすべてが初めてでわくわくするわ」
「そのように言っていただけて光栄でございます」
イレーナに付き添っている侍従が丁寧に返答した。
これほどの技術があるのだから、よほど教育機関もしっかりしているのだろうとイレーナは思う。
「この国の学校や施設を見学してみたいわ。もちろん今すぐというわけにはいかないけれど、陛下がお許しくださるならばぜひ」
「それは大歓迎でございます。陛下もきっとお許しくださいますよ」
「貴族の学校だけでなく、平民の学校にも訪れたいわ。この国はいくつあるのかしら?」
「はて……?」
侍従が突然、首を傾げた。
「平民の学校はございませんが」
「ええっ? ないの? だって、こんなに素晴らしい技術力を持っている国なのに、貴族の学校を出た者たちだけで作っているの?」
「いいえ。この技術はすべて他国からの輸入でございます。この国で技術者を養成してはおりません」
「そんな! もったいないわ。だって、こんなに恵まれた国なのに」
イレーナの育ったカザル公国は民が食べていくだけで精一杯で、なかなか教育に力を入れることができなかった。
それでも、イレーナの父はどうにか平民の学校を建てたのだが、すべての者を受け入れることはできなかった。
「我がドレグラン帝国は騎士の養成にもっとも力を入れております。この国は昔から戦争が絶えず、多くの国から狙われてきました。ゆえに戦闘力の強化に特化しているのでございます。これらの技術を他国から取り入れるのも戦に勝利した証でございます」
イレーナは唖然としてしまった。
いくら理由があるとはいえ、せっかくこれほど大きな国で、金もあるのに、力を入れているのが戦闘に関することだけだとは。
「皇帝陛下は内政にもっと力を入れるべきだわ」
ぼそりと言ったイレーナの言葉に、侍従がとっさに反応する。
「そのことを陛下に告げてはなりません。陛下はご自身のやり方に口出しをする者をもっとも嫌います。普段は温厚なお方ですが、そのお怒りに触れると首を落とされるだけでは済みません」
「えっ……それ以外にどんな罰が?」
ひやりと背筋に悪寒が走るイレーナに向かって、侍従は淡々と話す。
「長時間の拷問の末かろうじて生かされた状態で城門に括りつけられじわじわと殺されるのです」
「ちょっ……それ、冷静に言わないで」
「あ、そのあと火刑に処されます。まだ息がある場合とんでもない苦痛ですね」
「もういいわ!」
イレーナは全身に鳥肌が立った。
聞くんじゃなかったと今さらながら後悔する。
「ですが、上手にご機嫌取りをなされれば陛下は穏やかに接してくださるでしょう」
侍従は急ににっこりと笑ってそう言ったが、イレーナの中では噂どおりの冷酷非道な皇帝陛下のイメージに戻ってしまっていた。
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