ハヤテの背負い

七星満実

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第一章 夢の続き

④バイト漬けの日々と、二つの知らせ

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 改札を出て、快晴を見上げる。春の過ごしやすさを忘れさせようと、六月上旬の熱射が容赦なく夏服に降り注いでいた。
 立ち並ぶビルを分け入るようにして、汗ばんだ額をぬぐいながら伊吹野学園を目指す。
 大手ハンバーガーチェーン店を横切ろうとした時、チェックのズボンのポケットの中で、スマホが震えるのに気付いた。
「……ん?」
 見ると、インコードにメッセージが来ていた。
(最近ログインだけして付き合い悪いじゃん。キラキラしたハイスクールライフをご満喫かい?)
 俺は、ほくそ笑みながら返信した。
(キラキラしたバイトライフを楽しんでるよ。そっちはどうだい?中学校、いけてる?)
(なぁんだ、バイト始めたんだ。一応、ちゃんと行ってるよ。小学校の時仲良かった子と同じクラスになったから、ぼっちにはならずに済みそう)
 シャッターの閉まったクレープ屋を通り過ぎながら、さらに返事を送る。
(そっか。それならよかった。また時間見てフレマ申請しに行くよ)
(オッケー。今、エンチャントを聖剣ファルシオンにするか邪剣ティルフィングにするかで迷い中なんだ)
(それなら、ティルフィングがいいんじゃないか?今の環境に光デッキ結構多いから、闇属性を付けといたらメタれるぜ。お前のアカウント名的にもぴったりじゃん)
(お、流石ゲイル。確かにそうだね。学校終わったら早速構築練ってみる!)
(ああ。朗報を待ってるよ)
 闇ネコとのメッセージを終えて校門が見えてきた頃、背中から大声で呼びかけられた。
「おーい、沢渡!」
 振り返ると、兄貴のお下がりの赤いリュックを揺らして源田が走ってきた。
「よう、おはよう」
「おはようさん。聞いてくれよ、次の地区大会なんだけどさ」
 地区大会……。県大会、ひいてはインターハイ出場のための予選みたいなものだ。
「ああ。出場するんだろ、うちの学園も」
「もちろんそうだよ。その団体メンバーに、なんと廣瀬が選ばれたんだぜ」
 俺は驚いて声を上げた。
「大吾が?そうなのか、凄いな」
「二年の先輩が一人、気管支炎にかかって入院する事になったんだよ。地区大会までに退院できるか微妙だから、顧問判断で繰り上がって廣瀬が選ばれたわけだ」
 挨拶を交わす他の生徒たちに混じって校門をくぐりながら、俺達は会話を続けた。
「そうなんだ。確か、次の日曜だったよな」
「ああ、明後日だ。……もちろん、見に来るよな?」
 源田はそう言いながら校舎に入るなり、汗をかいたペットボトルのカルピスソーダを逆さまにしてゴクゴクと喉を鳴らした。
「無理だよ。バイトあるもん」
「……ちぇー!マジかよ!幼なじみの公式デビュー戦なんだぞ」
「仕方ないじゃないか、シフトに入れられてるんだから」
「まったく……。薄情な奴だな沢渡は」俺は源田の物言いに、少しだけむっとした。「ところで、ブラストの話なんだけどよ。エンチャントカードを聖槍グラディウスか邪槍グングニルかで迷ってるんだけど、お前、どう思う?」
 俺は二階に上がる階段を登りながら、教室の冷房を恋しく思いながら答えた。
「さぁ。光属性のグラディウスがいいんじゃねぇか?今の流行りだし」




 次の日の午後。大切な土日連休をコンビニの長時間労働に潰されていた俺は、初日の前半四時間を勤め終えて、ようやく休憩に入った。時刻は二時半を回っている。
「……沢渡、明日も七時までだろ。バイト終わり、空いてるか?」
 バックヤードで明太子パスタをレンチンした途端、出勤してきたばかりの面倒見がいい先輩、玉井さんがひょっこり顔を出して言った。
「明日……いや、特に何もないですけど」
「よし。俺も明日は七時上がりだから、メシ行こうぜ」
 あまりにも急な誘いに俺は面食らった。
「メシ、ですか」
「ああ。駅前のラウドロックカフェ、行ったことあるだろ?」
 ラウドロックカフェ。アメリカ発祥の飲食店で、ラウドロックをBGMに、向こうサイズのハンバーガーやメキシコ系のナチョスなどの料理も出している人気ショップだ。
「いや。あるのは知ってますけど、行った事はないですね」
 俺が答えると、玉井さんは腕を組みながらなぜか得意そうに言った。
「なんだよ。じゃあなおさら行っとかねぇと。じゃ、明日よろしくな」
「あ、ちょ、たま……」
 正式に了解もしていないのに、玉井さんは約束を無理やり取り付けてレジに戻った。
 ピー、ピー、ピー。
 ちょうどその時、明太子パスタを温め終えました、とレンジが報告してくる。
「……まぁいいか。行ってみたかったし」
 俺はパスタを取り出しながら、少しだけ明日の夜を待ち遠しく思った。

 コンビニを出て自転車を漕ぎだすと、午後十時を回っているというのに生暖かい空気が頬を撫でた。どうやら今年も、例年通り暑い夏になりそうだ。
 ヘッドライトが飛び交う国道へ出て、広めのガードレール内を走って家路を急ぐ。
 いつもはそのまま直進してビデオレンタル店を左に曲がり、坂道を下って自宅へ向かうのだけど、なんとなく途中の路地へ入る事にしてみた。
 入り組んだ道を少し懐かしく思いながら進むと、幼い頃から通い続けた道場が見えてくる。
 九時に練習は終わるから、当然明かりは消えていた。
「師範、元気にしてるかな……」
 俺は慣れ親しんだ道場の外観を見上げながら、そう呟いて自転車を停めた。
 そういえば明日、源田から大吾が団体メンバーに選ばれて地区大会に出場するって話を聞いたな。
 俺は使い込んだアウトマリンの青いショルダーポーチからスマホを取り出し、ストリングを開いて大吾に電話をかけた。
 スリーコールほどで、すぐに通話が繋がる。
「……よぉ、颯」
 電話を通して大吾の野太い声を聞くのは新鮮だった。
「お疲れ、大吾。取るの早いな」
「今ちょうど、ブラストやってたからなぁ」
「ブラスト?お前もやってたのか」
「いや、最近源田に勧められたんだ。今チュートリアルだけど、すでに頭がこんがらがってよくわかんねぇ」
 大吾は電話の向こうでガハハ、と笑った。
「俺も結構やり込んでるからな。今度教えてやるよ」
「気分転換になるかなと思って始めたにわかプレイヤーだぜぇ。本格的にやるかはわかんねぇよ。……今、外か?」
「ああ。バイトの帰りでさ。明日もバイトあるから、試合には行けないけど一言頑張れって伝えようかと思って」
「そうか。そりゃ、ありがとなぁ。本当は実力で出場したかったけどな」
「実力で?」
 俺はスマホ片手に、再び自転車を漕ぎ始めながら聞いた。
「伊吹野の伝統らしくてよぉ。団体メンバーは学年関係なく練習試合の総当たりで決めるんだ。……しかし、うちは少数精鋭だぜ。三年も二年もみんな強かった。」
「そうか。伊吹野は年功序列じゃないもんな」
「なんだ、知ってたのか?本当は三年の副部長と引き分けたんだけどよぉ。引き分けの場合は階級が下の人間が出ることになるんだ。その副部長ってのが、軽量級なんだぜぇ」
 俺は路地を抜け切り、空き地に差し掛かりながら驚いて言った。
「軽量級?すげぇな、重量級のお前と引き分けるなんて。須恵村先輩は層が薄いって言ってたけど、単に人数的な意味だったのか」
「まぁな。とにかく、気管支炎?だっけか。二年の先輩が入院しなきゃ回ってこなかったチャンスだからなぁ。先輩の分まできっちり結果出してくるつもりだ」
 幹線道路をまたいで、次の路地に入ると自宅のある坂道が見えてきた。
「そうか。話を聞いてるといいセンいくかもな、伊吹野」
「当たり前さぁ。準優勝でも県大会出場できるんだぜ。是が非でももぎ取るよ」
 大吾は力強くそう答えた。
「ああ、期待してるぜ。頑張れよ、大吾」
「おう!任せろぉ!……県大会出場を決めたら、柔道部に入れよ颯。きっとお前の力が必要になる」
「……そうだな、考えとく」
「本当かよ。……まぁ、わざわざ電話ありがとなぁ。バイトお疲れさん」
「サンキュー。じゃ、またな」
「ああ、また」
 俺は電話を切ると、ちょうどたどり着いたボロアパートの階段下に自転車を停めた。
 県大会、か。伊吹野がいいところまでいけば、全国常連の曙川景章あけがわけいしょう大附属と戦うチャンスもあるかもしれない。……まぁ、俺には関係の無い話だ。
 そう思いながら階段を登りつつふと見上げた夜空には、月が綺麗な真円を描いてどこか物憂げに輝いていた。

「おかえり、颯」
 俺が玄関にに入ると、キッチンでタブレットを操作している手を止め、母さんがこちらへ顔を向けて言った。
「ただいま」靴を脱いで、キッチンに入る。「……あの、さ」
「うん?」
 タブレットに視線を戻し、母さんが答える。俺は自分でもわかるくらい言いづらそうに続けた。
「……明日、バイトの先輩に晩飯誘われちゃって。駅前のラウドロックカフェに行く事になったから……その、悪いんだけど、お金貸してくれない?」
 キッチンテーブルを挟んで言った俺に、母さんは顔を上げて明るく返事する。
「まぁ!よかったじゃない。バイト先で仲良くしてもらってるのね。……1万円でいい?」
 俺は慌てて首を振った。
「そんなにいらないよ!二、三千円で十分だと思う」
 それを聞いて母さんは家計簿をつけていたらしいタブレットをテーブルに置き、眼鏡を外してから答えた。
「あなた、バイト代ほとんど全部母さんにくれてるじゃない。お友達やそういうお誘いにも付き合えなくなっちゃうわよ、それじゃ」母さんは立ち上がると、手前の部屋に行き、小ダンスの一番下の段を開けた。「1万円、持ってなさい。大丈夫。うちは意外と余裕あるんだから」
 母さんは柔和な顔つきでそう言いながら銀行の封筒から1万円を取り出して、キッチンへ戻ると俺にそれを手渡した。
「……いいの?ありがとう」
「どういたしまして。……それにこれは、あなたが稼いだお金よ」
 俺は一万円札を大事にそうに受け取ると、早速アウトマリンの二つ折り財布に入れた。
「颯から貰ったお金は全部手をつけずにおいてるから。必要があったらすぐに言いなさい。……今夜は、冷やし中華よ」
 母さんはそう言うと、再びテーブルの席に腰を下ろしてタブレットを手にした。
「うん……」
 俺は情けないやら、なんだか嬉しいやら、複雑な気分でショルダーポーチを置きに奥の部屋へ向かった。





「え、玉井さんロックバンドやってるんですか?」
 翌日、日曜の夜。バイト終わりに予定通りラウドロックカフェに来ていた俺は、やかましいBGMに負けないように大声を張り上げた。
「ああ。ギター&ボーカルってやつだ。七月の最初の日曜にライブがあるから、よかったら見に来いよ。チケット代、知り合い価格で安くしとくぜ」
 それを聞いて、母さんから受け取った財布の中の一万円が「出番ですか」、と言った気がした。
「そうなんですね。……休み希望、入れてみます」
 ライブに行ったことがない俺は、玉井さんの人柄に惹かれていたし、単純にインディーズバンドがどんなパフォーマンスをするのかに興味が湧いた。
「高校から軽音部だったからな。まぁ、ハタチ越えて就職もしないでバイトで食いつなぎながら音楽やってるなんて、褒められたもんじゃないけどよ」
「そんなこと」サワークリームのたっぷりかかっていたナチョスを噛み砕いてから、俺は続けた。「かっこいいですよ。音楽やってる人って、尊敬します」
 玉井さんが照れ臭そうに笑う。
「からかうなよ。……お前は今部活してないよな。中学の頃は何やってたんだ?」
「四歳から中ニまで、ずっと柔道やってました」
「四歳からって……十年もか!そっちの方がよっぽどすげえじゃねぇか。なんで高校、柔道部に入らなかったんだ?」
 俺は玉井さんの質問に、コーラを一口飲んでから答えた。
「まぁ……色々ありまして」
「ふうん。そうか。それだけ長くやってたのにもったいないな」
 玉井さんは俺をじっと見つめながら言った。
「そう、かもしれません」
「でもまぁ、俺も音楽から離れた時もあったからよ。そういう時期も必要さ。好きな事にはな」
「……そういうもんですかね」
 そう言えば今日の地区大会、どうなったんだろう。
 俺はバーベキューソースが香ばしい、巨大なハンバーガーにかじりつきながら思った。

 よく空調の効いていて寒いくらいだった店内から出ると、むわっとした外気が満腹の身体にはむしろ心地よく感じられた。
「すみません、ご馳走様でした」
 俺は奢ってくれた玉井さんにペコリと頭を下げた。
「うまかったろ。また来ようぜ」玉井さんはそう言うと、外に止めていた中古で手に入れたというCBRに跨った。「辞めるのも自由だけどよ。また始めるのも自由なんだ。……俺みたいにな」
 俺はそれを聞いて、どこか心の内を玉井さんに見透かされている気がした。
「はい……」
 エンジンの始動音が、夜の駅前通りにけたたましく鳴り響く。
「じゃあな沢渡。また、バイトで」
「ええ。ありがとうございました」
 CBRは玉井さんがブーンとアクセルを入れるなり、あっという間に暗闇の中へと消えていってしまった。
 ティントン。ティントン。
 ちょうどその時、青いショルダーポーチの中のスマホが着信を知らせた。
 ティントン。ティントン。
 電話の主は、源田だった。
「……もしもし」
「お、沢渡?おっすおっす!」
 通話口の向こうでは、やたらと喧騒が響いている。
「なんだ?ずいぶん賑やかだな」
「ああ!今俺んちの中華屋で祝勝会してるんだ」
「祝勝会?って言うかお前んち中華屋だったのか」
「そうさ。……聞けよ、沢渡。我が伊吹野学園柔道部、なんと地区大会優勝を決めました!パチパチパチ」
 俺はそれを聞いて、思わず声が上ずった。
「なんだって?優勝?」
「ああ。去年は準決勝で敗退したらしいけど、今年は堂々と一位で進出決定だ。……狙うぜ、全国」
 源田の言葉に、俺は絶句した。
 優勝……。全国……。
 柔道からとっくに離れた自分には関係の無いはずの話だったが、なぜかその言葉に俺まで武者震いをした。
「今、立役者に代わるよ」
 そう言った源田の後に出たのは、聞き慣れた胴間声だった。
「……もしもし!颯かぁ?」
「大吾!おめでとう。やったな!」
 俺は、明るい調子で素直に祝福した。
「おう。先輩方のおかげさぁ。もちろん、俺も貢献したぜ」
「強かったんだな、うちの学園って」
「人数は少ないけど、去年も県大会の個人戦で良い成績残してる先輩ばかりだからなぁ。強いよ、今年の伊吹野は。俺もいるし……颯ぇ、お前もいる」
 ラウドロックカフェから、ひどく酔っ払ったカップルが出てくる。俺は入り口から少し離れて、話を続けた。
「本気で言ってたのか?県大会出場したら復帰しろ、だなんて」
「もちろんさぁ。俺はお前とまた柔道がしたいんだ」
 俺は黙ってしまった。猛者が集う県大会。もしそれに出れば、もしかしたら奴とも……。
「……悪い、沢渡。先輩達もう帰るみたいだから。また学校でな」
「あ、ああ」
 再び電話に出た源田にそう言われて、俺は通話を切った。

 ……まさか、地区大会を優勝するなんて。須恵村先輩は県大会を戦い抜く事も見越して、戦力が欲しい、と俺に言ったのだろうか。
 俺はスマホをショルダーポーチに入れると、疼く身体を黙らせるように、ラウドロックカフェの前に停めていた自転車に跨った。
 ティントン。ティントン。
 再び、スマホが鳴る。
 なんだ?
 ティントン。ティントン。
 何か言い忘れでもあったのかとまたスマホを取り出すと、ディスプレイには麻耶ちゃんの名前が表示されていた。
 どうしたんだろう、こんな時間に。
「もしもし、麻耶ちゃん?」
「……ああ、颯くん」
 電話の主は、隣のおじさんだった。
「おじさん?珍しいですね、どうしたんですか」
「今、外だろう?……颯くん。いいかい。落ち着いて、聞いてくれ」
 唐突なおじさんの言葉で、俺は急激に胸騒ぎを覚えた。
「ど、どうしたんですか」
「沢渡さんが……颯くんのお母さんが、さっきアパートの階段で気を失って……すぐ救急車を呼んで、今、麻耶と隣町の病院にいるんだ」
 胸騒ぎが、今度は俺の心臓をぎゅうと力強く締め付ける不安に変わって、全身に巡る血液を瞬時に冷たくさせた。
「なんですって!?母さんが……」
「すぐに住所を送るから。今から来れるかい?」
「い、行きます。それで、母さんは」
「無事は無事なんだが……ただ、まだ意識が戻らない。今検査の最中なんだ」
 意識が……。
 俺はその場で、経験したことのない立ちくらみというやつを覚えた。
「……わかりました、すぐ向かいます!」
「ああ。……さっきも言ったけど落ち着いて。気をつけて来るんだよ」
「はい……じゃあ、失礼します」
 俺は電話を切ると、ディスプレイを覗き込んでおじさんから住所が送られてくるのを今か今かと待った。

 母さんが気を失った?意識が戻らない?……バカな。そんなバカな!
 俺は思い出していた。昨日、母さんにかけた言葉を。
(お金貸してくれない?)
 それが、母さんに最後にかけた言葉になるかもしれないなんて。
(必要があったらすぐに言いなさい)
 それが、母さんにかけられた最後の言葉になるかもしれないんて。

 建ち並ぶ飲食店のネオンに彩られた、夜の華やかな駅前通りの賑わいをよそに、わなわなと肩を震わせながら、俺は一人、祈るような気持ちでただただスマホを握りしめるしかなかった。





ーー「かつてない恐怖と、もう一度見る夢」へ続く
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