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番外編
真実は墓まで
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「最近はどう?」
「もう毎日大変です」
「そうでしょうね」
「子供がいることがこんなに大変だとは思っていませんでした」
「自分たちで面倒見ようと思うとそうよね」
世話をする人間が自分たちしかいない一般家庭と違って王族は子供の世話係をつけることができる。
遊んだり勉強を見たり礼儀作法を教えたりと両親が関わる時間のほうが少なかったりするのだが、ユーフェミアは極力自分の手で育てたいと希望して二人を育ててきた。
テレンスに関しては勉強は何もわからないため教育係に任せたが、マリアの教育のほとんどはユーフェミアが行っている。
「トリスタンは元気?」
「ええ、それはもう相変わらず賑やかに過ごされています」
「よかった。先日の世界会議で息子が気になることを言っていたの」
「気になること?」
「そう。トリスタンの雰囲気が変わったんじゃないかって」
「そうでしょうか?」
トリスタンはいつも通りにしか見えないユーフェミアにとってその言葉は意外でしかなかった。
「何か心当たりある?」
「いいえ、全く」
わからないと答えたユーフェミアだが、表情がすぐに苦笑に変わる。
「陛下は二つの顔を持っていて、わたくしに見せる顔と世界会議で見せる顔は少し違うのかもしれません」
「まあ、誰しも顔の三つや四つ持ってるのよね」
「ですから、陛下の雰囲気が変わったというのも間違いではないと思います」
「トリスタンはね、レオンハルトでさえ厄介だって言ってたから」
「ふふっ、子供っぽいですからね」
あの戦鬼であるレオンハルトが危機感を持つような人間ではないとユーフェミアは笑うが、シュライアはその笑顔に微笑みながら首を振る。
「アステリアってすごい国よね。こんな世の中で唯一平和を保ってるんだから」
「世界はそんなに荒ぶっているのですか?」
「何かしら問題を抱えていたりするのよ」
「それはアステリアも同じですよ。小競り合いのようなことは起きているみたいですし」
「でも大事にはならないでしょう? 国民が不安がったり不満の声を上げたり暴動起こしたり……あー思い出して鬱になりそう」
思い出したくないクライアの暴動。
レオンハルトは身を引くだけで終わったが、そのあとが一番大変だったんだと思い出すだけでため息が出る。
「アステリアは小さな国ですから。戦争を仕掛けて手に入れても利益がないんだと思います」
「まあね、それはあるわ」
特別な物を生み出さないアステリアを手に入れたところで相手の国は無駄に金を使うだけだろうとアステリアに戦争を仕掛けない理由を想像する。
アステリアはそれほど大きな国ではない。そこを攻めたところで手に入る物は少ない。
だが、シュライアはそれだけではないと思っている。
「王って王妃が見ていない場所で何をやってるのかわからないわよね」
「そうですね」
「一国を背負うって楽じゃないって初めて知ったの。異常な重責が肩だけじゃなく全身にのしかかってくる。自分の発言一つで国が変わる。自分の考え一つで他国との関係が変わる。国民の生活も何もかも握っているのは自分だって思うと怖かったなー。今は息子が引き継いでくれて肩の荷が降りたけど、あれは支えがなきゃ無理だわ」
何も支えてやらなかったことで一人で背負わなければならなかったレオンハルトの苦しみがようやくわかった瞬間だった。
自分の支えが子供たちの笑顔であったように、レオンハルトもあの女の笑顔に支えを見つけたのだろうとようやく理解できた。
支え合おうとしない夫婦が上手くいくはずがない。不倫されたことだけに目くじらを立てて自分を顧みようとはしなかった。
不倫したことを正当化するまではいかないが、妻としての役割を果たさないことを申し訳なく思った瞬間もあった。
「じゃあもうお嫁さんを?」
「そう思ってるんだけど、それが難しいのよね。クライアに嫁に来たいって嫁に出したいって人が少なくて……」
クライアは戦争大国。そんな危ない場所に嫁に出したいと思う親が少ないことも理解できる。
「マリア、来ない? うちの子、親の顔が良いからイケメンにはなると思うのよ。もうその片鱗を見せ始めてるしね。背も高くなるはずよ」
「マリアはまだテレンスにベッタリなんです」
「テレンスのお嫁さんは?」
「まだ必要ないみたいですね。自分がまだ未熟なのに妻を迎えても苦労させるだけだと」
「完璧主義は苦労するわよー」
「誰に似たのか不思議で」
トリスタンもユーフェミアも完璧主義者ではない。
そこそこでいいと思っている。
テレンスは何事も完璧でなければ気が済まず、自分に課す責務が重すぎる。
親としてはもっと気を楽にしてほしいのだが、本人はそれができないと言う。
嫁に完璧を求める性格ではないが、嫁は完璧な夫の妻として生きることに息苦しさを感じるのではないかと心配してしまう。
自分も夫がしているからしなければならないという重責に駆られていたときがあった。それがとてつもなく息苦しくて辛かった。
「トリスタンが完璧主義者じゃなくてよかったと思う?」
「そうですね。彼はわたくしが辛くて泣きたいと思っていたとき、いつも先に泣いてくれたんです。もう王の仕事なんてしたくない、どうして僕がって。だからわたくしも一緒に泣けたんです。彼が完璧主義だったらきっと泣けませんでした」
「トリスタンって泣き虫なの?」
「彼はとても優しい人なのでわたくしの気持ちを汲み取って泣いてくれていたんだと思います」
「そういうことができるタイプだっけ?」
「ふふっ、彼はいろんな顔を持ってるんですよ」
「へえ~」
シュライアが面白そうにユーフェミアを見るのは夫について語るユーフェミアの顔が幸せそうだったから。
離婚したいと相談に来たのが最近のことのように思えるのに最近というには少し前のことになる。
自分は乗り越えられなかった問題をちゃんと乗り越えて幸せな今を手に入れていることに安堵していた。
「あなたも知らない顔を持ってると思う?」
「ええ」
即答には驚いた。
「どうしてそう思うの?」
その問いに即答はなかった。
どこか少し葛藤しているような表情を苦笑に含ませるユーフェミア。
「詳しいことは何も知らないんです。ただ、彼は昔から時々とても冷めた表情をしているときがあるんです」
「トリスタンが?」
「あ、わたくしに向けるわけではないんです。彼がわたくしの存在に気付いていないときの話です。わたくしの存在に気付くと途端に嬉しそうに笑ってくれるのですが……」
「想像つかないわ」
レオンハルトが言っていたのはそういうことだろうかと彼が昔呟いた言葉を思い出す。
「ヤバいことやってるとか?」
「ヤバい……」
「あ、こういう言葉はいけないのよね。最近クライアの若い子と話す機会が多くてつい」
慌てて口を押さえるシュライアに笑うが、すぐに笑みは苦笑へと変わっていく。
「苦しみは共に分け合いたいと思うのですが、彼はそういうことは一切共有してはくれないのです」
ユーフェミアとトリスタンの考えが違うのはシュライアにもわかる。
ユーフェミアは何もかもを共有して支え合うのが夫婦だと思っている。それが辛く悲しいことだろうとも。
妻への愛が異常なトリスタンはそうはしない。意外ではあるが、なんとなく想像はつく。
普段から言動が子供っぽいトリスタンは実際は年相応に落ち着いているのかもしれないと。
苦しみや悲しみを自分の中で処理することで冷めた顔をしているのかもしれないが、その顔を妻に見られたことがあると知ったらどんな顔をするのだろうと少し見てみたくなった。
「噂をすればあそこに」
ユーフェミアの視線を辿ると大柄の男を連れているトリスタンがいた。
その表情に彼のトレードマークである笑顔はない。
誰だっていつも笑顔で過ごしはしない。笑顔でないときだってあるだろう。
しかし、今見ているトリスタンの表情はどこか強ささえ感じさせるもので、シュライアは全身が粟立つのを感じた。
「トリスタン!」
気がつけば声をかけて手を振っていた。
その場にいた全員が驚いた顔を見せる。
「ああ、シュライア来ていたのか。すまないが、まだ仕事が終わらないんだ。ユーフェミア、よくもてなしてやってくれ」
「はい、陛下」
「よかった。ここ数日とても忙しくてユーフェミアとの時間がなかなか作れなくて申し訳ないと思っていたんだ。シュライアが相手に来てくれたのなら安心だ」
「ねえ、トリスタン──ッ!?」
いつもなら自ら寄ってきてくれるのだが、今日は違う。
二人がティータイムを楽しんでいる庭に出てこようとせず、廊下の影の中にいる。
声はいつものトリスタンだが、雰囲気がどこか違う。それは近付いてみてわかった。
「シュライアすまない。僕はまだ仕事が残ってるんだ。妻と二人で君を存分にもてなしたいのだが、時間がなくてな」
「……いいのよ。女同士で話しているほうが気が楽だもの」
「そうだろうな。では、楽しんで帰ってくれ」
「ええ」
そのまま影の中を進んでいくトリスタンが姿を消すとユーフェミアがシュライアに寄って背中を撫でた。
大袈裟なほどビクッと跳ねたシュライアの肩にユーフェミアの手が離れる。
「いかがなさいました?」
「あ……いいえ、なんでもないの。トリスタンも忙しいことってあるのね」
「ふふっ、彼はよく仕事をする人ですよ」
トリスタンの前に大柄の男ブラッドリーが立ちはだかったことで傍に寄ることはできなかったが、わかってしまった。
あれは間違いなく血の匂い。
なぜ平和の象徴と呼ばれるアステリアの王から血の匂いがするのか。
そしてあの目。暗闇の中から向けられる瞳にゾッとした。
声色はあんなにもいつも通りなのに見たことのない瞳があった。
あれは本当にトリスタンなのか?
「あなたに抱きつきに来ないなんて珍しいわね」
「ブラッドリーがダメだと言うんだって先日も駄々をこねていました。一秒も無駄にはできないからって言うんだと」
そうではない。
今は近付けない理由がある。
トリスタンはきっとシュライアが血の匂いに気付いたことに気付いただろう。
だからこそあの瞳を向けたのだ。酷く冷たい瞳。
脅迫されたような恐怖を感じた。
レオンハルトに似た瞳だった。
「……トリスタンも大変ね」
「王は皆そうだと思います」
穏やかに笑うユーフェミアにシュライアはどこか気が抜けたように笑う。
この笑顔を守るために一人で全て背負うつもりなのだろう。いや、背負ってきたのだろうとシュライアは気付いた。
レオンハルトが言っていた意味もようやくわかった。
「今日はトリスタンを目一杯甘やかしてあげて」
「そうします」
「いつもそうしてるだろうけど」
「ふふっ」
トリスタンのやり方が正しいのかはシュライアにもわからない。
正解などないのかもしれない。
これがアステリアのやり方だというのであればそれに異議を唱える資格など誰も持ってはいない。
それはきっと王妃であるユーフェミアとてそうだろう。
全て王一人で背負ってきたことだからアステリアは誰にも真実を暴露されることなく世界に平和の象徴を保っている。
「いい男じゃない」
「え?」
「いいえ、いい男を見に行こうかなって言ったの。テレンスっていうイケメンをね」
「まだ勉強中ですよ」
「息抜きが必要。そういうの、若い頃から教えておかないとどっかの誰かさんみたいに馬鹿な選択するようになるわよ」
やれやれと首を振りながらも止めないユーフェミアもテレンスには息抜きが必要だと思っている。
勝手知ったるようにテレンスの部屋まで歩いていくシュライアのあとをユーフェミアも追いかけた。
「大丈夫でしょうか?」
反対側の廊下からシュライアを見ていたブラッドリーの心配にトリスタンはフッと笑う。
「彼女は頭の良い人間だからな」
「もしもということは考えられませんか?」
「ありえん。シュライアという女性はレオンハルトよりも賢く、その器は女王になれるほどだ。他国の問題に口を出すような愚か者ではないさ」
「そうですか」
「彼女がいなくなればユーフェミアが悲しむ。僕はもう彼女の涙だけは見たくない」
確かにあのとき、シュライアは感じ取っていただろう。
だが、その後、震えを見せていなかったことからパニックに陥って余計なことを言うことはないだろうと確信があった。
クライアもレオンハルトではなくシュライアが女王となって率いていれば混乱に陥ることはなかったはずだと何度思ったことか。
ユーフェミアが最も信頼を置いている相手を不用意にどうこうするつもりはなく、ブラッドリーの心配を一蹴する。
「大切なのはユーフェミアが笑っていることだ」
トリスタンが望むたった一つのこと。
それが全てだと言いきるトリスタンにブラッドリーは静かに頭を下げた。
「もう毎日大変です」
「そうでしょうね」
「子供がいることがこんなに大変だとは思っていませんでした」
「自分たちで面倒見ようと思うとそうよね」
世話をする人間が自分たちしかいない一般家庭と違って王族は子供の世話係をつけることができる。
遊んだり勉強を見たり礼儀作法を教えたりと両親が関わる時間のほうが少なかったりするのだが、ユーフェミアは極力自分の手で育てたいと希望して二人を育ててきた。
テレンスに関しては勉強は何もわからないため教育係に任せたが、マリアの教育のほとんどはユーフェミアが行っている。
「トリスタンは元気?」
「ええ、それはもう相変わらず賑やかに過ごされています」
「よかった。先日の世界会議で息子が気になることを言っていたの」
「気になること?」
「そう。トリスタンの雰囲気が変わったんじゃないかって」
「そうでしょうか?」
トリスタンはいつも通りにしか見えないユーフェミアにとってその言葉は意外でしかなかった。
「何か心当たりある?」
「いいえ、全く」
わからないと答えたユーフェミアだが、表情がすぐに苦笑に変わる。
「陛下は二つの顔を持っていて、わたくしに見せる顔と世界会議で見せる顔は少し違うのかもしれません」
「まあ、誰しも顔の三つや四つ持ってるのよね」
「ですから、陛下の雰囲気が変わったというのも間違いではないと思います」
「トリスタンはね、レオンハルトでさえ厄介だって言ってたから」
「ふふっ、子供っぽいですからね」
あの戦鬼であるレオンハルトが危機感を持つような人間ではないとユーフェミアは笑うが、シュライアはその笑顔に微笑みながら首を振る。
「アステリアってすごい国よね。こんな世の中で唯一平和を保ってるんだから」
「世界はそんなに荒ぶっているのですか?」
「何かしら問題を抱えていたりするのよ」
「それはアステリアも同じですよ。小競り合いのようなことは起きているみたいですし」
「でも大事にはならないでしょう? 国民が不安がったり不満の声を上げたり暴動起こしたり……あー思い出して鬱になりそう」
思い出したくないクライアの暴動。
レオンハルトは身を引くだけで終わったが、そのあとが一番大変だったんだと思い出すだけでため息が出る。
「アステリアは小さな国ですから。戦争を仕掛けて手に入れても利益がないんだと思います」
「まあね、それはあるわ」
特別な物を生み出さないアステリアを手に入れたところで相手の国は無駄に金を使うだけだろうとアステリアに戦争を仕掛けない理由を想像する。
アステリアはそれほど大きな国ではない。そこを攻めたところで手に入る物は少ない。
だが、シュライアはそれだけではないと思っている。
「王って王妃が見ていない場所で何をやってるのかわからないわよね」
「そうですね」
「一国を背負うって楽じゃないって初めて知ったの。異常な重責が肩だけじゃなく全身にのしかかってくる。自分の発言一つで国が変わる。自分の考え一つで他国との関係が変わる。国民の生活も何もかも握っているのは自分だって思うと怖かったなー。今は息子が引き継いでくれて肩の荷が降りたけど、あれは支えがなきゃ無理だわ」
何も支えてやらなかったことで一人で背負わなければならなかったレオンハルトの苦しみがようやくわかった瞬間だった。
自分の支えが子供たちの笑顔であったように、レオンハルトもあの女の笑顔に支えを見つけたのだろうとようやく理解できた。
支え合おうとしない夫婦が上手くいくはずがない。不倫されたことだけに目くじらを立てて自分を顧みようとはしなかった。
不倫したことを正当化するまではいかないが、妻としての役割を果たさないことを申し訳なく思った瞬間もあった。
「じゃあもうお嫁さんを?」
「そう思ってるんだけど、それが難しいのよね。クライアに嫁に来たいって嫁に出したいって人が少なくて……」
クライアは戦争大国。そんな危ない場所に嫁に出したいと思う親が少ないことも理解できる。
「マリア、来ない? うちの子、親の顔が良いからイケメンにはなると思うのよ。もうその片鱗を見せ始めてるしね。背も高くなるはずよ」
「マリアはまだテレンスにベッタリなんです」
「テレンスのお嫁さんは?」
「まだ必要ないみたいですね。自分がまだ未熟なのに妻を迎えても苦労させるだけだと」
「完璧主義は苦労するわよー」
「誰に似たのか不思議で」
トリスタンもユーフェミアも完璧主義者ではない。
そこそこでいいと思っている。
テレンスは何事も完璧でなければ気が済まず、自分に課す責務が重すぎる。
親としてはもっと気を楽にしてほしいのだが、本人はそれができないと言う。
嫁に完璧を求める性格ではないが、嫁は完璧な夫の妻として生きることに息苦しさを感じるのではないかと心配してしまう。
自分も夫がしているからしなければならないという重責に駆られていたときがあった。それがとてつもなく息苦しくて辛かった。
「トリスタンが完璧主義者じゃなくてよかったと思う?」
「そうですね。彼はわたくしが辛くて泣きたいと思っていたとき、いつも先に泣いてくれたんです。もう王の仕事なんてしたくない、どうして僕がって。だからわたくしも一緒に泣けたんです。彼が完璧主義だったらきっと泣けませんでした」
「トリスタンって泣き虫なの?」
「彼はとても優しい人なのでわたくしの気持ちを汲み取って泣いてくれていたんだと思います」
「そういうことができるタイプだっけ?」
「ふふっ、彼はいろんな顔を持ってるんですよ」
「へえ~」
シュライアが面白そうにユーフェミアを見るのは夫について語るユーフェミアの顔が幸せそうだったから。
離婚したいと相談に来たのが最近のことのように思えるのに最近というには少し前のことになる。
自分は乗り越えられなかった問題をちゃんと乗り越えて幸せな今を手に入れていることに安堵していた。
「あなたも知らない顔を持ってると思う?」
「ええ」
即答には驚いた。
「どうしてそう思うの?」
その問いに即答はなかった。
どこか少し葛藤しているような表情を苦笑に含ませるユーフェミア。
「詳しいことは何も知らないんです。ただ、彼は昔から時々とても冷めた表情をしているときがあるんです」
「トリスタンが?」
「あ、わたくしに向けるわけではないんです。彼がわたくしの存在に気付いていないときの話です。わたくしの存在に気付くと途端に嬉しそうに笑ってくれるのですが……」
「想像つかないわ」
レオンハルトが言っていたのはそういうことだろうかと彼が昔呟いた言葉を思い出す。
「ヤバいことやってるとか?」
「ヤバい……」
「あ、こういう言葉はいけないのよね。最近クライアの若い子と話す機会が多くてつい」
慌てて口を押さえるシュライアに笑うが、すぐに笑みは苦笑へと変わっていく。
「苦しみは共に分け合いたいと思うのですが、彼はそういうことは一切共有してはくれないのです」
ユーフェミアとトリスタンの考えが違うのはシュライアにもわかる。
ユーフェミアは何もかもを共有して支え合うのが夫婦だと思っている。それが辛く悲しいことだろうとも。
妻への愛が異常なトリスタンはそうはしない。意外ではあるが、なんとなく想像はつく。
普段から言動が子供っぽいトリスタンは実際は年相応に落ち着いているのかもしれないと。
苦しみや悲しみを自分の中で処理することで冷めた顔をしているのかもしれないが、その顔を妻に見られたことがあると知ったらどんな顔をするのだろうと少し見てみたくなった。
「噂をすればあそこに」
ユーフェミアの視線を辿ると大柄の男を連れているトリスタンがいた。
その表情に彼のトレードマークである笑顔はない。
誰だっていつも笑顔で過ごしはしない。笑顔でないときだってあるだろう。
しかし、今見ているトリスタンの表情はどこか強ささえ感じさせるもので、シュライアは全身が粟立つのを感じた。
「トリスタン!」
気がつけば声をかけて手を振っていた。
その場にいた全員が驚いた顔を見せる。
「ああ、シュライア来ていたのか。すまないが、まだ仕事が終わらないんだ。ユーフェミア、よくもてなしてやってくれ」
「はい、陛下」
「よかった。ここ数日とても忙しくてユーフェミアとの時間がなかなか作れなくて申し訳ないと思っていたんだ。シュライアが相手に来てくれたのなら安心だ」
「ねえ、トリスタン──ッ!?」
いつもなら自ら寄ってきてくれるのだが、今日は違う。
二人がティータイムを楽しんでいる庭に出てこようとせず、廊下の影の中にいる。
声はいつものトリスタンだが、雰囲気がどこか違う。それは近付いてみてわかった。
「シュライアすまない。僕はまだ仕事が残ってるんだ。妻と二人で君を存分にもてなしたいのだが、時間がなくてな」
「……いいのよ。女同士で話しているほうが気が楽だもの」
「そうだろうな。では、楽しんで帰ってくれ」
「ええ」
そのまま影の中を進んでいくトリスタンが姿を消すとユーフェミアがシュライアに寄って背中を撫でた。
大袈裟なほどビクッと跳ねたシュライアの肩にユーフェミアの手が離れる。
「いかがなさいました?」
「あ……いいえ、なんでもないの。トリスタンも忙しいことってあるのね」
「ふふっ、彼はよく仕事をする人ですよ」
トリスタンの前に大柄の男ブラッドリーが立ちはだかったことで傍に寄ることはできなかったが、わかってしまった。
あれは間違いなく血の匂い。
なぜ平和の象徴と呼ばれるアステリアの王から血の匂いがするのか。
そしてあの目。暗闇の中から向けられる瞳にゾッとした。
声色はあんなにもいつも通りなのに見たことのない瞳があった。
あれは本当にトリスタンなのか?
「あなたに抱きつきに来ないなんて珍しいわね」
「ブラッドリーがダメだと言うんだって先日も駄々をこねていました。一秒も無駄にはできないからって言うんだと」
そうではない。
今は近付けない理由がある。
トリスタンはきっとシュライアが血の匂いに気付いたことに気付いただろう。
だからこそあの瞳を向けたのだ。酷く冷たい瞳。
脅迫されたような恐怖を感じた。
レオンハルトに似た瞳だった。
「……トリスタンも大変ね」
「王は皆そうだと思います」
穏やかに笑うユーフェミアにシュライアはどこか気が抜けたように笑う。
この笑顔を守るために一人で全て背負うつもりなのだろう。いや、背負ってきたのだろうとシュライアは気付いた。
レオンハルトが言っていた意味もようやくわかった。
「今日はトリスタンを目一杯甘やかしてあげて」
「そうします」
「いつもそうしてるだろうけど」
「ふふっ」
トリスタンのやり方が正しいのかはシュライアにもわからない。
正解などないのかもしれない。
これがアステリアのやり方だというのであればそれに異議を唱える資格など誰も持ってはいない。
それはきっと王妃であるユーフェミアとてそうだろう。
全て王一人で背負ってきたことだからアステリアは誰にも真実を暴露されることなく世界に平和の象徴を保っている。
「いい男じゃない」
「え?」
「いいえ、いい男を見に行こうかなって言ったの。テレンスっていうイケメンをね」
「まだ勉強中ですよ」
「息抜きが必要。そういうの、若い頃から教えておかないとどっかの誰かさんみたいに馬鹿な選択するようになるわよ」
やれやれと首を振りながらも止めないユーフェミアもテレンスには息抜きが必要だと思っている。
勝手知ったるようにテレンスの部屋まで歩いていくシュライアのあとをユーフェミアも追いかけた。
「大丈夫でしょうか?」
反対側の廊下からシュライアを見ていたブラッドリーの心配にトリスタンはフッと笑う。
「彼女は頭の良い人間だからな」
「もしもということは考えられませんか?」
「ありえん。シュライアという女性はレオンハルトよりも賢く、その器は女王になれるほどだ。他国の問題に口を出すような愚か者ではないさ」
「そうですか」
「彼女がいなくなればユーフェミアが悲しむ。僕はもう彼女の涙だけは見たくない」
確かにあのとき、シュライアは感じ取っていただろう。
だが、その後、震えを見せていなかったことからパニックに陥って余計なことを言うことはないだろうと確信があった。
クライアもレオンハルトではなくシュライアが女王となって率いていれば混乱に陥ることはなかったはずだと何度思ったことか。
ユーフェミアが最も信頼を置いている相手を不用意にどうこうするつもりはなく、ブラッドリーの心配を一蹴する。
「大切なのはユーフェミアが笑っていることだ」
トリスタンが望むたった一つのこと。
それが全てだと言いきるトリスタンにブラッドリーは静かに頭を下げた。
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※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
エリスローズが面白いのでこっちも読んでみました。
結婚して長い、だけどまだまだ若い国王夫妻のおはなしが非常にしみじみとさせられました。
ところで時代…というが、技術背景は現代なのでしょうか…
ミサイルで頭がぽーん、としてしまいまして。
ずっと描写から近代風かなあ、と思ってたのですがそこでまあ。最低1930年台技術が欲しいよな、と頭が示してしまって。
無論あの国のことを示してるとは思いますし、たぶん主人公達の舞台となる国の状況も…だとは思いますが…
そうするとパレードが頭の中でロールスロイスになってしまいまして。
基本はどのくらいの時代の雰囲気なのでしょう?
こちらにも感想ありがとうございます!励みになります。
夫婦でありながら立場を考えすぎた故に、話し合いが足りなかった故に起きた問題の中で考える時間を与えられた夫婦のお話でした。
お読みいただきありがとうございます。
ミサイルの起源としては1232年ぐらいからそれらしき物があったらしく、ヨーロッパでもミサイル自体は1804年に開発され、1806年には既に戦争で使われていたので近代というわけでもないのです。
当方の頭の中での時代背景としては1800年代後半〜1900年代前半を頭に置いているのですが、そこら辺はロールスロイスではなく馬車で想像していただけますと幸いです^^
16話
「略…国民達を非難させるさ」
非難してどうするよ(爆笑)
ご指摘ありがとうございます!
非難してないで避難させろー(笑)
レオンハルトは適材適所で幸せになったようですね。戦闘狂だからちょこちょこ戦争して発散。元々淡白だからララみたいな女性がひっつくこともないだろうと思います。
テレンスは自国が侵略されるのが心配なのでは?だから戦うことも必要と思っていそうです。でもトリスタンは、戦争を起こさなくても大丈夫なように、周辺国と仲良くしていると思いました。特にクライアとの同盟は、同盟国ではない国にとっては脅威なのでは?
諜報?を得意とするアステリアは、国王自らが手を下し、ある意味表立って戦争をする国よりも怖い気がします。だって不穏分子が生まれると、人知れず処分されているわけですから。
平和を歌っているトリスタンが、平和の為に流した血は、レオンハルトと匹敵すると思いました。
テレンスもアステリアの闇の部分を見る前に、色んな世界を見るのも大切だと思います。そうすれば、キレイな人たちを渇望し、表では道化を演じ、裏では大きな罪を背負い辛い思いをするトリスタンのようにならなくて済むのかなと思いました。
感想ありがとうございます!励みになります。
驚くほど理解していただけている感想に感動しました。ありがとうございます。
レオンハルトはララに惹かれて自国をメチャクチャにしてしまったことを後悔しているので、たぶん今後女性とどうこうなることはないかなと思います。戦場に生き、戦場で死ぬのかな…。
そうなんです。テレンスは戦争に巻き込まれることよりも自国が侵略されることを危惧しています。アステリアは平和な国と言えど狙われないわけではないのではと。
それもアステリアが【戦争できない国】なら餌食になっていたでしょうけど、アステリアは【戦争に参加しない国】なのでそこに小さな意味があるのです。あくまでも参加しない、だけ、ということに。
テレンスが業を背負おうとすればトリスタンよりも辛い立場になるかなと思います。トリスタンは自分がなるしかなく、全てを受け入れるしかなかった。でもテレンスは妹がいて逃げ出そうと思えば逃げ出せる。しかし逃げ出せば妹が全てを背負うことになる。吐くほど苦しい葛藤に悩み、父親と対立する日が来るような気がします。
トリスタンが演じてきた陽と抱える陰の部分を真っ直ぐすぎるテレンスが理解して同じ道を辿るのか、次期王として新たな道を模索するのか──