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番外編
はじまり4
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「二人きりだな、ユーフェミア」
「そうですね」
「城での生活には慣れたか?」
「少しだけ」
「実家が恋しかったりしないか?」
「大丈夫です」
淡々とした受け答えをするユーフェミアがそこら辺の甘やかされて生きてきた令嬢とは違った反応にトリスタンは満足していた。
王子という絶対的な権力を持っている相手を前にして媚び一つ見せない女性を気に入らない王子もいるだろうが、トリスタンはユーフェミアのこういう部分を気に入っている。
「僕たちが世界会議に参加するようになったら毎年各国へ行って新婚旅行気分が味わえるぞ」
「楽しみですね」
思ってもいないだろう返事だとわかる。作られた笑みもそう。
この結婚は恋愛結婚でも政略結婚でもない。トリスタンが望んだから叶えられる一方的なものであってユーフェミアの気持ちなど砂粒ほども考えられていないもの。
まだ十四歳のユーフェミアにとってこの結婚は最低なものでしかなく、自分の人生がこれからこんなワガママでバカな王子と共にあるのかと思うと辛くてたまらなかった。
「ユーフェミアは子供は何人欲しい?」
「殿下の欲しい数だけ」
「僕の希望じゃない、君の希望を聞いているんだ」
「……一人」
「そうか。じゃあ僕も一人でいい」
「世継ぎが必要でしょう?」
「女王が誕生したっていいさ。アステリアは平和なのだ。統治に性別は関係ない」
「そうですけど……」
意外な言葉にユーフェミアは少し戸惑っていた。
確かにアステリアは戦争もしない、事件もない平和な国。それはどんな名産品や希少な宝石が見つかる高山よりずっと世界に誇れるものだろう。
しかし、だからといって今まで男が統治してきたものを急に女に変えることなどできるのだろうかという不安がユーフェミアにはあった。
「僕たちの子供のことは僕たちが決める。誰が何を言おうと関係ない。反対する貴族たちには僕が言ってやるさ。僕の娘が女王になる頃にはお前たちは死んでいるだろう!口を出すな!とな」
「まあっ、それはちょっと過激すぎます」
「ハハハッ、そうか。では控えめに言っておくか」
「そうしてください」
クスッと小さく笑ってくれる、それだけでトリスタンは嬉しかった。
王子が結婚を申し込んで断れる人間はいない。断れば周りから何を言われるかわからないし、王子との結婚を断った家の令嬢を嫁にもらおうと思う者はほとんどいないだろう。
バカだ愚かだとあざ笑われる。その末路がわかっていて断る者はいない。
トリスタンもバカではない。自分の容姿が他国の王子と比べて劣っていることぐらいわかっている。特に同盟国の一つである隣国のクライアの王子レオンハルトと比べると落ち込んでしまうぐらい顔立ちに差がある。
もしこれがキラキラと背景が輝くほどイケメンで背も高い誰が見ても文句の付け所がない王子だったら国中の女がユーフェミアを羨んだことだろうが、実際はそうではない。
トリスタンは自分がなんと言われているのかを知っている。だから結婚を申し込んだときにユーフェミアが喜びどころかひどく困惑していたのも納得できた。
王子といえど肩書きだけで、皆が憧れるような王子の外見はしていない。
ユーフェミアも肩身が狭いだろうと申し訳ない気持ちさえあった。
何より、両親には内緒で調べさせたユーフェミアの周辺事情でわかった想い人の存在。
きっと自分には見せない笑顔を見せるのだろうと思い、羨ましさもあったが、それも年月が解決してくれると知らないフリをした。
それを大罪だと自覚しながらも諦められなかったのは自分がこれから抱えるだろう闇に光を与えてほしかったから。
自分勝手で情けない自分が嫌いだったが、振り返っても飛び降りる崖しかない道を歩み始めた以上は逃れられない。だからユーフェミアという光が欲しかった。
全て自分のため。
幸せな結婚生活になるかはわからない。
だからこそ、こうして少しでも笑ってくれるのを見ると嬉しくて舞い上がりそうだった。
「ユーフェミア」
「はい」
「僕は君を必ず幸せにすると誓う。この世界の誰よりも君を幸せにする」
「……はい」
その笑顔も返事も偽りだとわかっている。そう答えるしかないから言っていることも。
でもそれでよかった。自分もほとんどが偽りでできていて、これからもずっと偽っていくのだから相手に誠実さは求めない。
ただ、どんな形であれ側にいてほしい。それだけが願いだった。
「結婚式の君のドレス姿が楽しみだ。きっと世界中が君の花嫁姿に釘付けになるだろう」
「大袈裟ですよ」
「大袈裟なものか!」
「昨日も父上と母上とそう話していたのだ! 君は聡明で美しい! その姿を見て気絶して倒れないようにと注意も受けた……」
注意という言葉に肩を落としてみせるトリスタンにユーフェミアが笑う。
「そんな人いないですよ」
「彼らは僕が気絶するんじゃないかって思っているのだ。確かに君は美しいし、ドレス姿は神をも魅了するほどだろうが気絶して倒れたりはしない。気絶しても立っているさ」
「ふふふっ、気絶はするんですね」
この笑顔があれば大丈夫。
いつかこの手が父親のようにどす黒い血で染まることがあっても戻ってこられる。そう確信があった。
「両親も楽しみにしているのだ」
「期待を裏切らないといいのですが……」
「裏切る? 君はおかしなことを言うな、ユーフェミア。君の美しさは神の保証付きだぞ。裏切るはずがないだろう」
「殿下は大袈裟すぎるんです」
「君のそういう謙虚な部分も美しさの一つだな。ま、当日わかるさ」
トリスタンの様子に効果音を付けるならルンルンというものだろう。
浮かれ舞い上がっている様子にユーフェミアは苦笑する。
もうすぐ結婚式。ユーフェミアの夫になれる。それだけがトリスタンの希望。
美しい花嫁姿を見て感涙する準備はできているが、上手くやれるか少し不安だった。きっと見惚れてしまう気がしているから。
早く正式な夫婦になりたいと胸躍らせているトリスタンの耳に騒々しいほどの足音が聞こえてきた。
「殿下! トリスタン殿下!」
ドアの前で大声を上げる騎士の声にトリスタンはユーフェミアと顔を見合わせた後、足早にドアを開けに向かう。
「ユーフェミアがいるのだ! 静かにしろ!」
「り、両陛下が!」
その言葉に嫌な予感が駆け抜ける。
蒼白になった騎士の顔、流れる異常な量の汗、全身で繰り返す呼吸──その様子を見れば子供でも異常事態が起きたのだとわかる。
「両陛下を乗せた馬車が崖下へと落下したとの報告がありました!」
「なん……だと……」
「突如馬が暴走。制御不能となり、橋を渡るはずがそのまま崖へと一直線に……!」
数時間前に二人は笑顔で城を出たばかり。
『たくさん土産物を持って帰ってくるわね』
『ユーフェミアと二人きりだからって焦るんじゃないぞ』
そう言って手を振った二人が今どうなっているのか想像もしたくなかった。
「殿下……」
不安げなユーフェミアの声にトリスタンは来るなと手で制して兵士を見つめる。
「両陛下の安否確認は済んでいるのか……?」
「馬車は粉砕。両陛下は……」
口にはできないことだ。
だが、それだけでわかる。粉砕した馬車の中で二人だけ奇跡的に生き残っている可能性はないだろうと。
心臓が大きくゆっくりと動くのを感じるのは初めてで、トリスタンは不思議な気持ちだった。
(こういうときは異常なほど速く動くものなのではないのか?)
この感覚には覚えがある。
罪人を裁くことに恐怖を感じなくなった日、トリスタンの心臓はこんな風にゆっくりと大きく動いていた。
もうすぐ心臓が止まってしまうかのようにゆっくりとした鼓動。
(これが報いだとでもいうのか……)
正規の手続きを踏んで裁くのではなく、秘密裏に裁くことを神が許していないのだとすれば二人が受けた死は罰かとトリスタンは自問する。
【全てはアステリアのため】
それを大義名分にして剣を振い、罪人を裁く王とそれを知りながら見て見ぬふりをする王妃に下された天罰なのだとしたら──トリスタンは拳を握る。
「僕はどうすればいいのだ?」
「それは……」
崖下の確認には行けない。上から見させるのも違う。騎士も必死に考えるが、まずは報告をと焦ってここまで走ってきた。
意外と冷静に見えるトリスタンに騎士は少し驚きながらも立ち上がり
「全ての確認が終えるまで待機願います!」
勢いよく頭を下げる騎士に「わかった」とだけ返事をしてドアを閉めたトリスタンがそのまま背を預ける。
「殿下……」
今にも泣き出しそうな顔で寄ってくるユーフェミアを見てトリスタンは震えた手を伸ばす。
抱きつくように抱きしめるユーフェミアの体温にトリスタンは涙が流れる。
「……父上が……母上が……!」
「殿下、大丈夫です。私がいますから。殿下……!」
「なぜ二人が! どうして二人が!」
突如訪れたアステリアの太陽の死に国中が涙した。
葬儀の日、アステリアは黒一色に染まり、そこらじゅうから聞こえる嗚咽は丸一日止むことはなかった。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! どうしてだ! もうすぐ結婚式なのだぞ! 父上と母上がいないのにどうやって結婚式をするというのだ! 僕は王になんてなれない! 無理だ!」
墓の前で座り込んで子供のように手足をバタつかせるトリスタンを見ながら全員が同じ不安を抱えていた。
この王子に王が務まるはずがない。アステリアはおしまいだと。
「殿下……殿下がアステリアを守っていかなければならないのです」
「ユーフェミア……僕には無理だ。だって父上は素晴らしい王だった。僕は父上のようにはなれない……!」
「わたくしが支えますから。一緒に頑張りましょう」
「どう頑張れと言うのだ!? 僕に何をしろと言うのだ! 僕はまだ十五歳だぞ! 僕はまだなにも教わっていないのに!」
ボロボロと溢れる涙を手の甲で拭いながら大声を上げるトリスタンの傍に膝をついたユーフェミアが周りに立っていた関係者たちに首を振って下がるようお願いすると皆が困ったようにため息を履きながら去っていく。
急に両親を亡くした人間が冷静でいられるはずがない。
まだたったの十五歳。王になるには早すぎる。
トリスタンはいつも『勉強は嫌いだ!』『剣術も必要ない!』『ユーフェミア、出かけよう!』と楽しいことだけをして生きていたため王になれないと思うのも当然だとユーフェミアは眉を下げた。
「……ユーフェミア、一人にしてくれないか……」
暫く経った頃、膝枕をしてもらっていてトリスタンが起き上がって口にした言葉にユーフェミアは迷いながらも静かに頷いた。
「向こうにおります」
「部屋に帰っていてくれ……君の身体が冷えてしまう」
「それは殿下も同じです」
「僕は平気だ。バカは風邪ひかないと言うだろう」
静かな声にどこか寂しさを感じながらユーフェミアはゆっくりとその場を後にした。
ユーフェミアの足音が聞こえなくなってから二人の名前が刻印された墓と向かい合うトリスタン。
「……いつか訪れるだろう終わりとはこのことか、父上」
トリスタンが技門を呈するたびに父親はいつも『いつか必ず終わりが来る。それは今日か明日か、それとも一年後か五十年後かはわからない。だからお前はいつその日が来てもいいように覚悟をしておかなければならない』と言っていた。
勝手に寿命の話だと思っていたが、父親はどういう形かはわからないがこういう日が来ると覚悟していたのだろう。
それが世界会議に出かける日だとは思っていなかったかもしれないが、納得しているような気がしていた。
「母上を巻き込んだこと、後悔しているか?」
母親の手は白く、何色にも汚れてはいなかった。
見て見ぬ振りをするのも大罪だと言っていた母親は王妃としてできることをと貧困街や孤児院の救済に力を入れていた心優しい清き人。
王の暗殺だけではなく王妃も共に消した理由はなんだったのか、十五歳のトリスタンには想像もつかない。
「知ろうと知らなかろうと結果は変わらないかもしれない。でも僕は父上とは違う道を歩む。バカだと言われようとも極端だと言われようとも構わない。僕は僕なりのやり方でアステリアの王になる」
父親は道化を演じながらも聡明さを欠くことはなかった。それは本人が持つ気品のせいでもあったのだろう。積極的に他国と交流し、世界会議に出席しては賓客を招くこともあった。
それは父親が信頼に足る相手ということで、招かれてやってくる人間が親そうにしている姿を見るのは嬉しくもあった。
だが、トリスタンはそれを真似ようとは思わない。
誰が何を考えているのかわからないと今回のことで思い知った。
誰がなんの目的でやったのかはわからない。世界会議に出席する者が雇った何者かが? それとも自国の裏切り者?
馬は死に、両親も死に、証言できるのは護衛騎士だけ。
突如走りだした護衛騎士にも理由はわからない。どうすることもできない以上、無駄に足掻くことは無意味でしかない。
「ユーフェミアがいれば僕は大丈夫だ、母上。戻ってこられる」
もう補助ではなく父親が抱えていたアステリアの闇を全て抱えなければならなくなった今、トリスタンはそこにいるだろう母親に声をかける。まるで自分に言い聞かせるように。
心を殺す覚悟はある。数年かけて準備もしてきた。不安はない。
一方的に得た光は小さくとも、その光があれば戻ってこられる。
「あなたたちが愛した国も民も全て僕が守る。どうか安心してくれ」
冷たい墓にキスをしてトリスタンはゆっくりと立ち上がった。
ポツポツと降り始めた雨が瞬く間に土砂降りへと変わる。
「殿下!」
玄関で待っていたユーフェミアが心配そうな顔で寄ってくる姿にヘラっと笑う。
光があれば大丈夫──
そう信じながらユーフェミアを抱きしめた。
「そうですね」
「城での生活には慣れたか?」
「少しだけ」
「実家が恋しかったりしないか?」
「大丈夫です」
淡々とした受け答えをするユーフェミアがそこら辺の甘やかされて生きてきた令嬢とは違った反応にトリスタンは満足していた。
王子という絶対的な権力を持っている相手を前にして媚び一つ見せない女性を気に入らない王子もいるだろうが、トリスタンはユーフェミアのこういう部分を気に入っている。
「僕たちが世界会議に参加するようになったら毎年各国へ行って新婚旅行気分が味わえるぞ」
「楽しみですね」
思ってもいないだろう返事だとわかる。作られた笑みもそう。
この結婚は恋愛結婚でも政略結婚でもない。トリスタンが望んだから叶えられる一方的なものであってユーフェミアの気持ちなど砂粒ほども考えられていないもの。
まだ十四歳のユーフェミアにとってこの結婚は最低なものでしかなく、自分の人生がこれからこんなワガママでバカな王子と共にあるのかと思うと辛くてたまらなかった。
「ユーフェミアは子供は何人欲しい?」
「殿下の欲しい数だけ」
「僕の希望じゃない、君の希望を聞いているんだ」
「……一人」
「そうか。じゃあ僕も一人でいい」
「世継ぎが必要でしょう?」
「女王が誕生したっていいさ。アステリアは平和なのだ。統治に性別は関係ない」
「そうですけど……」
意外な言葉にユーフェミアは少し戸惑っていた。
確かにアステリアは戦争もしない、事件もない平和な国。それはどんな名産品や希少な宝石が見つかる高山よりずっと世界に誇れるものだろう。
しかし、だからといって今まで男が統治してきたものを急に女に変えることなどできるのだろうかという不安がユーフェミアにはあった。
「僕たちの子供のことは僕たちが決める。誰が何を言おうと関係ない。反対する貴族たちには僕が言ってやるさ。僕の娘が女王になる頃にはお前たちは死んでいるだろう!口を出すな!とな」
「まあっ、それはちょっと過激すぎます」
「ハハハッ、そうか。では控えめに言っておくか」
「そうしてください」
クスッと小さく笑ってくれる、それだけでトリスタンは嬉しかった。
王子が結婚を申し込んで断れる人間はいない。断れば周りから何を言われるかわからないし、王子との結婚を断った家の令嬢を嫁にもらおうと思う者はほとんどいないだろう。
バカだ愚かだとあざ笑われる。その末路がわかっていて断る者はいない。
トリスタンもバカではない。自分の容姿が他国の王子と比べて劣っていることぐらいわかっている。特に同盟国の一つである隣国のクライアの王子レオンハルトと比べると落ち込んでしまうぐらい顔立ちに差がある。
もしこれがキラキラと背景が輝くほどイケメンで背も高い誰が見ても文句の付け所がない王子だったら国中の女がユーフェミアを羨んだことだろうが、実際はそうではない。
トリスタンは自分がなんと言われているのかを知っている。だから結婚を申し込んだときにユーフェミアが喜びどころかひどく困惑していたのも納得できた。
王子といえど肩書きだけで、皆が憧れるような王子の外見はしていない。
ユーフェミアも肩身が狭いだろうと申し訳ない気持ちさえあった。
何より、両親には内緒で調べさせたユーフェミアの周辺事情でわかった想い人の存在。
きっと自分には見せない笑顔を見せるのだろうと思い、羨ましさもあったが、それも年月が解決してくれると知らないフリをした。
それを大罪だと自覚しながらも諦められなかったのは自分がこれから抱えるだろう闇に光を与えてほしかったから。
自分勝手で情けない自分が嫌いだったが、振り返っても飛び降りる崖しかない道を歩み始めた以上は逃れられない。だからユーフェミアという光が欲しかった。
全て自分のため。
幸せな結婚生活になるかはわからない。
だからこそ、こうして少しでも笑ってくれるのを見ると嬉しくて舞い上がりそうだった。
「ユーフェミア」
「はい」
「僕は君を必ず幸せにすると誓う。この世界の誰よりも君を幸せにする」
「……はい」
その笑顔も返事も偽りだとわかっている。そう答えるしかないから言っていることも。
でもそれでよかった。自分もほとんどが偽りでできていて、これからもずっと偽っていくのだから相手に誠実さは求めない。
ただ、どんな形であれ側にいてほしい。それだけが願いだった。
「結婚式の君のドレス姿が楽しみだ。きっと世界中が君の花嫁姿に釘付けになるだろう」
「大袈裟ですよ」
「大袈裟なものか!」
「昨日も父上と母上とそう話していたのだ! 君は聡明で美しい! その姿を見て気絶して倒れないようにと注意も受けた……」
注意という言葉に肩を落としてみせるトリスタンにユーフェミアが笑う。
「そんな人いないですよ」
「彼らは僕が気絶するんじゃないかって思っているのだ。確かに君は美しいし、ドレス姿は神をも魅了するほどだろうが気絶して倒れたりはしない。気絶しても立っているさ」
「ふふふっ、気絶はするんですね」
この笑顔があれば大丈夫。
いつかこの手が父親のようにどす黒い血で染まることがあっても戻ってこられる。そう確信があった。
「両親も楽しみにしているのだ」
「期待を裏切らないといいのですが……」
「裏切る? 君はおかしなことを言うな、ユーフェミア。君の美しさは神の保証付きだぞ。裏切るはずがないだろう」
「殿下は大袈裟すぎるんです」
「君のそういう謙虚な部分も美しさの一つだな。ま、当日わかるさ」
トリスタンの様子に効果音を付けるならルンルンというものだろう。
浮かれ舞い上がっている様子にユーフェミアは苦笑する。
もうすぐ結婚式。ユーフェミアの夫になれる。それだけがトリスタンの希望。
美しい花嫁姿を見て感涙する準備はできているが、上手くやれるか少し不安だった。きっと見惚れてしまう気がしているから。
早く正式な夫婦になりたいと胸躍らせているトリスタンの耳に騒々しいほどの足音が聞こえてきた。
「殿下! トリスタン殿下!」
ドアの前で大声を上げる騎士の声にトリスタンはユーフェミアと顔を見合わせた後、足早にドアを開けに向かう。
「ユーフェミアがいるのだ! 静かにしろ!」
「り、両陛下が!」
その言葉に嫌な予感が駆け抜ける。
蒼白になった騎士の顔、流れる異常な量の汗、全身で繰り返す呼吸──その様子を見れば子供でも異常事態が起きたのだとわかる。
「両陛下を乗せた馬車が崖下へと落下したとの報告がありました!」
「なん……だと……」
「突如馬が暴走。制御不能となり、橋を渡るはずがそのまま崖へと一直線に……!」
数時間前に二人は笑顔で城を出たばかり。
『たくさん土産物を持って帰ってくるわね』
『ユーフェミアと二人きりだからって焦るんじゃないぞ』
そう言って手を振った二人が今どうなっているのか想像もしたくなかった。
「殿下……」
不安げなユーフェミアの声にトリスタンは来るなと手で制して兵士を見つめる。
「両陛下の安否確認は済んでいるのか……?」
「馬車は粉砕。両陛下は……」
口にはできないことだ。
だが、それだけでわかる。粉砕した馬車の中で二人だけ奇跡的に生き残っている可能性はないだろうと。
心臓が大きくゆっくりと動くのを感じるのは初めてで、トリスタンは不思議な気持ちだった。
(こういうときは異常なほど速く動くものなのではないのか?)
この感覚には覚えがある。
罪人を裁くことに恐怖を感じなくなった日、トリスタンの心臓はこんな風にゆっくりと大きく動いていた。
もうすぐ心臓が止まってしまうかのようにゆっくりとした鼓動。
(これが報いだとでもいうのか……)
正規の手続きを踏んで裁くのではなく、秘密裏に裁くことを神が許していないのだとすれば二人が受けた死は罰かとトリスタンは自問する。
【全てはアステリアのため】
それを大義名分にして剣を振い、罪人を裁く王とそれを知りながら見て見ぬふりをする王妃に下された天罰なのだとしたら──トリスタンは拳を握る。
「僕はどうすればいいのだ?」
「それは……」
崖下の確認には行けない。上から見させるのも違う。騎士も必死に考えるが、まずは報告をと焦ってここまで走ってきた。
意外と冷静に見えるトリスタンに騎士は少し驚きながらも立ち上がり
「全ての確認が終えるまで待機願います!」
勢いよく頭を下げる騎士に「わかった」とだけ返事をしてドアを閉めたトリスタンがそのまま背を預ける。
「殿下……」
今にも泣き出しそうな顔で寄ってくるユーフェミアを見てトリスタンは震えた手を伸ばす。
抱きつくように抱きしめるユーフェミアの体温にトリスタンは涙が流れる。
「……父上が……母上が……!」
「殿下、大丈夫です。私がいますから。殿下……!」
「なぜ二人が! どうして二人が!」
突如訪れたアステリアの太陽の死に国中が涙した。
葬儀の日、アステリアは黒一色に染まり、そこらじゅうから聞こえる嗚咽は丸一日止むことはなかった。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! どうしてだ! もうすぐ結婚式なのだぞ! 父上と母上がいないのにどうやって結婚式をするというのだ! 僕は王になんてなれない! 無理だ!」
墓の前で座り込んで子供のように手足をバタつかせるトリスタンを見ながら全員が同じ不安を抱えていた。
この王子に王が務まるはずがない。アステリアはおしまいだと。
「殿下……殿下がアステリアを守っていかなければならないのです」
「ユーフェミア……僕には無理だ。だって父上は素晴らしい王だった。僕は父上のようにはなれない……!」
「わたくしが支えますから。一緒に頑張りましょう」
「どう頑張れと言うのだ!? 僕に何をしろと言うのだ! 僕はまだ十五歳だぞ! 僕はまだなにも教わっていないのに!」
ボロボロと溢れる涙を手の甲で拭いながら大声を上げるトリスタンの傍に膝をついたユーフェミアが周りに立っていた関係者たちに首を振って下がるようお願いすると皆が困ったようにため息を履きながら去っていく。
急に両親を亡くした人間が冷静でいられるはずがない。
まだたったの十五歳。王になるには早すぎる。
トリスタンはいつも『勉強は嫌いだ!』『剣術も必要ない!』『ユーフェミア、出かけよう!』と楽しいことだけをして生きていたため王になれないと思うのも当然だとユーフェミアは眉を下げた。
「……ユーフェミア、一人にしてくれないか……」
暫く経った頃、膝枕をしてもらっていてトリスタンが起き上がって口にした言葉にユーフェミアは迷いながらも静かに頷いた。
「向こうにおります」
「部屋に帰っていてくれ……君の身体が冷えてしまう」
「それは殿下も同じです」
「僕は平気だ。バカは風邪ひかないと言うだろう」
静かな声にどこか寂しさを感じながらユーフェミアはゆっくりとその場を後にした。
ユーフェミアの足音が聞こえなくなってから二人の名前が刻印された墓と向かい合うトリスタン。
「……いつか訪れるだろう終わりとはこのことか、父上」
トリスタンが技門を呈するたびに父親はいつも『いつか必ず終わりが来る。それは今日か明日か、それとも一年後か五十年後かはわからない。だからお前はいつその日が来てもいいように覚悟をしておかなければならない』と言っていた。
勝手に寿命の話だと思っていたが、父親はどういう形かはわからないがこういう日が来ると覚悟していたのだろう。
それが世界会議に出かける日だとは思っていなかったかもしれないが、納得しているような気がしていた。
「母上を巻き込んだこと、後悔しているか?」
母親の手は白く、何色にも汚れてはいなかった。
見て見ぬ振りをするのも大罪だと言っていた母親は王妃としてできることをと貧困街や孤児院の救済に力を入れていた心優しい清き人。
王の暗殺だけではなく王妃も共に消した理由はなんだったのか、十五歳のトリスタンには想像もつかない。
「知ろうと知らなかろうと結果は変わらないかもしれない。でも僕は父上とは違う道を歩む。バカだと言われようとも極端だと言われようとも構わない。僕は僕なりのやり方でアステリアの王になる」
父親は道化を演じながらも聡明さを欠くことはなかった。それは本人が持つ気品のせいでもあったのだろう。積極的に他国と交流し、世界会議に出席しては賓客を招くこともあった。
それは父親が信頼に足る相手ということで、招かれてやってくる人間が親そうにしている姿を見るのは嬉しくもあった。
だが、トリスタンはそれを真似ようとは思わない。
誰が何を考えているのかわからないと今回のことで思い知った。
誰がなんの目的でやったのかはわからない。世界会議に出席する者が雇った何者かが? それとも自国の裏切り者?
馬は死に、両親も死に、証言できるのは護衛騎士だけ。
突如走りだした護衛騎士にも理由はわからない。どうすることもできない以上、無駄に足掻くことは無意味でしかない。
「ユーフェミアがいれば僕は大丈夫だ、母上。戻ってこられる」
もう補助ではなく父親が抱えていたアステリアの闇を全て抱えなければならなくなった今、トリスタンはそこにいるだろう母親に声をかける。まるで自分に言い聞かせるように。
心を殺す覚悟はある。数年かけて準備もしてきた。不安はない。
一方的に得た光は小さくとも、その光があれば戻ってこられる。
「あなたたちが愛した国も民も全て僕が守る。どうか安心してくれ」
冷たい墓にキスをしてトリスタンはゆっくりと立ち上がった。
ポツポツと降り始めた雨が瞬く間に土砂降りへと変わる。
「殿下!」
玄関で待っていたユーフェミアが心配そうな顔で寄ってくる姿にヘラっと笑う。
光があれば大丈夫──
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旦那様の気持ちはすでに愛人の方に夢中ですし、その願い叶えられるように私も協力致しましょう。
ただし、平和的に叶えられるかは別です。
政略結婚なので、周りのことも考えると離婚は簡単にできません。ならばこれくらいの抵抗は……させていただきますよ?
ですが、周囲からの協力がありまして、離婚に持っていくこともできそうですね。
折角ですので離婚する前に、愛人と旦那様が私たちの作戦に追い詰められているところもじっくりとこの目で見ておこうかと思います。

はずれのわたしで、ごめんなさい。
ふまさ
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