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王としての決断

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 客室に入ったレオンハルトはソファーには近付きはしたが、腰かけることはしなかった。

「ユーフェミア妃、俺はこのような場所であなたと話をしている暇はない」
「レオンハルト王、王の判断に冷静さはつきものです。カッとなったままでは正しい判断などできません」
「そうだぞ、レオンハルト。全てはそなたの愚かさがもたらしたこと。そなたはクライアの王だ。今のクライアにとって何が一番正しいのかを考えて判断しなければならない。国民から糾弾されることになったとしてもな」

 恐る恐る紅茶を持ってきたラモーナに小声でありがとうを告げるとラモーナは返事はせず、邪魔にならないようにと小さく頭を下げて足早に出ていった。

「今回のことでシュライアがいかに素晴らしい王妃であったか、わかったのではないか?」
「…………」
「今更シュライア様を廃妃にされたことについてとやかく言うつもりはありません。過去のことですし、シュライア様も納得されていることですから。大事なのは、これからのことです」

 このままララを王妃にしていては誰も納得しない。他国の王妃の秘密を暴露したことさえ『質問しただけ』と言って反省の色も見せないララが王妃の器にないのは間違いない。それはきっとレオンハルトも気付いているだろう。だからユーフェミアは明確な言及はしないでおいた。

「あなたは王妃になる覚悟があって王妃になったのか?」
「いいえ。覚悟する暇もないまま王妃という座に腰掛けました」
「辛くはなかったか?」
「辛さしかありませんでした。前王妃であるマリア様は民の憧れでしたし、わたくしにとっても憧れの人でした。だからわたくしのような下町の小さな花屋の娘が王妃になったとき、城内外から多くの言葉が飛び交っていたことはわたくしの耳にも届いていました」

 今となっては懐かしいと思える心配の声。煩わしさしかなかったあの頃。
 当然だ。突然の事故による両陛下の喪失。世継ぎは十五歳とまだ幼い。ましてや王妃となる者は下町出身の娘。不安がないはずがない。そう気付いたのは随分とあとのこと。

「でも、そんな中で二十年もこうして王妃をとして立っていられるのは陛下が傍にいてくださったおかげなのです。右も左もわからず、重すぎる責任に毎日泣きながら共に眠ったものです。嫌なこと、やりたくないこと、逃げたいと思うことも全部包み隠さず話しては大丈夫だと共に励まし合いました」

 思えば、あの頃はなんでも話せていた。言いたいことを言って、泣いて、そして翌日からまた頑張る。そんながむしゃらな毎日を過ごしていたのに、いつの間にか言いたいことも言わずに相手のことを考えすぎていたせいで言えなくなっていた。

「貴族の爵位もなく、煌びやかな世界に足を踏み入れたこともない。わたくしの実家は貴族が花を買いに訪れるわけでもないので話をしたこともありませんでした。貴族が乗っている馬車を見るだけ。それぐらい此処は縁遠い世界でした。それなのにいきなり王族になって王族とは何か、王族たる者、王族王族と言われても混乱するばかりでわからないことだらけ。厳しい教育係に向かって、知らないと叫び出したかった。反抗したかった。でも、一度もそうしなかったのは男として最低の出来損ない夫がいたからなんです」
「ユーフェミア、言いすぎじゃないか?」
「シッ」

 人差し指を唇に当てて黙っているよう伝えるユーフェミアの横でトリスタンはいじけたように人差し指を突き合わせる。

「そんな人でも、立派な王になろうとし続けた。いえ、し続けている。向いていないかもしれないと自信をなくすときも多々あるけれど、それでも自分を鼓舞して日々奔走しています。わたくしはそんな彼の支えになれればと思っているのです。王とて人間。一人では生きていけないのですから」

 レオンハルトも立派な王とは言えない。王になりたくてなったわけではなく、時が来たから継承しただけ。そんな心構えでは立派な王になどなれるはずがない。自分もまだ立派な王妃とは言えない。二十年という長い月日を王妃として過ごしていようと、クリスティアナと比べれば短いもの。まだまだこれから。七年目のレオンハルトなど尚更だ。

「支えがあるかどうかで頑張れるかどうかが決まると思うのです。わたくしはきっと、陛下が立派な人間だったら……どこかで投げ出していたかもしれません。毎晩二人で泣きながら支え合うあの時間があったから耐えられたのです。辛いのはわたくしだけではないのだと思えたから。レオンハルト王はシュライア様に頼ったことや、ララ様とお話になられたことは?」
「……ない」

 暴挙に出たララの気持ちは同じ下町出身の者としてなんとなくだが、わかっている。
 自分にはこの幼稚でどうしようもない男が王になれるのかと教育係から頭を抱えられていたため、王族でもこれなら自分も頑張れると何度も自分に言い聞かせた時があったが、ララは違う。シュライアと比べられ、自分を王妃にした唯一の味方であるはずの夫は心にまで寄り添ってはくれなかったのだから理想と現実の違いに耐えられず暴走したのだろう。

「誰だって一人で生きることはできないのです。だからこそ支えが必要。彼女の不安は彼女を引きこんだあなたが解消してあげなければならないのですよ?」
「シュライアは……」
「シュライア様とララ様は別人です。公女として生きてきたシュライア様と下町で育ったララ様が同じようにできるはずがないでしょう?」
「だからこそ教育係がいる」

 ユーフェミアは途端にレオンハルトが哀れに思えた。レオンハルトはきっと愛情を知らずに育ってきたのだ。だから愛し方を知らない。生まれて初めて恋をした相手は貧困街で生きるその日暮らしの小娘。そのくせプライドだけ無駄に高く、苦労せず手に入れた地位に胡坐をかいて王妃の使命を全うしようとさえしなかった小娘。極端な育てられ方をしたから本人も極端な選択しかできず、失敗した。
 その点、トリスタンは親の愛情をたっぷり受けて育ったため愛を伝える努力を怠らない。いつだって全身全霊で愛を伝える。愛されなければ愛せるはずがない。
 だが、今更親のせいにできるはずもない。レオンハルトはララを愛した時点で自分で気付かなければならなかった。人は誰だってミスをする。大事なのはそのあと。トリスタンは何度も頭を下げて謝るが、レオンハルトにはそれができない。相手が妻であろうと民であろうと。それがどれほど悲しいことか。
 静かに首を振るユーフェミアの腕に触れて一歩前に出たトリスタンがレオンハルトを見た。

「僕が前に言ったことを覚えているか?」
「教育係に任せていれば、か……?」
「そうだ。教育係は所詮、教育係でしかない。母親ではないのだ。優しく頭を撫でながら教えてくれるわけではないことは、そなたが一番わかっているはずだ。王妃の頭を撫でられるのは王だけ。王にのみ許された権限だ。そなたはその権限さえも手放し、想像と違ったからと放り出した。王からの求婚によって良くも悪くも突然変わった人生の戸惑いをフォローするのは求婚したそなたの役目。愛した女の人生の全責任を負う覚悟で迎えなければならないのにそなたはそれを放棄した。あまりにも幼稚すぎる行動だ」
「……ユーフェミア妃が問題を起こしたら全責任を取ると?」
「もちろんだ。彼女が断罪されるのなら僕も断罪を受ける。そんなのは当たり前のことだろう」
「……俺も断罪を受けろと?」
「それはクライアの王であるそなたが決めること。そなたには世継ぎもいる。今の状態でそなたが王を退いては世継ぎも哀れ。退く勇気があるのなら、世継ぎのためにやるべきことをやってからだと僕は思う」

 それがどれほど大きなことなのか、トリスタンにもわかって言っている。とてもレオンハルトの手に負えることではないということも。

「僕もそなたもよく似ている。完璧だと思い込むのをやめて己が言動を見返すべきときだ。僕は今、ようやくその大切さに気付き始めたところだ。人の話を聞くということがどういうことか、人と感情を共有するということがどういうことなのか……。上から押さえつけているだけではダメなのだ。そなたも一度、自分が間違っているという観点から物事を見つめ直したほうがよいぞ」

 笑顔でアドバイスするトリスタンを無視してレオンハルトの視線はユーフェミアに向いている。

「どうされました?」

 良いことを言ったはずのトリスタンではなくこちらを見ている彼に苦笑しながら問いかけるもレオンハルトの表情は変わらない。

「あなたも、俺が間違っていると思うか?」

 直球の問いかけにユーフェミアは視線を落として横にも縦にも首を振らず、ソファーを見つめて小さく声を発する。

「わたくしがそれにイエスかノーでお答えすることに意味はなく、今現在、現実に起こっているクーデターが答えなのです。それでも言葉での回答が欲しいのであればわたくしではなく、民に問うべきでしょう」

 答えは既に出ている。国民は何も人生が上手くいかない腹いせにクーデターを起こしたわけではない。訴えれば国が変わる保障はないのに声を大にして訴えた。命を失うかもしれないと覚悟の上で武器を持つ制圧部隊に王に会わせろと訴え続けたそれこそ答えなのだ。

「俺は……」
「シュライア様とお話になられました?」
「あいつは廃妃だ」

 自分が去ったあと、まともに話はしなかったのだろう。あまりにも意固地すぎるレオンハルトもララ同様に王の器にないことがよくわかった。

「廃妃であろうとクライアの民でしょう? 己が一人で答えを出せないのであれば廃妃であろうと回答を仰ぐべきです。王妃として民の前に立っていた彼女だからこそ、王の妻である過去がある彼女だからこそ真剣に話をしてくれるでしょう」
「そうだが……」
「レオンハルト王……あなたは既にご自分が王として民とどう向き合うべきか、国をどうしていくべきかさえわからなくなっています。そんな状態でどうしてクライアを守っていけるのでしょう。民の話を全て聞けとは言いません。現王妃を廃妃にしろとも言いません。ただ一つ、クライアの王としてやるべきことをやってください。あなたが守るのは不必要なプライドではなくクライアを愛する民なのですから」

 レオンハルトはシュライアを恐れているのかもしれないと思った。彼は軍人とはしては完璧だが、王としての資格はない。その点、シュライアは王としての器があった。いっそ、王を交代したほうがクライアは上手くいくのではないかとさえ思うほど。
 今回のクーデターでレオンハルトは民からの信頼を失った。取り戻すには相当の時間が必要となるだろう。その前にララをどうにかしなければ民は彼を受け入れることさえしないかもしれない。そこにレオンハルトが気付くかどうかが問題だった。

「アステリアとクライアは隣国といえど全く別の国です。やり方はそれぞれ。その国にあった、民にあったやり方をしなければなりません。でも、これだけは確かなのです。民とちゃんと向き合うこと。その大切さをわたくしは今日、知ることができました」

 自分が不妊だと知った時、すぐに国民に発表すればよかった。そしてすぐに養子について考えるべきだったのにそうしようとしなかったのは自分が責められ傷つくのを恐れていたからで、それは王妃として間違った行動だった。
 民のためと言いながら民のために何もできていなかった自分が王妃という肩書だけで生きていたことにもようやく気付いた瞬間だった。
 だからレオンハルトにもここで立ち止まってほしいと願う。これ以上、独裁者として進んでしまわないように。

「恋や愛という感情はとても大事なことだと思います。民を愛し、国を愛し、伴侶を愛し……。でも、その感情が独裁的な行動を取ってしまう原因となるのであれば、封印してください。王も人の子ですが、自分の人生だけを生きていればいい立場ではないのですから」
「ララをどうすればいい?」
「廃妃にしろ」
「陛下ッ」

 ハッキリ言ってしまうトリスタンをユーフェミアが止めようとするもトリスタンはユーフェミアの前に腕を伸ばして止めるなと指示する。

「ユーフェミア、すまないがここからは二人にしてもらえるか? 王同士で話したいのだ」
「……わかりました」
「すまないな」

 一瞬迷いはしたが、トリスタンを信じようとエリオットと共に部屋を後にした。それを見送ったトリスタンはドアが閉まると再びレオンハルトに身体を向ける。どこか緊張した面持ちを見せるレオンハルトだが、出てきたのは強気な声色だった。

「ララを廃妃にしろと? 昨年迎えたばかりだぞ」
「だからどうした? クライアがこうなったのはそなたが間違えたせいだろう」
「間違えた……」

 レオンハルトは否定できなかった。気付いていたのだ、シュライアを廃妃にしてから民たちが不安を抱えていたこと。そしてララを迎えた際に祝福がなかったこと理由がなんなのかも。だが、それを自分の失敗だとは思いたくなかった。
 シュライアを廃妃にしてなにが悪い。ララを迎えるためにはシュライアを廃妃にするしかない。ララを愛人にするなどありえない。
 どう思っての行動だったのに、自分の行動をすぐに後悔することになった。
 なぜララはシュライアのようにできない? シュライアはこれぐらい当たり前にできていた。ララは王妃としての自覚がない。シュライアなら──……
 そう思う日が日に日に増えていった。
 シュライアを廃妃にしたのは間違いだったか? ララを愛人にして様子を見るべきだったか? 子供たちが彼女に懐かない理由は?
 自分が何を優先し、何を大切にすべきかもわからず、自分が今まで王として何をしてきたのか思い出せないほど、ララの言動はレオンハルトを絶望に落としていった。
 シュライアがいたから自分は機能していたのだと気付き、クライアの王は自分ではなくシュライアなのだと、自分は名ばかりの王だと気付いたときはそれ以上の絶望を感じた。
 全ては間違いだったと気付いていたのに、頭一つ下げることができなかった。この無駄に高いプライドのせいで。

「民に頭を下げるのが怖いか? 批判されるのが怖いか? 王ではないと民に言い渡されるのが怖いか?」

 まるで挑発のようなトリスタンの言葉にさえ今のレオンハルトは反論できない。世界会議のときのように強気に言い返せないのはトリスタンの言葉が全て図星を突いてきたから。
 レオンハルトは怖がっていた。自分が王の器でないと自他共に認めることになるのが。自分の代でクライアを崩壊させてしまうという取り返しのつかないことをしでかし、クライアの歴史に泥を塗ってしまったことが怖かった。

「僕はけして良い王ではない。二十年間、民が僕を王と呼んでくれたから僕は王でいられた。民が僕を王でいさせてくれたのだ。僕は王を継いでから十年、一人では歩けなかった。嫌だわからないと常に喚き散らし、いつも誰かに頼って生きてきた。僕が決めたことに反対する者は許さず、愛する妻の気持ちを無視して愛人も作った。ユーフェミアの不妊がわかったとき、僕は彼女を守ると考え、民にも愛する妻にも嘘をつき続けた。守れていると思っていたのは自分だけで、実際はそうじゃなかった。傷つける結果を残しただけの愚行でしかなかった。僕は自分があまり支持されていないと知ったのは昨日だ。二十年も王をやってきて、自覚したのが昨日とはあまりにも情けない。だが、知れてよかったと思っている。これでようやく一歩僕は良い王として前に踏み出す準備ができた」
「準備?」
「僕の王としてのプライドなど民には不要だ。彼らに必要なのは正しい決断をしてくれる王だ。立派な王とは何か、僕はまだわかっていない。だけど、それはこれから続いていく長い人生の中でいつか答えを見つけられたらと思っている。我が子に教えてもらうでもいい。大事なのは僕が民にどう思われているか、ではなく、僕が民のために何をしてやれるか、なのだと気付いたからな」

 あんな風に言ってくれる民を幸せにするためなら何度だって頭を下げる。必要ない見栄など捨て、彼らのために生きると誓おう。あの瞬間、溢れ出した涙と共に自分に誓った。

「王として頭を下げることは何も恥ずかしいことではない。間違っていれば謝り、そして頭を下げる。今のそなたにできることがあるとすればそれぐらいだ」
「俺は……」
「そなたの気持ちなどどうでもよい。クライアを立て直したければ頭を下げろ。そして過ちを認めろ。ララを迎えたいがためにシュライアを廃妃にしてしまったこと。民の気持ちを考えていなかったこと。自分の気持ちだけを優先していたこと全て、彼らに謝罪することから始めろ。それができないのであれば王をやめることだ」
「息子に譲れと言うのか? 彼らはまだ子供だぞ」
「民を苦しめる腐った王は国に必要ない。それなら清らかな子供が王になったほうが民も安心だ。子に譲り、そしてそなたはララと手を繋いで国を出ればいい」

 クライアを立て直すか捨てるかの二択しか残されていない中で、レオンハルトの言い訳は最も不要なもの。他国の人間でさえそう思うのだから自国の民はその何倍も強く思うだろう。

「シュライアを廃妃にしてまで迎えた王妃を一年で廃妃にしろと……?」
「しつこいぞ。お前にできることなど限られているだろう。ララを廃妃にし、シュライアに頭を下げて戻ってきてもらえ。そして実権は全てシュライアに譲れ」
「なっ!? どういうことだ!」
「この期に及んでまだお前は王の座にしがみつこうなどと思っているわけではあるまいな? そなたは王の器にない! クライアの民が暴徒になったのは全て王であるそなたの責任だ! そして今もそれに言い訳をしようとする反省なき人間に王は向かぬと言っておるのだ! シュライアはそなたより遥かに賢く優しい。そなたは王子時代と同じく、軍を率いていればよい! そなたもわかっているはずだ。そなたにはそれが合っているのだろう?」

 王になって全てが変わった。軍にいた頃は誰も文句は言わなかった。皆が従い、それを率いて使命を果たす。それが王になってからは右から左からと口を出す者が現れた。仕方ないことだとわかっていても煩わしくて仕方なかった。だから誰も口出しできないよう圧力をかけて独裁王として生きてきたレオンハルトにシュライアは何度も間違っていると説いたが、レオンハルトは一度だって聞き入れようとはしなかった。
 王に向いていない。向いているのはシュライア。わかっていたことでも言われてしまえば悔しくなる。だが、それと同時に心が軽くなった。

「ララを迎えたのは間違いだったとわかっていると言ったな?」
「ああ……」
「それがどれほど身勝手な発言かわかっているな?」
「……ああ……」

 自分の言葉に何を思い、どう行動するのかトリスタンにはわからない。それでもレオンハルトの心にまだ自国の民を思う気持ちがあるのなら、正しい判断をしてくれと願う。

「そなたはもうやるべきことがわかっているだろうから僕はこれ以上うるさくは言わない。ただ、一つだけララについて言わせてくれ」
「ああ」

 重罪を犯したララをどうするつもりかと、緊張からゴクッとレオンハルトの喉が鳴る。

「ララがしたことは許せることではない。質問しただけだと開き直っていたが、あれは明らかに悪意があった。隠してきたのは僕が悪い。それでも他人がユーフェミアの秘密を僕の民の前で暴露したことは許せることではないのだ」
「わかっている」

 他国の王族の秘密を暴露するのはマナーやモラル違反といったレベルではない。一年間教育を受けてきたララがそれを知らないはずがなく、王族でなくとも人の重大な秘密を暴露するなどよほどの無神経者でなければしないだろう。彼女は無神経者であり、悪意もあった。だからこそ許せないとトリスタンは激怒した。
 レオンハルトも理解していた。ララの本性を知った以上、それを否定することなどできるはずもない。それなりの罰は──処刑もありうると理解している。

「ただ、ララが言ってくれたからこそ覚悟できたというのもある。僕は一生嘘をつき続けようと思っていた。でもユーフェミアはそうじゃなかった。民に話すべきだ。二十年も待ち続けてくれている民をこれ以上不安でいさせたくないと言っていた。でもなかなか覚悟が決まらなかったんだ。その点だけは感謝している」
「だから恩情をと?」
「まさか。僕はそこまで優しくない。ララはただの役立たずで終わったわけではないということだけ言いたかったのだ」
「他には?」
「まだ何か必要か?」

 世界会議の際にも感じたトリスタンが見せる違和感。幼稚な王だと噂されてきたアステリアの王は何か隠している。能ある鷹、というわけではなく、それよりもずっと恐ろしい何かを隠しているような気がしていた。
 戦争経験はないはず。それなのになぜかレオンハルトは自分が知っている雰囲気を彼が纏っているような気がしてならない。

「君は……どう対処しているんだ?」
「僕か? 僕は……それなりだ。王としてすべきことをちゃんとしている」
「愛人はどうした?」
「契約解除した。それだけだ」
「妊娠した愛人もか?」
「それはそれなりだ」
「……そうか」

 その言葉で理解し、そして確信した。ヘラヘラしているだけだと思っていた男の裏の顔は正反対なのだろうと。
 アステリアは世界で最も平和な国である。だとしても犯罪がないわけではない。悪意を持った人間は善人の顔をしてそこらじゅうを闊歩しているのだから。それなのに処刑もなく、犯罪も少ない理由は何か。幼稚な王と呼ばれる男が総ている国ならもっと犯罪が多発してもおかしくはないのに、この国は最も安全で犯罪率が低い。
 その理由に気付いたレオンハルトが苦笑する。

「君は怖いな」
「王とはそういうものだろう? まあ、僕も愚かだったからな。だからといって過去には戻れぬ。ならばやることは一つだ」
「彼女は知っているのか?」
「まさか。知るわけないだろう。彼女は知らなくていいんだ。僕をワガママでどうしようもないバカな男だと思っていてくれればいい。それだけで僕は全て背負って生きていけるのだから」

 今も嘘を信じているだろうユーフェミアにだけは自分の汚さを知られるわけにはいかない。一度、愛人を罰しているところを見られてしまったことは失敗だったが、それでもユーフェミアはトリスタンが王に就任してからのことを何か探ろうとはしなかった。王妃としてすべきことにだけ徹してくれている。
 だからこそトリスタンは王としての責務から目を背けず立っていられる。

「トリスタン王」

 背筋を正すレオンハルトをトリスタンが見る。

「今日は本当にすまなかった!」

 深く頭を下げて謝るレオンハルトの肩に手を置き

「頑張れ……と言っておく」

 トリスタンの言葉に顔を上げて頷けばレオンハルトはそのまま部屋を出ていった。




「お話は終わりましたか?」

 ユーフェミアの自室を訪れたトリスタンを立って出迎えると座るよう手で促される。

「自覚があるだけマシというところだろう」
「陛下よりマシということですね」
「うぅっ……なぜ僕をイジメるのだ。僕はレオンハルトを諭してきたのだぞ。褒めるぐらいしてくれてもいいんじゃないか?」
「仕返しです」
「うぅっ……」

 長い時間、ユーフェミアを傷つけてきたのだと理解したところで過去に戻ることはできない。十年前に戻ってユーフェミアに不妊の理由を話し、治療を受けるか、それとも養子をとるかという話をすることもできない。無駄だと言える十年を過ごしたのは間違いなく自分の責任。取り返しのつかないことを正しいと思ってやっていたのだから自分で自分を笑うことさえできないトリスタンはユーフェミアにもう一度頭を下げる。

「すまなかった。本当にすまなかった」
「陛下?」
「僕がもっと早く君に伝えていれば子供ができていたかもしれなかったのに……」

 治療法があるのならトリスタンは迷わずそれを受けさせただろう。広場で女性が言ったように、自分は傷つけただけ。傷つけたくないのではなく、傷つくユーフェミアを自分が見たくなかっただけ。情けない夫だと苦笑も浮かばない。

「陛下、もうよいのです。数年後、ようやくわたくしたちの間に子がやってくるのです。わたくしたちだけではなく民にとっても希望となる子が。神ではなく心優しい聖人聖女が与えてくださるのですから、過去を振り返っての謝罪は必要ありませんよ」

 トリスタンは変わろうとしている。消せない過去を糾弾したところで意味はない。あと何万回謝ってもらったところで過去は変えられないのだから謝ってもらうだけ心が苦しくなる。
 明るい未来がある。まだそれは可能性でしかないが、明るい気持ちで前を向くことができるほどの希望だ。
 トリスタンの謝罪を拒むユーフェミアだが、一つだけ不安があった。

「ティーナは戻ってきたりしないでしょうか?」
「それはないな」
「なぜそう言いきれるのです? 正統な世継ぎだと申し出るかもしれませんよ?」
「ありえないのだ、ユーフェミア。僕がちゃんと対応しておいたから平気だ」

 鞭で打たれた恐怖で逆らうこともできないのだろうかと考えるユーフェミアにトリスタンは作った笑顔で頷く。
 また一つ嘘をついた。それでもこれは必要なことだった。そう言い聞かせながらトリスタンはユーフェミアの隣に腰かけて肩を抱き寄せた。

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