愛人を切れないのなら離婚してくださいと言ったら子供のように駄々をこねられて困っています

永江寧々

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向き合う覚悟

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 王妃たちのお茶会は既に個人的な内情を話すのはやめて、紅茶や果物、スイーツについて話すという他愛なく、当たり障りのない話で特別盛り上がっているわけでもなかった。
 アイリーンの退場から誰もが気まずく、ダーシャとユーフェミアの頑張りによって何とか暗い雰囲気を脱して会話を再開させることはできても盛り上がらない場では、皆が一秒でも早く夫が迎えにくることを祈るばかりだった頃、ちょうどダダダダダダダッと大きな音を立てて走る音にユーフェミアが顔を上げる。

「まあ、一番は当然そうだろうね」

 予想するまでもないと笑うダーシャにユーフェミアが立ち上がって苦笑しながら抱きついてくるだろうトリスタンに備える。

「ユーフェミア! 迎えに来たぞ! 僕の愛しいユーフェミア!」
「陛下、皆様への挨拶もなくこのようなことはなさらないようにとあれほどお願いしたはずですが」
「あ、そうだった。今年も誰一人欠けることなく集まってくれたことを嬉しく……あれ? アイリーンはどうした?」

 会議が終わって走って迎えにきたトリスタンが王ではなく母親に甘える子供のような態度で各国の王妃を無視する姿を注意すると、トリスタンはユーフェミアを抱きしめたまま顔だけ王妃達に向けて挨拶をしようとするが一席だけ空席になっているのを見て首を傾げる。
 初対面はリリアナとララ。数を数え、見知った顔の不在に問いかける。

「アイリーン妃には事情があって退場願いました」
「事情とは?」
「それは秘密ですよ、トリスタン王」
「今年もそなたは美しいな、クリスティアナ。遠路はるばる来てくれたこと、感謝している」
「ワガママな若王の願いを叶える人生も悪くないものですからね」

 ニッコリ笑うシワだらけの顔にトリスタンも笑顔を返す。

「バーナード、アイリーンは先に馬車に戻ったそうだ」
「……退場か?」
「先に戻ったんだ。早く戻ってやれ」

 言わずともわかる〝退場〟の言葉。王妃が王より先に馬車へ戻る理由などそれしかない。
 あからさまな溜息をついて首を振るとバーナードは王妃たちに会釈だけして馬車へと戻っていった。

「リリアナ!」
「陛下!」

 何度も後ろを気にしながら早歩きで迎えに来たルーク。待っていた夫の迎えに嬉しそうに笑うリリアナの笑顔の清らかさにユーフェミアは目を瞬かせる。本物の天使がそこにいるようにしか見えないのだ。

「リリアナ、失礼はなかったか?」
「リリアナ様は完璧でしたよ。話し方や仕草、マナーなどはどこに出しても恥ずかしくありません」

 控えめでありながら自分の意思をちゃんと持っているリリアナなら今後も大丈夫だと告げるとルークは安堵と喜びを表情に深く頭を下げた。

「では、お先に失礼いたします。お会いできて光栄でした」
「また来年、成長したそなたの顔を見られるのを楽しみにしているぞ。あ、背はそれ以上伸ばさなくていいからな」
「あー……頑張ります」

 少しではあるが、既に身長を超されていることを会ってからずっと気にしていたトリスタンの言葉はこれから成長期であるルークには難しい願いだと思いながらも大人の対処で言葉を交わし再び頭を下げてリリアナと馬車に戻っていく。

「あれ、なんじゃ。リリアナはどこじゃ?」
「どこぞのエロジジイの被害に遭わないよう帰らせました」

 エロジジイと言ったクリスティアナにユーフェミアは目を見開くもトリスタンはおかしそうに笑い、オーガスタは気にもしていない。

「なんじゃ、天使とやらを見てみたかったのにのう」
「もうすぐ会えますよ。お迎え時にでも」

 もう六十年以上夫婦をやっていれば、ああいう口に利き方もできるようになるのだろうかと自分とトリスタンで想像してみるが、今と変わらぬ性格のまま白髪になったトリスタンしか浮かばない。
 横目でチラリと見るトリスタンはクリスティアナの言葉に声を上げて笑っている。この幼い笑顔の相手が既に三十代半ばであることも信じられないというのに。

「では、私たちも失礼しましょうか」
「リリアナの部屋を訪ねてもええかのう」
「それよりキレイに街が一望できる崖の上に行かれてはいかがですか?」
「突き落とすつもりじゃろう」
「まさか。あなたがヨボついた足を滑らせるんですよ」
「おー怖い怖い」

 普段からこんな話をしているのだろうかと今まで知らなかった新たな一面が見れたことはユーフェミアにとって大きな収穫だった。
 これが彼女が愛人を囲う夫と離婚しなかった理由なのだと実感する。

「またのう、トリスタンとその美しき妻ユーフェミア」
「彼女にキスしていいのは僕だけだ」
「挨拶じゃぞ?」
「挨拶でもダメだ。許さん」

 ユーフェミアの手を取って甲にキスしようとするのをトリスタンがオーガスタの額を押すことで防いだ。不満げに頬を膨らませるオーガスタに「帰りますよ」と言って付き人に強制連行させるクリスティアナが控えめに手を振る姿にユーフェミアは軽く頭を下げた。

「イーラン、帰ろう」
「遅いネ! 一番に迎えにきてヨ!」
「すまない。つい話しこんでしまったんダ」
「オーガスタ王より遅いってなに!? 愛が足りないネ!」
「二人の前ダ! みっともないゾ!」
「みっともないってなにヨ! 恥ずかしい言いたいのカ!?」
「そうじゃない! そうじゃないけど! 去り際ぐらい丁寧にしてくれヨ!」

 大声で喧嘩する二人に苦笑するが、ユーフェミアはその姿が羨ましかった。
 向かい合って大声で喧嘩したのはいつだろうか。そもそも大声で喧嘩したことなどあっただろうか。無視はあっても喧嘩はない。こんな風に喧嘩をすれば何かが変わるのだろうかと少し思ってしまう。

「余計なことは言ってないカ?」
「言ってない言ってない」
「愛人問題について話してないカ?」
「まさかまさか」
「ならいいネ。帰るヨ。また来年会おうネ! 待ってるヨ!」

 手を振るイーランに頭を下げるハオランに手を振り返すと残りは二人。どっちが先に迎えに来るだろうと待っていると大柄な褐色肌の男が見えた。

「ダーリン!」
「おお、ハニー!」
「遅いんだからっ」
「すまない。俺も早く会いたかったが、レオンハルトと話が盛り上がってしまってな」
「んもうっ、焦らされてるんだと思ってた」
「効果あったか?」
「抜群に」

 ダーシャの甘えたな猫のような態度もユーフェミアが知らなかった一面。夫が妻を迎えにくるのは毎年恒例で今年初めてなわけではない。それなのに今まで見たことがなかった姿。
 首に腕を絡めて甘えるダーシャを軽々と片腕で抱きあげるルドラ。血管が浮き出るその逞しすぎる筋肉は細い身体しか見ることがないユーフェミアにとっては異物に思えるほど。

「ダーシャが世話になったな、ユーフェミア」
「楽しいお話がたくさんできて嬉しかったです」
「夫がコレでは苦労が多いだろうが、仲良くな」
「はい」
「おい待て。コレとはなんだ、コレとは」

 ユーフェミアにウインクをして投げキッスを贈るダーシャの色気に一度トリスタンを見るがルドラの言葉に憤慨しているだけでニヤつきなどは一切ない。浮気の心配がない男であるはずなのに愛人問題だけが厄介で、ダーシャのように甘えていれば愛人など作らなかったのだろうかと考えてみるも、既に愛人がいる今ではもう遅い。

「レオンハルト様!」

 残ったのはララ一人。シュライアがまだ王妃だったときはトリスタンの次にやってきてすぐに帰っていたレオンハルトが一番最後にやってきた。
 嬉しそうに駆けだすララに向ける優しい表情はシュライアと居たときには見られなかったものだ。
 本当にララを愛しているのだと伝わってくるのがユーフェミアには少し辛いものだった。

「トリスタン」

 そのまま帰ると思っていたレオンハルトがララを連れてトリスタンの前にやってきた。

「ララだ」
「名前は知っている。名簿を見た」
「はじめまして、トリスタン王。レオンハルトの妻のララです」
「ああ」

 トリスタンの挨拶は素っ気ないものだった。一度、視線だけララに向けてすぐレオンハルト見るトリスタンは「だからどうした」と言いたげ。

「君がララを知らないと言うから紹介しにきた」

 世界会議でなんの話をしたんだと不安になるユーフェミアはララを見るとレオンハルトの後ろに隠れるようにして少し拗ねた子供のような顔でトリスタンを見ていた。
 そっけない挨拶だったことに拗ねているのだろうかと心配になる。

「何もわかっていないのだな」
「なに?」

 やれやれと首を振りながら呆れたように言葉を発するトリスタンにレオンハルトが大きめの反応を返す。

「紹介してくれたのはありがたいが、顔を知ったからなんだと言うのだ? 顔で素質がわかるのか?」
「紹介しただけだ。素質を見ろとは言っていない」
「七年前、シュライアをそんな風に紹介したことがあったか?」

 なかった。レオンハルトはわざわざこうしてトリスタンの前にシュライアを連れてこんな風に挨拶をしたことは一度だってなかった。それを今こうして妻がララに変わった途端に浮かれたように紹介に来るレオンハルトを快く思っていない。

「若い娘を妻に迎えて浮かれているのか?」
「違う! ララはこれからクライアの王妃として貢献していく! アステリアと親交が深いからこそ君に紹介したんだ!」
「彼女がこれから築き上げる貢献は全てシュライアが基盤を作ってくれたこそ残せたものだと叩き込んでおいたほうがいいだろう」
「何を言う! 全ては彼女の努力の結果だ!」

 珍しく感情を露わにするレオンハルトにユーフェミアも驚いているが、それに対して冷静に対応するトリスタンにも驚いていた。

「シュライアより優れた王妃だと自慢したければ実績を残させろ。もしそなたが彼女の王妃としての成長を教育係に任せていれば全て上手くいくと思っているのなら大間違いだぞ。王妃は王の付属品ではない。王妃そのものに価値があるのだ。そしてその価値こそ国の価値であり、民の誇りである」
「わ、私はまだ王妃になって日が浅いんです! これから王妃としてちゃんとやっていきます!」
「ここで口を挟むようでは先が思いやられるな」
「どうしてそんなひどいことを! シュライア様が廃妃になったのは私のせいではありません! レイオンハルト様への彼女の愛が足りなかったせ──」
「黙れッ!」

 まだ抗議しようとするララにレオンハルトが大声を出して強制的に口を閉じさせた。
 初めて聞くレオンハルトの大声にユーフェミアは口を押さえ、ララは今にも泣きだしそうな顔をしている。

「王妃とは何か、よりも立場ある人間の振舞いから教えるべきではないか? 物分かりが悪いなら愛人に落としてシュライアに頭を下げ、王妃の座に戻ってきてもらえ。それがクライアの未来のためだ」

 王同士の話に王妃が割って入ることは基本的にはあってはならない。侮辱さえもその場は黙って受け入れ、自分のテリトリーに戻ってから愚痴として吐き出す。それがルールなのだ。
 昨日今日、王妃になったのではないララがそれを忘れているのか、わかっていないのかはわからないが、シュライアなら絶対にしないミスを犯すララを王妃として認めることはユーフェミアにも難しい。
 肩書は王妃だが、それだけで王妃が務まるほど甘い役割ではないのだから。

「浮かれるな、レオンハルト」

 レオンハルトは返事をしなかった。唇を噛みしめることで悔しさを堪えるとそのまま踵を返して馬車へと向かい、ララは二人に頭を下げずレオンハルトを追いかけていく。

「……はあ……」
「お疲れ様でございました」
「ユーフェミア、僕はもうヘトヘトだ」

 溜息をつくトリスタンの背中を撫でるとヘトヘトとは思えない抱きしめる力に笑いながら今日は引き剥がそうとせず、赤子を宥めるように一定のリズムで背中を叩く。

「戻りましょう。皆様もゆっくりとお休みになられるでしょうし」
「そうだな」

 世界会議が終わるとアステリア城の中にある別棟に泊まれるよう手配してある。せっかくだからと皆で集まって大騒ぎすることもなく、それぞれ夫婦で静かに夜を過ごすのも恒例なのだが、今日のクリスティアナたちを見て、二人がどう過ごしているのかが少し気になった。

「今年の議題はなんだった?」
「いつもと変わりません。紅茶の産地やスイーツの好み、それから……」

 また嘘をつこうとしてユーフェミアは一度口を閉じた。心配させないためだとしても嘘は良くないと首を振ってもう一度口を開く。

「愛人の話になりました」
「そ、そうか……」

 馬車の中に短い沈黙が流れる。

「ぼ、僕に愛人が四人もいることは話したのか?」
「はい……」
「そ、そうか……。まあ、事実だしな……」

 評判など落ちてもかまわない。上げようと思って上げていたわけではないと、特別高くもない評判を下がったと内心気にしながら発言だけはポジティブにするトリスタン。

「……わたくしは大騒ぎしすぎなのでしょうか?」

 トリスタンに聞くのはズルいとわかっているが、それでもトリスタンに答えてほしかった。ズルいのは相手も同じ。愛人を切らなければ離婚だと言っているのに切ってくれない。でも離婚はしないと言う。
 なぜなのかわからない理由に辛さばかりが募っていくことにユーフェミアは自分がしていることは間違っているのか聞きたかった。

「いいや、大袈裟ではないさ。君が嫌がっているのに愛人を切らない僕がワガママなんだ」
「そうですよね」
「うぅっ……」

 フォローがないと声を漏らすトリスタンにユーフェミアが小さく笑ったことで、それだけでトリスタンは嬉しくなる。

「でも、今日、王妃たちと色々話してみて、そういう悩みはわたくしだけではないのだとわかりました」
「僕もだ」
「え?」
「僕たちも愛人問題について話していたんだ」
「まあ……それは……」

 開催していた場所こそ違えど、王と王妃、話していた内容は同じだったことにユーフェミアは驚いた。

「男は勝手な生き物だ。自分たち王は愛人を作っても何も言われないから好きなだけ作る。それを妻に当たり前のように我慢させているのだから」
「どうなさったのです? どこかで転んで頭でも打たれましたか?」

 当たり前のように四人も愛人を作っている男の発言とは思えず、ユーフェミアは手を伸ばしてトリスタンの頭にコブがないか探す。

「僕たちはもっとちゃんと話し合わなければならない」
「愛人を切らなければ離婚という意思は変わりませんよ? 今は一応白紙に戻しているだけで離婚する気持ちはあるのですから」
「そ、そこはもっと別の返事をするところじゃないのか? そうですね、とか」
「たった一つの条件なのですよ? そんなに難しいことですか?」
「う~……」
「話し合いをする時間に愛人を契約を終了する書類にサインをしてください」
「う~……よし、話し合いはまた今度だ! それより今夜はこんなに素晴らしい日なのだから神が子を授けてくれるかもしれないな!」

 都合が悪くなったらすぐに予定を先延ばしにしてしまうトリスタンに呆れて首を振れば、子作りのお誘いにニッコリ笑い

「ヘトヘトなのでしょう?」
「まさか!」
「今日はゆっくりお休みになられてください」
「嫌だ嫌だ! 頑張ろう!」
「はいはい、お休みください」
「ユーフェミアー!」

 離れたユーフェミアを追いかけながら大騒ぎするトリスタンを無視するユーフェミアにとって本当に話し合わなければならないのは愛人を切ることよりもティーナが宿した子をどうするかということ。
 あの地下牢でのあと、ティーナがどうなったのかユーフェミアは知らないのだから。
 
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