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王妃達の世界会議

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「ユーフェミア、今日もキレイだな」
「地下牢に閉じ込めてしまいたいほどですか?」
「うぅっ…あ、謝ったではないか! あれから何度謝ったと思っているのだ!」
「エリオット、陛下は何回ごめんなさいを言った?」
「二百五回です」

 あれから三日が過ぎ、毎日必死に謝り続けること二百五回。自分が悪いと思っているトリスタンは毎日謝り続けていた。許してもらえないことに憤慨せず職務の合間に顔を見に来ては何度も必死に謝り続けていたが、そろそろ限界。それもそのはず──

「今日は世界会議なのだぞ! そんな顔で出るつもりか!?」
「もちろん笑顔で出るつもりです。陛下の怒りを買って地下牢に入れられてはたまりませんから」
「君は意地悪だ! あれは僕の過ちだったと言っているのになぜ許してくれないのだ! 悪いと思っているからエリオットには新たな称号を授けた! 断られたがな! ラモーナにはブローチを贈ったのだぞ! なのになぜまだ僕を許さない!?」

 怒りはとっくに引いている。トリスタンへの怒りなど微塵も抱えていないが、これはユーフェミアなりの罰で、自分の感情一つで家臣を閉じ込める行いがいかに愚かなものか刻みつけるためにしていた。
 庭師からもらったと嘘をついた自分が発端ではあるものの、それでもそれが嘘だとわかった時点ですぐに問い詰めればよかったものをそれをせず、エリオット達に当たって地下牢に閉じ込めたのは許せなかった。

「各国の王妃たちは美しい装いで来るのだ!」
「だから?」

 ユーフェミアの苛立ちの声に大袈裟なほど肩を跳ねさせたトリスタンは思わずエリオットの後ろに隠れて顔だけ覗かせた。

「ぼ、僕たちは世界で一番仲が良いんだ。だ、だから今日は君と仲直りして皆の前に行きたい……です……」

 実際、世界各国のトップが集まる世界会議ではいつもアステリア王国が一番素晴らしい国だと言われている。夫婦仲が良く、経済も安定していて、戦争もない。世界が見習うべき国だと。だが、今はそれが破られつつある状態をトリスタンはどうにかして回避したいと思っている。
 毎年『うちが一番だな!』と豪語しては呆れられている。でも今の状態では嘘になってしまう。お願いだと懇願する眉を下げてユーフェミアの傍で膝をついた。

「……陛下、そのようなお顔をされても……」

 ユーフェミアの最大の弱点であるトリスタンのその表情に言葉が詰まる。

「ユーフェミア、頼む。反省しているのだ。もう二度と同じ過ちは犯さない。だからどうか僕にもう一度だけチャンスを与えてくれないか?」

 クゥンと犬のか細い声が聞こえてきそうな表情にユーフェミアは目を逸らそうと思っているのに逸らすことができない。うぅっと唸り声を漏らすのはいつの間にかユーフェミアに変わっている。

「……わかりました」
「許してくれるか?」

 ハッキリ言葉を聞くまでは離れないと言質を取ろうとする賢さに溜息をつきながら頷いた。

「許します」
「やった! やった! ユーフェミア愛してい──」
「ただし!」

 何度も飛び跳ねて喜びを表現する動きを止めたトリスタンがまた不安げな顔を見せる。

「もう一度エリオットとラモーナに謝ってください」
「わかった」

 ユーフェミアが不思議に思うのは、トリスタンは王という立場であろうとユーフェミアが言えば一介の使用人にだって素直に謝ってしまうこと。プライドはないのかと思うことはなく、むしろ好ましく思うのだが、一瞬だって躊躇を見せない彼を見ては首を傾げたくなる。

「エリオット、ラモーナ……何も知らぬお前たちを疑い、地下牢にとじこめるなどという愚かなことをした僕をどうか許してほし──」
「お、おやめください! 陛下が我らに頭を下げるなどあってはなりません!」
「そ、そそそそそそそうですよ! ブローチいただきましたから! 一生の宝物にしますから!」

 二人は一度目の謝罪は受け取った。トリスタンがどうしてもと言ったから。だが、二度目の謝罪を受けるわけにはいかない。これはたとえユーフェミアが許すと言っても二人は絶対に受け入れられないことだった。
 もし鞭打ちを受けていたとしても二人はこの国の王に個人的に頭を下げられることなど望みはしない。

「いいや、受け取ってくれ! 頭を下げなければユーフェミアに許してもらえないんだ!」
「王が一家臣に頭を下げられるなどおやめください!」
「私なんかただのメイドですよ!」
「関係ない! ユーフェミアが大切にしているお前たちを地下牢に閉じ込めて忘れていたのだ! 頭ぐらい何度だって下げる!」
「おやめください!」
「絶対ダメです!」

 やる、やめろの攻防戦にユーフェミアは笑ってしまう。三人が何をのんきに笑っているのだと同じ表情を向けるもユーフェミアの表情は変わらず、両手を前に出すとトリスタンは早歩きで妻の前まで行ってその手を両手で握った。
 許してもらえるのではないかと期待を持っているきらきらとした眼差しを見つめたあと、後ろにいる二人に視線を移す。

「エリオット、ラモーナ、陛下を許しますか?」
「はい」
「もちろんです!」

 二人同時の言葉に頷いたユーフェミアは再度トリスタンを見た。

「許します」

 パアッと笑顔になったトリスタンが強くユーフェミアを抱きしめたあと、エリオットとラモーナにも抱きついて何度も「ありがとう」を伝えた。
 王がすることではないと二人は焦るもラモーナは嬉しそうだった。王が笑顔で王妃も笑顔なら嬉しい。二人のことも、この国のことも大好きなラモーナにとってこの瞬間は素晴らしいと思えるものだった。

「よし! 今日の話題はこれで決まりだ! 僕とユーフェミアの絆は海よりも深く、空よりも広い!」
「離婚の危機にあることをお忘れなく」
「離婚はしない! だって君が白紙に戻すと言ったんだから! 僕は準備があるから先に行くが、きっと今年の世界会議でも君が一番美しいぞ!」

 頬に口付けをして笑顔で出ていったトリスタンの満足げな顔にラモーナだけが笑っている。

「陛下は本当にユーフェミア様が大好きなんですね」
「そうね」

 苦笑しながら頷くユーフェミアの手を今度はラモーナが握って立たせた。

「陛下のおっしゃる通り、今年もユーフェミア様が一番美しいことを証明するために着替えましょう!」
「はいはい」

 トリスタンとラモーナはどこか似ていると前にエリオットと話したことがあり、今もそれを実感している。いつも笑顔でいつも元気。そんなラモーナがユーフェミアは好きだった。





 世界会議──世界各国の王が集まり各国の近況報告や世界情勢についての話し合いを行う一年に一度の催し。
 アステリア王国で開催されるようになって今年で二十回目。
 王たちが話し合いをしている間、政治に関わらない王妃たちは別の場所でお茶会をすることになっている。もてなすのは当然、アステリア王国の王妃であるユーフェミアの役目。

「今年も遠路はるばるお越しくださいましたこと、心より感謝いたします」
「私たちにとって世界会議でアステリア王国に行くのは旅行も同じ。毎年楽しみにしていますのよ」
「今年も見事なお庭が見ることができて嬉しいわ」
「トリスタン王の話は面白いと王も楽しみにしてたヨ」

 見慣れた顔と見慣れぬ顔が揃った今年の王妃たちの世界会議にユーフェミアは少し不安を抱えていた。下は十四歳から上は八十二歳まで。世代の違う者達をどうもてなすのか、何度も何度もシェフ達と話し合って今日のメニューを作り上げたのだが、微妙な顔をされないかと不安で吐きそうだった。

「今年の紅茶もクリスティアナ様がお選びくださったのですか?」
「ええ。とても上質な物が手に入りましたので、そちらをお持ちしました」
「ミルクティーにしてもミルクに負けず、すごくフルーティーな香りがしますね」
「桃の香りですね。とても相性がいいんですよ」

 世界会議で出される紅茶はユーフェミアが用意するのではなく茶葉が名産であるペレニアの王妃であるクリスティアナが用意した物を淹れるというのはユーフェミアが王妃になったときには既にそう決まっていると教えられた。先代であるマリア元王妃のときから決まっていたらしい。
 御年八十二歳になるクリスティアナがこの世界で最も最高齢の王妃であり、誰も逆らえない絶対的な存在である。

「これも一つの楽しみですの」
「わたくしもですわ」

 お茶会で最も大切なのはお喋りをして乾いた喉を潤す紅茶。その紅茶が良い物であればあるほど王妃たちは喜ぶ。ユーフェミアも毎年クリスティアナが用意してくれる紅茶を楽しみにしているのだ。香りだけで果物を食べている気分になるほど香り高い紅茶は初めてで、一口飲むとミルクの甘さと果物の香りが口いっぱいに広がって皆の表情が一気に明るくなり皆が顔を見合わせて感動を共有する。

「この素晴らしい紅茶の味を消してしまわないか心配ですが……」
「アイリーン様の持ってきてくださる果物も世界会議の楽しみの一つですわね」

 あくまでもこれは〝世界会議〟であって〝お茶会〟ではない。王たちがシャンパンと食事を交わしながら語り合うように、王妃達は紅茶とフルーツ、それからお菓子に軽食などを楽しみながら王妃たちは王妃たちの語り合うのだ。

「わあっ! このフルーツの瑞々しさはカルポスだからこそですね!」
「我が国自慢ですもの。たくさん持ってきましたからお腹いっぱい食べてくださいね」

 果物が名産のカルポスは世界中どこを探してもカルポスより美しい果物は手に入らないと言われているほどカルポスの果物は瑞々しい美しく、そして皆を虜にするほど美味なもの。
 瑞々しい果物に皆の視線が吸い寄せられ、皿に乗せられるのを今か今かと待ち構えている。

「リリアナ様? どうされました?」
「あ、いえっ! あの、わ、わたくしのような若輩者がこのような場に参加してもよいのかと……」

 今年初めて参加することに不安げな様子を見せるまだ幼い少女は今年即位したばかりの王妃。彼女が抱く不安と緊張がこちらにまで伝わってくる様子にユーフェミアは微笑みながらそっと手を握った。

「リリアナ様の自己紹介をお聞きくださいますか?」
「ええッ!?」
「今年からリリアナ様も一国の王妃なのですから、皆様にお顔を覚えていただきましょう。これから毎年顔を合わせるメンバーですから」
「は、はい!」

 戸惑いながらも立ち上がったリリアナが胸に手を当て、二回三回と深呼吸を繰り返す様子を皆が微笑ましく見守る中、五回目の深呼吸のあと、ようやく目を開けたリリアナが椅子から少し横に移動してドレスを摘まんで挨拶をした。
 まだどこかぎこちない挨拶だが、一生懸命教えを守っている姿が愛らしさと懐かしさを感じさせる。

「クリュスタリスから参りました、リリアナと申します。王妃に即位したばかりの若輩者でございますが、皆様のような立派な王妃になれるよう日々努力を欠かさず、国の母として精進して参りますので、どうぞ皆様のお知恵をお貸しいただき、ご指導いただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします」

 リリアナの挨拶が終わると自然と拍手が起こった。

「十四歳、でしたか?」
「は、はい! 十四でございます、クリスティアナ様」

 クリスティアナの声にリリアナだけではなく皆に緊張が走る。
 厳しい人ではあるが、キツイ人ではない。だが、誰よりも長く生きている者が誰よりも若い者へ何を言うのかと興味と緊張で視線が二人に集中する。

「若いのにとても素晴らしい挨拶でした。クリュスタリスはまだ若い国だと聞いています。その国の母となる若き王妃がこれほどしっかりしているのであれば、何も心配する必要はなさそうですね」
「あ、ありがとうございます!」

 不安が大きかったのだろうリリアナはクリスティアナの言葉で緊張が解けたのか溢れ出す涙を堪えきれず頬を濡らした。とめどなく溢れる涙をハンカチではなく手の甲で拭ってしまうところはまだ幼さを感じるが、誰もそれを咎めはしなかった。
 自分と同じ十四歳という若さで王妃になったリリアナの不安はユーフェミアには痛いほどよくわかるもので、ラモーナが差し出したハンカチを受け取ってリリアナの前に出すとそれを目に押し付ける涙の止め方に皆が微笑む。

「で、今年の話題は何にします? 政治のことは王に任せるとして、何か面白い話題がある人は?」

 一年も会わないのだ。皆がそれぞれ一年分の話題を持ってきているが、今回は司会を務めようとしたアイリーンが言い終えると同時にユーフェミアが勢いよく手を上げた。

「ユーフェミア様、珍しいですね」
「話題というか、皆様にお聞きしたことがございまして……」

 二十年間ずっと聞き役に徹するばかりだったユーフェミアの言葉に皆が興味津々といった様子で眼差しを向けるのは世界一仲が良い夫婦に何かあったのではないかという野次馬根性から。言葉にはせず眼差しに言葉を込めてユーフェミアが話し始めるのを待っていた。

「愛人問題についてなのですが……」
「ついにトリスタン王にも愛人ができたのですか!?」

 嫁自慢しか取り柄がないと思われていたのをユーフェミアは知っている。それはそれでありがたいことなのかもしれないが、ユーフェミアは予想よりも大きいアイリーンの驚きに苦笑しながら頷いた。その瞬間、ざわめく王妃たちの反応がその苦笑をより深いものに変えた。

「ゴホンッ、よろしいですか?」

 大きな咳払いに慌てて居住いを正す王妃達。

「今回は……その……話題が上がったことがない……それこそタブーとされてきたことを話題として上げさせていただきたいと思っております」

 思わず硬くなってしまう口調に皆が顔を見合わせて笑い始める。ユーフェミアだけがその理由がわからず目を瞬かせている。何も笑わせるようなことは言っていないはずなのになぜそんなに大笑いをしているのか。
 ユーフェミアはまず最年長であるクリスティアナに視線をやった。
 大笑いこそしていないものの口元には笑みが浮かんでおり、何もわかっていないユーフェミアにクリスティアナが口を開く。

「タブーではありませんよ。むしろ皆が一番話題にしたかったことではないでしょうか?」
「え……」

 クリスティアナの言葉にダーシャとアイリーンが大きく頷き続ける。

「トリスタン王が愛人だなんてやりますわね。お相手はどこの女ですの? 侯爵? 男爵? 娼婦?」
「いえ、それが……一般人なんです……」

 紅茶に蜂蜜を落として掻き混ぜていたスプーンを落としたアイリーンの顔がひどく驚いたものに変わり、信じられないと両頬にしっかり文字が書いてあった。

「一般人に手を出すってどういう……あーでもユーフェミア様も確かお花屋さんのお嬢様でしたわね?」
「ええ」
「それなら……彼にとっては普通と言えることなのかもしれませんわね」

 ユーフェミアもそれには頷くしかできなかった。自分も元々は一般人で、トリスタンに一目惚れされての即求婚。それを受けてからこうして二十年間も王妃をやってきたのだから一般人に手を出すのがリスキーと責めることもできない。

「愛人は何人?」
「四人、です」
「四人!? いきなり!? トリスタン王は何を考えてますの!?」
「四人の年齢は?」
「全員が二十歳過ぎです」
「四人とも二十歳過ぎって……すごいわね」

 ダーシャは冷静で、アイリーンだけが大袈裟なほど声を上げてトリスタンの行動を理解不能だと批難している。

(やっぱり四人は多いのかしら……)

 ユーフェミアにとって愛人四人というのは多すぎる。だが、それはあくまでも自分の感覚でしかないため、他の王妃はどうなのかずっと知りたかった。王に愛人がいるのは珍しい話ではない。どこの国でも愛人の一人や二人存在すると聞いているだけに、今回の世界会議で絶対に聞こうと決めていたのだ。

「今日は皆様に愛人についてお聞きできたらと……。もし、陛下が愛人を囲っているという方がいらっしゃれば是非参考にさせていただきたいのです」

 感情を剥き出しにするアイリーンの肩を叩くダーシャが手を上げようとするが、先にクリスティアナが手を上げた。世界でもその名を知らぬ者はいないとまで言われるほど名の知れた存在であるクリスティアナがまさか愛人問題を抱えていると想像したことがある者はこの中にはいないはず。それが自ら暴露するように手を上げたことで全員が緊張に喉を鳴らした。

「クリスティアナ様……まさか、オーガスタ王に愛人が……?」

 驚きに声を震わせながら問いかけるユーフェミアに笑顔で頷くクリスティアナに皆が絶句して口を押さえたのは、彼女の伴侶であるペレニアの王オーガスタが御年八十五歳であるから。欲望など遥か昔に枯れていてもおかしくはないのに、未だ現役であることが信じられない。

「ちなみに愛人は二人」
「二人!?」
「二十歳と四十二歳」
「ええッ!?」
「一人は娼館から引っ張ってきた者。もう一人は知り合いの娘」

 どっちがどっちなのか、全員がそこに興味があった。
 トリスタンが囲っている愛人は全員が二十代前半。オーガスタの愛人話を聞けば、夫の愛人が若くてよかったと思えた。若いほうが良いに決まってる、と自分を納得させることができるのだから。
 もし、自分と近い歳だったら……と考えるとゾッとする。それこそ今よりずっと受け入れられない現実となっていただろう。

「受け入れているのですか?」
「この歳になれば夫の相手などしませんからね。残り少ない人生、好き勝手楽しんでいただいてかまいませんよ」
「オーガスタ王はいつから愛人を?」
「二十三歳の頃からです」
「ろくじゅっ……!」

 愛人を囲い続けて六十年以上。どうすれば六十年も夫が愛人を囲っていることに耐えられるのか、ユーフェミアは不思議でならなかった。

「オーガスタ王……スケベそうな方だとは思っていましたが……」
「アイリーン!」
「す、すみません! ご無礼をどうかお許しください!」

 無礼な発言にダーシャが怒ると年上のアイリーンはそれに反論もせず慌てて頭を下げて謝った。
 ペレニアのオーガスタ王は無類の女好き、というのは周知の事実。他国の王妃でさえ口説き、目が合った女は片っ端から声をかけるのだからクリスティアナも否定しなかった。

「いいんですよ。スケベなどという軽い言葉では済まない人ですからね、本当に。熱した剣で八つ裂きにして槍で腹を貫いてからギロチンにかけても足りないぐらいのことをしているのです」

 優しい声色とは裏腹に言葉の恐ろしさから長年の我慢があったことは伝わってくる。

「トリスタン王が愛人を作ったことであなたは何を思っているのです?」
「わたくしは、陛下に愛人がいるのが嫌なのです。愛人ではなくわたくしだけを見てほしいと思うのは欲張りでしょうか?」

 容易に想像がつくほどトリスタンは自分を溺愛してくれているとわかっているのだが、まだ伝えられていない。妻の姿が見えなくなっただけであれほど弱った顔を見せる男だ。ちゃんと伝えれば叶えてくれるかもしれないが、夫に言う前に王妃である皆が王妃としてどう心構えしているのか聞きたかった。

「そんなことないネ! 絶対ないヨ! 夫が妻だけ愛ス、これ当たり前ネ。愛人寛容、そんなのバカ思うヨ」
「イーラン!」

 最年長であるクリスティアナが愛人に寛容である以上、その言葉はあまりにも失礼だとダーシャが慌てるもイーランは頑として態度を変えない。

「私の国チューチャオ、夫一人、妻一人。愛人、不倫は違法。王だから愛人作る、ダメ。ユーフェミア、愛人いるカ?」
「い、いえ、私には必要ありません」
「愛人作る、許されるカ?」
「いいえ」

 許されるはずがない。自分が愛人を作れば間違いなく愛人はその日のうちに城を追い出されるだろう。泣き縋るだけならいい。でもティーナのように地下牢に連れて行かれ拷問に遭う可能性もある。

「ソレおかしいヨ。あなたも陛下ヨ。王妃陛下。男は愛人イイ。女はダメ。差別ネ」

 イーランはまだ二十八歳。この中では若いほうだが、しっかりしている。イエスとノーをハッキリ言える強さがあり、チューチャオを〝愛人や不倫は違法〟と法律を変えさせたのはイーランだった。

「トリスタン王、勝手ヨ。ユーフェミア、欲張りチガウ。チューチャオ来るイイ。見せるネ、我が国の秩序」

 夫は一人、妻も一人。愛人も不倫も違法となればユーフェミアの今の悩みは解消される。でも、同時に不安も襲ってくるような気がした。
 愛人を作ってはならないのなら夫の欲は全て妻が受け入れることになる。自分が望んだことでトリスタンが法律まで変えたのだとしたらユーフェミアはそれ相応の努力を強いられる。当然のことだ。だが、そうなったとき、自分は彼の欲望を全てに応えることができるのだろうか? 自分が応えられないから愛人たちが代わりに請け負ってくれていると考えるべきなのかもしれないと少し気分が落ちる。

「でも愛人がいるって悪いことばかりじゃないのよ」

 ダーシャの言葉に反論するつもりで勢いよく顔を向けるイーラン。

「妻の苦労をわかってくれるし、子育てだって一人で背負う必要ないんだもの。皆で助け合いで生きるって素晴らしいことよ」

 イーランの国チューチャオが一夫一妻制なら、ダーシャの国アルデュマは一夫多妻制である。

「子育ては苦労するからイイネ! それもイイ思い出ヨ!」
「終わってみれば、はわかる。でも終わるまでが地獄。子供は可愛くても子供と二人きりだと頭がおかしくなりそうになる。大人と話したい、外に出かけたい。自分の時間が欲しいって思っちゃうもの。一人で子育てしなきゃいけない環境に身を置いてるとそう思う女を悪だと捉える人間がいる。男でも女でも。命を一つ育てる使命を抱えた人間はもっと自由であるべき。そのためには一人じゃつらすぎるし、苦労するからいいとは思えないかな」
「ダーシャ様はお子は何人ですか?」
「愛人と第八夫人までの子を合わせると五十三人」
「ごしゅっ……!?」

 子供の数だけで五十三人。

「愛人は……」
「十二人」

 自分が鬱陶しいと思っている三倍の数を持つダーシャの夫。それに加え、妻もダーシャだけではなく、七人もいる。
 上には上がいるのだと絶句するユーフェミアと目が合ったダーシャが「はっはっはっ!」と豪快に笑うのは、愛人や妻、子供の数を聞かせたらユーフェミアは必ずそういう顔をするだろうと想像していたから。想像通りの様子に笑いが止まらなかった。

「ふしだらネ!」
「各家庭にルールがあるように、国によって法律は違う。自分の考えと違うからって簡単に批判すべきじゃないわ」

 普段は国の内情について話すだけ。こんな風に愛人関係にまで言及することがなかっただけにお国柄が出てしまう問題に噛みついたイーランにダーシャが大人の対応を見せる。
 苦笑しながら、まあまあと間に入ろうとしたユーフェミアより先にテーブルをゴンゴンッと強めにノックをした者がいた。

「二人とも、今日は一年一度の集会。喧嘩はナシですよ」

 クリスティアナの笑顔に二人は同時に謝った。

「愛人が禁止だろうと大量にいようと、愛されてるならいいじゃありませんの」
「アイリーン様?」

 まるで自分が愛されていないような言い方に全員が心配そうに目を向ける。
 アイリーンの夫であるバーナードはオーガスタやトリスタンのように女好きという噂は聞かない。ユーフェミアがトリスタンのことを話すたびに『仲が良くていいですわね』と言うため『お二人の仲はいかがですか?』と聞くと『悪くないですわ』と返ってきていた。悪くないと言うということは良くもないということだったのかと、今更思い至った。

「バーナード王とは何か問題でも……?」

 デリケートな問題に首を突っ込んでもいいものか迷ったが、ここまできたら聞いてしまおうと決めた。もしかすれば来年の今日、自分はこうして皆と腹を割って話せないかもしれないから。

「いいえ、何も。喧嘩もしませんし、これといった問題はありませんわね。彼が男色家だったこと以外は」
「あ、バーナード王は男色家だったのですか……男色……だんしょ……ええッ!?」

 さらりと告げられたバーナード王の秘密に大声を出すユーフェミア。あのクリスティアナでさえ驚きに目を見開き、絶句していた。

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