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小さな嘘からはじまる

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 想いと共に記憶の奥底に封じ込めていた存在に思うのは彼と結婚していたらどんな生活を送っていただろうか、ということ。子供はいただろうか? 先日のパレードで見た母親のように花を渡せたことを喜ぶ我が子を愛しげに抱きしめていただろうか?
 自分が結婚したのはイアンではなくトリスタンだ。もしもの話など想像するだけ無意味だとわかっている。それでも他に道があっただけに脳は記憶を懐かしみ、その想像をやめようとしない。

「どういうつもりで贈ってきたの……?」

 一束だけ抜いたカスミソウを手に取りながら呟くユーフェミアはまだ混乱していた。プレゼントにカスミソウだけを贈る人間など彼しかいない。確信を持たせようとしたのだろうか? あの日、確かに目が合ったあの人物が自分であると。でもこれを贈った相手がイアンだとわかったところでどうしようもない。カードには結婚を祝う言葉だけで他には何も書いていない。昔読んだロマンス小説のように二人だけにわかる暗号が書かれてあって夜にこっそり抜け出し、二人きりで会うこともできない。それに、カスミソウを贈ってきたのはイアンというのも確定ではなく、あくまでもユーフェミアの推測にすぎないのだ。

「人生にたらればはないし、会うこともできないんだから……」

 王妃に自由があるのは城の中だけ。それでも護衛や侍女は常に一緒で、監視の目がないのは部屋の中だけだ。
 幼馴染の男に会いに行くと正直に言えば大騒ぎになる。

「一生幸せにするって言ったのに……」

 ファーストキスもハジメテも全てトリスタンに捧げた。キスぐらいと二人は思っていたが、母親に見つかればまた異常なヒステリーを起こすだろうこと、そうなれば結婚の話をしにくくなることからキスは結婚式のときにと思い、キスはしなかった。互いに別の相手は考えられなかっただけに焦っていなかった結果、ユーフェミアは別の男と結婚することになり、憧れだったファーストキスは嫌々となった。
 それでも自分で決めたのだから彼をちゃんと愛そうと決め、真摯に向き合っているうちに心から愛するようになり、今もその愛はちゃんと胸の中にあるのに頭の中にあるのは相手への愛をどう証明するかではなく離婚すべきか否かということばかり。
 苦笑しながらカスミソウを胸に当てるとノックもなくドアが開いた。

「ユーフェミア!」
「陛下、ノックをしてください。ビックリするじゃありませんか」
「今日は朝からずっと君のことを考えていたんだ! だから君に会いたくなった!」
「ノックを、してください」
「あ、はい」

 中へ入ってきていたのを慌ててドアに戻ってノックを三回鳴らしてからユーフェミアを見るトリスタン。頷かれたことで許可を得たと嬉しそうに駆け寄りユーフェミア抱きしめた。

「パレードで君への愛を再確認したんだ! 僕は君を愛している! それは二十年前から変わらない! 出会った頃と同じ気持ちが今も僕の中にあって、これからもこの気持ちは変わらない!」
「離婚してほしいと言いだす妻に呆れたりしないのですか?」
「言うぐらいは自由だ。僕はそんなことで怒ったりしないし呆れもしない」

 言うぐらいは自由。でも実行はさせない。だから怒る必要もないし呆れることもない。そういうことだろうとユーフェミアは思った。

(私が愛人を作りたいと言ったら彼はどうするかしら)

 子供のように嫌だと泣きじゃくって駄々をこねるに決まっている。想像するまでもない。

「パレードで見つけた娘とのお食事はいつになさるのですか?」

 今更気にするようなことではない。パレードで美人を見つけると食事に呼んで愛人にするか決める。今で四人。今更一人増えたところで怒る気にもならない。妻が離婚という言葉を口にしても変わらないのであればそれはもうどうしようもないことだと諦めて自分が夫を切るしかないのだから。

「呼ばないぞ?」
「呼ばない?」

 信じられない言葉に耳を疑った。

「呼ばない、とは?」
「城に呼んで食事をしたり愛人にしたりはしないということだ」
「どうして……?」

 ユーフェミアの問いにトリスタンが笑う。

「だって、僕がこれ以上愛人を増やせば君は離婚の一言を書いた紙を僕の顔に貼り付けて出ていくだろう?」

 そこはわかっているのかと驚いた。
 トリスタンは精神年齢が幼児以下と皆が思っているが、そればかりではない。今までずっと黙ってついてきてくれていた妻が離婚を言い出すなど異常事態と思わない馬鹿ではなく、切りはしないが増やさないと決めたらしい。

「美人を見たら言ってしまうのも何とかする。君が頬を叩いてくれてもいい。あ、皆の前ではダメだぞ? 君の評判に関わるからな。二人のときに思いきり叩いてくれて構わない」

 増やす増やさないが問題なのではなく、今現在、愛人が四人もいるということが問題であることをトリスタンはわかっていない。それでもユーフェミアは少し嬉しかった。自分は悪くない。間違っていないと思っていると考えていただけに嫌悪をしている部分を改善しようとしてくれているところ。

「私も美人だと言われて妻になった身ですので叩いたりしません」
「君以上の美人なんていないんだ」
「そればっかり」

 ユーフェミアの笑顔にパアッと顔を明るめたトリスタンがもう一度強く抱きしめる。背丈もあまり変わらない本当に少年のような夫に愛想を尽かそうとしているのにまだ愛しいと思ってしまう。
 シュライアが言った『四人の愛人を囲っているのをチャラにできるだけの良い所が見つかるかもしれない』という言葉がこれに当てはまるかはまだわからない。それでもユーフェミアはまだ少し考えてみようと思った。切る切らないの部分だけで判断するのではなく、もう少しちゃんと話をするべきなのかもしれないからと。

「この花はどうしたんだ? なぜこれだけ置いている?」

 ふと視界に映ったテーブルの上にあるカスミソウに首を傾げる。他の花と一緒であればこれから一輪挿しに飾るのかと思うこともできるが、部屋の中を見回しても他に彩る花はなく、あるのはカスミソウだけ。部屋の飾る花としては地味すぎるとユーフェミアを見た。

「あ……えっと……これ、は……庭師にいただいたんです。キレイに咲いたから、と……」
「ほう……」

 なぜ咄嗟に嘘をついたのかわからない。付属のカードを見せて民が贈ってくれた物だと言えばよかったのにユーフェミアはそうは言わなかった。

「陛下はこれが私の一番好きなお花だとご存知でしたか?」

 慌てて話題を好きな花に変えたのは心が落ち着かないから。騙されてほしい。そう願わずにはいられなかった。

「そうだったのか! 知らなかった! 君についてまた新たに知ることができて僕は嬉しい! じゃあたくさん植えさせよう! 新しい花壇を作ってそこをその花でいっぱいにする!」
「そこまでしていただかなくても大丈夫です!」
「そうか? 遠慮することはないのだぞ?」
「今のままで満足しています」

 眉を下げて少し不満げな顔を見せるトリスタンだが、ユーフェミアの意を汲んだように頷いて身体を離した。

「君が喜ぶことがあって何よりだ」
「陛下、休憩時間が終わります」
「むう…また会いに来る」
「はい」

 王の休憩時間は短い。十分ほどしかない時間でわざわざ部屋まで会いに来てくれるのは愛だと言える。手を振ってドアまで見送ればトリスタンは廊下の角を曲がるまで後ろ向きに歩きながら手を振り続けていた。

「おい、お前」
「へ、陛下! このような場所に陛下自ら足をお運びくださるなど光栄の──」
「お前はクビだ」
「へっ!? な、なぜですか!?」

 職務室には戻らず庭に向かったトリスタンから告げられた宣告に庭師が絶望を顔に表しながら縋りつくように目の前で膝をつく。

「僕の妻に色目を使っただろう」
「身に覚えがございません!」
「白い花を贈っただろう!」
「贈っておりません! 陛下の許可なく王妃様に直々にお渡しするなどそのような無礼な行為は決して致しません! 本当でございます!」

 背が低く丸々としている男にユーフェミアが靡くわけがない。それはわかっているが男は違う。ユーフェミアの美しさに惹かれて間違いを犯すこともあると決めつけていたが、地面に額をつけて悲鳴にも近い声で泣き縋り否定する庭師が嘘をついているとは思えなかった。

「陛下、私共は身分を弁えているつもりでございます! キレイに咲いた花をユーフェミア様に見ていただきたい場合は執事頭であるヨーナス様にお話し、来てくださったエリオット様にお伝えしてお運びいただいております。私共自らユーフェミア様をお訪ねして花をお渡しするなどそのようなことは絶対に致しません」

 庭師には庭師用の住み込みスペースがあり、毎日そこと庭の往復。城の中に入ることは許されておらず、用事がある時は使用人に声をかけて許可を得なければならない。誰が見ても彼が庭師であることは服装からわかるし、城を歩いていれば使用人が声をかけるはず。そしてそれは間違いなくトリスタンの耳に入るだろう。
 貴族達が自慢している珍しい花を届けて自分の顔を覚えてもらおうとするのならわかるが、雑草か花かわからないような物を使用人の目を盗んでまで届けるとは思えない。自分が知らなかった妻の好きな花を一介の庭師が知っているとも思えない。だとしたらこの勘違いの理由は一つしかない。

(ユーフェミアが僕に嘘をついた……?)

 眩暈さえ覚える衝撃にトリスタンは足早に部屋へと戻っていく。
 もし庭師が言っていることが本当なのだとするとユーフェミアは嘘をついたことになる。
 新しい花が届いたのだとしてもユーフェミアの両親は必ずトリスタンに挨拶をする。パレードが終わった直後に会って以来、二度目の顔合わせはしていない。だからユーフェミアの両親が持ってきた花ではない。
 屋敷にたくさんの花が飾られている。花屋に生まれた花好きのユーフェミアが喜ぶようにとトリスタンの指示で置ける場所全てに花瓶を置いていた。ユーフェミアの部屋にも当然いくつか花瓶が置いてある。でもあのカスミソウはなぜか花瓶ではなくテーブルの上に置かれていた。花ならラモーナが飾るはず。それなのにあの花はまるでそれが特別なものであるかのように一束だけそのまま置かれていた。

「ユーフェミア、なぜだ……」

 なぜ嘘をつく必要があったのかわからず、今すぐにでも問い詰めに行きたいが、聞いても答えないような気がした。ユーフェミアは従順だが時に頑固になる。自分に関することは特に。怪しんでいるとわかれば余計に隠してしまうかもしれない。
 あの花に一体どういう意味があるのか。

「エリオットとラモーナを呼べ! 今すぐにだ!」

 まずは周りからだと机を叩いて声を張り上げた。

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