愛人を切れないのなら離婚してくださいと言ったら子供のように駄々をこねられて困っています

永江寧々

文字の大きさ
上 下
7 / 60

誕生日プレゼント

しおりを挟む
 国中が前王、前王妃であるテレンスとマリアの結婚十五周年記念パレードで大盛り上がりだった翌日、自身の身に降りかかった出来事にユーフェミアは理解が追いつかないでいた。

「え……っと、どういう、こと、でしょうか?」

 またか、今度はなんだと呆れたくなるほどの悲鳴上げながら呼びに来た母親に引っ張られるがまま家の外に出ると背の低い少年が立っていた。ユーフェミアとそう変わらない背丈の幼顔の少年。しかし、この少年がどこにでもいる普通の少年ではないとすぐに理解できたのは彼を昨日見たばかりだから。

「僕はトリスタン王子だ」
「はい」

 ユーフェミアの返事にトリスタンが不思議そうに首を傾げる。その顔は「なぜ驚かないんだ?」「なぜ母のように狂喜しないんだ?」と聞きたげ。でもユーフェミアが同じように首を傾げるため貧乏だから自分を知らないのかもしれないと失礼なことを考えて咳払いのあと胸に手を置いて笑顔を見せた。

「僕はテレンス王が息子、トリスタン王子だ」
「はい。それはさっき聞きました」

 得意げな自己紹介に冷静な返事を返すユーフェミア。トリスタンはまた首を傾げた。

「もしかして、下々の人間は僕の存在を知らないのか?」

 内緒話をするように護衛に問いかけると「皆が存じ上げています」の返事に納得したように頷くもユーフェミアの表情が変わらないことに少し不満げな顔を見せる。

「僕が来て嬉しくないのか?」
「何の御用でしょうか?」
「なっ!? ぼ、僕の質問に答えないつもりか!?」
「た、大変申し訳ございません! 学のない子でございますので! 礼儀のない小娘の言葉だと寛大なお心でお許しください!」

 慌てて頭を押さえて娘に頭を下げさせる母親の手から抜けようとするも背中に腕を置かれることで阻止される。

「よいよい。お前、アレを出せ」

 母親が手を離したことで頭を上げると目の前にはいつの間にかブローチが差し出されていた。

「キレイですね?」

 トリスタンはまた首を傾げ「なんで喜ばないんだ?」と頬に書いている。

「そうだろう? タンザナイトだ」
「タンザナイト?」
「こ、この世界でもその場所でしか、たった一か所でしか採れない宝石だ! 希少価値が高いのだぞ!」
「そう、ですか」

 トリスタンはイライラしていた。ユーフェミアの反応はまるで「それがどうした」とでも言いたげで、自分が来たことも宝石をもらえることにも大きなリアクションを見せないのを無礼だと感じている。期待一つ見せない顔。
 自分はこの国の王子。それがトリスタンが唯一誇れることだというのに。

「これを君に贈る」
「……なぜでしょう?」

 やはり喜ばない。それどころか怪訝な表情さえ見せている。

「君を僕の妻にすると決めたからだ」
「……は?」

 王子直々の言葉もユーフェミアにとって喜べることではなく、思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまった。

「君は王太子妃になるんだ」
「え……」

 明らかなる戸惑いにトリスタンが頬を膨らませる。
 自分には心に決めた相手がいる。あと二年で結婚だってする。王子に求婚されたからといって両手放しで喜んで嫁ぐほどユーフェミアの気持ちは軽いものではない。
 だからユーフェミアはその場で頭を下げて断ろうとした。

「ごめんなさ──」
「お受けいたします!」

 ユーフェミアの声を掻き消すようにかぶせた母親の大声での宣言にユーフェミアは驚きに頭を上げた。

「ユーフェミア! よかったわね! 王子様と結婚できるなんて夢みたい! すごいじゃない! 王子様があなたに結婚してほしいって言ったのよ! 貴族の娘でも豪商の娘でもないあなたと結婚したいと!」
「何かの冗談よ。会ったこともないのに」
「昨日会ったじゃないか」
「え?」
「昨日、パレードで君を見た。花を持って手を振る君は天使のように美しかった。一目惚れなんて初めてだ。僕の妻に相応しい女は君しかいない。だから結婚してくれ」

 心の底から嫌だと思った。褒めてもらえたのは嬉しくとも「女」と呼ぶ時点で嫌だったし、会ってから今に至るまでの態度も嫌だった。ユーフェミアからの第一印象は〝生理的にムリな人〟でしかなく、相手が王子だろうと受け入れられない。

「お母さん、私イアンと──」
「イアンとは誰だ?」
「隣の花屋の息子です! 何の関係もありません!」

 慌てて娘の口を塞いで誤魔化す母親の力は強い。言葉なくとも伝わってくる。余計なことは言うなと。

「ユーフェミア、これはとっても名誉なことなんだよ! 王子様から求婚されるなんてすごいことなんだよ!」

 ユーフェミアには母親がこう言っているように聞こえた。

(ユーフェミア、これでリンドバーグに勝てるんだよ! 私は王太子妃の母親になれるんだよ!)と。

「お受けするだろう? ね?」

 まるで飢えた獣のような目つきにユーフェミアは何も答えない。

「ユーフェミア?」
「ッ!? イアン……」

 騒ぎを聞いて外に出てきたイアンに駆け寄ろうとしたユーフェミアの手を信じられないほど強い手で掴む母親の目は本気だった。行くのは許さない。王子との結婚を受けろと目で訴えている。

「トリスタン王子……?」
「ああ、僕がトリスタン王子だ」

 急に不安な表情に変わったイアンがユーフェミアを見る。話は聞いていなくとも何があったのかは考えずともわかるだろう。
 ユーフェミアはイアンを見つめたまま首を振り、結婚はしないと目で訴えた。

「ブローチでは足りないか? なら君の条件をのもう」
「条件なんて……」
「娘が王太子妃になった暁にはうちとの契約はあるのでしょうか!?」
「ん? 契約?」
「ご覧のとおり、うちは花屋を営んでおりまして、イベントがあればその際にうちの花を使っていただくという契約をしていただけるのでしょうか!?」
「お母さんやめて!」

 貴族御用達より王室御用達のほうが効果があるに決まっている。こんなときでさえ母親の頭の中はリンドバーグに勝つことでいっぱいだった。
 変わると約束した。実際に母親は変わった。笑顔で接客するようになったし、リンドバーグの悪口は言わないようになった。だがそれは母親が良い人間になったわけではなく、リンドバーグから客を奪うために、負けないためにそうしていただけのこと。
 勝てるチャンスがあるのなら娘だって生贄にする。二軒続いての花屋。生き残りをかけた勝負のようなもの。ここで娘が婚約を受ければリンドバーグに勝てる。でも断れば負けるどころではなく、ここに住んでいられなくなるかもしれない。母親の中でこれは娘の返事一つに賭けられた大勝負となっていた。

「ああ、もちろんかまわないぞ。契約しようじゃないか」
「で、殿下……勝手な契約は陛下がお許しにならないかと……」
「契約しないせいで僕が彼女と結婚できなくてもいいと言うのか!? お前は僕のお付きだろう! クビになりたいのか!?」

 横暴な人間は好きじゃない。イアンは優しい人間だ。怒らないし、いつだって話を聞いてくれて抱きしめてくれる。優しい笑顔と優しい声と優しい言葉。彼は愛を知る人間。
 こんな子供のような人間と夫婦になるなんて考えられない。だけど───

「約束、して……いただけますか?」
「ユーフェミア!?」

 イアンの驚いた声にユーフェミアは振り向かない。

「陛下にお叱りを受けても契約を守っていただけますか?」
「もちろんだ! 君を妻にできるなら僕は何でもするつもりだぞ! 父上にだって逆らってみせよう!」

 俯いて拳を握り、深呼吸をしてから上げた顔に笑顔こそなかったが

「──お受けします」

 結婚を受ける言葉を返した。

「ユーフェミア! ああッ、ユーフェミア! お前は良い子だよ! 本当に親孝行な子だよぉ!」

 喜びにむせび泣きながら抱きしめる母親の背中に手を添えるユーフェミアの目に映っているのはショックを受けたイアンの顔。そしてそれがどこか諦めたような顔に変わっていくのを黙って見ていた。
 イアンと結婚したかった。でもこれ以上、母親がおかしくなるのは見たくない。自分が王子と結婚すれば母親が嫉妬で荒れることはなく、父親と喧嘩することもなく、ここは続いていくはず。
 自分の人生の夢は途絶えてしまったが、今のユーフェミアにとって一番大事だったのはイアンと結婚することではなく、両親が仲良く暮らしていくことだった。
 泣きたいはずなのに涙一つ滲まないのは母親が歓喜により咽び泣いているせいか、自分で決断したことだからなのか、ユーフェミアは王族にのみ許されている十四歳での結婚に承諾し、王太子妃になることが決まった。

 三月三日、ユーフェミア十四歳の誕生日だった。

しおりを挟む
感想 126

あなたにおすすめの小説

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】愛してました、たぶん   

たろ
恋愛
「愛してる」 「わたしも貴方を愛しているわ」 ・・・・・ 「もう少し我慢してくれ。シャノンとは別れるつもりだ」 「いつまで待っていればいいの?」 二人は、人影の少ない庭園のベンチで抱き合いながら、激しいキスをしていた。 木陰から隠れて覗いていたのは男の妻であるシャノン。  抱き合っていた女性アイリスは、シャノンの幼馴染で幼少期からお互いの家を行き来するぐらい仲の良い親友だった。 夫のラウルとシャノンは、政略結婚ではあったが、穏やかに新婚生活を過ごしていたつもりだった。 そんな二人が夜会の最中に、人気の少ない庭園で抱き合っていたのだ。 大切な二人を失って邸を出て行くことにしたシャノンはみんなに支えられてなんとか頑張って生きていく予定。 「愛してる」 「わたしも貴方を愛しているわ」 ・・・・・ 「もう少し我慢してくれ。シャノンとは別れるつもりだ」 「いつまで待っていればいいの?」 二人は、人影の少ない庭園のベンチで抱き合いながら、激しいキスをしていた。 木陰から隠れて覗いていたのは男の妻であるシャノン。  抱き合っていた女性アイリスは、シャノンの幼馴染で幼少期からお互いの家を行き来するぐらい仲の良い親友だった。 夫のラウルとシャノンは、政略結婚ではあったが、穏やかに新婚生活を過ごしていたつもりだった。 そんな二人が夜会の最中に、人気の少ない庭園で抱き合っていたのだ。 大切な二人を失って邸を出て行くことにしたシャノンはみんなに支えられてなんとか頑張って生きていく予定。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~

由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。 両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。 そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。 王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。 ――彼が愛する女性を連れてくるまでは。

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

嘘をありがとう

七辻ゆゆ
恋愛
「まあ、なんて図々しいのでしょう」 おっとりとしていたはずの妻は、辛辣に言った。 「要するにあなた、貴族でいるために政略結婚はする。けれど女とは別れられない、ということですのね?」 妻は言う。女と別れなくてもいい、仕事と嘘をついて会いに行ってもいい。けれど。 「必ず私のところに帰ってきて、子どもをつくり、よい夫、よい父として振る舞いなさい。神に嘘をついたのだから、覚悟を決めて、その嘘を突き通しなさいませ」

処理中です...