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ユーフェミアの初恋
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ユーフェミアは位も何も持たない街の花屋の一人娘として生まれた。
高級な花を取り扱っていたわけではないし、特別流行っていたわけでもない。この国に生きる人たちがプレゼントのために気まぐれに立ち寄る、その程度の店だった。
「アンタが玉の輿に乗ってくれたらねぇ」
母親の口癖だった。
「私が? そんなことあるわけないじゃない」
「王子様と結婚して世代交代があってアンタがいつか王妃様になったとき、この国のイベントに使う花は全部うちの花を使うって約束してもらえれば金持ちになれるだろうにねぇ」
家は決して裕福ではなかったし、親が苦労しているのは知っていた。せめてどこかの貴族御用達の箔でも受けられれば流行好きな者達が寄ってくるのだが、そう上手くはいかない。
今日の食事を心配しなければならないほど貧乏ではなかったが、一週間後の食事の外食を約束できるほど裕福とも言えなかった。
「隣がどっかに移ってくれればいいんだけどねッ」
「またそんなこと言う。リンドバーグさんはとても良くしてくれるじゃない」
「良くだって? そんなもんアンタを息子の嫁にしようと思ってるからに決まってるだろ」
「そんなことないってば」
「あんまり仲良くするんじゃないよ。ただの花屋の息子になんか嫁がせるもんですかッ」
隣家も花屋を営んでいた。同じ日に開店してから母親はずっと隣を意識し、そして自分の店より繁盛していることを疎ましく思っていた。
外国から手に入れた新種の種を分けてくれたり食事に呼んでくれたりする親切さを母親はいつも下心があると言って断り続けた。それがユーフェミアは悲しかった。
「ユーフェミア」
「イアン」
「何かあったのか?」
「ううん、何も」
母親が悪く言う隣家の息子にユーフェミアは恋をしていた。年が同いこともあって何でも話した。好きな食べ物、将来の夢、花のこと。
「ごめんな」
二人で会っているとき、ユーフェミアは極力顔に出さないよう注意しているのだが、イアンはすぐに気付く。イアン曰く「お前は隠し事をするとき、眉が少し下がる」と言う。そんなことないと触ってみると確かにそこの筋肉が動いていた。
裏口でそっと抱き合うのを見られでもしたら母親がどんな癇癪を起すかわからないと頭ではわかっていても伸ばされる腕の中に入ってしまう。
この人の傍にいたいと思う気持ちを恋する乙女は止められなかった。
「あぁぁあぁぁああッ!」
「お母さん落ち着いて!」
「落ち着きなさい!」
三時間ほどイアンと過ごして家に帰ると母親が大声を出して荒れていた。カップを壁に投げつけ、注文書をぶちまけ、何度もテーブルを叩いて叫んでいる。
「何があったの!?」
「リンドバーグ! 何でアイツのとこばかり太客がやってくんのよ! うちだって花屋なのよ! 何が違うってのよぉおおおおッ!」
その名前から大体察することが出来た。父親の顔を見れば苦笑にもならない呆れ顔で首を振り「実はな……」と話してくれた。
リンドバーグが営む花屋はなぜか貴族に人気で、その内容がどれも「我が子の誕生日パーティーで使う」というもの。大きな会場に飾る花は花束一つ二つ分などではなく、それこそ店に置いてある花全部使っても足りないときもある。
隣にも花屋はあるのに貴族たちは興味を示すこともなく、一直線にリンドバーグの花屋に入って注文をするのだからユーフェミアの母親は悔しくてたまらなかった。
「花の品質に違いなんてないのよ! いいえ、うちの花の方が新鮮でキレイよ! 花の価値もわからない馬鹿貴族共め! ふざけんじゃないわよ!」
「口を慎みなさい! 誰が聞いているかわからないんだぞ!」
一つこぼれた話はすぐに消せば済んだはずなのに誰かがその種火を拾って他の人へ他の人へと回している間に火はどんどん大きくなり、あっという間に業火となって消化できないようになってしまう。
客商売で口を滑らせ閉店に追い込まれた人間をたった十三歳のユーフェミアでさえ何人も見てきた。
口は禍の元。母親もそれをわかっているはずなのに感情的になると大声を出して当たり散らす。
「いい気になってんじゃないわよリンドバーグ……いつか目にもの見せてやる……」
それもいつしか母親の口癖になった。
「彼は必死に営業しているんだ。お客がお客を連れてきてくれる。お前みたいに隣人の悪口を言い続けるような人間の店で誰が花を買いたいと思う!」
「店番もしないでフラフラしてるアンタに何がわかるってのよ!」
「フラフラだと!? 俺は花を仕入れに行ってるんだろ!」
「じゃあ代わってよ! 私が花を仕入れに行くからアンタが店番しなさいよ!」
「お前に仕入れを任せたら相手を怒らせて契約破棄されるに決まってる! 任せられるか!」
「だったら店番してあげてる私に偉そうに言わないでくれる!?」
「誰のおかげで飯が食えて──」
「もうやめて!」
外に筒抜けだろう怒声と共に大きくなる言い合いはユーフェミアの怒鳴り声によって止まった。
「いい加減にして……」
「ユーフェミア……」
「恥ずかしいよ! どうしてリンドバーグさんを妬むの!? リンドバーグさんのお店は珍しいお花がたくさん置いてある! だから貴族の人たちは興味を持つの! いつもニコニコしてお客さんを不快にさせないし、無茶な注文受けた時だって必死に走り回って希望を叶えてる! ディスプレイだって季節によって変えてるし、掃除も行き届いてる! お店の繁盛はその努力の証だよ!」
悲しかった。両親が本気で言い争う姿を見るのも、隣の努力を認めず文句ばかり言う母親の醜さもどっちも嫌だった。
「あ、あああアタシが妬んでるだって!? アンタそう言ったのかい!?」
「ええそうよ! お母さんはリンドバーグさんを見習うべきだわ! せっかく来てくれた大口のお客さんにも隣の悪口を言って不快にさせるし、お父さんができるって言ってることをできるわけないって決めつけて断るじゃない! 街の人は皆言ってるわ。「リンドバーグの店で買えば間違いない。隣の花屋はダメだ。リンドバーグに買い取ってもらって花の倉庫にしたほうがいい」って。そんなこと言われるようになって恥ずかしくないの!?」
信じられないと目を見開いた母親は知らなかった。街で自分の店がなんて言われているかなど気にしたこともなかったのだから。
リンドバーグの店がいいならそれはそれで認めるしかない。だが、リンドバーグの店が良すぎるからではなく、自分の店が既にダメだと言われているという情報は母親のプライドに傷をつけた。
パンッ
頬を打つ乾いた音と痛みにユーフェミアは世界が停止したように感じた。ほんの一瞬の出来事だったが、それだけユーフェミアにはショックなことだった。
「何をしてるんだ! 娘に手を上げるなんて何を考えている! お前は母親失格だ!」
泣き喚いたのはユーフェミアではなく母親のほうだった。床に崩れ落ちて泣きながら何度も何度もユーフェミアに謝罪を繰り返し、後悔を伝え続けていた。
父親は許さなくていいと言っていたが、ユーフェミアはカッとなっただけだと首を振り、自分があんなことを言ったから悪いんだと反省した。
誰だって聞きたくないことや言われたくないことはある。それをカッとなって言った自分も悪いのだと。
「そうか…。そんなことがあったのか」
怒鳴り声を聞いて心配していたイアンに事の顛末を告げると苦笑を滲ませる。
「うちが花屋じゃなかったら仲良くやれたのかもな」
「うちがパン屋さんなら良かったのに」
「ユーフェミアはパンが好きだもんな」
「うん! 焼きたてほかほかの美味しいパンを買って、そのついでにキレイなお花を買うの」
「うちはついでかよ」
「でもお花もちゃんと買うもの。焼きたてのパンとキレイなお花をセットで愛しい人に持っていくなんて素敵じゃない? 公園のベンチで二人一緒ランチをしながら花を愛でる。ロマンチックだわ」
花屋同士でなければきっと妬みも生まれなかったはず。理想を語り合ったところで現実は変わらないが、心は救われる。
父親はこれ以上ひどくなる前に店を畳むべきではないかと言った。それを聞いて変わると懇願する妻にすぐに信じることはできないと首を振る父親の意思はユーフェミアに手を上げたのを見た時点で固く決まってしまったのだろう。
それでも変わる猶予が欲しいと頭を下げる母親に時間をあげようと話し合って三ヶ月を期限とすることにし、もし変わらなければそのときは店を畳む約束をした。
「俺さ、十六歳になったら結婚したいんだ」
「そうなの?」
優しく髪を撫でてくれるイアンの突然の言葉に昼食のサンドイッチを頬張りながら世間話のように聞くユーフェミアにイアンが苦笑する。
アステリア王国では十六歳を成人とし、結婚が認められている。学校へ行って役に立たない知識を得るより働いて社会貢献するほうが意味のある人生になる、というのが当時のアステリア王国の方針だった。
「ユーフェミアと、ってつもりで言ったんだけどな」
「ええッ!?」
ハッキリ告げられて顔を真っ赤にするユーフェミア。
好きな男と結婚して一緒になりたいという想いはユーフェミアにもあった。純白のドレスに身を包んで教会で彼と結婚式を挙げる。指輪を交換してキスをする。そんな夢を幾度となく想像していた。だが実際こうして告白されると緊張と驚きで「嬉しい」と喜ぶ反応ができず、戸惑いが浮かぶ。
「まだプロポーズじゃないからこっちを渡しとく」
「カスミソウ?」
目の前に差し出された白いカスミソウの花束。片手サイズの小さな物で、なぜカスミソウなのだろうと首を傾げる。花屋の息子がバラでもユリでもなくカスミソウを選んだ理由はなんだと顔を上げると優しい笑みがそこにあった。
「ユーフェミアって感じだからだよ」
「地味ってこと?」
「そうじゃない。カスミソウの花言葉は?」
「えっと……感謝、幸福、清らかな心、無邪気、親切?」
どれも自分には当てはまらないような気がすると眉を寄せるユーフェミアの手をイアンが握る。
「清らかな心、無邪気、親切。どれもユーフェミアそのものだよ」
「私そんな人間じゃない」
「俺はそう思ってる。カスミソウを見る度にユーフェミアを思い出す。俺の一番好きな花だ」
カスミソウは地味だ。白のカスミソウは特に。主役になることはなくて、いつも他の花の引き立て役として入れられる。小さくて雑草と変わらないように見えるのにイアンはそれを一番好きだと言ってくれた。地味なことに変わりはないのにそれだけでユーフェミアにとってカスミソウは特別な花になった。
「お前が好きだ、ユーフェミア」
涙が出るほど嬉しかった。ボロボロと溢れだす涙を指で拭ってくれるイアンの胸に飛び込んで何度も頷いたのはもうすぐ十四歳の誕生日を迎える雪解けが近い、よく晴れた日のことだった。
高級な花を取り扱っていたわけではないし、特別流行っていたわけでもない。この国に生きる人たちがプレゼントのために気まぐれに立ち寄る、その程度の店だった。
「アンタが玉の輿に乗ってくれたらねぇ」
母親の口癖だった。
「私が? そんなことあるわけないじゃない」
「王子様と結婚して世代交代があってアンタがいつか王妃様になったとき、この国のイベントに使う花は全部うちの花を使うって約束してもらえれば金持ちになれるだろうにねぇ」
家は決して裕福ではなかったし、親が苦労しているのは知っていた。せめてどこかの貴族御用達の箔でも受けられれば流行好きな者達が寄ってくるのだが、そう上手くはいかない。
今日の食事を心配しなければならないほど貧乏ではなかったが、一週間後の食事の外食を約束できるほど裕福とも言えなかった。
「隣がどっかに移ってくれればいいんだけどねッ」
「またそんなこと言う。リンドバーグさんはとても良くしてくれるじゃない」
「良くだって? そんなもんアンタを息子の嫁にしようと思ってるからに決まってるだろ」
「そんなことないってば」
「あんまり仲良くするんじゃないよ。ただの花屋の息子になんか嫁がせるもんですかッ」
隣家も花屋を営んでいた。同じ日に開店してから母親はずっと隣を意識し、そして自分の店より繁盛していることを疎ましく思っていた。
外国から手に入れた新種の種を分けてくれたり食事に呼んでくれたりする親切さを母親はいつも下心があると言って断り続けた。それがユーフェミアは悲しかった。
「ユーフェミア」
「イアン」
「何かあったのか?」
「ううん、何も」
母親が悪く言う隣家の息子にユーフェミアは恋をしていた。年が同いこともあって何でも話した。好きな食べ物、将来の夢、花のこと。
「ごめんな」
二人で会っているとき、ユーフェミアは極力顔に出さないよう注意しているのだが、イアンはすぐに気付く。イアン曰く「お前は隠し事をするとき、眉が少し下がる」と言う。そんなことないと触ってみると確かにそこの筋肉が動いていた。
裏口でそっと抱き合うのを見られでもしたら母親がどんな癇癪を起すかわからないと頭ではわかっていても伸ばされる腕の中に入ってしまう。
この人の傍にいたいと思う気持ちを恋する乙女は止められなかった。
「あぁぁあぁぁああッ!」
「お母さん落ち着いて!」
「落ち着きなさい!」
三時間ほどイアンと過ごして家に帰ると母親が大声を出して荒れていた。カップを壁に投げつけ、注文書をぶちまけ、何度もテーブルを叩いて叫んでいる。
「何があったの!?」
「リンドバーグ! 何でアイツのとこばかり太客がやってくんのよ! うちだって花屋なのよ! 何が違うってのよぉおおおおッ!」
その名前から大体察することが出来た。父親の顔を見れば苦笑にもならない呆れ顔で首を振り「実はな……」と話してくれた。
リンドバーグが営む花屋はなぜか貴族に人気で、その内容がどれも「我が子の誕生日パーティーで使う」というもの。大きな会場に飾る花は花束一つ二つ分などではなく、それこそ店に置いてある花全部使っても足りないときもある。
隣にも花屋はあるのに貴族たちは興味を示すこともなく、一直線にリンドバーグの花屋に入って注文をするのだからユーフェミアの母親は悔しくてたまらなかった。
「花の品質に違いなんてないのよ! いいえ、うちの花の方が新鮮でキレイよ! 花の価値もわからない馬鹿貴族共め! ふざけんじゃないわよ!」
「口を慎みなさい! 誰が聞いているかわからないんだぞ!」
一つこぼれた話はすぐに消せば済んだはずなのに誰かがその種火を拾って他の人へ他の人へと回している間に火はどんどん大きくなり、あっという間に業火となって消化できないようになってしまう。
客商売で口を滑らせ閉店に追い込まれた人間をたった十三歳のユーフェミアでさえ何人も見てきた。
口は禍の元。母親もそれをわかっているはずなのに感情的になると大声を出して当たり散らす。
「いい気になってんじゃないわよリンドバーグ……いつか目にもの見せてやる……」
それもいつしか母親の口癖になった。
「彼は必死に営業しているんだ。お客がお客を連れてきてくれる。お前みたいに隣人の悪口を言い続けるような人間の店で誰が花を買いたいと思う!」
「店番もしないでフラフラしてるアンタに何がわかるってのよ!」
「フラフラだと!? 俺は花を仕入れに行ってるんだろ!」
「じゃあ代わってよ! 私が花を仕入れに行くからアンタが店番しなさいよ!」
「お前に仕入れを任せたら相手を怒らせて契約破棄されるに決まってる! 任せられるか!」
「だったら店番してあげてる私に偉そうに言わないでくれる!?」
「誰のおかげで飯が食えて──」
「もうやめて!」
外に筒抜けだろう怒声と共に大きくなる言い合いはユーフェミアの怒鳴り声によって止まった。
「いい加減にして……」
「ユーフェミア……」
「恥ずかしいよ! どうしてリンドバーグさんを妬むの!? リンドバーグさんのお店は珍しいお花がたくさん置いてある! だから貴族の人たちは興味を持つの! いつもニコニコしてお客さんを不快にさせないし、無茶な注文受けた時だって必死に走り回って希望を叶えてる! ディスプレイだって季節によって変えてるし、掃除も行き届いてる! お店の繁盛はその努力の証だよ!」
悲しかった。両親が本気で言い争う姿を見るのも、隣の努力を認めず文句ばかり言う母親の醜さもどっちも嫌だった。
「あ、あああアタシが妬んでるだって!? アンタそう言ったのかい!?」
「ええそうよ! お母さんはリンドバーグさんを見習うべきだわ! せっかく来てくれた大口のお客さんにも隣の悪口を言って不快にさせるし、お父さんができるって言ってることをできるわけないって決めつけて断るじゃない! 街の人は皆言ってるわ。「リンドバーグの店で買えば間違いない。隣の花屋はダメだ。リンドバーグに買い取ってもらって花の倉庫にしたほうがいい」って。そんなこと言われるようになって恥ずかしくないの!?」
信じられないと目を見開いた母親は知らなかった。街で自分の店がなんて言われているかなど気にしたこともなかったのだから。
リンドバーグの店がいいならそれはそれで認めるしかない。だが、リンドバーグの店が良すぎるからではなく、自分の店が既にダメだと言われているという情報は母親のプライドに傷をつけた。
パンッ
頬を打つ乾いた音と痛みにユーフェミアは世界が停止したように感じた。ほんの一瞬の出来事だったが、それだけユーフェミアにはショックなことだった。
「何をしてるんだ! 娘に手を上げるなんて何を考えている! お前は母親失格だ!」
泣き喚いたのはユーフェミアではなく母親のほうだった。床に崩れ落ちて泣きながら何度も何度もユーフェミアに謝罪を繰り返し、後悔を伝え続けていた。
父親は許さなくていいと言っていたが、ユーフェミアはカッとなっただけだと首を振り、自分があんなことを言ったから悪いんだと反省した。
誰だって聞きたくないことや言われたくないことはある。それをカッとなって言った自分も悪いのだと。
「そうか…。そんなことがあったのか」
怒鳴り声を聞いて心配していたイアンに事の顛末を告げると苦笑を滲ませる。
「うちが花屋じゃなかったら仲良くやれたのかもな」
「うちがパン屋さんなら良かったのに」
「ユーフェミアはパンが好きだもんな」
「うん! 焼きたてほかほかの美味しいパンを買って、そのついでにキレイなお花を買うの」
「うちはついでかよ」
「でもお花もちゃんと買うもの。焼きたてのパンとキレイなお花をセットで愛しい人に持っていくなんて素敵じゃない? 公園のベンチで二人一緒ランチをしながら花を愛でる。ロマンチックだわ」
花屋同士でなければきっと妬みも生まれなかったはず。理想を語り合ったところで現実は変わらないが、心は救われる。
父親はこれ以上ひどくなる前に店を畳むべきではないかと言った。それを聞いて変わると懇願する妻にすぐに信じることはできないと首を振る父親の意思はユーフェミアに手を上げたのを見た時点で固く決まってしまったのだろう。
それでも変わる猶予が欲しいと頭を下げる母親に時間をあげようと話し合って三ヶ月を期限とすることにし、もし変わらなければそのときは店を畳む約束をした。
「俺さ、十六歳になったら結婚したいんだ」
「そうなの?」
優しく髪を撫でてくれるイアンの突然の言葉に昼食のサンドイッチを頬張りながら世間話のように聞くユーフェミアにイアンが苦笑する。
アステリア王国では十六歳を成人とし、結婚が認められている。学校へ行って役に立たない知識を得るより働いて社会貢献するほうが意味のある人生になる、というのが当時のアステリア王国の方針だった。
「ユーフェミアと、ってつもりで言ったんだけどな」
「ええッ!?」
ハッキリ告げられて顔を真っ赤にするユーフェミア。
好きな男と結婚して一緒になりたいという想いはユーフェミアにもあった。純白のドレスに身を包んで教会で彼と結婚式を挙げる。指輪を交換してキスをする。そんな夢を幾度となく想像していた。だが実際こうして告白されると緊張と驚きで「嬉しい」と喜ぶ反応ができず、戸惑いが浮かぶ。
「まだプロポーズじゃないからこっちを渡しとく」
「カスミソウ?」
目の前に差し出された白いカスミソウの花束。片手サイズの小さな物で、なぜカスミソウなのだろうと首を傾げる。花屋の息子がバラでもユリでもなくカスミソウを選んだ理由はなんだと顔を上げると優しい笑みがそこにあった。
「ユーフェミアって感じだからだよ」
「地味ってこと?」
「そうじゃない。カスミソウの花言葉は?」
「えっと……感謝、幸福、清らかな心、無邪気、親切?」
どれも自分には当てはまらないような気がすると眉を寄せるユーフェミアの手をイアンが握る。
「清らかな心、無邪気、親切。どれもユーフェミアそのものだよ」
「私そんな人間じゃない」
「俺はそう思ってる。カスミソウを見る度にユーフェミアを思い出す。俺の一番好きな花だ」
カスミソウは地味だ。白のカスミソウは特に。主役になることはなくて、いつも他の花の引き立て役として入れられる。小さくて雑草と変わらないように見えるのにイアンはそれを一番好きだと言ってくれた。地味なことに変わりはないのにそれだけでユーフェミアにとってカスミソウは特別な花になった。
「お前が好きだ、ユーフェミア」
涙が出るほど嬉しかった。ボロボロと溢れだす涙を指で拭ってくれるイアンの胸に飛び込んで何度も頷いたのはもうすぐ十四歳の誕生日を迎える雪解けが近い、よく晴れた日のことだった。
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