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結婚二十周年
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春の花々が美しく咲き誇る中、普段は外に出て誰かを待ったりしない者達さえも今日は花を片手に今か今かとその瞬間を歩道に立って待っている。国中の人間がそうして集まっているのは毎年この日だけ。
「とてもお美しいですわ、王妃様」
トリスタンとユーフェミア、二人のニ十回目の結婚記念日だ。
「ありがとう」
白いドレスに身を包むのはトリスタンの希望。
『結婚記念日なのだからドレスは白だ。色は民達がくれる花がある』
ドレスもデザイナーと打ち合わせするのはユーフェミアではなくトリスタン。何百枚と描かせたデザインを『アリ』『ナシ』を一秒で決める。左右に分ける合否。その素早さと判断力に感心したものの、それよりもそれだけ描いたデザインをじっくりと見ることなく本当に見たのかと疑いたくなるほど一瞬で『ナシ』と言われてしまうデザイナーに同情する。そして『アリ』の中から数枚を最終候補を残すのだが、問題はそこから。三日でサンプルを持って来いと言い、そこから怒涛の手直しが入り続ける。
日に日に痩せ、クマを濃くしていくデザイナーはある日、虚空を見つめながら笑っていた。
それがもう二十年も続いている。今年の彼で三代目。初代と二代目はこの時期になると体調を崩すようになって三代目に変更した。そして今日、三代目が倒れた。安堵からか、それとも疲労による気絶か。どちらにせよ来年のデザイナーは彼ではないかもしれない。そう思わせるほど悲惨な状態になっていた。
そうして出来上がったドレスは彼らの血の滲む努力あって毎年最高を更新する。今年のドレスもとても美しい出来栄えだ。
「ああッ! ああッ! やはり美しいッ! よく似合っている! ユーフェミア、君は世界で一番美しいが、今日は世界なんて狭い言葉では足りないほど美しい!」
「明日になれば特別な美しさはなくなりますので目に焼き付けておいてください」
「いつも通りの美しさに戻るだけだ。毎日特別な美しさでいられては僕の心臓がもたない」
愛人にも同じことを言っているのではないかと考えてしまう頭を振り、特別な日にまで考えることではないと気を取り直して手の甲へのキスを受ける。
「民達が首を長くして待っているぞ」
「そうですね」
国全体が賑やかなのは城の中にいてもわかる。いつもなら聞こえない声が音となってここまで聞こえてくるのだ。
「民の祝福を受ける準備は?」
「できています」
「よし、行こう」
差し出された手を取って廊下に敷かれた赤い絨毯の上を歩いた先にある数段の階段を上がった先にある二つの玉座。
トリスタンが先に通り、そのあとをユーフェミアが通ると音だった声は明確に声となって二人の耳に届いた。人々の活気を、喜びを感じられる大きな歓声が全て自分達の名前と祝福の声だと思うと自然と笑顔になる。
顔の横に上げた手を振り続けながら王宮の広場に集まる国民達の笑顔を目に焼きつけながら自分がいかに幸せな立場にあるかを噛みしめていた。
毎年同じ光景を見て、同じ感想を抱く。それでもいつも感動する。愛人を切らない程度でこの幸せさえも手放そうとしていた自分が愚かに思えるほどに。
「トリスタン王万歳! ユーフェミア王妃万歳!」
「おめでとうございます!」
国民達の祝福に二人は顔を見合わせて笑い、トリスタンが肩を抱けばそれに合わせてユーフェミアがトリスタンに頭を寄せる。それだけで国民達の声は一際大きくなっていく。
十四歳で結婚したときは不安でたまらなかった。王太子妃になる間もなく王妃となり、右も左もわからないまま責任だけが重くのしかかってきた。王妃として何をすればいいのか、いきなり突きつけられた問題に毎日隠れて泣いていた日々は今となっては懐かしい思い出。
一般常識ではない王族のルール。礼儀作法だけではなく、食べる食べないさえもマナーがあることを知ったときの衝撃は今も覚えている。食べないことがなぜ礼儀になるのか講師に何度も訪ねては呆れられた。貴族ではない、ただの花屋の娘だと見下されていたのを感じながらの授業は辛く、何度逃げだしたくなったかわからない。
それでも逃げ出さずにいられたのはトリスタンが王妃となった自分よりも何倍、何十倍もの努力を強いられていたから。城に響き渡るほどの家庭教師の怒声にトリスタンの泣き声。どこかで虐待でもされているのではないかと心配になるほどだったが、鼻水と涙でグチャグチャになった顔でハグをしに来る彼が『僕は王だからやれる。偉大な前王よりももっともっと偉大な王になるのだから平気だ』と言うものだから自分も頑張ろうと思えた。泣きじゃくっても、怒鳴り散らしても責任を放棄しないこの若き王を支えようと決めた。
あれから二十年が経った今、こうして王として立派にやっている彼の隣に立てていることをユーフェミアは幸せだと感じている。
「今年もこうして僕たちの記念日に皆の祝福を得られたこと、心から嬉しく思う。国あっての民ではなく、民あっての国だ。そなたらがいなければこの国はないも同然。これからも僕たちはそなたらのために尽力することを誓おう。今年も素晴らしい一年であることを祈っている。そなたらに幸あれ!」
拡声器を使って大声を張りながら片手を上げると国民の湧き上がる声が響き渡る。
夫が王として国民から愛されていることが嬉しい。それは彼が前国王よりも良い王になろうと続けてきた努力が認められているということ。苦しい時期を逃げ出さずに必死に政治と国民に向き合った二十年が今なのだ。
「ユーフェミア、君も手を振ってやってくれ」
「はい」
差し出された手を掴んでもう一度立ち上がり、広場を埋め尽くす国民達に手を振れば湧き上がる声は一際大きくなって鼓膜を震わせる。
それからまた少し王のスピーチが続き、それが終わったらようやくパレードに出るのだが、その際、またドレスを着替える。ユーフェミアはこれがムダに思えて仕方なかった。
スピーチの際、自分が着ていたドレスは国民達にどれほど見えていただろう。下半身はもちろんのこと、上半身もさほど見えていなかったのではないだろうか。それなら着ていたドレスでそのまま馬車に乗り込んで皆に見てもらった方がいいのではないかと思っているのだが、トリスタンの考えは違う。
「民のためにドレスを作ったのではない。君のために作ったんだ」
国庫の無駄遣いだと言ってもトリスタンは聞かない。赤字にはなっていないのだからいいじゃないかと言われるとユーフェミアは何も言い返せなくなる。言っても無駄だとわかってもいるのだ。
あの短時間のために作られたドレスに何の意味があるのだろうと少し悲しくなる。
ドレスは女を飾り立てるもので、飾り立てても誰に見てもらえないのならそこに価値は生まれない。それがどんなに高級な生地で作られたドレスでも見てもらえなければ意味がないのにトリスタンにはそれがわからない。
「そのドレスも取っておいて」
「はい、王妃様」
一時間のために作られたドレスに別れを告げて新しいドレスでホールへ向かうと祭りに行く子供のように嬉しそうな顔を見せるトリスタンが待っていた。
「そのドレスもよく似合っている」
「ありがとうございます」
「さっきのドレスも良かったが、これもいいな。君は何を着ても美しい。神の祝福を受けた者はこんなにも美しく光輝くものなのだな」
「褒めすぎですよ」
「事実を言っているだけだ。君は僕の、この国の、民たちの誇りであり聖母であり女神であり天使であり愛そのものなんだ」
褒められすぎると嘘くさく感じると思いながらも微笑むだけにして差し出された腕に手を乗せればドアが開いたのを合図に歩きだす。
ドアの向こうには雲一つない青空と赤い絨毯。その横で花道を作るように一列に並ぶ音楽隊が奏でる。その活気ある音楽に目を細めながら歩く先には見慣れた馬車。パレードのためだけに作られた二人が立てる仕様になったこの絢爛豪華な馬車に一体いくらかかったのかと気にしても仕方がないことが気になってしまう。
「ユーフェミア」
先に王が乗り、手を差し出される。それを素直に握って階段を上がると引き寄せられ密着する形となった。
「トリスタン王!」
「ユーフェミア王妃様!」
城に居たときよりもずっと大きく聞こえる祝福の声と国民の笑顔を間近で見られるこの瞬間がユーフェミアは好きだった。
手を伸ばせば触れ合える距離にいるパレードは一年に一度の楽しみでもある。それが今年は少し違った心境で迎えることになったことが少し残念ではあった。
「おうひさま!」
大きな声を出す幼い少女が片手に握りしめた一輪の花を差し出してくれる。パレード中は事故がないようにと馬車に近付くのは禁止されているが、こうして護衛達の間を通り抜けて出てくる子供が毎年何人かいる。もはや恒例となっている子供と大人の追いかけっこは見世物として行われているのではないかと思うほどで、ユーフェミアは馬車を停めて手を伸ばした。
「キレイなお花をありがとう」
「おうひさま、とってもきれい! おはなみたい!」
「ありがとう。あなたもとてもきれいよ」
太陽のように明るく眩しい笑顔を見せる子供から花を受け取ると匂いを胸いっぱいに嗅ぎ、そのふわりとした匂いに頬笑むユーフェミアをキラキラした目で見つめる少女の無垢な心の美しさを羨ましいと思った。
「可愛いな」
「ええ、とても」
嬉しそうに笑って母親のもとへ駆け戻り抱きついた少女を見つめて手を振れば少女の両親は何度も頭を下げる。幸せそうな家族を目に焼き付けながら再び走り出した馬車に少し身体を揺らす。
子供は可愛い。子供が好きだ。でもユーフェミアはまだ母になれていない。この国の母ではあるが、我が子はいない。
「僕たちの子供も可愛いだろうな」
「そうですね」
パレードが終わった日の夜はいつも二人は子供が来てくれることを祈りながら肌を合わせる。大切な記念日だから、一年に一度だけ欲張らせてほしいと神に祈り続けていた。それでも神は叶えてくれない。二十年祈り続けて、願い続けても来ない子供が今更自分たちの間に来てくれるのかと互いに不安はあるが、どちらも一度も希望を捨てるような言葉は口にしなかった。言ってしまえばそれが現実になってしまいそうだったから。
どうか来てほしい。二十年経った今もそれだけを願い続けている。
「今年もこうして君の美しさを見られて嬉しい。君が隣にいてくれることが本当に嬉しいのだ」
離婚を突きつけられている男の言葉とは思えないが、本心だと伝わってくるだけにユーフェミアは笑顔以外返せなかった。国民達に不安を与えないよう苦笑は滲ませず笑顔を保つだけ。
自由はいつでも選べる。いつか自分もシュライアのように自由を選択する日が来るのだろうか。明日か、一年後か、それとも十年後か。あの言葉を支えに生きる自分がいつどこでどう選択するのか想像もつかない。
彼が隣にいない生活。この祝福を受ける側ではなく送る側になる生活。きっと容易く受け入れられるものではない。選択は一つしかないだろうに、それでも一人で頭の中を掻き乱している自分が愚かに思えて仕方なかった。
「ユーフェミア、さっきの娘を見たか? 美人だった。彼女はきっと素晴らしい女性に成長するだろうな」
そういうところだと指摘したくなるのを堪えて顔を向ける。
「陛下、一人ではなく祝ってくれている国民全員を見てください」
「もちろん見ているとも」
「彼女も国民だとお思いでしょうけど」
「君は何でもお見通しだな。でも、やはりこれから芽吹き、花を咲かせる若い蕾の美しさは目に留まりやすい。無垢な笑顔で無邪気に駆け回る子供たちもな」
自分たちに子供がいたら彼は愛人を囲わなかっただろうか。子供がいれば、なんて簡単に考える自分が惨めになる。王妃として後継者を残せない自分が多くを望む資格はないのに。
「ぇ……」
次々に放り込まれる花で馬車がいっぱいになるのを見るのは嬉しい。祝福を込めて投げてくれる想いを受け止め、一人一人全員と目を合わせることはできなくとも極力目を見るようにしていた。笑顔を、輝きを、力をくれる国民達に向き合いたかったから。
ただそれだけだったのに、見つけてしまった。
きっと義務として手を振り続け、流れる景色としてこの光景を見つめ、ただパレードが終わるのを待っていただけならきっと気付かなかっただろう。
「ユーフェミア、どうした?」
「え? あ、いいえ。二十年経ってもこうして祝福してもらえる喜びを噛みしめていました」
「来年も再来年もこうして祝福してもらえるさ。十年後の三十周年記念もな」
笑顔を見せるトリスタンに笑顔のまま口を閉じていると笑顔は変わらなかったが少し寂しそうにしたのがわかった。こうして明るく振る舞っている彼も離婚を言い渡されたことはちゃんと残っていて、それを気にもかけている。来年、再来年どころか明日いるかもわからない。ユーフェミアが頑固なのは誰よりもトリスタンが知っている。彼女の親よりも長い時間を共にしているのだから十年後の三十周年など約束にもならない。
それでも彼は何度だって口にする。それが現実となるよう祈りを込めながら。
(愛人を切ってくれれば二つ返事で返すのに)
変えようとするのはおこがましいのだろうか。自分だけと望むのは浅ましいのだろうか。
パレードが終わるまではと考え、パレードの日が来てしまった。今日が終わったら自分はどういう結論を出すのだろう。いや、今日の夜、ベッドに腰掛けながら自分が言い放つ言葉を想像する。
自分のことは自分が一番わかっている。ユーフェミアはそんな言葉も出てこないほど意思が揺らいでいた。
「とてもお美しいですわ、王妃様」
トリスタンとユーフェミア、二人のニ十回目の結婚記念日だ。
「ありがとう」
白いドレスに身を包むのはトリスタンの希望。
『結婚記念日なのだからドレスは白だ。色は民達がくれる花がある』
ドレスもデザイナーと打ち合わせするのはユーフェミアではなくトリスタン。何百枚と描かせたデザインを『アリ』『ナシ』を一秒で決める。左右に分ける合否。その素早さと判断力に感心したものの、それよりもそれだけ描いたデザインをじっくりと見ることなく本当に見たのかと疑いたくなるほど一瞬で『ナシ』と言われてしまうデザイナーに同情する。そして『アリ』の中から数枚を最終候補を残すのだが、問題はそこから。三日でサンプルを持って来いと言い、そこから怒涛の手直しが入り続ける。
日に日に痩せ、クマを濃くしていくデザイナーはある日、虚空を見つめながら笑っていた。
それがもう二十年も続いている。今年の彼で三代目。初代と二代目はこの時期になると体調を崩すようになって三代目に変更した。そして今日、三代目が倒れた。安堵からか、それとも疲労による気絶か。どちらにせよ来年のデザイナーは彼ではないかもしれない。そう思わせるほど悲惨な状態になっていた。
そうして出来上がったドレスは彼らの血の滲む努力あって毎年最高を更新する。今年のドレスもとても美しい出来栄えだ。
「ああッ! ああッ! やはり美しいッ! よく似合っている! ユーフェミア、君は世界で一番美しいが、今日は世界なんて狭い言葉では足りないほど美しい!」
「明日になれば特別な美しさはなくなりますので目に焼き付けておいてください」
「いつも通りの美しさに戻るだけだ。毎日特別な美しさでいられては僕の心臓がもたない」
愛人にも同じことを言っているのではないかと考えてしまう頭を振り、特別な日にまで考えることではないと気を取り直して手の甲へのキスを受ける。
「民達が首を長くして待っているぞ」
「そうですね」
国全体が賑やかなのは城の中にいてもわかる。いつもなら聞こえない声が音となってここまで聞こえてくるのだ。
「民の祝福を受ける準備は?」
「できています」
「よし、行こう」
差し出された手を取って廊下に敷かれた赤い絨毯の上を歩いた先にある数段の階段を上がった先にある二つの玉座。
トリスタンが先に通り、そのあとをユーフェミアが通ると音だった声は明確に声となって二人の耳に届いた。人々の活気を、喜びを感じられる大きな歓声が全て自分達の名前と祝福の声だと思うと自然と笑顔になる。
顔の横に上げた手を振り続けながら王宮の広場に集まる国民達の笑顔を目に焼きつけながら自分がいかに幸せな立場にあるかを噛みしめていた。
毎年同じ光景を見て、同じ感想を抱く。それでもいつも感動する。愛人を切らない程度でこの幸せさえも手放そうとしていた自分が愚かに思えるほどに。
「トリスタン王万歳! ユーフェミア王妃万歳!」
「おめでとうございます!」
国民達の祝福に二人は顔を見合わせて笑い、トリスタンが肩を抱けばそれに合わせてユーフェミアがトリスタンに頭を寄せる。それだけで国民達の声は一際大きくなっていく。
十四歳で結婚したときは不安でたまらなかった。王太子妃になる間もなく王妃となり、右も左もわからないまま責任だけが重くのしかかってきた。王妃として何をすればいいのか、いきなり突きつけられた問題に毎日隠れて泣いていた日々は今となっては懐かしい思い出。
一般常識ではない王族のルール。礼儀作法だけではなく、食べる食べないさえもマナーがあることを知ったときの衝撃は今も覚えている。食べないことがなぜ礼儀になるのか講師に何度も訪ねては呆れられた。貴族ではない、ただの花屋の娘だと見下されていたのを感じながらの授業は辛く、何度逃げだしたくなったかわからない。
それでも逃げ出さずにいられたのはトリスタンが王妃となった自分よりも何倍、何十倍もの努力を強いられていたから。城に響き渡るほどの家庭教師の怒声にトリスタンの泣き声。どこかで虐待でもされているのではないかと心配になるほどだったが、鼻水と涙でグチャグチャになった顔でハグをしに来る彼が『僕は王だからやれる。偉大な前王よりももっともっと偉大な王になるのだから平気だ』と言うものだから自分も頑張ろうと思えた。泣きじゃくっても、怒鳴り散らしても責任を放棄しないこの若き王を支えようと決めた。
あれから二十年が経った今、こうして王として立派にやっている彼の隣に立てていることをユーフェミアは幸せだと感じている。
「今年もこうして僕たちの記念日に皆の祝福を得られたこと、心から嬉しく思う。国あっての民ではなく、民あっての国だ。そなたらがいなければこの国はないも同然。これからも僕たちはそなたらのために尽力することを誓おう。今年も素晴らしい一年であることを祈っている。そなたらに幸あれ!」
拡声器を使って大声を張りながら片手を上げると国民の湧き上がる声が響き渡る。
夫が王として国民から愛されていることが嬉しい。それは彼が前国王よりも良い王になろうと続けてきた努力が認められているということ。苦しい時期を逃げ出さずに必死に政治と国民に向き合った二十年が今なのだ。
「ユーフェミア、君も手を振ってやってくれ」
「はい」
差し出された手を掴んでもう一度立ち上がり、広場を埋め尽くす国民達に手を振れば湧き上がる声は一際大きくなって鼓膜を震わせる。
それからまた少し王のスピーチが続き、それが終わったらようやくパレードに出るのだが、その際、またドレスを着替える。ユーフェミアはこれがムダに思えて仕方なかった。
スピーチの際、自分が着ていたドレスは国民達にどれほど見えていただろう。下半身はもちろんのこと、上半身もさほど見えていなかったのではないだろうか。それなら着ていたドレスでそのまま馬車に乗り込んで皆に見てもらった方がいいのではないかと思っているのだが、トリスタンの考えは違う。
「民のためにドレスを作ったのではない。君のために作ったんだ」
国庫の無駄遣いだと言ってもトリスタンは聞かない。赤字にはなっていないのだからいいじゃないかと言われるとユーフェミアは何も言い返せなくなる。言っても無駄だとわかってもいるのだ。
あの短時間のために作られたドレスに何の意味があるのだろうと少し悲しくなる。
ドレスは女を飾り立てるもので、飾り立てても誰に見てもらえないのならそこに価値は生まれない。それがどんなに高級な生地で作られたドレスでも見てもらえなければ意味がないのにトリスタンにはそれがわからない。
「そのドレスも取っておいて」
「はい、王妃様」
一時間のために作られたドレスに別れを告げて新しいドレスでホールへ向かうと祭りに行く子供のように嬉しそうな顔を見せるトリスタンが待っていた。
「そのドレスもよく似合っている」
「ありがとうございます」
「さっきのドレスも良かったが、これもいいな。君は何を着ても美しい。神の祝福を受けた者はこんなにも美しく光輝くものなのだな」
「褒めすぎですよ」
「事実を言っているだけだ。君は僕の、この国の、民たちの誇りであり聖母であり女神であり天使であり愛そのものなんだ」
褒められすぎると嘘くさく感じると思いながらも微笑むだけにして差し出された腕に手を乗せればドアが開いたのを合図に歩きだす。
ドアの向こうには雲一つない青空と赤い絨毯。その横で花道を作るように一列に並ぶ音楽隊が奏でる。その活気ある音楽に目を細めながら歩く先には見慣れた馬車。パレードのためだけに作られた二人が立てる仕様になったこの絢爛豪華な馬車に一体いくらかかったのかと気にしても仕方がないことが気になってしまう。
「ユーフェミア」
先に王が乗り、手を差し出される。それを素直に握って階段を上がると引き寄せられ密着する形となった。
「トリスタン王!」
「ユーフェミア王妃様!」
城に居たときよりもずっと大きく聞こえる祝福の声と国民の笑顔を間近で見られるこの瞬間がユーフェミアは好きだった。
手を伸ばせば触れ合える距離にいるパレードは一年に一度の楽しみでもある。それが今年は少し違った心境で迎えることになったことが少し残念ではあった。
「おうひさま!」
大きな声を出す幼い少女が片手に握りしめた一輪の花を差し出してくれる。パレード中は事故がないようにと馬車に近付くのは禁止されているが、こうして護衛達の間を通り抜けて出てくる子供が毎年何人かいる。もはや恒例となっている子供と大人の追いかけっこは見世物として行われているのではないかと思うほどで、ユーフェミアは馬車を停めて手を伸ばした。
「キレイなお花をありがとう」
「おうひさま、とってもきれい! おはなみたい!」
「ありがとう。あなたもとてもきれいよ」
太陽のように明るく眩しい笑顔を見せる子供から花を受け取ると匂いを胸いっぱいに嗅ぎ、そのふわりとした匂いに頬笑むユーフェミアをキラキラした目で見つめる少女の無垢な心の美しさを羨ましいと思った。
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「ええ、とても」
嬉しそうに笑って母親のもとへ駆け戻り抱きついた少女を見つめて手を振れば少女の両親は何度も頭を下げる。幸せそうな家族を目に焼き付けながら再び走り出した馬車に少し身体を揺らす。
子供は可愛い。子供が好きだ。でもユーフェミアはまだ母になれていない。この国の母ではあるが、我が子はいない。
「僕たちの子供も可愛いだろうな」
「そうですね」
パレードが終わった日の夜はいつも二人は子供が来てくれることを祈りながら肌を合わせる。大切な記念日だから、一年に一度だけ欲張らせてほしいと神に祈り続けていた。それでも神は叶えてくれない。二十年祈り続けて、願い続けても来ない子供が今更自分たちの間に来てくれるのかと互いに不安はあるが、どちらも一度も希望を捨てるような言葉は口にしなかった。言ってしまえばそれが現実になってしまいそうだったから。
どうか来てほしい。二十年経った今もそれだけを願い続けている。
「今年もこうして君の美しさを見られて嬉しい。君が隣にいてくれることが本当に嬉しいのだ」
離婚を突きつけられている男の言葉とは思えないが、本心だと伝わってくるだけにユーフェミアは笑顔以外返せなかった。国民達に不安を与えないよう苦笑は滲ませず笑顔を保つだけ。
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そういうところだと指摘したくなるのを堪えて顔を向ける。
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「もちろん見ているとも」
「彼女も国民だとお思いでしょうけど」
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「ぇ……」
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ただそれだけだったのに、見つけてしまった。
きっと義務として手を振り続け、流れる景色としてこの光景を見つめ、ただパレードが終わるのを待っていただけならきっと気付かなかっただろう。
「ユーフェミア、どうした?」
「え? あ、いいえ。二十年経ってもこうして祝福してもらえる喜びを噛みしめていました」
「来年も再来年もこうして祝福してもらえるさ。十年後の三十周年記念もな」
笑顔を見せるトリスタンに笑顔のまま口を閉じていると笑顔は変わらなかったが少し寂しそうにしたのがわかった。こうして明るく振る舞っている彼も離婚を言い渡されたことはちゃんと残っていて、それを気にもかけている。来年、再来年どころか明日いるかもわからない。ユーフェミアが頑固なのは誰よりもトリスタンが知っている。彼女の親よりも長い時間を共にしているのだから十年後の三十周年など約束にもならない。
それでも彼は何度だって口にする。それが現実となるよう祈りを込めながら。
(愛人を切ってくれれば二つ返事で返すのに)
変えようとするのはおこがましいのだろうか。自分だけと望むのは浅ましいのだろうか。
パレードが終わるまではと考え、パレードの日が来てしまった。今日が終わったら自分はどういう結論を出すのだろう。いや、今日の夜、ベッドに腰掛けながら自分が言い放つ言葉を想像する。
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