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相性の悪い女

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 ハンネスが玄関に着いたとき、リタはまだ玄関から先へは進んでいなかった。使用人たちが止めていたのだ。屋敷に入るには当然、許可がいる。主人であるアーサーか、主人代理と任命されているハンネスの許可がなければ誰であろうと中に入れることはできないと決められていた。それを使用人たちは守っていたのだ。

「ハロー、ハンネス。お久しぶりね。アーサーと同じでイイ男のままなのね」
「リタ様、よくお越しくださいました。ようこそ、アルキュミアへ」
「あら、アルキュミアが解放月だから来たわけじゃないのよ。アーサーに会いに来たの。結婚したお祝いを言いにね」
「そうでしたか。それはそれは、遠路はるばるお越しくださいましたこと、感謝いたします」

 解放月だから来たわけじゃない。その言い方は「自分なら解放月でなくともいつでも入国できる」とでも言っているように聞こえた。相手がどこかの王族であろうと事前に連絡がなければアルキュミアは門を開けない。開けるにはアーサーの許可が必要で、それはリタであろうと例外ではないのだが、リタは自分は特別という意識のままなのだとハンネスは確信した。

「中に入れてもらいたいんだけど、いい?」
「申し訳ございません。まだアーサー様がお戻りになられていないので許可できません」
「いいじゃない。アーサーはもうすぐ戻ってくるし、奥様にも挨拶しておかないとね」
「リタ様、お待ちください」

 強引に足を進めようとするリタを止められないほど無能な使用人などいない。アーチボルト家に仕えている使用人は皆、アーサーが面接して選ばれた優秀な者ばかり。

「……融通が利かないのも相変わらずね。いいわ、アーサーを待ちましょう」

 使用人の手が少しでも触れようものならリタも何かしらの反応ができたのだが、使用人たちはそんな初歩的なミスはしない。
 手は後ろに回して立ちはだかるだけ。
 教育が行き届いている様子にクスッと笑い、仕方ないと言いたげに肩を竦めてアーサーを待った。その間も誰一人として使用人は気を抜かず、リタの様子を伺っている。

「何をしているんだ?」

 アーサーが戻ってきたのは五分ほど経ってから。使用人たちが集まっている様子を不思議そうに見るアーサーに使用人たちは安堵する。

「ハンネスがね、入っちゃダメだって言うの」
「私はあくまでも代理に過ぎません。アーサー様がアルキュミアにおられる以上はアーサー様が許可を出すと決まっておりますので」
「許可を出していなかったか。すまない」
「では、応接間に案内させていただきますので――」
「アーサーの部屋が見たいわ」

 使用人たちがザワつく。リタは外にいる観光客と同じ立場であって特別待遇をする相手ではない。いくら付き合いが長いといえど、久しぶりに訪れた友人の、それも異性の部屋を訪ねるというのはふしだらであると何人かの使用人は心の中で非難していた。

「いいけど、何もないぞ。今はここで暮らしてるわけじゃないからな」
「どこで暮らしてるの?」
「妻と二人、別宅で暮らしている」
「二人で?」
「ああ。彼らは入らない。食事の用意も風呂の用意も全て自分たちでしている」
「……ふーん」

 リタは中に入れるべきではない。ここ、玄関で話をして返すべきだとハンネスは目で訴えるもアーサーは見ていなかった。

「じゃあその別宅に案内して? アーサーが暮らしてるとこ見たいわ」

 使用人も入らないと言っている場所に案内しろと言う厚かましさにハンネスは思わず眉を寄せる。執事たるもの表情に出すべきではないとわかっていながらもこればかりは抑えられなかった。
 昔馴染みといえど、言ってしまえばそれだけ。過去に恋人関係にあったわけではないし、わざわざ親切にそこまでする必要はない。しかし、それはあくまでもハンネスの考えであってアーサーの考えは違うかもしれないとハンネスの中で小さな危機感が生まれる。

「それはできない」

 笑顔でハッキリ断ったアーサーにリタ以外が安堵する。

「あそこは妻と二人だけの愛の巣なんだ。誰であろうと足を踏み入れることは許さないし、許可も出さない」

 ハンネスだけは例外だということは言わなかった。

「応接間に案内します。どうぞこちらへ」
「行こう」

 不満げな表情を浮かべているのはリタだけ。使用人たちは眩しいぐらいの笑顔で軽くもてなす準備のため散っていった。

「マリーちゃん、だったかしら?」
「彼女は若くとも大公妃でございます。どうか、そのような敬称でお呼びするのはおやめください」
「やだ、ハンネスってば。ここは公式の場じゃないのよ? そんな堅苦しい真似しなくてもいいじゃない」
「あなたも公爵夫人となられてそれなりの立場があるはずです」
「それが堅苦しいって言ってるのよ、ハンネス」

 これがマリーと同年齢か、それほど変わらない年齢であれば無知かわがままで通る言い分だが、相手は既に四十を超えている。あと数年で熟女と呼ばれる年齢に達する立派な大人であるにもかかわらず子供のような言い分を通そうとするのをハンネスは許容できない。
 貴族界は年功序列ではない。爵位がモノを言うのだ。四十二歳であろうとリタは公爵夫人。十七歳であろうとマリーは大公妃。礼儀を欠いてはいけない相手なのだ。
 そんなことがわからない人間ではないだろうにと思いながらもハンネスは完全には消えていない危機感を燻らせている。

「結婚のお祝いを伝えさせてもらいたいんだけど、呼んできてくれる?」
「奥様は今、少し用事で席を外しております」
「あら、窓辺で優雅にティータイムを楽しんでいたように見えたけど」

 見えていたのかと舌打ちしそうになったのを堪えてハンネスは後ろ手に組んだ手に力を込めてゆっくり息を吐き出し、アーサーを見た。

「私が呼んでこようか」
「そうしてもらえると嬉しいわ」
「お待ちください」

 ハンネスは迷っていた。アーサーが呼びに行けば間違いなくマリーはここに来てしまう。侍女たちが騒がしくしていないということはマリーは大人しくしてくれているということ。できればリタと会わせたくないハンネスはアーサーに呼びに行かせるのは避けたかった。
 しかし、自分が呼びに行けば二人きりになってしまう。既婚者同士である二人だが、リタは自由奔放な性格。人前であろうとアーサーの頬にキスをするような女だ。絶対にないとは言い切れない。
 どうするべきか……

「アーサー様、マリー様は本日お疲れの様子です」
「ちょっと様子を見てくる」
「休むよう進言されるべきかと」
「そうだな。リタ、少し待っていてくれ」
「ええ、かまわないわよ」

 アーサーが足速に部屋を出るとハンネスも後を追って部屋を出た。

「ご主人様、少しよろしいですか?」
「ああ」
「足を止めていただけませんでしょうか?」
「今は一刻も早くマリーを医者に見せないと」
「あれは嘘でございますのでどうぞご安心を」
「は?」

 疲れが見えると言っただけで医者を呼ぼうとする過保護さには安堵するが、安堵している場合ではない。

「リタ様を奥様に会わせるのには反対でございます」
「理由は?」
「リタ様は距離感に狂いがございます」
「昔からだ。それはお前もよく知っているはずだが?」
「私は、です」

 何が言いたいのかはわかった。

「想像してください。マリー様に親しい間柄の男性がいて、その男性の距離感がおかしいにもかかわらず、それを昔からだと言って許してしまう光景を。気分良くいられますか? 夫である自分以外の男が愛する妻の頬にキスをすることに耐えられますか?」
「想像しただけで嫉妬に狂いそうになる」
「それは今少し抑えてください。ですが、マリー様は実際にその最悪の気分を味わうことになってしまうのです」
「んー……だが、リタはお祝いに来てくれただけだからなぁ」
「お祝いは手紙だけでも済ませられるはずです」

 実際、祝いの言葉を直接伝えるために遠路はるばるアルキュミアまで来てくれた者もいる。手紙ではなく直接会って伝えたかったと。その気持ちはハンネスも理解できるし、自分のことではないとしても嬉しかった。
 しかし、リタが同じことを言っても嬉しさは微塵も込み上げてこない。

「リタを帰らせろと?」
「それが最善の策かと」

 アーサーは考えてしまう。ハンネスの言うことも一理あるだろう。自分がもしその立場であれば男に嫉妬心を燃やすし、なぜキスなんかさせるんだとマリーにも腹を立てるかもしれない。その感情をマリーに直接ぶつけることはないにしても、心穏やかではいられないはず。
 だが、実際にこうしてアルキュミアまで祝いを言いにきてくれた昔馴染みをそのまま帰すというのも気が引ける。
 
「お気遣いありがとうございます、ハンネスさん」
「ッ!?」

 聞こえるはずのない声に振り向くとマリーが立っていた。

「奥様……」
「ごめんなさい。でも、やっぱりご挨拶だけしておこうと思って出てきてしまいました」

 リタとマリーの相性が良いとは思えない。マリーが幾多もの修羅場を超えてきた娼婦であるなら話は別だが、マリーは言ってしまえば鳥籠の中の鳥。
 ハンネスの心配に拍車がかかる。

「マリー、疲れていないかい?」
「平気です。若いですから」
「でも気疲れしてるんじゃないかい? 一ヶ月間文句も言わず頑張っていたから」
「アーサー様のフォローのおかげでそれほど気負わずやってこられました」

 傍に寄って頬に触れるアーサーの手を握るマリーの姿を見せれば諦めるのではないかと儚い希望を僅かに胸に抱いたハンネスは小さなため息を吐き出した。
 マリーのためにもリタに見せつけておかなければならない。アーサーはもう誰のものでもないわけではなく、マリーという素晴らしい女性のものなのだと。

「リタが来ていること、知っていたのかい?」
「窓から見えていましたから」
「そ……そうか……」

 アーサーの表情が固まる。
 ハンネスが言っていたのは想像による例え話ではなく、実際にその場面を見たから具体例として使用したのかとハンネスに視線を向けるもハンネスはあえてアーサーを見ないようにしていた。

「マリー、彼女に会う前に言っておくことがある」
「はい」

 応接間に着く前に一度足を止めたアーサーに合わせてマリーも足を止めて瞳を見つめる。

「彼女は昔からその……なんというか、人との距離が近くてね……」
「はい」
「特別深い意味があってそうしているわけではないと思うんだけど……」
「はい」
「……すまない」
「いいえ」

 言い訳でしかなかったと感じたアーサーは素直に謝ることにした。
 窓から見たのはどのシーンだろう。到着した時からだとすると全て見られたことになる。ハンネスが目を合わさないことから、最初から見ていた可能性が高いとアーサーの心臓は警告音のようにうるさい音を立てて動いていた。

「モテる男を夫にもつと苦労するとおじいさまが言っていましたから」

 笑顔を見せるマリーだが、アーサーはそれを素直に喜んで受け入れることはできなかった。自分でも同じことをすると思ったからだ。
 マリーが昔馴染みの男と仲良くしていても笑顔を作って綺麗事を口にする。だが内心はそうじゃない。マリーの頬を洗って、マリーの頬が腫れるほどキスをして上書きしてしまいたいと思うはず。
 考え方が同じだとは思わないが、本心というのはわからないもので、遠慮が表に出るマリーの本心をアーサーはまだ見抜くことができない。

「さ、行きましょう。あまりお待たせしては申し訳ないですから」

 マリーは既に覚悟を決めている。
 相手がどんな女性であろうと妻は自分。その現実だけでじゅうぶんだと、歩き始めたマリーに合わせて二人も歩みを進めた。

「あら、可愛らしいお嬢ちゃんね」
「初めまして」

 マリーはあまり鋭い方ではない。だが、そんなマリーにもすぐにわかった。
 リタの艶やかな笑みがマリーへの挑発であることに。

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