遊び人公爵令息に婚約破棄された男爵令嬢は恋愛初心者の大公様に嫁いで溺愛される

永江寧々

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「アーサー・アーチボルトと結婚するということは、ネイト・アーチボルトと親戚になるということ。彼女には重たい決断かもしれませんね」
「……消すか、アイツ」

 膝に埋めていた顔を上げてボソッと発された呟きが冗談に聞こえず、ハンネスは苦笑する。

「お行儀よくお願いしますよ」
「だから、お前は僕をなんだと思ってるんだ?」
「今は恋する乙女ですので」

 アーチボルト邸前に馬車を停めると御者席から降りてドアを開けたハンネスの注意にかぶりを振るだけ。弟を前に行儀良くできる自信がないのだ。
 ここは生まれ育った思い出の場所だが、アーサーはこの家が大嫌いだった。だからいつも態度に出る。

「やあやあ、兄さん! ようこそようこそ! 特別な酒を用意してあるんだ! 風呂上がりにどうだ?」

 ぶくぶくと太った弟の出迎えに兄として笑顔を見せるべきなのだろうが、昔から弟を見ているとカエルが浮かんでしまい、いつも嫌悪感を表に出してしまう。そのたびに両親に注意された。
 食べたいだけ食べて寝たいだけ寝る。幼少期からそんな生活を繰り返していた弟は今もその生活を変えていないのだろう。今にもボタンが弾け飛びそうなピチピチのシャツを着ている神経も信じられない。金があるのだから自分の身体に合ったサイズを作ればいいだけのことに何故見栄を張るのか。痩せもしないくせに見栄だけ張る弟が昔から理解できなかった。
 作り直すか痩せろとそこまで親切にする義理もないと無言で横を通り過ぎる。

「さ、酒はあまり飲まないんだったな! なら女はどうだ? 極上の踊り子を用意してある! そのあと、兄さんの好きにしていいぞ!」

 慌てて追いかけてくる弟の言葉をムシするのは兄としてどうかと思うが、必要以上の会話はしたくない。早歩きで自室へと向かうアーサーのあとをアベラルドはハァハァと息を上げながら小走りで追いかける。

「に、兄さん、明日の朝食は兄さんに合わせて九時に予定しているからゆっくりしていってくれ」

 返事もせず部屋に入ったアーサーは振り向かず、ハンネスだけが頭を下げてドアを閉めた。愛想も挨拶もない兄に舌打ちしたくなるが、聞こえてはマズイとドアを睨みつけるだけにした。

(ハッ。大公になったからって調子に乗りやがって。フンッ、まあいい。食事会のときに言いたいこと全て言ってやる)

 心の中で文句を言ったアベラルドはそのままそこで息を整えてから踊り子が待つ部屋へと向かった。

「反吐が出る」

 足音が去ったのを確認してから重々しい溜息と共に呟いた。弟の体臭を嗅ぎたくないと息を止めていたこともあって、新鮮な空気が吸いたいと両開きのガラス戸を押し開けてバルコニーに出れば目下に広がる懐かしい景色に小さく息を吐き出す。
 この景色には良い思い出も嫌な思い出もある。この家が好きじゃないと思ってからは嫌な思い出のほうが多かったかもしれない。

「マリー」

 会いたくてたまらない。別れて一時間も経っていないのに誰かに会いたいと思うのは初めてで、アーサーも戸惑いはあるが、嘘はつけない。
 名前を呼ぶだけでこんなにも愛おしいと思う相手がいると思うだけで幸せな気持ちになれる。

「必ず幸せにするから、僕と結婚してくれ」

 バルコニーで一人呟いたとこで返事をもらえるはずがない。マリーが望むのなら何百回でもプロポーズする。良い返事がもらえたら全力で幸せにするのに、返事をもらっていない以上は口頭での二度目のプロポーズは催促になる。愛している彼女を追い詰め、苦しませるようなことはしたくない。
 キスしそうになって、求婚して、一緒に出かけて、今度は本当にキスをして、プレゼントを贈った。

(キスに舞い上がってるのが僕だけだったら……)

 バルコニーの手すりの上で頬杖をつきながら乙女のような不安を抱える四十二歳。憂いを帯びたこの顔を見れば大体の令嬢は頬を染めるだろう。アーサーは自分の顔が良いことを自覚しているが、今回ばかりはそれが自信に繋がることはない。四十二歳の男が自分の顔を武器に十七歳の少女に迫るのは想像するだけでみっともないから。

「そうだ! 服を返しに行くという口実がある! 洗濯しておこう!」

 帰国する日にアップルパイを食べに行く約束だったが、明日予定ができたと浮かれるアーサーはさっそく服を脱いでベッドに置き、用意してあったガウンを羽織った。
 テーブルの上に置いてある使用人を呼ぶためのベルを鳴らそうと思ったが、ベッドに置いた服を見てベルから手を離し、服の前に立った。そして一礼する。
 まだ何も言えない。ちゃんと全て形になってから墓参りに行って、再び頭を下げて報告したい。そう決めて丁寧に畳み、もう一度ベルを握って鳴らすと使用人が駆け付けた。

(屋敷の中で使用人を走らせるってどういう教育してるんだ……)

 腐っても公爵家。公爵家で働く使用人がバタバタと走るなどマナー違反にも程がある。使用人もそれぐらいわかっているだろうが、ここではこれが正しいのだろう。駆けつけなければアベラルドが怒鳴りつけるとかそういう類だろうと容易に想像がつく。

「ご用でしょうか!?」

 肩を上下させながら大声で用件を問う品のなさに絶句する。他の使用人が全員こうならアーチボルト公爵家など恥の塊でしかない。使用人は家の顔。貴族は、使用人が素晴らしい家は主人も素晴らしいと評価を受ける。使用人に問題があれば主人の教育に問題があると評価を受けるのは当然のこと。アベラルドはそんなこともわからず自分の感情を優先しているのかと呆れてしまう。

「これを明日の朝までに洗濯しておいてくれ」
「かしこまりました!」
「いいか、これは私の命よりも大切な物だ。生地を傷めたりボタン一つほつれさせたら……いや、やはりいい。戻ってくれ」
「よ、よろしいのですか?」
「ああ」

 どうすればいいと困惑する使用人に戻るよう伝えてドアを閉めた。

「おやおや、ご自分で洗濯でもするおつもりですかな?」
「お恥ずかしながら僕は洗剤すら触ったことがないのだよ、ハンネス執事長殿」

 苦笑しながらかぶりを振るアーサーをハンネスが笑う。

「先程の命令口調、アベラルド様にそっくりでしたよ」
「ハンネス……それだけは言ってくれるな……」

 随分と偉そうな言い方をした自覚があっただけにショックを受ける。
 当たり前のように使用人を使おうとしたことにもまたショックを受けた。貴族として生まれたのだから当たり前なのかもしれないが、ベンジャミンは使用人は贅沢だと言った。三人暮らしに使用人は必要ないと。感銘を受けたくせに、それがその場限りの感銘であったかのように命じようとした自分にショックを受けた。
 これに関しては、この服だけは失敗してはならないと異常な緊張感に震える使用人にやらせれば誤って生地を傷めかねない。弁償するとかそういう問題ではない。この服は彼らにとって宝物。誠心誠意謝れば笑顔で許してくれるだろうが、だからこそ、このまま持っていくことにした。

「幸い、服ならある」

 自分の部屋は掃除以外で入ることを禁止しているためクローゼットの中の服は以前、ネイトがマリーを紹介した際に泊まった日に洗濯した物。明日はそれを着てアーネット邸を訪れようと決めた。

「マリー」

 溢れるように出てくる愛おしい名前。その名を口にするアーサーの柔らかな表情にハンネスが目を細める。

(早く会いたい。会いに行ったら喜んでくれるだろうか?)

 表情を綻ばせながらベッドに背中からダイブしたアーサーは天井を見上げて手を伸ばした。浮かぶのは笑顔のマリー。目を回したマリー。申し訳ないと涙するマリー。どんなマリーも愛おしい。抱きしめて、好きだと伝えて、甘やかしたい。今すぐにでも抱きしめたい。

 最悪な食事会のあと、すぐ会いに行こう。

 そう決めて、その日は眠りについた。
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