上 下
52 / 93

誘拐

しおりを挟む
 突然の襲撃にセシルが銃を取り出すより先に男がアリスの顎下に銃を突きつけた。

「銃を持ってんのはテメーだけじゃねんだよ、セシル・アッシュバートン」
「ッ!?」

 貴族を狙ったわけではなく、この男たちはセシルをセシルだとわかって乗り込んできた。
 セシルではなく、アリスに銃を突きつけた時点でセシルは赤子も同然。

「それに、こんな一般市民が溢れ返る場所で銃声響かせりゃアッシュバートン家は終わっちまうぞ」

 ただでさえ一度、銃を撃って怪しまれているのに、二度も銃声がした場所にいたとなれば怪しまれるだけでは済まないだろう。
 父親の許可は得ているといえど、父親は政府の人間ではない。いわば共犯も同じ。今ここでセシルが銃を撃つことは男の言う通り、アッシュバートン家の終わりを告げることになる。
 こんな男に諭されるのは悔しいが、セシルは腰に回した手をゆっくりと離して両手を上げた。

「頼む、彼女だけは解放してやってくれ。無関係だ」
「キスまでしておいて無関係で通じるわけねーだろうが」
「彼女は本当に無関係なんだ!」

 もう一人の男がセシルの太ももに銃口を押し付ける。

「やめてくださいッ! 私も一緒に行きますから! どうかセシルを傷つけないでください!」

 悲鳴のような声に男が愉快そうに笑う。

「お嬢ちゃんのが賢いじゃねぇかよ。行きな」

 窓の外にアッシュバートン家の御者が見えた。傍には男が。セシルは御者が無事で帰れることを願いながら男を睨みつけた。

「何が目的だ」
「着きゃわかる。黙ってろ」
「どうして僕なんだ!」
「それも着きゃわかる」
「答えろ!」
「セシル」

 カッとなっているセシルの手を握るアリスにセシルは口を閉じるが、握り返す手には痛いほど力が入っている。

「あんま粋がんなよ、クソガキ。その女みてぇな顔に傷がついてもいいのかよ」
「おい、やめろ。無傷で連れてこいって話だろうが」

 誰かの指示でセシルは誘拐された。一体誰の指示なのか、セシルの表情から見ても見当もついていないのだろう。
 
「お嬢ちゃん、名前は?」
「答えなくてい──」
「アリスです」

 相手がどこの誰かわからない、銃を持っている以上は大人しくしているのが正しいと判断したアリスはセシルを見つめたまま答えた。
 眉を寄せて首を振るセシルにアリスも首を振り返す。

「賢い子は好きだぜ」
「ッ!」
「アリスに触るなッ!」
「黙ってろって言っただろ」
「ンンッ!」

 銃で顎を持ち上げられたアリスに手を伸ばすセシルが布を噛まされ、大人しくしていろと頬に銃を押し付けられる。
 まだ傷つけられてはいない。だからアリスは声を上げない。まだ何もされていないのだからムダに声を上げて警戒されるわけにはいかない。

「お嬢ちゃんみたいに大人しくしてりゃあいいのによ」

 後ろ手を縛られたセシルのためにも自分まで縛られるわけにはいかないとアリスは反抗もせず睨みつけることもしないまま黙って馬車に揺られていた。
 隣に座る男から香る不思議な匂い。セシルとは全く違う、嗅いでいると気分が悪くなるような匂いで、それは悪臭とはまた別物。コロンでもなければ香でもない。とにかく不愉快な匂い。
 
「身代金が目的ですか?」

 誘拐犯の大多数が身代金目的である。セシルは伯爵家であるためそれなりに搾り取ることはできるだろう。
 アリスもそうだ。ベンフィールド家の長女だと知れば男たちは目の色を変えて父親に要求するかもしれない。
 横暴な彼らに父親が稼いだ金を渡すのは嫌だが、命が助かるのであれば払ったほうがいいに決まっている。

「そう思うよな。でもなあ、違うんだわ。俺らのボスがコイツに会いたがってるだけだ」

 心当たりがなく怪訝な顔をするセシルにアリスも同じような顔をする。
 会いたがっているのなら普通に会えばいい。彼らのボスはそうしなかった。誘拐して目の前まで連れてこいとでも言ったのだろう。
 直接会いに行けない理由があるのだとしても誘拐に正当性はない。もし彼らのアジトに行って全員が銃を所持していたらと考えるとゾッとする。
 
「痛い目に遭いたくなきゃお嬢ちゃんはいい子にしてな」
「俺らのボスは女子供だろうと容赦なく殺しちまうからな」

 ハッキリ聞いた『殺す』の言葉。なぜそんな物騒な人間がセシルに会いたがっているのかがわからない。
 セシルを見ると目が合うも首を振るだけ。セシル自身、会いたがっているという人間に心当たりはないのだろう。あるわけがない。セシルはそれほど人と関わって生きてこなかったのだから。
 ガタガタと揺れる馬車が走る山道。馬車一台がギリギリで走ることができ、少しでもミスれば崖下へと真っ逆さまな道を走っている。
 街を離れてどのぐらい走っているのだろうかと考えてもアリスは時計を持っていないためわからない。わかったところで場所を特定することも誰かに伝えることもできないのだが。
 馬車が停まる頃、空が少し黄昏に染まりつつあった。

「降りろ」

 セシルと一緒に降ろされた場所は周りを見回しても木々しかなく、そこから街がどこにあるか見ることはできない。
 山の中に隠すように建てられたのだろう建物に二人は緊張していた。
 通信機が使えたとしても目印になるような物が何も見えないのでは居場所を伝えることもできない。いや、もし通信機が使えたとしても使わせてもらえないのであれば同じこと。
 それを絶望に考えるのはやめようとアリスは大きく息を吐き出して男に引っ張られるがまま奥にある小屋へと向かった。

「ボス、連れてきやしたぜ!」
「傷はつけてねぇだろうな?」
「もちろんです! ちとウルセェので縛りはしましたが」
「痕が残ってりゃお前は死刑だぞ」
「あ、痕が残るほどはしてませんから大丈夫ですって!」

 中は男達から感じた変わった匂いで充満していた。顔をしかめ、思わず手で鼻と口を押さえるほどの悪臭。中に漂っているこの煙はなんだろうとアリスは一瞬、中に入るのを躊躇ったが、男は何も言わずにドンッと背中を押してアリスを突き飛ばした。

「ンンーッ!」

 部屋の隅に積んであった藁に倒れ込んだアリスに慌てて駆け寄ったセシルが男を睨みつける。

「お前が見るのは俺じゃなくてボスだろうが」

 奥から聞こえる男の声。
 部屋にいるのは四人。奥にはボスの男以外の声が聞こえることから最低でもこの小屋には七人の男がいる。どうにか隙を見て逃げ出そうにも七人の目を欺けるような状況は作り出せないだろう。
 そっちのほうがずっと絶望に近い感情に襲われる。

「痕になる前に外せ」
「へい! 外してやるが、噛み付くんじゃねぇぞクソガキ」

 男がセシルを縛っていた物を二つ取って解放するとセシルはすぐにアリスを抱きしめた。

「アリス大丈夫? 怪我はない?」
「大丈夫よ」

 頬に触れて心配するセシルを真っ直ぐ見つめて頷く。
 セシルにとって今この状況でアリスが取り乱していないことが救いだった。もし逃げるチャンスがあったとして、怯え震えていればチャンスを失う可能性が高い。
 
「大丈夫だからね、アリス。必ず僕が守るから心配しないで」

 抱きしめるセシルを抱きしめ返すアリスだが、奥から聞こえてきた笑い声が段々と近くなってきたことに二人は警戒して奥に続く扉を見た。
 ギイッと立て付けの悪い音をさせながら開いたドアから姿を現した男にセシルが目を見開く。

「……あ……な、なん……で……お、お前……」

 今にも目がこぼれ落ちそうなほど大きく見開くセシルの身体が震えだしたことに気付いた。
 驚きというよりは絶望に近い表情で男を見つめるセシルとこの男は知り合いのだと察する。

「久しぶりだなぁ、セシル。会いたかったぜ」

 山男のように大量の髭を蓄えたガタイの良い男が自慢なのだろうその髭を撫で付けながら笑みを見せる。髭の間から見えたガタガタの歯並びと茶色や黒くなり尖った歯から不気味さを感じてアリスは鳥肌が立った。

「十二年ぶりか? 大きくなったなぁ」

 言葉だけ聞いていれば親戚だと思うが、親戚ならこんなことはしない。

「いつの間にお嬢ちゃんを守る王子様に成長したんだよ」
「……い、いつ……」

 ハッキリと言葉が出てこなくなってしまったセシルが何を言いたいのか男は理解した。

「先週だよ。ようやくだ。長かったぜ。ようやくお前に会えると思うと待ちきれなくてなぁ、こうしてお前に来てもらったってわけだ」

 大袈裟に思えるほど呼吸が荒くなっているセシルをアリスはギュッと抱きしめる。それにしがつみつくように腕を回して力を込めるセシルに葉アリスを見つめて大丈夫だと声をかける余裕などなかった。

「セシルに何をしたのですか!」
「何もしてねぇことはお嬢ちゃんもよくわかってんだろ。俺はまだ指一本だって触れちゃいねぇよ」

 じゃあどうしてセシルがこんな状態に陥っているんだと思うが、その疑問には男がすぐに答えた。

「俺とセシルは深い仲でな。事情があってちと離れてはいたが、もう離れねぇぞ。嬉しいだろ、セシル?」

 男はセシルに熱視線を送っているが、セシルは震えているだけで返事ができる状態ではない。
 なんとなく、あくまでも憶測でしかないが、この男たちがセシルたちの言う“問題を抱えている”部分なのではないだろうかとアリスは思った。
 
「可愛く成長したじゃねぇか」

 ヒヒッと笑う男の声に苦しむように唸り声をあげるセシルを落ち着かせようと背中を撫でながら少しでも距離を取るために二人で隅へと移動する。
 
「大丈夫よ、私が守ってあげるから」

 セシルに囁くアリスは自分でも驚くほど妙に冷静だった。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

新婚なのに旦那様と会えません〜公爵夫人は宮廷魔術師〜

秋月乃衣
恋愛
ルクセイア公爵家の美形当主アレクセルの元に、嫁ぐこととなった宮廷魔術師シルヴィア。 宮廷魔術師を辞めたくないシルヴィアにとって、仕事は続けたままで良いとの好条件。 だけど新婚なのに旦那様に中々会えず、すれ違い結婚生活。旦那様には愛人がいるという噂も!? ※魔法のある特殊な世界なので公爵夫人がお仕事しています。

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

夫が愛人を離れに囲っているようなので、私も念願の猫様をお迎えいたします

葉柚
恋愛
ユフィリア・マーマレード伯爵令嬢は、婚約者であるルードヴィッヒ・コンフィチュール辺境伯と無事に結婚式を挙げ、コンフィチュール伯爵夫人となったはずであった。 しかし、ユフィリアの夫となったルードヴィッヒはユフィリアと結婚する前から離れの屋敷に愛人を住まわせていたことが使用人たちの口から知らされた。 ルードヴィッヒはユフィリアには目もくれず、離れの屋敷で毎日過ごすばかり。結婚したというのにユフィリアはルードヴィッヒと簡単な挨拶は交わしてもちゃんとした言葉を交わすことはなかった。 ユフィリアは決意するのであった。 ルードヴィッヒが愛人を離れに囲うなら、自分は前々からお迎えしたかった猫様を自室に迎えて愛でると。 だが、ユフィリアの決意をルードヴィッヒに伝えると思いもよらぬ事態に……。

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

【完結】何故こうなったのでしょう? きれいな姉を押しのけブスな私が王子様の婚約者!!!

りまり
恋愛
きれいなお姉さまが最優先される実家で、ひっそりと別宅で生活していた。 食事も自分で用意しなければならないぐらい私は差別されていたのだ。 だから毎日アルバイトしてお金を稼いだ。 食べるものや着る物を買うために……パン屋さんで働かせてもらった。 パン屋さんは家の事情を知っていて、毎日余ったパンをくれたのでそれは感謝している。 そんな時お姉さまはこの国の第一王子さまに恋をしてしまった。 王子さまに自分を売り込むために、私は王子付きの侍女にされてしまったのだ。 そんなの自分でしろ!!!!!

処理中です...