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 なにがあったのか聞いたアリスはとにかく風邪を引く前に保健室に行こうと連れて行った。
 紳士が人前で服を脱いだだけではなく、そのまま歩き回るとはみっともないと保険医に怒られていたが、リオは気にしていなかった。
 保健室まで一緒にアリスが来てくれたことが嬉しかったのだ。
 風邪引かないようにと言ってそそくさと出て行ってしまったのだが、無視をされない、冷たくあしらわれないことに救われた。
 かといって午後の授業中に仲良くお喋りをしたかというとそうでもない。真面目に授業を受けるよう言われたし、あまり話もできなかった。

「アリス、この後──」
「アリス、少しよろしいかしら?」

 迎えた放課後、リオはアリスを誘おうとしたが、それよりも大きな声でアリスを呼ぶ人物に視線が集まる。

「ナディア様、アリシア様」

 久しぶりだと微笑むアリスに笑顔を見せたのはアリシアだけで、ナディアはどこか不機嫌そうだった。
 ナディアとは話していないため機嫌を損ねるようなことはしていない。ナディアが怒って、アリシアがご機嫌なのだとしたらセシルとのキスがバレたぐらいしか思いつかない。
 一気に駆け上がってきた緊張にアリスの身体が強張る。

「アリスになんの用だよ」

 アリスが緊張しているのがわかったリオが立ち上がって二人に問いかけるも二人の態度は変わらない。

「裸で校内を歩くような破廉恥な男に用はありませんの。入ってこないでくださる?」

 やはりナディアの言い方は少しキツイ。

「アリス、今日はわたくしたちのために時間を割いてくださる?」
「え、ええ、もちろんです!」
「では行きましょうか。あ、そこの下品極まりない男は置いてきてくださる? 男はお茶会に参加できませんもの」
「僕も?」

 ナディアたちの後ろから聞こえた声に二人が振り返るとアリスを迎えにきたセシルが立っていた。

「セ、セシル様……」
「僕もお茶会には参加禁止?」

 あえてナディアに問いかけるセシルのズルさにナディアはキュッと唇を噛む。
 アリスがいなければお茶会になど参加しようともしないセシルの目的はアリスと一緒にお茶を楽しむことであって自分たちとお茶をすることではないとわかっているから悔しい。
 そしてわかっていながらもリオに言ったように突き放せない自分も悔しかった。

「……申し訳ありません。お茶会は誰であろうと男子禁制なんですの」

 それでもナディアは断った。大好きなセシルと一緒にお茶会をすればどんなに幸せなひとときになるか、想像したことがないわけではない。
 一度、庭園で一緒に食事をした際、とても幸せだった。だから今度は自分たちが主催するお茶会にと思ってもセシルはなぜかなかなか捕まらなかった。
 こうしてアリスのいる場所にだけ素直に現れるセシルを今日だけは連れて行くわけにはいかないと断ったナディアにアリスは少し驚いた。それと同時に警戒心が強まる。
 やはりキスしたことがバレたからセシルを外して自分だけを呼ぶのではないかと。

「アリス、行きますわよ」

 先に向かうナディアを追いかける際、セシルの前で止まって先に帰るよう伝えるもセシルが首を振る。

「生徒会の仕事でもして待ってるから」

 セシルはいつもアリスと一緒に帰るために家に仕事を持ち帰ってしている。
 仕事さえちゃんとすれば家でやろうと外でやろうと注意をしないのがカイルであるため、セシルは家を選んでいる。
 今日はアリスを待つために生徒会室に行くと言って途中まで一緒に向かったカイルと階段前で別れ、アリシアと共にアボット庭園へと足を踏み入れた。
 いつもと変わらない美しいお茶会の用意。それが逆に不気味だった。
 毒を入れるような人間ではないとわかっていても、ナディアはアリスに怒っており、セシルをも拒んだ。
 いつものナディアなら「セシル様は特別ですもの!」とハシャいでいるはずなのに。
 
「どうぞおかけになって」

 先に座ったアリシアの促しに従って椅子に座ると紅茶が運ばれてくるまでの間、暫しの沈黙が流れた。

「あなた、どういうつもりですの?」

 ドキッとした。
 ナディアの言い方、表情、全てに敵意を感じる。
 目の前に広がるお茶会の用意はいつもと変わらないのに、ナディアだけが抱いている感情が違っている。

「あ、あの、ナディアさん……私──」

 セシルとのことはちゃんと言っておかなければならないと思い、口を開いたアリスの言葉を遮ってナディアが少し大きめの声で問いかける。

「リオ・アンダーソンと抱き合っていたそうですわね」
「え?」

 そっちかと安堵したアリスは驚きはしたが、すぐに安堵の息を吐き出した。

「セシル様とアリスが一緒にいることは彼の望みだから受け入れていますの。アリスが彼を独占していようとね」
「独占……」

 セシル推しだと豪語していたナディアにとってセシルがアリスにべったりな状態は面白くないだろう。
 独占欲でしているわけではないが、セシルに好意を持つ者からすればそうとしか見えないだろうことは納得している。

「でもね、リオ・アンダーソンと深い仲になるのだけは許せませんわ!」
「ええっ!?」

 リオと深い仲になったことは一度もない。どこからそんな噂が立ったのだろうかと思うも、目立つ場所で目立つことをしたのだから当然かと安堵の息はため息へと変わる。

「セシル様に失礼だと思いませんの?」
「ナディア様、あれは深い仲というわけではなく──」
「セシル様の気持ちを考え流べきですわ!」
「いえ、あの、リオちゃんとは──」
「誰にでもイイ顔をするのは最低ですわよ!」

 怒気を含んだ声と荒々しい言い方にアリスは眉を下げる。
 リオとはそんな関係ではない。だが公衆の面前で抱きしめられたのは本当だ。だからと言ってそれだけで深い仲と判断されるのは困る。
 それを伝えようにも自分が第三者としてそういう光景を目撃した場合、抵抗していなければ受け入れていると判断するはず。付き合っているのだろうかと思ってしまうだろう。
 セシルがアリスの傍にいることを望んでいるからナディアはそれを受け入れている。なのにアリスはそんな一途なセシルを裏切るようにリオと深い関係になっていると、公衆の面前でそれを披露したと思ってしまっている。

「ナディア様、私の話を聞いてください」
「わたくしは怒っていますのよ、アリス。セシル様があなたと一緒にいたいとおっしゃっているのだからあなたはそれを受け入れるべきではありませんの? 彼のことがわかっているなら他の男に現を抜かすなんてできないはずですわ!」

 ナディアは聞く耳を持たない。今、アリスが何を言おうと言い訳にしか聞こえないのだろう。
 使用人が紅茶を置くことさえ躊躇うほどテーブルを叩いて訴えるナディアにアリシアが「お黙り」と言い放った。  

「なんですの!?」
「ナディア、あなたは以前、ティーナ・ベルフォルンに言った言葉を覚えていないようですわね」
「何が!?」
「イイ男にイイ顔するのは当然のこと」

 思い出したナディアがハッとする。

「素敵な男性に素敵な女性と思われるためにイイ顔をするのは至極当然のこと。レディの嗜みだと、そう言いましたわね?」
「そ、そうだけど……でもそれは──」
「言い訳は結構。言ったことは事実。感情的になる女は醜い。誰のことかおわかり? 今のあなた、ティーナ・ベルフォルンそのものですわ」

 明らかにショックを受けた顔をナディアが見せる。
 ティーナに嫌悪感を抱くナディアにとって“そのもの”と言われるのは屈辱以外他ならない。
 
「アリスがセシル様以外の男性といることにショックと怒りを抱えているのなら、あなたの婚約者は自分以外の男性にハシャぐあなたをどう思っているのかしらね?」
「私のは本気じゃ──」
「アリスは本気以前に、あの場所でリオ・アンダーソンに抱きしめられただけのこと。あなたのほうが悪質ですわよ」
「彼は全部理解して──」
「理解ある婚約者という言葉は自分を楽にしてるからいいですわね。だからこそ、あなたにアリスを責める資格などありませんの。ガチ恋に走りかけているあなたは、一度、自分を見つめ直す必要があるのではなくて?」

 アリシアの声は優しいが、言い方は伴っていない。優しくないし、突き放された気分になる。
 口を押さえて潤む瞳を見せないように顔を背けて走っていく。

「ナディア様!」
「追いかける必要はありませんわよ、アリス」
「で、ですが……」

 ようやくテーブルが落ち着いたと紅茶を置くよう指示し、置かれたソーサーとカップを持って一口喉に流す。
 姉妹だからそう言えるのだろうが、一人にしていいのだろうかとアリスは少し心配だった。

「悲劇のヒロインごっこは一人でやらせておあげなさい」」

 アリスには姉も妹もいない。いるのは完璧な兄だけ。だから兄妹喧嘩はしたことがないし、討論をしたこともない。
 いつも兄に説き伏せられるか、少しのわがままなら兄が受け入れてくれた。
 どちらかが怒ってその場を立ち去る経験がなく、アリシアの対応に従っていいのか迷っている。

「嫌な思いをさせてしまいましたわね」
「嫌な思いはしていません。セシル推しのナディア様からすれば不愉快な場面だったと思います」
「リオ・アンダーソンはあなたにお熱ですものね」
「あはは……」

 子供の頃からリオの気持ちは知っているだけに否定はできなかった。

「セシル様があなたを見ているのだからあなたはそれに応えるべき、だなんてナディアは横暴ですわね」
「気持ちは、わからないでもないんです」
「あら、そうですの? 私はわかりませんわ」
「花を連れ歩くアルフレッド様が誰かを一途に思っているのにその誰かがアルフレッド様を蔑ろにしても、ですか?」
「ええ」

 優雅な動作を崩さないまま動揺すら見せないアリシアになぜだろうと表情で訴えかける。

「だってそれは彼の人生ですもの。わたくしは彼に癒しと元気をもらってますの。彼の人生にわたくしは関係ありませんし、わたくしの人生にも彼は深く関係することはありませんわ。彼が誰を愛し。誰が彼を粗末に扱おうとそれは彼の事件であってわたくしがどうこう言うべきことではありませんもの。ナディアの行為は余計なお世話、というものですわね」

 ナディアとアリシアは双子なだけあってよく似ていると思っていた。顔はよく似ているし、喋っていてもさすがだと思うほど息ぴったりだと感心していたほどなのに、実際はそういう部分もある、というだけ。
 ナディアとアリシアなら妹のアリシアのほうが年上のように落ち着いて物事を考えられるのだと知った。

「わたくしとナディアでは相手が違いすぎるというのもあるけれど、それでもナディアの怒りはナディア個人で解決すべきこと。あなたにぶつけるのは間違いですわ。だってあの子は恋人でも幼馴染でもないんですもの。幼馴染であっても口出しできることではないでしょうけど」

 あれだけ言われてセシルの感情が遊びで向けられているものだと勘違いすることはない。ちゃんとわかっている。
 だが、アリスはまだ恋というスタートラインに立てていない。
 妄想してドキドキすることはあれど、日中夜その人のことを考えてしまうことは未だない。
 これが恋だというのなら恋なのかもしれないが、母親に聞いてみてもそれは恋ではないと否定される。
 ナディアのほうがずっと恋なのだとアリスは両手で顔を押さえて深く息を吐き出した。

「ナディアは自分が向けてもらえない気持ちが向けられているあなたに嫉妬しているだけですわ。あなたが気にすることはありませんのよ」

 背中を撫でるアリシアの手が優しい。

「恋は女を美しく変身させ、嫉妬は女を醜く狂わせる。ナディアは心に引いていた超えてはならない一線を超えてしまった……」

 婚約者がいて、その人と結婚すると二人は受け入れていた。プレゼントも渡さない、告白もしない、遠目から見つめるだけだと決めていた二人。
 憧れと恋の境界線が崩れたのは接触することがなかった相手と接触が始まったから。
 アリシアは念願の“花“となってアルフレッドと過ごすことが増えた。それでも周りに大勢の美女がいるためでしゃばることはしない。それは出し抜くという言葉を嫌うアルフレッドと話していて何度も気を引き締めることができるから。
 美しい花たちと優雅で素晴らしい時間を過ごすことがアルフレッドの癒しであり、花たちはそんなアルフレッドと過ごすことが癒しだった。アリシアもそう。同じ志を持った花たちといることもまた、花たちにとって癒しとなっていた。
 だが、ナディアは違う。共同線を張る相手がいないのだ。セシルは口数が多いほうではなく、誰も特別にしなければ友達も作らない。一匹狼だと見られていた。だからこそナディアは近付こうとはせず、遠目からあの美しさを見つめてきた。
 それなのにある日、接触の機会があり、そこからセシルの傍にいることを許されるようになった。それが一線を超えるキッカケとなってしまったのだ。
 憧れで終わるはずだった相手が望んだ以上に近くにいる。名前も顔も把握されていることがわかっただけで舞い上がっていたのに、自分が持ってきた物を疑いもせず食べてくれることに胸が弾んでしまう。
 話しかければ返ってくる。それが嬉しくてたまらなかったナディアの中で、セシル・アッシュバートンは“推し”から“好きな人”に変わるのはあっという間だった。

「憧れと恋は紙一重だと思いますの。どちらも胸がドキドキしますものね。あなたのように婚約者がいないのであればそう言ってしまえばよいのでしょうけど、あの子には婚約者がいる。前までは婚約者の前ではセシル様の話はあまりしないように気を付けていましたの。でも最近のあの子はそれを忘れてセシル様の話ばかり……」
「ナディア様の婚約者と一緒にお食事を?」
「いいえ。でも話は入ってきますの。わたくしの婚約者はナディアの婚約者の弟だから」

 驚きのあまり声も出なかった。双子同士で結婚するのかと仕組まれたような婚約にアリスは目を瞬かせる。

「うふふっ、驚きますわよね。わたくしも驚きましたわ。親戚の誕生日パーティーに出席したとき、双子にプロポーズする双子がいるなんてね」
「ご両親はよく許可を出しましたね」
「相手は豪商の息子。断る理由なんて賢者の脳を覗いても見つかりませんわ」

 想像するだけで素敵に思えるそのシーンを見てみたかったとアリスは思った。

「彼らはとても優しく心温かい人たちで、だからこそナディアには彼を蔑ろにしてほしくはありませんの。でも憧れの相手の傍にいることが許されている今、あの子は夢の中にいるも同然。全て失ってから覚めるのはあまりにも遅すぎる。あれで目が覚めてくれればいいのだけれど……」

 どこか一点を見つめながら呟くように言ったアリシアの声は心配が伝わってくるほど弱いものだった。
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