愛だ恋だと変化を望まない公爵令嬢がその手を取るまで

永江寧々

文字の大きさ
上 下
15 / 93

嘘と真実

しおりを挟む

「君と過ごす馬車の中は快適だ。こんな気分はいつぶりか」
「光栄です」
 
 もうすぐ家に着いてしまう。
 ヴィンセルが積極的に話しかけてくれたおかげで馬車の中は無言地獄にならずに済んだ。
 寡黙な人だと思っていたのはただのイメージであって、実際はよく喋る人。
 ティーナと同じことは言いたくはないが、新しい情報がたくさん得られた時間だった。
 
「着いてしまったな」

 ゆっくりと馬車が止まったことでヴィンセルが呟く。
 その言い方がまるでこの時間が終わることを惜しんでいるように聞こえて、アリスの胸が甘く締め付けられる。

「今日は本当にありがとうございました」
「明日の朝また迎えに———」
「アリス! アリス大丈夫か!?」
 
 勢いよく開いたドア。御者ではない。強盗が開けたときのことを思い出して一瞬身構えるも勢いよく入ってきた見慣れた顔と勢いのあるハグのおかげですぐにその緊張も吹き飛んだ。
 いつもは勘弁してほしいと思うことも、今はそれに酷く安堵する。
 
「警察から連絡があった。ヴィンセルの馬車が強盗に遭ったとな。逃げたもう一人の犯人は兄様が草の根分けてでも探し出して中央広場に全裸で吊るしてやるからな。そのあと腹を裂いて引きずり出した腸で──」
「カイル、妹に聞かせていいものじゃないだろ」

 ヴィンセルの注意にハッとしたカイルは感情的になっていたせいで我を失っていたと咳払いをし、アリスの髪を優しく撫でる。

「怪我はないな? お前が怪我をしていたら兄様もお前と同じ場所に傷をつけようと思っていたところだ」
「絶対にやめてください、大袈裟です。ヴィンセル様とセシル様が守ってくださいましたから」
「セシルは格闘の心得があったか。意外だな」

 ドキッとするアリスにヴィンセルが声をかける。

「カイル、挨拶がまだ終わってないんだが」
「ああ、すまないな。妹が世話になった。いや、世話をさせてやったんだったな。感謝しろよ。気を付けて帰れ。じゃあな」
「あ、おい!」
 
 長居させるつもりはないと早口で別れの挨拶を告げたカイルはそのままアリスを抱きあげて身軽に馬車を降り、本当にそのまま階段を上がって中へと入っていった。
 もう少しちゃんとした別れ方をしたかったと溜息をつきながらヴィンセルは馬車を出した。
 
「アリス、一体何があったんだ?」

 部屋に入るまで運ばれ、ベッドに下ろされようやく一息つく。

「警察の方から説明があった通りです」
「二人組の男、一人はナイフで一人は銃。銃の男が逃げたんだな?」
「はい」
「男はなぜ発砲した?」
 
 アリスの心臓が痛いほど速くなる。
 銃を撃ったのは犯人ではなくセシル。なぜ撃ったのか———それがわかるのはセシルだけでアリスにはわからない。
 あの男はきっと撃つ気はなかった。下町で暮らす貧しい民の一人だろう。貴族を脅して金品を奪うことだけが目的だった。馬車は一台、後続車はなし。中に乗っているのが学生だと知っていたのなら脅しだけで十分だと思っていたはず。それなのにセシルは撃ってしまった。怯えた弾みなどではなく、明確な意思を持って撃った。
 だがそれをカイルに言えるはずがない。話せばセシルが銃を所持していたことがバレてしまうのだから。
 
「わかりません。怖くて、ずっと下を向いていたんです。ごめんなさい……」
 
 アリスは生まれて初めて兄に嘘をついた。
 言えばきっとカイルはセシルに事実確認を行う。友人としてではなく、聖フォンスの生徒会長として行うだろう。
 カイルは真面目で不正は絶対に許さない。それは生徒だけではなく教師にもそうだ。
 だからこそアリスはセシルを差し出すなんてことは絶対にできなかった。
 自分はきっと間違っている。それがわかっていてもアリスは今回のことは絶対に隠し通すと決めたのだ。
 
「それでいいんだ。お前が何も見ていないのが幸いだ。可愛いお前が下衆共に目をつけられては困るからな。汚い物なんて見る必要はない」
 
 兄の声色からわかる。嘘だとバレているのだと。それでも問い詰めない兄に感謝した。
 もしかすると明日、何か起こるかもしれない。
 ヴィンセルはセシルを糾弾しなかったし、カイルはアリスに嘘をつくなとは言わなかった。それでももう一人が黙っていないはず。
 発砲があり、駆け付けた警察が事情聴取を行った相手はあのヴィンセル・ブラックバーンだ。馬車の中には同乗者三名。セシルを嫌うティーナは全てを暴露するかもしれない。いや、きっとするだろう。そうなれば間違いなくセシルは尋問を受けることになる。
 それだけでもティーナは勝った気になるのだ。自分を侮辱し、邪魔をするセシルがいなくなれば全てが思い通りになると思っているのだから。
 明日、もしティーナが真実を話した際、セシルが何と答えるかわからないだけに心配でならなかった。
 
「あの強気なティーナが強盗に噛み付かなかったとはな」
「……そうですね」

 ティーナの本性はわかっている。今更驚くことはない。
 だが、やはり辛かった。自分は男爵だからとそういうときにだけ引き、アリスを公爵令嬢だと言って差し出そうとした。
 それによってアリスの身に何かあってもティーナはきっと『仕方ない』で終わらせるのだろう。自分は悪くない、強盗に遭ったんだから仕方ないじゃないかと自分を正当化する。
 そんな光景が容易に想像できてしまう時点で友達ではないのだ。

「……ティーナと……少し距離を置くべきだと思っています」
「正しい判断だな」
「縁を切るべきだとも思っているのですが……」
「一歩ずつ進めばいい。一気に進むと後戻りできなくなる。一歩ずつ進みながら自分の気持ちを整理すればいいんだ」
「そうですね」
「お前はいつだって兄様の自慢の妹だ。賢くて可愛い自慢の妹だ」

 この判断には時間がかかりすぎたぐらいだと思ってはいるが、それでも家族から言い聞かせられて決断したわけではなく、自らの判断で兄に告げた妹をカイルは評価していた。
 ティーナ・ベルフォルンは妹の親友には相応しくない。そもそも卑しいベルフォルン家とベンフィールド家が釣り合うわけがないとカイルはずっと思っていた。カイルだけではなく両親もそうだ。
 男爵でありながら乞食のような生き方をするベルフォルン家には貴族としてのプライドがない。そのくせサロンには参加して世界の全てを知っているかのような顔で話をする。
 ベルフォルン男爵は実に不愉快な男、というのがカイルの感想。吐き捨てるように父親にそう言ったことがある。
 父親は『そういう人間の相手をするのも勉強になるだろう』と笑っていたが、カイルはそうは思わなかった。
 それでもサロンで良い顔をしていたのはティーナ・ベルフォルンとアリスが親友だったから。
 アリスがその関係に終止符を打つのなら自分も良い顔をする必要はないとカイルは笑う。

「お前にはアリシアやナディアがいる」
「そうですね」

 アリシアとナディアとはずっと一緒にいるわけではない。互いに美味しいお茶やお菓子を見つけたら持ち寄ってティータイムをする茶飲み友達というだけ。
 気を使う相手ではあるし、アリスにとって一番心を許せたのがティーナだっただけに自分が判断せざるを得なくなったのは残念極まりないこと。
 それでも、やっぱりと期待することはない。
 明日のティーナの行動次第では打って出なければならないと覚悟さえ決めているのだ。

「もしものときは、愚かな妹だと見放してくださいね」
「何があろうとお前を見放したりするものか。お前が困ったときは兄様が助けてやる。お前が迷ったときは兄様が背中を押してやる。お前が前に進めないときは兄様が一緒に立ち止まってやる。お前が何もわからなくなってしまったときは兄様が導いてやる。ずっとそう言ってきただろ?」

 いつだって兄は妹に背中を見せて立つ男だった。
 何があっても『兄様が』と言って守ってくれた。
 真っ直ぐで優しくて強くてかっこいい自慢の兄。そんな兄の自慢の妹になりたいのに、アリスは今日、法を犯すセシルを庇ってしまった。
 それに後悔していない時点で自慢の妹になどなれはしないと苦笑する。

「お兄様は私の自慢の兄です」
「当然だ。お前の兄だからな」

 胸を叩いて笑うカイルの手を握って額に当て「ありがとうございます」と呟いた。 

「アリス、明日の朝は俺も一緒に馬車に乗ろう」
「お仕事はよろしいのですか?」
「お前に何かあったらどうする」
「ヴィンセル様が一緒ですし……」
「兄様が一緒は嫌か?」
 
 黙って首を振る以外に方法はなく、頭を撫でる兄にぎこちない笑みを向けながらも頭の中は明日の心配でいっぱいだった。
 翌朝、ティーナはカイルが一緒であることに喚くだろう。それを無視して行けば学校で何を言い出すかわからない、それも不安の種となり、アリスを悩ませる。
 
「今日はもう休みます」
「それがいい。ゆっくり休め」
 
 額にキスを受け、頭を下げて部屋に戻ったアリスは明日、何事もなく一日が終わるよう神に祈った。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

はずれのわたしで、ごめんなさい。

ふまさ
恋愛
 姉のベティは、学園でも有名になるほど綺麗で聡明な当たりのマイヤー伯爵令嬢。妹のアリシアは、ガリで陰気なはずれのマイヤー伯爵令嬢。そう学園のみなが陰であだ名していることは、アリシアも承知していた。傷付きはするが、もう慣れた。いちいち泣いてもいられない。  婚約者のマイクも、アリシアのことを幽霊のようだの暗いだのと陰口をたたいている。マイクは伯爵家の令息だが、家は没落の危機だと聞く。嫁の貰い手がないと家の名に傷がつくという理由で、アリシアの父親は持参金を多めに出すという条件でマイクとの婚約を成立させた。いわば政略結婚だ。  こんなわたしと結婚なんて、気の毒に。と、逆にマイクに同情するアリシア。  そんな諦めにも似たアリシアの日常を壊し、救ってくれたのは──。

結婚記念日をスルーされたので、離婚しても良いですか?

秋月一花
恋愛
 本日、結婚記念日を迎えた。三周年のお祝いに、料理長が腕を振るってくれた。私は夫であるマハロを待っていた。……いつまで経っても帰ってこない、彼を。  ……結婚記念日を過ぎてから帰って来た彼は、私との結婚記念日を覚えていないようだった。身体が弱いという幼馴染の見舞いに行って、そのまま食事をして戻って来たみたいだ。  彼と結婚してからずっとそう。私がデートをしてみたい、と言えば了承してくれるものの、当日幼馴染の女性が体調を崩して「後で埋め合わせするから」と彼女の元へ向かってしまう。埋め合わせなんて、この三年一度もされたことがありませんが?  もう我慢の限界というものです。 「離婚してください」 「一体何を言っているんだ、君は……そんなこと、出来るはずないだろう?」  白い結婚のため、可能ですよ? 知らないのですか?  あなたと離婚して、私は第二の人生を歩みます。 ※カクヨム様にも投稿しています。

突然決められた婚約者は人気者だそうです。押し付けられたに違いないので断ってもらおうと思います。

橘ハルシ
恋愛
 ごくごく普通の伯爵令嬢リーディアに、突然、降って湧いた婚約話。相手は、騎士団長の叔父の部下。侍女に聞くと、どうやら社交界で超人気の男性らしい。こんな釣り合わない相手、絶対に叔父が権力を使って、無理強いしたに違いない!  リーディアは相手に遠慮なく断ってくれるよう頼みに騎士団へ乗り込むが、両親も叔父も相手のことを教えてくれなかったため、全く知らない相手を一人で探す羽目になる。  怪しい変装をして、騎士団内をうろついていたリーディアは一人の青年と出会い、そのまま一緒に婚約者候補を探すことに。  しかしその青年といるうちに、リーディアは彼に好意を抱いてしまう。 全21話(本編20話+番外編1話)です。

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。 ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。 「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」 ある日、アリシアは見てしまう。 夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを! 「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」 「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」 夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。 自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。 ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。 ※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない

鈴宮(すずみや)
恋愛
 孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。  しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。  その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?

溺愛されていると信じておりました──が。もう、どうでもいいです。

ふまさ
恋愛
 いつものように屋敷まで迎えにきてくれた、幼馴染みであり、婚約者でもある伯爵令息──ミックに、フィオナが微笑む。 「おはよう、ミック。毎朝迎えに来なくても、学園ですぐに会えるのに」 「駄目だよ。もし学園に向かう途中できみに何かあったら、ぼくは悔やんでも悔やみきれない。傍にいれば、いつでも守ってあげられるからね」  ミックがフィオナを抱き締める。それはそれは、愛おしそうに。その様子に、フィオナの両親が見守るように穏やかに笑う。  ──対して。  傍に控える使用人たちに、笑顔はなかった。

【完結】溺愛婚約者の裏の顔 ~そろそろ婚約破棄してくれませんか~

瀬里
恋愛
(なろうの異世界恋愛ジャンルで日刊7位頂きました)  ニナには、幼い頃からの婚約者がいる。  3歳年下のティーノ様だ。  本人に「お前が行き遅れになった頃に終わりだ」と宣言されるような、典型的な「婚約破棄前提の格差婚約」だ。  行き遅れになる前に何とか婚約破棄できないかと頑張ってはみるが、うまくいかず、最近ではもうそれもいいか、と半ばあきらめている。  なぜなら、現在16歳のティーノ様は、匂いたつような色香と初々しさとを併せ持つ、美青年へと成長してしまったのだ。おまけに人前では、誰もがうらやむような溺愛ぶりだ。それが偽物だったとしても、こんな風に夢を見させてもらえる体験なんて、そうそうできやしない。  もちろん人前でだけで、裏ではひどいものだけど。  そんな中、第三王女殿下が、ティーノ様をお気に召したらしいという噂が飛び込んできて、あきらめかけていた婚約破棄がかなうかもしれないと、ニナは行動を起こすことにするのだが――。  全7話の短編です 完結確約です。

愛人をつくればと夫に言われたので。

まめまめ
恋愛
 "氷の宝石”と呼ばれる美しい侯爵家嫡男シルヴェスターに嫁いだメルヴィーナは3年間夫と寝室が別なことに悩んでいる。  初夜で彼女の背中の傷跡に触れた夫は、それ以降別室で寝ているのだ。  仮面夫婦として過ごす中、ついには夫の愛人が選んだ宝石を誕生日プレゼントに渡される始末。  傷つきながらも何とか気丈に振る舞う彼女に、シルヴェスターはとどめの一言を突き刺す。 「君も愛人をつくればいい。」  …ええ!もう分かりました!私だって愛人の一人や二人!  あなたのことなんてちっとも愛しておりません!  横暴で冷たい夫と結婚して以降散々な目に遭うメルヴィーナは素敵な愛人をゲットできるのか!?それとも…?なすれ違い恋愛小説です。 ※感想欄では読者様がせっかく気を遣ってネタバレ抑えてくれているのに、作者がネタバレ返信しているので閲覧注意でお願いします…

処理中です...