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強盗

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「ヴィンセルまで驚くことないのに。だってさ、アリスって控えめだし料理上手の聞き上手。こういう子が妻だといいよね」
「でもアリスってダンス苦手ですから」
「そんなの別にどうだっていい。彼女は公女であって踊り子じゃないんだから。僕も踊るの嫌いだしね」
「ああ、だからセシル様っていつもダンスタイムに参加しないんですね」
「そうだね。踊りたい相手もいないし、踊りたくないし」
 
 バカにしたように笑うティーナはセシルはダンス一つまともに踊れないことを強がっているのだと決めつけていた。
 パーティーに顔は出してもダンスタイムに踊っているセシルを見たことがある令嬢はいないだろう。
 だがそれはヴィンセルも同じ。誰にも誘われないように王族席から立ったことがない。カイルは人脈を広げるために同性とばかり話をしているし、踊っているのはいつもアルフレッドだけ。
 
「でも今年はアリスと踊ろうかな」
「わ、私踊れないんです!」
「うちで一緒にレッスン受けようよ」
「そ、それはさすがに……」
 
 ファンに見られたら何を言われるかわからないと追っかけの存在を恐れて首を振った。
 
「いいじゃん! セシル様と一緒にダンスのレッスン受けなよ! 今年はほら、デビュタントもあるわけだし恥かいたら困るじゃん!」
 
 今年はデビュタントに参加する歳だが、カイルは反対しているしアリスも出るつもりはなかった。
 婚約者は兄が決めるが、その兄が婚約者を決めるつもりがないためデビュタントに出たからといって何かが変わるわけではないし、それなのに出席するなどと言えばカイルが何を言い出すかわからない。
 猛反対を押し切ってまで出る苦労を自分に課すつもりがないのだ。
 ティーナは数年前からデビュタントを楽しみにしていた。それ故に学校の授業でもダンスの授業を一番に頑張ってきた。
 二年前からデビュタントのためのドレスを自分でデザインして用意するほど楽しみにしていたティーナにとってここでアリスをセシルに押し付けておけばヴィンセルと接触するときに邪魔が入らなくなると企んでの言葉であることはアリスにもわかっていた。
 アリスは自分がデビュタントに出たとしてヴィンセルと踊れるなどと思ってはいないし、セシルと踊ることも想像できない。上手くいくのはいつだって妄想の中だけなのだ。
 セシルと踊るのが嫌なわけではない。もしセシルから誘われれば礼儀として誘いを受けるだろう。
 しかし、この手ではダンスの練習は出来ないし、何よりティーナの企みを協力するようで嫌だった。
 
「でも僕は伯爵だし、公爵令嬢の相手は王子のほうがいいかもしれないね」
「そ———」
「そんなことないですよ! 伯爵だって立派なんですから!」
「男爵よりはそうだろうね」
「ッ!」
 
 ティーナの思い通りにさせたくないのはセシルも同じ。人を陥れて自分の思い通りにしようとする女を歓迎する男はない。
 セシルにとってヴィンセルは友人。王子と伯爵という立場は全く違う者同士でも友人関係なのだ。そこに何の礼儀も見せずに自分の欲を割り込ませるティーナを歓迎するつもりは毛頭ない。
 
「王子は出席なさるのですか?」
「え? あ、ああ……職務だから」
 
 デビュタントには必ず王と王妃が出席し、そこに王子も出席することとなっているのだが、誰も彼と踊れるなどと考えないだろうにティーナは違う。
 踊りたいと迫ることはしないが目で訴えかけている。その目を直視しないようにあからさまに視線を逸らすヴィンセルはこんなにもわかりやすいのにティーナはそれに気付かないフリをしていた。
 
「ヴィンセル王子と踊ったら人生で最高の思い出になるでしょうね」
「踊れない君には夢のような話だろうね」
「……セシル様は私のことが嫌いなんですか?」
「うわ、驚いた。よくわかったね」
 
 わざとらしい驚き方に含まれる挑発にティーナはあえて乗ろうか迷っていた。だがここは馬車の中で、爵位は自分が一番低い。王子、公爵、伯爵、そして男爵の自分。なぜ自分が男爵なんだと親指の爪を噛みながら家の爵位に不満しかないティーナ。
 せめてセシルが男爵であれば今この場で頬をひっぱたいていたのにと思うほど腹が立っていた。
 
「私、セシル様に何かしましたか?」
「何も。ただ君が嫌いなだけ」
「なぜです?」
「僕はアリスが好きなんだ。だからそのアリスを親友って言葉で利用してる君のことが大嫌いなんだよ。反吐が出るくらいにね」
 
 誰もが絶句したセシルの衝撃発言。
 名前が出たアリスはセシルは何を言っているのか、どういう意味で言っているのか理解と整理に時間がかかって上手く反応できないでいる。
 何せ相手はあの人気者のセシル・アッシュバートン。
 好きというのは友人としてであって恋の意味であるはずがない。

(だって私には想い人がいて、でも相手は王子だから手の届かない相手。見ているだけで満足していたような女が人気者の相手から好きだと告白を受けるなんてそんな小説の中のような話があるわけがない!)

 頭の中で繰り返す自分への言い聞かせ。それに集中するアリスは現実逃避で焦りを見せず人形のようにジッとしていた。
 
「アリスを好き?」
「そうだよ」
「ふふっ、ご自分の家柄がなんだったか思い出してみてはいかがですか? 伯爵が公爵令嬢を好きだなんておかしくて笑っちゃう」
「男爵が王子にアプローチするほうがおかしくて笑えるけどね」
「ッ!」
 
 何を言っても言い返されるティーナにアリスはもう口を開かないほうがいいと忠告したかった。しかしそう言ってしまえば王子の前で恥をかかせたと後々うるさいのは目に見えている。
 馬車に乗ってきたセシルが小声で言った『僕に任せて』ということはこのことだったのかと何度も悔しげに顔を歪ませるティーナを見てアリスは納得した。
 ティーナは自分が絶対に正しく、誰が何を言おうと聞きはしない。自分の好みの男性がいたとしてもその相手が自分の言うことを聞いてくれないのであれば恋心は一瞬にして冷めると言っていたが、王子が言うことを聞いてくれると本気で思っているのか知りたかった。
 王子のことだけは諦めないのだから本気なのだろうと思いはするが、やはり理解しきれない部分もあった。
 
「君って醜悪だよね」
「は?」
「君がアリスの親友だって名乗る度にアリスに同情するよ。君のような人間は貴族より平民として生きる方が合ってるんじゃない? 考え方、言葉遣い、話し方、態度──その全てに貴族としての品がない」
「侮辱って言葉、ご存じですか?」
「その行為の真っ最中だからね」
 
 ティーナの雰囲気は目つきと共に変わっていく。
 人は大声を上げて怒鳴っている間はまだ冷静だという。怒鳴らず静かに怒りを構え始めたときこそ危険だと本で読んだことがあったアリスはティーナに手を伸ばしてそっと腕に触れた。
 
「触ってんじゃないわよ。私を怒らせたいの……?」
 
 少し触れただけで低い声が針のように鋭くなってアリスを脅す。
 
「ベルフォルン男爵令嬢、少し落ち着———ッ!?」
「キャアッ!」
 
 馬の嘶きと共に大きく揺れた馬車。地震かと壁に手をついて踏ん張っていると乱暴にドアが開いた。
 御者ではない。
 
「そのまま降りてこい」
 
 バンダナを口元に巻き、ナイフを持った男が一人、開いたドア側にいたヴィンセルとアリスに刃を向けながら降りるように命じた。
 
「お前たちもだ」
 
 ティーナが反対側のドアの取っ手に手を伸ばすと触れる前にドアが開き、もう一人男が現れた。
 
「これが誰の馬車か知ってのことか?」
「聖フォンスに通うお坊ちゃんの馬車だろ。いいからさっさと降りろ。そんで金を出せ。五体満足で帰りたいなら抵抗すんじゃねぇぞ!」
 
(アンドリース地区でひったくりが出ているらしい)
 
 アリスは父の言葉を思い出した。
 聖フォンスからつけてきたのか、それとも制服を見て気付いたからそう答えたのかはわからないが、アリスは異常に速く動く鼓動を抑えようと胸に手を当てるとヴィンセルが先に降りていく。
 
「ヴィンセル様危険です!」
「あーあー、何で降りるかな」
 
 焦りはなく呆れたように呟くセシルにアリスが振り向くとセシルのほうにいる男はナイフではなく銃を持っていた。
 鈍色に輝く銃口を向けられながらもセシルはアリスに『大丈夫だよ』と声をかけて小さな微笑みさえ見せた。
 
「金は持っていない」
「持ってないわけねぇだろ! こんな上等な馬車に乗ってるってことは金持ちなんだろ? 痛い思いしたくなきゃさっさと金出しな!」
「ないと言ってるだろう」
「なら家から金を取ってこい。それまで後ろの嬢ちゃんたちとは俺たちが遊んでてやるからよ」
 
 ニヤつきと共に黄ばんだ汚い歯を見せる男にアリスはゾッとする。自分でも驚くほど全身が粟立つ感覚に身震いを起こすとセシルが手を握った。

「アリス、怖がらなくてもいいよ。大丈夫だから」

 生まれて初めて見る犯罪者。貴族相手にナイフや銃を向ける男たちにはもう失うものはないのだと気付くと恐怖は増すばかり。
 何をしでかすかわからない相手への恐怖を抱えながらティーナを見るも怯えはなかった。
 これから何をされるかわからないのになぜそんなに冷静でいられるのかとアリス以外は全員が落ち着いている。
 
「私は男爵家の娘だからお金ないの! この子は公爵家の娘だからお金持ってるわよ!」
 
 ティーナの言葉にアリスは耳を疑った。
 もしヴィンセルがナイフに倒れるか家に戻るかになったとき、男たちは迷うことなく馬車に乗り込んでくるだろう。
 アリスは護身術も何も身につけてはおらず、急所は一か所しか知らない。
 それでもナイフと銃を持つ男が間近に来たら声も上げられない気がすると自分が惨めな姿に成り果てるのは目に見えていた。
 ティーナはアリスがどういう性格かわかっていながら親友を守るのではなく差し出す側に回ったのだ。
 
「ホント……ムカつく……」
 
 セシルの呟きは男たちが砂利を踏む音に掻き消される。
 
「お前も公爵か? かわいー顔してんじゃねぇかよ。お前も大人しくしてろ。そうすりゃ嬢ちゃん共々可愛がってやるからよぉ」
 
 イッヒッヒッと下衆い笑い声を上げる男が目の前で銃を揺らして脅すも、セシルは睨みも答えもしない。
 アリスの手を握ったまま手を引いて隣に座らせた。
 
「ガキのくせに女作ってこれから部屋でしっぽりしゃれこもうってか? 生意気だな。苦労したこともねぇくせにヤることだけヤるってのぁ許せねぇよなぁ」
「セシル様」
「大丈夫。アリスはなーんにも心配しなくていい。僕とヴィンセルがちゃんと家まで送り届けるから」

 不安げなアリスの頬に手を添えて優しい微笑みを見せるセシルの優しい声に銃を持った男が鼻で笑う。

「おいおい、騎士ごっこなら無事に帰ってからやるんだな。金出さねぇとごっこ遊びもできねんだからよぉ!」
「お金持ってるならさっさと渡しちゃってよ!」

 小声で訴えるティーナにアリスは思わず眉を寄せた。自分だって少額は持っているだろうに出そうとはせず、セシルとアリスに金を出せと指示する。
 
「その嬢ちゃんの言う通りだぜ、さっさと金出しな」
「わ、私少しだけなら──」
「出さなくていいよ、アリス」

 鞄を開けようとするアリスの手をそっと押さえたセシルが首を振る。

「お嬢ちゃんが出すって言ってんのに邪魔してやんなよ、気に入らねぇなぁ!」

 男が怒声と共に段に足をかけるのが見え、アリスの身体に緊張が走る。

「アンタが気に入るかどうかなんかどうだっていい」
「あん?」
「そんなオモチャ振り回してかっこつけてるつもりなんだったらやめといた方がいいよ」
「どれがオモチャだっ———ッ!?」
 
 吠える男の額に突きつけられた銃口。白銀に輝く銃身に施された金模様。セシルの白く細い手によく似合うと見惚れてしまうほど美しい銃だが、それをセシルが持っていることに誰もが目を見開いて固まった。
 さっきまで銃を揺らして笑っていた男でさえもいつの間に銃が出たのか見えなかった。
 
「ねえ、早撃ちしようか。君が速いか、僕が速いか。失う物は手か命か———面白そうでしょ?」
「ふ、ふざけんな! さっさと抜け!」
 
 男の銃口に入り込んだセシルの指。男が撃てば間違いなくセシルの指は飛ぶ。指一本では済まないだろうが、それは男も同じ。だがこの状況で圧倒的不利なのは男。もしこのまま男が撃ってセシルが手を吹き飛ばされた衝撃で右手の銃が起動したら男は額を撃ち抜かれて即死。その前に銃は暴発し、男の手も吹き飛ぶかもしれない。
 自分が手を失う可能性があるというのに目を細めて挑発的な笑みを浮かべているセシルに男は顔を青ざめる。
 
「銃を持ったら脅しに使うんじゃなくて獲物に使わないと」
 
 静かな声を掻き消す乾いた音。誰かの頬を打つ乾いた音とは別物の明らかな銃声が薄暗くなった住宅街に響き渡った。
 
「ギャアアッ! み、耳がッ! 俺の耳がぁッ! ヒィッ! ヒッ、やめッ、やっやめてくれ! 助けてくれぇ!」
 
 額ではなく耳が熱くなり、ボタボタと次から次に地面を染める血が自分の耳から流れ出ているのだとわかると恐怖から尻もちをついた直後、そのまま身を翻して慌てて逃げ出した。
 
「お、俺に向けたらコイツを殺———ぐふぉッ!」
 
 迷いなく発砲したセシルに怯えたもう一人の男は握ったナイフを震わせながらヴィンセルを脅しに使う間もなくヴィンセルによって顎に拳を叩きつけられ、身体がキレイな弧を描きながら宙を飛んだあと、重力に従って地面に倒れた。
 
「貴族の男が護衛がいないと何も出来ないお坊ちゃんばかりだとでも思っていたのなら甘すぎだ」

 制服の皺を伸ばすようにサッサッと払うヴィンセルは大きく息を吐き出す。
 地面に倒れたままぴくぴくと痙攣を起こす男の背に乗った御者は自分のベルトを外して男の腕を固定し、転がすように蹴って馬車から距離を取らせる。
 遠くから聞こえる勢いある馬の足音。発砲を聞きつけた警官が駆け付けてきたのだろうと気付いたセシルは銃をしまってティーナを見た。
 
「一言でも発したら二度と喋れないようにしてあげる」
 
 本気だろう声色にティーナは反論できなかった。

「ここで銃声が──ッ!? ヴィンセル王子ではありませんか!?」

 駆け寄ってきた警官の一人が道路に立っている男がヴィンセル・ブラックバーンであることに気付き、慌てて敬礼する。

「二人組の強盗が突然馬車を止めて金銭を要求してきた。一人はこの男。もう一人は銃を所持した男がいたが、逃げられてしまった」
「お怪我はございませんか?」
「問題ない」

 どこも怪我をしていない様子に安堵した警官はそれから少しだけ時間がほしいと言って全員に質問した。
 その質問に八割の真実と二割の嘘で答えてその場をやり過ごしたヴィンセルは警察が馬車に乗るよう言ってきたことでようやく馬車に乗り込んだ。
 
「すまない。出してく———」
「待った」
 
 ヴィンセルの言葉を遮ったセシルはドアを開けてティーナに出るよう顎で促す。
 
「は?」

 何が言いたいと眉を寄せるティーナにセシルが伝える。

「君はここでさよなら」
「意味わかんないんですけど。私の家ここじゃないし」
「ここじゃなくてもすぐそこだろ。男爵通り」
「ッ! 侮辱するのも大概にしなさいよ!」
 
 男爵は男爵で集まった地区に住んでいる。国で差別化しているかのように〝男爵通り〟〝子爵通り〟〝伯爵通り〟と呼ばれる場所がある。正式な名前はあるものの、セシルが言う呼び方がいつの間にか浸透し、今では『男爵通り何番地』と言うようになっていた。
 不思議なことに侯爵と公爵だけはその通りがない。特に公爵は数が少ないため通りはできない。
 ティーナの家がある男爵通りはここから歩いて五分もかからない場所にあるため走って帰れば一分で着くだろう。
 それでもアリスは家の前まで送ってもらえるのに自分は裏通りのような場所で降ろされなければならないのかと不満を露に大きく床を踏みつけた。
 
「言っておくけど、本来、この馬車は君みたいなクズを乗せていい物じゃないんだ」
「アリスはいいって言うの!?」
「彼女は公爵令嬢であり、君みたいなクズとは程遠い人間だ」
「そのクズの親友をやってるのはアリスなんだけど」
「君がまとわりついてるだけだってことは誰が見てもわかるよ」
「アンタに何がわかるのよ! 私とアリスは親友———」
 
 置いていたティーナの鞄を先に外へ放り投げたセシルはそのままティーナに冷めた目を向け
 
「さっさと降りろ」
 
 普段からは想像もつかない迫力に口を噤んだティーナは悔しげに表情を歪め、降りていった。
 降りた瞬間に振り向いたティーナの言葉を聞く前にドアを閉め、ティーナが通りに入るのを待たずに馬車を出させた。
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