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番外編

アイザック・フォン・ランベリーローズ5

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「フラン、パパから一つ提案があるんだ」
「なあに?」

 爪に花のオイルを塗りながら返事をするフランにアイザックが後ろから近付く。

「ミュゲットを表に出そうかと考えてるんだ」

 フランには二年前に既に話をしているため、この言い方で伝わる。
 勢いよく振り返ったフランが見せたのは嬉々したものではなく眉を寄せた怪訝なもの。

「お前だけが仕事をしているのは辛いだろう? ミュゲットはお前のお姉ちゃんだ。お姉ちゃんは妹の手本になる必要があるのにママがダメだの一点張りでお前にだけ負担がかかってるじゃないか。パパはそれを心配してるんだよ」

 ノースリーブのワンピースから出ている肩をそっと撫でる手を今度は強く払われる。

「余計なことしないでよ!」
「余計なこと?」

 ピクッとアイザックの眉が動く。

「ミュゲットが外に出たらミュゲットが注目されちゃう! フランだけでいいの! フランだけ注目されなきゃダメなの! ミュゲットが表に出るのは舞のときだけ! それだけは許してあげる。でも舞のあとに皆を幸せにする粉をまく妖精の役はフランだから! ミュゲットにはあの仕事させてあげない」

 フランはミュゲットを外に出すのを嫌がった。
 なんでも一番でなければ気が済まないことを知っているため、フランの言い分に目を細めながら後ろから抱き締める。

「ミュゲットが外に出たからってお前が注目されなくなるわけじゃない。お前が一番美人だ。ミュゲットが外に出てもお前が一番美人なんだよ。これだけ素晴らしい身体は神が与えてくださったものだ。見てごらん、こんなにも美しいのはお前が神に愛されたからだよ」

 真正面にある鏡に顔を向けさせながら娘の身体に手を這わすアイザックのねっとりとした喋り方にフランは何も言わなかった。
 鏡の中の自分と見つめ合い、ずっと黙っていた。

「パパはお前を一番愛してるんだ」
「ママより?」
「ママよりお前が大事だよ」
「ミュゲットより?」
「パパの愛はお前だけの物だ」

 異常な愛情を向けて囁くアイザックにとって娘は良い商品だった。
 ミュゲットと違ってフローラリアの女らしい良い身体に育った。
 豊かな胸と引き締まったウエストと尻は若いからこそ価値があると男たちは口にする。
 その汚れた欲望を叶える理想的な身体に育ったのがフランだった。

「パパだけでいいのにな」
「パパもだよ。フランがいればそれでいい」

 娘のハジメテは父親が奪って教えるものだと嘘をついた日からずっとアイザックは娘を抱いている。
 誰かと身体を繋げることを特別としていないフローラリアの女として育っているフランもまた父親からの行為を不潔だとは思わなかった。
 ただ、父親が抱く透けて見える下心に嫌悪感を持っているだけ。
 幸せも快楽もない無駄な行為。
 フランは慣れたように演技を続け、アイザックはその演技を真に受けて喜んでいた。

「グラディアの武器……王族がミュゲットを嫁に迎えたいって言ってるんだ」
「ダメ!」
「でも、ミュゲットがいなくなれば何もかもお前の物になるんだぞ?」
「絶対にダメ! ミュゲットがフランより先にお嫁に行くなんて絶対に許さない! フランが先にお嫁に行くの!」
「パパはフランをお嫁に行かせる気はないんだけどなぁ」
「でもフランは素敵なダーリンを待ってるんだもん」
「パパより?」
「んー、パパには負けるかも」

 フランは媚びるのが上手かったし、アイザックもよくそれで喜んでいた。
 若い身体を抱く喜び、その相手が娘という異常性もアイザックは気にしない。
 病気を持っているかもしれない他所の女を抱くぐらいなら可愛い娘を抱く。
 アイザックは既に正常な感覚を失っていた。

「ミュゲットはずーっと中で引きこもってればいいの。フランが外で皆の人気者になってるのを羨ましそうに見てればいいんだから」
「パパはお前だけに働かせるのが辛いんだ。ミュゲットと分担すればいい」
「もしフランに良くしてくれてた人がミュゲットに行っちゃたら? ショックで寝込んじゃうかも」
「フランを抱いて気に入ってくれてるのにミュゲットを抱いて喜ぶはずないだろ? そんな奴はただの変態だ。パパが追い出してやる」
「大事なお客さんなのに?」
「フランを悲しませるような奴はお客さんじゃない」
「ただの変態?」
「そうだ」

 フランの笑顔は好きだった。
 明るくて華やかで無邪気。見ている人に癒しを与えるそんな笑顔。
 それに比べてミュゲットの笑顔はどこか気取ったように見えた。
 血の繋がりなどないのに時折ノーラが見せる笑みによく似ていた。
 ミュゲットは両親とも一線を引いているのを感じていたためそこも可愛くないと思った部分ではある。
 
「だがなぁ、グラディアの王族の申し出は断りにくいんだ」
「絶対ダメ! あ、ほら、ミュゲットの運命を変えるっていう王子様を待ったら?」
「あんなの占い師が適当に言ったことだ。パパは信じてない」
「でもミュゲットが行っちゃうのやだ。パパ、ミュゲットを行かせないで」

 子猫のように擦り寄って甘えてくるフランを抱きしめながらベッドの中で仰向けから横向きになってフランを見つめる。
 汗で張り付いた髪を外してやりながら顔を見つめると愛おしさが込み上げる。
 自分の血を分けた愛娘でありながらアイザックは既にフランを一人の女性として見ていた。
 横の繋がりを広げるための商品であり、自分の性欲を満たす女でもあり、自尊心を満たす娘でもある。
 
「フランにお願いされるとパパ弱いからな」
「じゃあ断ってくれる?」
「そうだね」

 頬を撫でて抱きしめると腕の中にしっかりと収まる。
 腕の中で大好きと喜ぶ娘だけがアイザックの心の支えであり癒しでもある。
 ミュゲットを追い出せばノーラは傷つくが、もうフランを差別することもなくなり自分に楯突くこともなくなるだろうと考えた。
 だからアイザックはフランに嘘をつく。
 このままミュゲットを追い出す作戦を水面下で進めるつもりだ。
 フランが泣きじゃくっても抱きしめて慰めればいい。
 フローラリアの女はどこもかしこも緩い。身体を使って慰めればあっという間だと心の中で嘲笑う。

「俺がこれだけ気をかけてやっているというのにいつもいつも偉そうに上から物を言いやがって」

 部屋に戻って書いた手紙を封筒の中に入れて封蝋する。
 宛先はグラキエスの皇帝宛。
 フローラリアの伝統でもある世継ぎの未来を見る占い師がミュゲットについて『アルフローレンスという男がこの娘の運命を変えるだろう』と言ったとき、アイザックはどういうことかと考えた。
 良いほうに変わるのか、悪いほうに変わるのか。
 五歳のとき、アルフローレンスに会ったことを聞いて驚いた。
 フランは会っておらず、ミュゲットだけが会った。それにも意味があるのだろうかとずっと考えていたが、結局それからアルフローレンスが会いに来ることはなかった。
 運命の相手だと言われているのならグラキエスへ嫁にやるのも悪くないと考えたのは、占い師の結果をノーラも聞いていたから。
 正当な理由で追い出すことができる。だからアルフローレンスに娘をどうだと手紙を出したが、返ってきたのは『不愉快だ』という内容。
 読んだほうが不愉快になるようなぶっきらぼうな書き方にアイザックは気を悪くしていた。

「やはりグラディアに送るべきか。だが、まだ先延ばしにすれば利用できる」

 王族のフリをしてやってきたグラディアのアレハンドロがミュゲットを一目見て気に入った。
 アレハンドロと手を組めば莫大な金が手に入り、国を守るための武器の購入も安定するだろう。
 しかし、向こうが要求している以上はこっちが焦らす権利があるということ。
 交渉の仕方は『グラキエスの皇帝もミュゲットを欲しがっている。グラディアに渡せばフローラリアを潰すと言われている』というもの。
 アルフローレンスの脅威を知らぬ者はいない。交渉にはうってつけの理由だった。
 運よくグラディアがグラキエスに攻撃を仕掛け、奇跡的にでもグラディアが勝ってくれれば言うことはない。
 あの若造に一泡吹かせてやりたいと長年願っているのだ。

「クソッ!」

 その願いは叶うことはなく、グラキエスはどんどん領土を広げていく。
 グラディアは元々、外と戦争をする国ではなく日々内戦が起きている国で、外と戦争をしている余裕はないのだ。
 アレハンドロがいくら金を持っていようと国が豊かになるわけではないため、グラキエスと戦うには戦力が足りない。
 武器がどれほどあろうと使う人数が少なければ意味がない。
 グラディアとは縁を切るべきかと迷っているが簡単に切れないのは、フローラリアの使用人たちが持つ武器はグラディアの武器商人から調達しているから。
 取引はやめると言えば何をされるかわからない。
 グラキエスに媚びようとアルフローレンスはなんの見返りも寄越さない。それどころか手紙のほとんどに無視を決め込んでいる。
 だが、アイザックはアルフローレンスに法則性のようなものを見出していた。
 それはほとんどの手紙を無視するアルフローレンスがミュゲットに関することにだけは返事を寄越すこと。

「俺の予想が当たっていれば必ずこの手紙に返事が来る」

 ミュゲットはアレハンドロのところに嫁に出すことにしたと書いた手紙。
 一年待たせているためアレハンドロもそろそろ我慢の限界を感じさせる手紙を寄越してきたため、これ以上引っ張ると危険と判断してアルフローレンスとの繋がりを断つことにした。
 先代皇帝であるアンブローズは麻薬を大量に発注してくれた。これは全て兵士のためだと言って。
 アルフローレンスは違った。必要ないと言いきり『こんな物がなければ戦えぬ兵士は必要ない』と言ったのだ。
 なんでも用意するからなんでも言ってくれと言ってもアルフローレンスは『必要ない』の一点張りで何も求めてはこなかった。
 そして自分が最も偉いと言わんばかりの態度で返事を返す。
 彼が十七歳のときに会った日から気に食わなかった。
 自分はこれから莫大な金を手に入れてグラキエスに対抗できるだけの軍隊を作ると夢見るアイザックは最後の手紙を送った。
 それに対する返事が『待った』であれば交渉する。

「せいぜい焦るがいい。お前が欲しがっている物は俺の手の中にあるんだからな」

 勝ち誇った笑みを浮かべながらグラキエスがある方角を向いて吐き捨てるように言ったアイザックは勝利を確信していた。
 アルフローレンスがどういう男であるかを知らなかったアイザックはすぐに知ることになる。
 自分がいかに愚かであったかを。
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