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東の森の魔女

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「アル、大丈夫か?」
「貴様に心配されることなどない」
「ミュゲットちゃんがああなって心配なのはわかるけど、今は冷静になれよ」
「余が冷静ではないと言いたげだな」

 振り向いたアルフローレンスの言葉が電気を纏っているかのようにエルドレッドの肌をビリつかせる。
 それでもエルドレッドは指で左右の壁を指差した。

「シェスターに呼ばれて来たとき、いつの間に氷の城に建て替えたんだって勘違いするぐらい凍ってたんだぞ」
「だからどうした」
「ミュゲットちゃんがああなる前までは普通だったじゃないか」
「余は冷静だ」
「ミュゲットちゃんにそう誓えるか?」
「黙れ。貴様に何がわかる。今更余の兄面をするな。不愉快だ」

 すぐ近くにある松明の火が冷えた。
 それだけで内臓まで凍えそうなほど寒くなる。
 口で呼吸しようものなら一瞬でダメージを負うだろう内臓を守るために服で口元を押さえた。

「俺が悪かった。口出しすべきじゃなかったよな。とりあえず部屋に入ろう。な?」
「余はこれから東の森へ向かう」
「……魔女に会おうってんじゃ……」
「そうだ」
「……アル、少し話そう」
「貴様に割く時間などあるはずないだろう」
「俺は世界中を旅してきたから東の森の魔女の情報なら少し持ってるんだ。話をしよう」

 なんの情報もないまま行くよりはいいだろうとエルドレッドは近くの部屋のドアを開けて中に入るよう促した。
 眉を寄せながらも部屋に入るアルフローレンスに安堵しながらシェスターにも入るよう促して真っ先に暖炉に火をつけた。
 ボッと大きな音を立ててついた火が部屋中を暖める。一瞬で冷えた手は暖かさに安堵するのではなく痛みを感じていた。
 それでも息をすることに死を感じるよりずっといいと手を擦りながらベッドに腰かけるエルドレッドの前にアルフローレンスが仁王立ちになって言葉を待っている。

「情報を寄越せ」

 それが情報をもらう側の態度かと言いたいことはあったが、今はそういう軽口さえも許されない状況だとわかっているためエルドレッドは苦笑しながらも口を開いた。

「東の森がどこにあるか知ってるか?」
「ああ」
「東の森とまとめられてはいるが、あの森の広さはそこらの国をいくつかのみこんでしまうほど巨大な森だ」
「だからどうした」
「森には簡単に入れる。だが、その奥が問題なんだ」
「奥?」

 神妙な表情で語るエルドレッドにアルフローレンスが苛立つ。暖炉の火が大きく揺れることにエルドレッドが手で落ち着けと伝える。
 
「お前が欲しい情報を与えるから最後まで話を聞け」
「さっさと話せ。お前と無駄話をしている時間などないのだ」

 焦る気持ちはわかるためこれ以上の説得はやめて説明を再開させる。

「森の奥には結界が張ってある。そこは終焉の森と呼ばれているんだ。結界師でさえ解除できないほど強力な結界が張られたその先を知る者は少ない。入って戻ってきた者はほとんどいないからな」
「結界師でさえ解除できない物をどうやって入ることができたというのだ?」
「帰還者によれば結界の前に立っていると勝手に入口が開いたらしい。開く条件はわかっていないが、魔女の気まぐれの可能性が高い」
「余にその気まぐれに付き合えというのか?」
「自分にできることがない以上は待つしかない」

 グッと拳を握りしめて外に顔を向けるアルフローレンスの感情の乱れは暖炉の火を見ていればわかる。
 一刻も早く解毒薬を手に入れて助けたいだろう者のために自分ができることは【待つこと】だけ。
 今日行って今日開けばいい。しかし、魔女の気まぐれとなれば一年後や十年後でもおかしくはない。
 これが長期化すればこの氷化はフローラリアにも影響を及ぼす可能性がある。
 大陸全てが凍ってしまうことだけは絶対に避けなければならないことだとエルドレッドも焦っていた。

「北の塔の魔法使いを頼る方法もあるが……」
「あいつらが手を貸すと思うか?」
「思わないな」

 ここから馬で一週間ほど走れば着く天に届きそうなほど高い塔がある。そこには魔法使いが五人住んでいて世界を見守る役割を担っているという噂。
 実際のところ誰も会ったことはなく、塔の入り口は固く閉ざされていて何を使おうと開けることはできない。
 本当に魔法使いがいるのかさえも怪しいところ。
 噂ばかりが広がって壮大な物語を作っているが、実際のところ誰も塔の中については知らない。
 だから二人は揃って口を閉ざす。

「魔女は面食いだからお前なら会えると思うんだが……」
「確証はあるのか?」
「男女四人で向かったとき、結界の入口が開いたが、入れたのは男だけだったらしい。それも一人だけ。もう一人は入れなかったんだとさ」
「ブ男だからか?」
「まあ、言ってしまえばそうなる」

 世界政府から指名手配を受けている魔女は数人いて、世界各地に散らばって身を隠しているという。
 そのうちの一人が東の魔女。三千年以上前から生きているという噂はあるが、魔法使いと同じでその実態について知る者はほとんどいない。

「帰還者は魔女に会えたのか?」
「イカれた状態で戻ってきたらしい」
「詳細に話せ」
「一言で言うなら麻薬を摂取した状態に似た症状が出ていたらしい。でも体内から麻薬は検出されなかった。どんな治療を受けようと治ることはなく、男は毎日終焉の森へ向かい、入口が開くのを待ち続けた。死ぬまでな」
「終わりなき魅了か」
「魔女が持つ魔力は世界を滅ぼすほと強大なものだ。抗うのはまず無理だろうな」

 魔女の魔力を危険視しているからこそ政府は魔女に懸賞金をかけている。だが、魔女はこの世界の誰よりも長く生きており、それはこれからも変わらない。
 魔女はこの世界の知識だと言っても過言ではなく、政府はそれをも手に入れたいと思っているのだろう。
 誰の支配下にもつかない、誰を支配することもしない魔女の生態は全くの謎。
 
「賭けだぞ、これは。もしお前が魔女に魅了されて帰ってきたら俺はどうすればいいんだ。お前が無事に帰ってきたことを喜ぶべきか? それとも魔女を求めて森に居座るようになったことを嘆くべきか?」
「余はミュゲット以外に魅了されはせぬ」
「そりゃすごい自信だな。魔女の美貌はこの世のものとは思えないほど美しいらしいぞ」
「だからどうした」

 エルドレッドはアルフローレンスのその自信が恐ろしくも羨ましかった。
 この強固な弟ならありえるかもしれないと思いながらも魔女が気に入ってしまえば逃れる術はない。

「俺も一緒に行こうか?」
「足を引っ張りにか?」
「違う。もしお前だけが行ってお前が魅了されれば逃れることはできないかもしれない。でも俺が一緒に行って俺が残ることでお前が戻れるならそのほうがいいだろ」
「国を放り出す覚悟があるとは無責任な男が皇帝になったフロガの民が哀れだ」
「俺もそう思うよ。でもフロガは俺じゃなくても統治する者がいる。フローラリアと同じだ。でもグラキエスはお前が守らなきゃあっという間に世界が変わる。ミュゲットちゃんを救うのも俺じゃなくてお前だ。だからお前一人で行くより俺が一緒に行ったほうがいいと思うんだ」

 魔女の魔法に抗える者はいない。世界政府の人間でさえその対処法はまだ見つけられていないだろう。だから自ら乗り込んで魔女を捉えようとしないのだ。
 アルフローレンスの魔力がいくら強力であろうと魔女と比べれば生まれたての赤子のような者だろうとエルドレッドは推測する。
 愛する者を救うために行って身を滅ぼすかもしれない状況の中、神に祈りながら待つことはできないと同行を申し出た。

「罪滅ぼしのつもりか?」
「違う。そうじゃない」
「貴様が魔女のもとに残ることで余が魅了されずに帰れたとなれば貴様の心は救われるだろうな」
「アル、俺はそんなつもりない──」
「不愉快だ。何があろうと貴様を許すつもりはない。貴様は一生苦しみ続けろ。余の身代わりとなって自分を許すことなど認めぬ」

 兄が我慢しているから自分も我慢すると必死で堪えていた少年をどん底に突き落としたのは腹いせに暴力を振るうようになった父親でも、まともな愛情を注がなかった母親でもなく、手を伸ばすことさえしなかった兄。
 兄が同行することで状態異常にかからず帰れる可能性が上がるとしてもアルフローレンスはそれを許さない。

「ミュゲットちゃんを救いたいんだろ?」
「黙れ。余は魔女の魅了などにはかからぬ」
「アル!」
「さっさとフロガに戻れ。ここは貴様の国ではないのだからな」

 冷たく言い放ち部屋から出ていったアルフローレンスを追いかけようとするも閉まると同時にドアが凍りつき、それを溶かすのに時間がかかった。
 ドアを開けた頃には当然アルフローレンスの姿はなく、数頭の馬が東へ駆けていくのが窓から見えた。

「エルドレッド様……」

 シェスターの声に振り向いたエルドレッドは苦笑を滲ませながらため息を吐く。

「アルに許してもらえるとは思ってないし、許してほしいとも思ってない。母親一人ぐらい殴りつけてアルの手を取って逃げるぐらいできたはずなのにそれをしなかったのは事実だ。あの狂ったような母親の笑顔が怖くて、助けてって訴えるアルを置き去りにしたんだから」
「子供が子供を助けて生きられるほど、この世は優しい世界ではないんですよ」
「それが事実だとしても置き去りにされた側からすれば言い訳にしか聞こえないんだよ」

 一人で逃げ出したあとの生活はひどいものだった。そこにアルフローレンスを連れて逃げなくてよかったと何度思ったかわからない。
 母親の狂気さえ我慢すれば着る物、食べ物、寝る場所に困ることはないのだからと何度も自分に言い聞かせていた。
 夜になれば一人震えながら泣いて謝り続けた。父親と弟の二人に。
 そんな状態で守れたはずがない。だが今なら守れる状況にある。そこを利用してほしいと願ってもアルフローレンスはそれを望まない。

「罪滅ぼしと言えばそうなのかもしれないな。一度でいいからアルのために役に立ちたいと思ったんだ。今更すぎるけどさ……」

 今にも泣き出しそうな顔で笑うエルドレッドの背中に手を添えるシェスターが一緒に窓の外を眺める。
 きっと次にアルフローレンスが戻ってくるのは解毒薬を手に入れたときだろう。
 それがいつになるのかはわからない。明日か明後日か、一ヶ月後か一年後か、数十年後かもしれない──
 
「陛下がいらっしゃらない今、ミュゲット様のことは誰が守ってくださるのでしょう?」
「……俺、か」

 エルドレッドが片手で目を覆う。熱くなる目頭と震える唇がへの字に曲がる。
 素直に言えない弟の気持ちも汲んでやれず、罪滅ぼしに行こうとした自分が情けない。
 何も成長していないのは自分のほうだと涙するエルドレッドの背中を皺だらけの手が撫でる。

「よろしく頼みますよ」

 その優しい声にエルドレッドが頷いた。
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