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深い夜の海で
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「出てこい」
「あの日の再現は悪趣味です」
「そうか。悪くないと思ったのだが」
悪夢でしかない日の再現を悪くないと言えるのは攻め込んだ側だけ。思いやりの心をどこに忘れてきたんだとため息をつきながら立ち上がってアルフローレンスの隣に立つ。
「なぜここが穴場なのだ?」
疑問に答えるように天を指差すミュゲットの手を追ってアルフローレンスも空を見上げる。
「街灯も何もない場所だから星がよく見えるんです」
「……」
空を見上げたまま黙っているアルフローレンスが何も言わないことが気になって顔を向けるとミュゲットは驚いた。
てっきり無表情で何を考えているのかわからない表情でいるのだろうとばかり思っていたのに、実際は驚いたように目を見開いて見上げている。
見た人を凍り付かせるその瞳にこの星空はどんな風に映っているのだろう。きっと見慣れた自分よりも美しく見えているような気がしてミュゲットはしばらく黙っていることにした。
「綺麗でしょう?」
「……そうだな」
しばらくしてから声をかけると表情はいつも通りに戻ったが、それでも素直な言葉が返ってくる。やはり感情を持っていないわけではないのだと思うが、なぜそれを表に出さないのかがわからない。こうして感情をちゃんと表に出せば怖がられることも減るのではないかと思うが、強制はできない。
「この景色が大好きで、よく一人で見に来てたんです」
「よく親が許したな。」
親という言葉にミュゲットはまた複雑になる。その親がいないのは誰のせいか。ミュゲットの中で沸き上がる謎は未だ謎のままミュゲットだけが一人、複雑な思いに絡まっていく。
「……両親は……」
先に死んでいたが、もし死んでいなかったらその手で殺していたかと聞こうか迷ってやめた。もしそれに頷かれたらミュゲットは感情を上手くコントロールできなくなりそうだったから。
使用人を殺すことを許可しておいて二人は殺さないなどと言うはずがない。どのみち両親はこの世からいなくなっていた。それで納得するしかないと一度目を閉じて深呼吸する。
「フローラリアは小さな国で、皆が顔見知りのようなものですから」
フローラリアは皆が顔見知りと言っても過言ではないほど、ほとんどが外に出ている。ミュゲットのように家の中にいて本を読むのが好きという人間は稀である。だからこそミュゲットはフランと違って知り合いが少ないし、自国のことも何も理解していなかった。
「それで? お前はここで一人空を見上げながら何を思っていた?」
「何も。何も考える必要なんてないんです」
「空を見上げる意味はなんだ?」
「なんだと思います?」
「質問に質問で返すなと言ったはずだぞ」
「そうでしたね」
「何を──」
適当な返事をしたミュゲットの身体が海のほうへと傾くとアルフローレンスが慌てて手を伸ばそうとしたが、ミュゲットの細めた様子に意識的なのだと判断して腕は掴まなかった。
バシャンッと音を立てて海へと落ちたミュゲットはそのまま深く潜っていく。
「おい」
上がってこいと意味を込めて声をかけてもミュゲットは顔を出さない。だが心配はしていない。フローラリアの海はほとんど波はなく、さらわれることはないことはわかっている。
これは上がれないのではなく、海に落ちたのと同じで意図的に上がってこないだけ。
「ハッ!」
少しして水面に上がってきたミュゲットだが、場所はアルフローレンスがいる場所から結構離れていた。
泳がないと言っていたアルフローレンスから距離を取るミュゲットは久しぶりに感じる夜の海の冷たさに大きく息を吐き出す。震えるほどの寒さではなく、ひんやりとした懐かしさに懐かしさを感じていた。
「~♪~♪~♪~♪~」
静かな夜。無数に瞬く星と月を見上げながらミュゲットは歌う。
気持ちがいい。このままどこか遠くへ泳いでいって静かな朝を迎えたいと思うほどに。
なんの不安もなく暮らせる場所に行ってしまいたい。そして穏やかな人と出会い、恋に落ちて、散歩するようにゆっくりとした足取りで進む恋愛がしたい。自分が持てる愛全てを注げるような相手。何歳になっても愛し合っていた両親のような関係を築ける人と結婚したいと、そんな漠然としたことを考える。
フィルが好きだった。いつか恋人になれたらこの場所に案内しようと思っていた。一緒に夜明けまで空を眺めて、くだらない話をする。そんな想像をしていたこともあった。
だが、ここに連れてきた相手はフィルではなく、この国を支配した男。
本当はフィルを連れてきたかったのにと思ったところでフィルとの未来はない。あの場所でフィルが言っていた『もう関係ない』という言葉がミュゲットの胸にトゲを刺していた。
「~♪~♪~♪~……」
歌が止まり、涙が海に落ちていく。泣いたところで何も変わらない。仲良しだった頃のフランも、互いの想いがわかっていたフィルとの関係も、支配を受けなかったフローラリアも全て元には戻らない。
泣くなと自分に言い聞かせるのに涙は止まるどころか溢れて止まらない。
「なるほど、お前は人魚だったか」
「ッ!? なん……」
すぐ後ろから聞こえた声に振り向くとアルフローレンスの足が見えた。海の上を歩けるはずがないと驚いたが、よく見るとミュゲットのすぐ後ろまで氷の橋ができている。
海に逃げても追いかけられるのかとミュゲットはどうしようもない運命に笑ってしまう。
「海まで渡れるなんてズルイ……」
ミュゲットは馬を操れない。だから地上を走っても追いつかれてしまう。海ならと海に入っても海を凍らせて追いつかれてしまう。
「どこへ行くつもりだ」
「……どこへも行きません」
「ならなぜ泳ぐ」
あなたのいない場所に行きたいからと言えばきっと怒るだろう。だから言わない。ミュゲットが泳げばアルフローレンスの足も動く。一歩踏み出すだけで海が凍り、橋を作る。
この男がなぜこんなにも自分にかまうのかがミュゲットにはわからない。
「あなたはどうしてここまで来たのですか?」
「人魚の歌声が聞こえた。人魚は自慢の歌声で人間を惹きつける」
「惹きつけてどうするのですか?」
「水中に引き込んで溺れさせる」
グラキエスでも大体同じような伝説が残っているのかと一人納得したように頷く。
人魚に美しい物語がないことは知っている。フローラリアにも伝説として残っている話がいくつかあって、ミュゲットは何度もそれを読みこんでいた。
「人魚の涙は真珠に変わると聞くが、お前の涙は真珠にはなっていないな」
「真珠は海の底に落ちました」
「探しに行くか?」
「いいえ、ダイヤモンドがありますから」
氷の上でしゃがんでミュゲットの頬を指の背で撫でるアルフローレンスの性格をミュゲットはいまだに理解できない。これはきっと冗談で言っている。本当に人魚だと思っているはずがない。実際、ミュゲットは人魚ではなくただの人間。そんなことはアルフローレンスもわかっているはず。だが、冗談を言っているのに表情が冗談を言っているようには見えないため不思議に思ってしまう。この人は一体何を考えているのだろうと。
「手を貸してください」
ミュゲットが手を出すと素直に出してくる。その手を握るとちゃんと握り返される。そのまま引っ張り上げるつもりだろうアルフローレンスに笑いかけ、直後、ミュゲットは氷に片手をついて思い切り腕を引いた。
「ッ!?」
予想していなかったのだろうその行動に目を見開いたアルフローレンスはそのまま海の中へ落ちた。
「……どういうつもりだ……」
すぐに上がってきたアルフローレンスの問いかけにミュゲットは笑う。
「人魚ですから歌声に惹かれてやってきた人間を引きずり込んだんです」
そう告げたミュゲットを見つめながらアルフローレンスは張り付く前髪を掻き上げると整った顔立ちがハッキリと見える。
きれいな顔をしているとは思うが、やはり冷たいと感じる。
「余は水が嫌いだ」
「じゃあ上がってください」
「お前が上がるのならな」
海の中で抱き寄せられるも抵抗は簡単。
「余から逃げられると思っているのか?」
(飽きたくせに)
心の中で呟いた。
飽きなければ帰りたいという願いを聞いてくれるはずがない。
抱かれることを条件に優遇されたミュゲットと同じ状況の者が過去にもこれからもたくさんいるはず。お気に入りだと皆は言うが、本当にお気に入りであれば暴力を振るったりはしないとミュゲットは思う。娼婦としてはちょうどいいと思っているから暴力だって振るうのだと。
「ならお前の肉を食べれば余は不老不死になるということだな」
「その前に人魚が人間を食べてしまうかもしれませんよ。人魚は肉食ですから」
抱き寄せられるがままに腕の中に収まると首に噛みつかれる。少し痛みを感じる噛み方にピクリと肩が反応する。
「その前に余が喰らい尽くしてくれる」
本当にそうであればいいと思った。
両親がいなくなり、妹と袂を分つような状況にある今、どうやって生きていけばいいのかわからない。両親に守られて育ったミュゲットは一人でどこまで歩けるのか、不安で仕方ない。
だからといってこの男の元には帰りたくない。この男が何をしたのか忘れて生きてしまいそうだから。
(泡になれたらいいのに……)
見つめてくる瞳と視線を絡ませ、近付いてくる唇を受け入れながらミュゲットは叶わぬ願いを閉じ込めた。
「あの日の再現は悪趣味です」
「そうか。悪くないと思ったのだが」
悪夢でしかない日の再現を悪くないと言えるのは攻め込んだ側だけ。思いやりの心をどこに忘れてきたんだとため息をつきながら立ち上がってアルフローレンスの隣に立つ。
「なぜここが穴場なのだ?」
疑問に答えるように天を指差すミュゲットの手を追ってアルフローレンスも空を見上げる。
「街灯も何もない場所だから星がよく見えるんです」
「……」
空を見上げたまま黙っているアルフローレンスが何も言わないことが気になって顔を向けるとミュゲットは驚いた。
てっきり無表情で何を考えているのかわからない表情でいるのだろうとばかり思っていたのに、実際は驚いたように目を見開いて見上げている。
見た人を凍り付かせるその瞳にこの星空はどんな風に映っているのだろう。きっと見慣れた自分よりも美しく見えているような気がしてミュゲットはしばらく黙っていることにした。
「綺麗でしょう?」
「……そうだな」
しばらくしてから声をかけると表情はいつも通りに戻ったが、それでも素直な言葉が返ってくる。やはり感情を持っていないわけではないのだと思うが、なぜそれを表に出さないのかがわからない。こうして感情をちゃんと表に出せば怖がられることも減るのではないかと思うが、強制はできない。
「この景色が大好きで、よく一人で見に来てたんです」
「よく親が許したな。」
親という言葉にミュゲットはまた複雑になる。その親がいないのは誰のせいか。ミュゲットの中で沸き上がる謎は未だ謎のままミュゲットだけが一人、複雑な思いに絡まっていく。
「……両親は……」
先に死んでいたが、もし死んでいなかったらその手で殺していたかと聞こうか迷ってやめた。もしそれに頷かれたらミュゲットは感情を上手くコントロールできなくなりそうだったから。
使用人を殺すことを許可しておいて二人は殺さないなどと言うはずがない。どのみち両親はこの世からいなくなっていた。それで納得するしかないと一度目を閉じて深呼吸する。
「フローラリアは小さな国で、皆が顔見知りのようなものですから」
フローラリアは皆が顔見知りと言っても過言ではないほど、ほとんどが外に出ている。ミュゲットのように家の中にいて本を読むのが好きという人間は稀である。だからこそミュゲットはフランと違って知り合いが少ないし、自国のことも何も理解していなかった。
「それで? お前はここで一人空を見上げながら何を思っていた?」
「何も。何も考える必要なんてないんです」
「空を見上げる意味はなんだ?」
「なんだと思います?」
「質問に質問で返すなと言ったはずだぞ」
「そうでしたね」
「何を──」
適当な返事をしたミュゲットの身体が海のほうへと傾くとアルフローレンスが慌てて手を伸ばそうとしたが、ミュゲットの細めた様子に意識的なのだと判断して腕は掴まなかった。
バシャンッと音を立てて海へと落ちたミュゲットはそのまま深く潜っていく。
「おい」
上がってこいと意味を込めて声をかけてもミュゲットは顔を出さない。だが心配はしていない。フローラリアの海はほとんど波はなく、さらわれることはないことはわかっている。
これは上がれないのではなく、海に落ちたのと同じで意図的に上がってこないだけ。
「ハッ!」
少しして水面に上がってきたミュゲットだが、場所はアルフローレンスがいる場所から結構離れていた。
泳がないと言っていたアルフローレンスから距離を取るミュゲットは久しぶりに感じる夜の海の冷たさに大きく息を吐き出す。震えるほどの寒さではなく、ひんやりとした懐かしさに懐かしさを感じていた。
「~♪~♪~♪~♪~」
静かな夜。無数に瞬く星と月を見上げながらミュゲットは歌う。
気持ちがいい。このままどこか遠くへ泳いでいって静かな朝を迎えたいと思うほどに。
なんの不安もなく暮らせる場所に行ってしまいたい。そして穏やかな人と出会い、恋に落ちて、散歩するようにゆっくりとした足取りで進む恋愛がしたい。自分が持てる愛全てを注げるような相手。何歳になっても愛し合っていた両親のような関係を築ける人と結婚したいと、そんな漠然としたことを考える。
フィルが好きだった。いつか恋人になれたらこの場所に案内しようと思っていた。一緒に夜明けまで空を眺めて、くだらない話をする。そんな想像をしていたこともあった。
だが、ここに連れてきた相手はフィルではなく、この国を支配した男。
本当はフィルを連れてきたかったのにと思ったところでフィルとの未来はない。あの場所でフィルが言っていた『もう関係ない』という言葉がミュゲットの胸にトゲを刺していた。
「~♪~♪~♪~……」
歌が止まり、涙が海に落ちていく。泣いたところで何も変わらない。仲良しだった頃のフランも、互いの想いがわかっていたフィルとの関係も、支配を受けなかったフローラリアも全て元には戻らない。
泣くなと自分に言い聞かせるのに涙は止まるどころか溢れて止まらない。
「なるほど、お前は人魚だったか」
「ッ!? なん……」
すぐ後ろから聞こえた声に振り向くとアルフローレンスの足が見えた。海の上を歩けるはずがないと驚いたが、よく見るとミュゲットのすぐ後ろまで氷の橋ができている。
海に逃げても追いかけられるのかとミュゲットはどうしようもない運命に笑ってしまう。
「海まで渡れるなんてズルイ……」
ミュゲットは馬を操れない。だから地上を走っても追いつかれてしまう。海ならと海に入っても海を凍らせて追いつかれてしまう。
「どこへ行くつもりだ」
「……どこへも行きません」
「ならなぜ泳ぐ」
あなたのいない場所に行きたいからと言えばきっと怒るだろう。だから言わない。ミュゲットが泳げばアルフローレンスの足も動く。一歩踏み出すだけで海が凍り、橋を作る。
この男がなぜこんなにも自分にかまうのかがミュゲットにはわからない。
「あなたはどうしてここまで来たのですか?」
「人魚の歌声が聞こえた。人魚は自慢の歌声で人間を惹きつける」
「惹きつけてどうするのですか?」
「水中に引き込んで溺れさせる」
グラキエスでも大体同じような伝説が残っているのかと一人納得したように頷く。
人魚に美しい物語がないことは知っている。フローラリアにも伝説として残っている話がいくつかあって、ミュゲットは何度もそれを読みこんでいた。
「人魚の涙は真珠に変わると聞くが、お前の涙は真珠にはなっていないな」
「真珠は海の底に落ちました」
「探しに行くか?」
「いいえ、ダイヤモンドがありますから」
氷の上でしゃがんでミュゲットの頬を指の背で撫でるアルフローレンスの性格をミュゲットはいまだに理解できない。これはきっと冗談で言っている。本当に人魚だと思っているはずがない。実際、ミュゲットは人魚ではなくただの人間。そんなことはアルフローレンスもわかっているはず。だが、冗談を言っているのに表情が冗談を言っているようには見えないため不思議に思ってしまう。この人は一体何を考えているのだろうと。
「手を貸してください」
ミュゲットが手を出すと素直に出してくる。その手を握るとちゃんと握り返される。そのまま引っ張り上げるつもりだろうアルフローレンスに笑いかけ、直後、ミュゲットは氷に片手をついて思い切り腕を引いた。
「ッ!?」
予想していなかったのだろうその行動に目を見開いたアルフローレンスはそのまま海の中へ落ちた。
「……どういうつもりだ……」
すぐに上がってきたアルフローレンスの問いかけにミュゲットは笑う。
「人魚ですから歌声に惹かれてやってきた人間を引きずり込んだんです」
そう告げたミュゲットを見つめながらアルフローレンスは張り付く前髪を掻き上げると整った顔立ちがハッキリと見える。
きれいな顔をしているとは思うが、やはり冷たいと感じる。
「余は水が嫌いだ」
「じゃあ上がってください」
「お前が上がるのならな」
海の中で抱き寄せられるも抵抗は簡単。
「余から逃げられると思っているのか?」
(飽きたくせに)
心の中で呟いた。
飽きなければ帰りたいという願いを聞いてくれるはずがない。
抱かれることを条件に優遇されたミュゲットと同じ状況の者が過去にもこれからもたくさんいるはず。お気に入りだと皆は言うが、本当にお気に入りであれば暴力を振るったりはしないとミュゲットは思う。娼婦としてはちょうどいいと思っているから暴力だって振るうのだと。
「ならお前の肉を食べれば余は不老不死になるということだな」
「その前に人魚が人間を食べてしまうかもしれませんよ。人魚は肉食ですから」
抱き寄せられるがままに腕の中に収まると首に噛みつかれる。少し痛みを感じる噛み方にピクリと肩が反応する。
「その前に余が喰らい尽くしてくれる」
本当にそうであればいいと思った。
両親がいなくなり、妹と袂を分つような状況にある今、どうやって生きていけばいいのかわからない。両親に守られて育ったミュゲットは一人でどこまで歩けるのか、不安で仕方ない。
だからといってこの男の元には帰りたくない。この男が何をしたのか忘れて生きてしまいそうだから。
(泡になれたらいいのに……)
見つめてくる瞳と視線を絡ませ、近付いてくる唇を受け入れながらミュゲットは叶わぬ願いを閉じ込めた。
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