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姉が妹より優れているもの
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「ねえ、どうして止めたの?」
家に連れ戻されたフランは苛立っていた。
「皇帝陛下に気安く触れることは許されていない」
「ミュゲットはコートの中に入ってたじゃん!」
「あれは皇帝陛下がされていることであって、お前の姉が自ら潜り込んだわけじゃないだろう」
「どうしてわかるの!? ミュゲットが甘えて入ったかもしれないのに!」
それは絶対にありえないと首を振るエルムントには確信があった。世界で一番美しいといわれる女性が目の前に現れようとアルフローレンスは甘えてきた女を受け入れることはしないと。
なにより、コートの前を合わせていたのはミュゲットではなくポケットに手を突っ込んでいたアルフローレンスだ。あれは間違いなくアルフローレンスの意思でそうされていたもの。
「あのまま触れていれば今頃お前の腕はなかったぞ」
「は? なんで? 誰がフランの腕を切るの?」
「皇帝陛下だ。皇帝陛下は許可なき行動をお許しにならない。勝手に触れるなど言語道断」
「じゃあミュゲットは許可されてるっていうの!? フランはされてないのに!?」
「そういうことだ」
「そんなのズルい!」
「ズルいと泣こうが喚こうが現実は変わらない。お前の姉は皇帝陛下のお気に入りとなっているのだろう」
親指の爪を噛みながら険しい表情で一点を見つめるフランは理解はできているのだろうが納得はしていないのがわかる。姉妹といえど双子。同じ線上に立っていながらも二人の中には明確な意思があって、ミュゲットは自分が姉であることを自覚し、妹を守ろうとしていた。だがフランは守られるのが当たり前であるかのように自己犠牲の精神は微塵もなく、姉の自己犠牲は当然だと考えていた。
フランはミュゲットを見下している。エルムントは一緒に過ごすようになってから強く感じていた。
「ミュゲットは地下牢に入れられたの……?」
「いや、皇帝陛下自ら馬に乗せて連れ帰った」
「フランだけ地下牢に入れられてたの?」
「すぐに出られただろう。通常、捕虜が簡単に地下牢から出されることはない。それも全てお前の姉が皇帝陛下に懇願したから叶ったことだ」
「でもミュゲットは入れられてない!」
エルムントは思わずため息をついた。なぜ理解できないのかが不思議でならない。ミュゲットがアルフローレンスから気に入られることなくフランと同じ扱いを受けていれば二人は今頃まだ地下牢にいたかもしれないし、出られたとしても悲惨な運命を辿っていただろう。
出られただけではなく、こうして家まで与えてもらえたのは間違いなくミュゲットのおかげ。だがフランはそれを理解しようとしない。
自分は一瞬でも地下牢に入れられた。生まれながらに王女として生きてきたフランにとって地下牢に入れられたことは屈辱以外の何者でもないはず。それは理解してやれるが、だからといって入れられていないという一点にこだわって恨むのは違うとエルムントはもう一度首を振った。
「フラン、ここでのお前の生活があるのは全て姉のおかげだ」
「……フランが後ろにいたから見えてなかったのかもしれない」
「は?」
突然何を言い出すのかと呆気に取られるエルムントの目には怒りを忘れてむしろハッとしたような顔を見せるフランが映っている。
「フランはずっとミュゲットの後ろに隠れてたから皇帝陛下に見えてなかったんだよ。すぐ兵士に連れて行かれちゃったし。フランが立ってたらきっとフランを気に入ってたと思う。きっとそうだよ! ね、エルムントもそう思うでしょ!?」
どこに希望を見出す部分があったのだろうかと疑問に思うほど急にポジティブになったフランにエルムントはついていけなくなっていた。
「だって舞ったときだってミュゲットよりフランのほうがキレイだったってエルムントも言ってくれたし、皇帝陛下だって美しかったって言ってくれたもん」
美しいと思ったのは確かだ。褐色肌にオレンジの衣装が眩しいほどに映えていたし、キャンドルが作りだす幻想的な空間の中で舞う姿に見惚れていたのも嘘ではない。兵士たちの話を聞いていてもやはり褐色肌のフランが良かったと褒めていた。一年中雪が降り続くグラキエスでは太陽が見えず、肌が焼けることはない。だから褐色肌は珍しい。それもあって皆がフランの身体に釘付けだったのだが、アルフローレンスだけは違った。アルフローレンスの視線は一秒たりともフランに向くことはなく、まるでこれから獲物を弓で射抜く準備でもしているかのように真っ直ぐ見つめていた。
「ね、もう一度舞ったらきっとフランを気に入ってくれるよ! ミュゲットじゃなくてフランをね!」
「…………」
「エルムント、考えてみてよ。ミュゲットがフランより優れているものって何? ないでしょ?」
双子といえど別人。フランは背が高くスタイルも良い。長い手足で舞う姿は迫力があって美しかった。褐色肌というのも白の世界では目立つし、まつ毛が濃く、目鼻立ちもハッキリしている。口を開くとお子様全開だが、黙っていれば相当な美人。
しかし、アルフローレンスが自分中心で動く以上、相手となるのはアルフローレンスに従える女。フランでは無理。無理なのだが、エルムントが引っ掛かっているのはなぜ性格がハッキリする前からミュゲットを選んだのかということ。
グラキエスでは色白の女は珍しくない。それこそグラキエスで暮らす女は全員が色白だと言っても過言ではない。それなのにアルフローレンスは褐色の妹ではなく色白の姉を選んだ。
伴侶として選んだわけではないためわがままであった場合、手放せば良いだけなのだが、誰の目から見てもミュゲットはアルフローレンスのお気に入り。ただ抱くための女を狩りに連れて行くことなど絶対になかった。ましてやコートの中に入れるなどありえないこと。
アルフローレンスの好みは誰も知らない。だからミュゲットが好みであるかどうかもわからない。もし好みだったのだとしたらミュゲットは幸福でもあり不幸でもある。
「フランのが美人だし、スタイルだっていいもん。気に入られるならフランだよ」
フランが言った『ミュゲットがフランより優れているもの』という言葉にでエルムントは理解した。自分には姉より劣っているものなど何もない。もし優遇されているのだとしたら自分より優れたものがあっただけだと思うようにしていること。劣っている部分があったとは思わないようにしているのだろう。
その自信は王女が故か、それともフローラリアで甘やかされたが故に育ってしまったのか。
「ね、エルムントはフランのほうが美人だと思うよね?」
「姉妹で優劣をつけることになんの意味があるんだ?」
「ハッキリさせたいだけ。やっぱりねって」
笑顔で言い放ってはいるが、エルムントはその言葉がどこか劣等感の表れのような気がした。
二人の関係がバレたとき、フランはミュゲットに言い放った。
『ミュゲットっていつもお偉いさんにだけ気に入られるんだよね。国民からの支持はフランのがあったけど、お偉いさんはみーんなミュゲットを支持してた。その控えめを狙った感じがいいんだろうね』
“いつも“ということから、その“お偉いさん“が来るときはいつも思っていたのではないだろうか。“なぜ自分じゃないんだ“と。虚勢を張っているのか、それとも劣等感に気付いていないのかはわからないが、エルムントはフランが少し不憫に思えた。
「ミュゲットだけズルい。絶対卑怯な手を使ったに決まってる」
「皇帝陛下はそういうくだらない術には引っかからん」
「貧相な身体してるしね」
大勢の前で言っているわけではない。ここにはエルムントとフランの二人だけ。だが、聞いていて気持ちいいものでもない。姉は常に自分より下でなければならないという思いが伝わってくることにエルムントはため息を吐いて首を振る。
「お前の姉がお前より優れているとか劣っているとかは関係ない。皇帝陛下がなぜお前ではなく彼女を気に入ったのかは誰にもわからん。皇帝陛下のお心は皇帝陛下のみぞ知ること。お前が皇帝陛下の目の前でどれだけ姉をこき下ろしたところでお気持ちを変えるとも思えんしな」
「じゃあ直接聞くから会わせてよ」
エルムントは絶句する。
アルフローレンスは優しい男ではない。たとえ最南端から来たと言っても気分じゃなければ追い返すような男だ。目の前でお気に入りにあれだけの口を利いた女を受け入れるとも思えず、エルムントは一度目を閉じてどう言えばフランが理解するのかを考える。
「皇帝陛下が拝謁する人物は皇帝陛下がお選びになる」
「挨拶ぐらいはいんでしょ?」
「挨拶はな。それ以上の言葉を口にすれば間違いなく殺されるぞ」
「わかんないよ? フランのほうがイイ女だって気付いてお話してくれるかも。美味しい紅茶と美味しいお菓子も出してくれたりね」
呆れて言葉も出ないとはこのことだとエルムントはため息を吐くことさえやめた。
「グラキエスはフローラリアのように太陽の熱で頭が茹だった人間が暮らしているわけではない。ジュースやお菓子など出るはずがないだろう」
「でもミュゲットは絶対食べてる」
「なぜお前は自分の発言にそれだけの自信を持っているんだ?」
「だって皇帝陛下の傍にいるのにジュースやお菓子が出てこないなんておかしいもん」
「グラキエスにジュースはない。ましてや木の実が溜め込む果汁などはな」
「じゃあ何飲んでるの?」
怪訝な顔をするフランと話していると疲れると立ちっぱなしだった身体を休めようとソファーに移動すると当然のようにフランもついてきて隣に腰掛ける。できれば今は近くでフランの声を聞きたくないが、拒めばうるさい。しかし相手はできないと拒むこともできない。これは皇帝陛下からの命令。騎士は従うほかない。
「大人は主に酒だ。子供は紅茶にジンジャーだなんだと混ぜた物を飲んでいる」
「仕事中に飲むの? 酔っ払って仕事するの?」
「言っただろう、フローラリアとは違う。ここは極寒の地グラキエスだ。寒すぎて多少のアルコールでは酔えないんだ」
「変なの。あ、じゃあさ、皇帝陛下にお酒注ぐ係とかどう? フランね、いつもタイミングがいいって褒められるの」
「必要ない」
「なんでよ! いいじゃん、取り継いでくれたって! フラン一生こんな場所で暮らすの嫌だからね!」
「死刑にならないだけありがたいと思え」
「勝手に連れてきて捕虜とか死刑とか意味わかんないから! そんなの世間一般じゃ通用しないから! バッカじゃないの!」
怒鳴りながら自室がある二階に続く階段を駆け上がっては上から「バーカ!」と大声で叫ぶ。
「あんな小娘が皇帝陛下に気に入られるわけがない」
今まではアルフローレンスがミュゲットに飽きるまでの間、ここでフランの専属騎士として生きていくことだけが任務だったが、今からはフランが命知らずの暴走をしないか監視することも加わった。
家の玄関は相変わらず交代で兵士が見張っているし、ドアノブがなければ開かない。窓から脱走しようとしても高さがあり、下に積もっている雪は柔らかすぎてクッションとしては心許ないだろう。南国で暮らしてきたフランがそこまでの考えに至るかは謎だが、怪我をさせれば当然報告しなければならないし、その理由も添えなければならない。窓から脱出しようとしたことがバレ、それを止められなかったとなれば監督不行き届きなのは間違いない。罰せられることも。
ミュゲット次第だとは思っている。ミュゲットがフランを見放していればアルフローレンスはフランというどうでもいい女のために動くことはしないのではないかとも思っているが、わからない。下手に都合の良い憶測を立てて安堵していると本当にもう片方の手も失うことになる。
それはエルムントが絶対に避けたいことだった。
この三日後、姉妹揃ってフローラリアに帰ることになり、大勢の騎士たちが護衛として動くことになり、エルムントもフランの専属騎士として共にフローラリアに向かった。
家に連れ戻されたフランは苛立っていた。
「皇帝陛下に気安く触れることは許されていない」
「ミュゲットはコートの中に入ってたじゃん!」
「あれは皇帝陛下がされていることであって、お前の姉が自ら潜り込んだわけじゃないだろう」
「どうしてわかるの!? ミュゲットが甘えて入ったかもしれないのに!」
それは絶対にありえないと首を振るエルムントには確信があった。世界で一番美しいといわれる女性が目の前に現れようとアルフローレンスは甘えてきた女を受け入れることはしないと。
なにより、コートの前を合わせていたのはミュゲットではなくポケットに手を突っ込んでいたアルフローレンスだ。あれは間違いなくアルフローレンスの意思でそうされていたもの。
「あのまま触れていれば今頃お前の腕はなかったぞ」
「は? なんで? 誰がフランの腕を切るの?」
「皇帝陛下だ。皇帝陛下は許可なき行動をお許しにならない。勝手に触れるなど言語道断」
「じゃあミュゲットは許可されてるっていうの!? フランはされてないのに!?」
「そういうことだ」
「そんなのズルい!」
「ズルいと泣こうが喚こうが現実は変わらない。お前の姉は皇帝陛下のお気に入りとなっているのだろう」
親指の爪を噛みながら険しい表情で一点を見つめるフランは理解はできているのだろうが納得はしていないのがわかる。姉妹といえど双子。同じ線上に立っていながらも二人の中には明確な意思があって、ミュゲットは自分が姉であることを自覚し、妹を守ろうとしていた。だがフランは守られるのが当たり前であるかのように自己犠牲の精神は微塵もなく、姉の自己犠牲は当然だと考えていた。
フランはミュゲットを見下している。エルムントは一緒に過ごすようになってから強く感じていた。
「ミュゲットは地下牢に入れられたの……?」
「いや、皇帝陛下自ら馬に乗せて連れ帰った」
「フランだけ地下牢に入れられてたの?」
「すぐに出られただろう。通常、捕虜が簡単に地下牢から出されることはない。それも全てお前の姉が皇帝陛下に懇願したから叶ったことだ」
「でもミュゲットは入れられてない!」
エルムントは思わずため息をついた。なぜ理解できないのかが不思議でならない。ミュゲットがアルフローレンスから気に入られることなくフランと同じ扱いを受けていれば二人は今頃まだ地下牢にいたかもしれないし、出られたとしても悲惨な運命を辿っていただろう。
出られただけではなく、こうして家まで与えてもらえたのは間違いなくミュゲットのおかげ。だがフランはそれを理解しようとしない。
自分は一瞬でも地下牢に入れられた。生まれながらに王女として生きてきたフランにとって地下牢に入れられたことは屈辱以外の何者でもないはず。それは理解してやれるが、だからといって入れられていないという一点にこだわって恨むのは違うとエルムントはもう一度首を振った。
「フラン、ここでのお前の生活があるのは全て姉のおかげだ」
「……フランが後ろにいたから見えてなかったのかもしれない」
「は?」
突然何を言い出すのかと呆気に取られるエルムントの目には怒りを忘れてむしろハッとしたような顔を見せるフランが映っている。
「フランはずっとミュゲットの後ろに隠れてたから皇帝陛下に見えてなかったんだよ。すぐ兵士に連れて行かれちゃったし。フランが立ってたらきっとフランを気に入ってたと思う。きっとそうだよ! ね、エルムントもそう思うでしょ!?」
どこに希望を見出す部分があったのだろうかと疑問に思うほど急にポジティブになったフランにエルムントはついていけなくなっていた。
「だって舞ったときだってミュゲットよりフランのほうがキレイだったってエルムントも言ってくれたし、皇帝陛下だって美しかったって言ってくれたもん」
美しいと思ったのは確かだ。褐色肌にオレンジの衣装が眩しいほどに映えていたし、キャンドルが作りだす幻想的な空間の中で舞う姿に見惚れていたのも嘘ではない。兵士たちの話を聞いていてもやはり褐色肌のフランが良かったと褒めていた。一年中雪が降り続くグラキエスでは太陽が見えず、肌が焼けることはない。だから褐色肌は珍しい。それもあって皆がフランの身体に釘付けだったのだが、アルフローレンスだけは違った。アルフローレンスの視線は一秒たりともフランに向くことはなく、まるでこれから獲物を弓で射抜く準備でもしているかのように真っ直ぐ見つめていた。
「ね、もう一度舞ったらきっとフランを気に入ってくれるよ! ミュゲットじゃなくてフランをね!」
「…………」
「エルムント、考えてみてよ。ミュゲットがフランより優れているものって何? ないでしょ?」
双子といえど別人。フランは背が高くスタイルも良い。長い手足で舞う姿は迫力があって美しかった。褐色肌というのも白の世界では目立つし、まつ毛が濃く、目鼻立ちもハッキリしている。口を開くとお子様全開だが、黙っていれば相当な美人。
しかし、アルフローレンスが自分中心で動く以上、相手となるのはアルフローレンスに従える女。フランでは無理。無理なのだが、エルムントが引っ掛かっているのはなぜ性格がハッキリする前からミュゲットを選んだのかということ。
グラキエスでは色白の女は珍しくない。それこそグラキエスで暮らす女は全員が色白だと言っても過言ではない。それなのにアルフローレンスは褐色の妹ではなく色白の姉を選んだ。
伴侶として選んだわけではないためわがままであった場合、手放せば良いだけなのだが、誰の目から見てもミュゲットはアルフローレンスのお気に入り。ただ抱くための女を狩りに連れて行くことなど絶対になかった。ましてやコートの中に入れるなどありえないこと。
アルフローレンスの好みは誰も知らない。だからミュゲットが好みであるかどうかもわからない。もし好みだったのだとしたらミュゲットは幸福でもあり不幸でもある。
「フランのが美人だし、スタイルだっていいもん。気に入られるならフランだよ」
フランが言った『ミュゲットがフランより優れているもの』という言葉にでエルムントは理解した。自分には姉より劣っているものなど何もない。もし優遇されているのだとしたら自分より優れたものがあっただけだと思うようにしていること。劣っている部分があったとは思わないようにしているのだろう。
その自信は王女が故か、それともフローラリアで甘やかされたが故に育ってしまったのか。
「ね、エルムントはフランのほうが美人だと思うよね?」
「姉妹で優劣をつけることになんの意味があるんだ?」
「ハッキリさせたいだけ。やっぱりねって」
笑顔で言い放ってはいるが、エルムントはその言葉がどこか劣等感の表れのような気がした。
二人の関係がバレたとき、フランはミュゲットに言い放った。
『ミュゲットっていつもお偉いさんにだけ気に入られるんだよね。国民からの支持はフランのがあったけど、お偉いさんはみーんなミュゲットを支持してた。その控えめを狙った感じがいいんだろうね』
“いつも“ということから、その“お偉いさん“が来るときはいつも思っていたのではないだろうか。“なぜ自分じゃないんだ“と。虚勢を張っているのか、それとも劣等感に気付いていないのかはわからないが、エルムントはフランが少し不憫に思えた。
「ミュゲットだけズルい。絶対卑怯な手を使ったに決まってる」
「皇帝陛下はそういうくだらない術には引っかからん」
「貧相な身体してるしね」
大勢の前で言っているわけではない。ここにはエルムントとフランの二人だけ。だが、聞いていて気持ちいいものでもない。姉は常に自分より下でなければならないという思いが伝わってくることにエルムントはため息を吐いて首を振る。
「お前の姉がお前より優れているとか劣っているとかは関係ない。皇帝陛下がなぜお前ではなく彼女を気に入ったのかは誰にもわからん。皇帝陛下のお心は皇帝陛下のみぞ知ること。お前が皇帝陛下の目の前でどれだけ姉をこき下ろしたところでお気持ちを変えるとも思えんしな」
「じゃあ直接聞くから会わせてよ」
エルムントは絶句する。
アルフローレンスは優しい男ではない。たとえ最南端から来たと言っても気分じゃなければ追い返すような男だ。目の前でお気に入りにあれだけの口を利いた女を受け入れるとも思えず、エルムントは一度目を閉じてどう言えばフランが理解するのかを考える。
「皇帝陛下が拝謁する人物は皇帝陛下がお選びになる」
「挨拶ぐらいはいんでしょ?」
「挨拶はな。それ以上の言葉を口にすれば間違いなく殺されるぞ」
「わかんないよ? フランのほうがイイ女だって気付いてお話してくれるかも。美味しい紅茶と美味しいお菓子も出してくれたりね」
呆れて言葉も出ないとはこのことだとエルムントはため息を吐くことさえやめた。
「グラキエスはフローラリアのように太陽の熱で頭が茹だった人間が暮らしているわけではない。ジュースやお菓子など出るはずがないだろう」
「でもミュゲットは絶対食べてる」
「なぜお前は自分の発言にそれだけの自信を持っているんだ?」
「だって皇帝陛下の傍にいるのにジュースやお菓子が出てこないなんておかしいもん」
「グラキエスにジュースはない。ましてや木の実が溜め込む果汁などはな」
「じゃあ何飲んでるの?」
怪訝な顔をするフランと話していると疲れると立ちっぱなしだった身体を休めようとソファーに移動すると当然のようにフランもついてきて隣に腰掛ける。できれば今は近くでフランの声を聞きたくないが、拒めばうるさい。しかし相手はできないと拒むこともできない。これは皇帝陛下からの命令。騎士は従うほかない。
「大人は主に酒だ。子供は紅茶にジンジャーだなんだと混ぜた物を飲んでいる」
「仕事中に飲むの? 酔っ払って仕事するの?」
「言っただろう、フローラリアとは違う。ここは極寒の地グラキエスだ。寒すぎて多少のアルコールでは酔えないんだ」
「変なの。あ、じゃあさ、皇帝陛下にお酒注ぐ係とかどう? フランね、いつもタイミングがいいって褒められるの」
「必要ない」
「なんでよ! いいじゃん、取り継いでくれたって! フラン一生こんな場所で暮らすの嫌だからね!」
「死刑にならないだけありがたいと思え」
「勝手に連れてきて捕虜とか死刑とか意味わかんないから! そんなの世間一般じゃ通用しないから! バッカじゃないの!」
怒鳴りながら自室がある二階に続く階段を駆け上がっては上から「バーカ!」と大声で叫ぶ。
「あんな小娘が皇帝陛下に気に入られるわけがない」
今まではアルフローレンスがミュゲットに飽きるまでの間、ここでフランの専属騎士として生きていくことだけが任務だったが、今からはフランが命知らずの暴走をしないか監視することも加わった。
家の玄関は相変わらず交代で兵士が見張っているし、ドアノブがなければ開かない。窓から脱走しようとしても高さがあり、下に積もっている雪は柔らかすぎてクッションとしては心許ないだろう。南国で暮らしてきたフランがそこまでの考えに至るかは謎だが、怪我をさせれば当然報告しなければならないし、その理由も添えなければならない。窓から脱出しようとしたことがバレ、それを止められなかったとなれば監督不行き届きなのは間違いない。罰せられることも。
ミュゲット次第だとは思っている。ミュゲットがフランを見放していればアルフローレンスはフランというどうでもいい女のために動くことはしないのではないかとも思っているが、わからない。下手に都合の良い憶測を立てて安堵していると本当にもう片方の手も失うことになる。
それはエルムントが絶対に避けたいことだった。
この三日後、姉妹揃ってフローラリアに帰ることになり、大勢の騎士たちが護衛として動くことになり、エルムントもフランの専属騎士として共にフローラリアに向かった。
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