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最後のミス

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 衣装が届いてから五日後、ミュゲットとフランはフローラリアの舞用衣装に着替えていた。

「こんなに生地薄かった?」
「そうだよ? もう忘れちゃったの?」
「寒いから感じが違う気がして」
「それはあるかも。フローラリアはあったかいしね」

 上はそれぞれ金と銀のチェーンで装飾された胸当てだけ。下は舞えば生地が広がるように腰から垂れる部分は少し長めになっている。専用の下着であり、今まで気にしたこともなかったが、鏡の前で衣装を確認すると普段穿いている下着と変わらないと今更ながらに思う。隠れている部分のほうが少なく、足はほとんど見えてしまっている。

「ミュゲットは相変わらず細いね」
「衣装のせいよ。ほら、紺や黒は引き締めるって言うでしょ」
「このくびれに紺も黒もないけどねー」

 上と下の衣装の間に存在するくびれを両手で挟むように手を添えたフランの膨れた顔。この衣装を着るとフランはいつも飽きもせずに同じことを言うのだ。
 ミュゲットも自分は痩せていると自覚している。隣に並ぶフランの豊かな胸は本当に自分の妹なのかと疑ってしまうほどで、踊れば揺れる立派なものを兵士たちに見せるのは嫌だが、仕方ない。フランはきっと気にしない。

「久しぶりに着るけどやっぱ素敵だね」
「そうね」
「対って綺麗よね。大好き」

 フランは太陽が降り注ぐ日中。ミュゲットは静かな夜をイメージして作られた衣装。どっちを着るかと選ばせてもらったときに喧嘩する取り合う必要もないほどハッキリ好みが分かれた。
 派手な衣装を着こなす自信がないミュゲットはオレンジやゴールドではなく青やシルバーぐらいが丁度いい。

「準備はいいか?」
「エルムント、フラン似合ってる?」
「皇帝陛下の前に出るんだ。失敗だけはするな」
「ねえ、キレイ?」
「フラン、集中しろ」
「キレイって言ってよ~」
「キレイだから集中しろ」

 たった五日。片手で数えられる日数しかまだ一緒に過ごしていないというのにフランは妙にエルムントに懐いている。エルムントもいつの間にかフルネームではなくフランと呼び捨てにするようになり、頭も撫でる。それを見ているだけで吐き気がするが、ミュゲットが止めたところでフランが許すため意味がない。
 最近は二人が一緒にいる姿は極力見ないようにしている。
 今は感情を抑えて失敗しないようにすることだけを考えて頭の中でフローラリアの舞を再生する。

「ミュゲット、緊張してる?」
「大丈夫よ」
「フランがついてるからね!」
「そうね」

 二人の様子を見て準備ができたと確認したエルムントが兵士にドアを開けるよう合図し、二人は手を繋いで歩きだす。
 フローラリアとは全く違う光景。足が少し沈む砂浜ではなく冷たい床。舞台を囲む咲き誇った花ではなく床に花びらが蒔かれているだけ。何より、海の匂いがない。
 キャンドルで囲われた舞の舞台。その奥には冷たい瞳をした男。ミュゲットは一度男を見てから目を閉じた。
 フランと背中を合わせ、演奏される音楽に合わせて舞い始める。
 余計な声は出すなと言われているのか兵士たちからの歓声はない。ただ、食い入るように見つめていることはわかる。何枚も着こまなけれならないほど寒い国では女の肌を見るのはベッドの中だけ。二人は今、裸ではないが裸に近い。それがまた男たちの視線を釘付けにする。
 熱を持った視線が肌に刺さる気持ち悪さがミュゲットの肌を粟立てる。その中で痛いほど感じるあの男からの視線。冷たい瞳が放つ視線を熱いと感じるのは何度目か。
 音楽の終わりと同時に二人はまた背中を合わせてポーズを決める。その直後、割れんばかりの歓声と拍手が湧き、指笛まで響き渡る。

「ほらね! 皆が夢中になっちゃった!」
「……そうね」

 久しぶりに踊った舞。滲んでいた汗はいつしか滝のように肌を伝い落ちていく。肩を上下に動かして荒い呼吸を繰り返しながら床を見つめる。

「二人とも、皇帝陛下の前へ」

 後ろに立ったエルムントの小声での指示に二人は手を繋いで歩いていく。

「皇帝陛下よりありがたいお言葉をいただくのだ。座れ。座ったら頭を下げろ」

 床に正座をしてゆっくりと頭を下げる。

「顔を上げよ」

 冷たい声にゆっくり上半身を起こすがミュゲットは玉座に腰掛ける男の腹部を見つめ、顔は見ようとしなかった。

「ミュゲット・フォン・ランベリーローズ、余の目を見よ」

 名指しされて顔を上げると男と目が合った。

「白と黒のコントラストが美しかった。さすがは双子といったところか。完璧な舞だった」
「えへへっ、褒められたよミュゲット」

 思ってもいないことを。ミュゲットは心の中で悪態をつく。
 何も感じていないような表情で褒められて誰が信じるものか。

「兵士たちにとっても良き慰労になったであろう」

 人殺しのために舞わされたのだと思うと吐き気がする。だが、これは成功。失敗しなかったことで相手の機嫌を損ねていない。何より、フランが嬉しそうに笑っているのだ。

「褒美を取らせる」
「ホント!? ご褒美もらえるの!?」
「こらっ、皇帝陛下になんて口を!」

 エルムントが慌ててフランの口を押さえて頭を下げさせ自分も一緒に頭を下げる。怒ったかと思い、男を見るが表情に変化はない。

「フラン・フォン・ランベリーローズ、何を欲する?」
「んー……お菓子作りの道具と材料かなぁ?」
「それでよいのか?」
「あ、ちょっと待って! それはミュゲットがお願いしてくれるって言ってたから別のにする! えっとね……」

 長い沈黙にその場にいた全員が焦る。皇帝陛下を待たせるなど言語道断。なんでも即答即決。二度言わせることも考える時間も無駄だと言う相手に沈黙は絶対厳禁。それを知らないフランはまるで誕生日プレゼントを悩むように頬に人差し指を当てながら「んー」と小さく唸りながら時間を使う。

「へ、陛下! フラン・フォン・ランベリーローズには後で私のほうから聞いておきますので──」
「あ、そうだ! エルムントをフラン専属の騎士にして!」
「フラン!?」

 一斉に場がザワつき、ミュゲットが思わず声を上げた。指名されたエルムント本人も驚きを隠せず目を見開いてフランを見ている。
 
「だって、エルムントと一緒にいるの楽しいもん」
「フラン、ダメ。そんなお願いじゃなくて──」
「それでよいな?」
「ダメ! 待って! 叶えないで!」
「よかろう。エルムント・デュパール、貴様はこの瞬間よりフラン・フォン・ランベリーローズの専属騎士だ。全うせよ」
「はっ!」

 驚いた顔で突っ立っていたエルムントは命じられた瞬間、不満も見せず返事をした。

「エルムント、これからずっと一緒だね!」
「陛下の前だ。きちんとしろ」
「はあい!」

 二人はなぜそんなにも普通にしていられるのかがミュゲットにはわからなかった。エルムントの様子はわかる。慈悲深いと言いながらも慈悲を与えず殺すような悪魔が相手であればどんな命令であろうと拝任するだろう。しかし、フランは違う。たった五日でなぜエルムントにそこまで懐いているのか。
 姉と二人で暮らす家に本来であればずっと一緒にいる片割れは毎日皇帝陛下から呼び出しだと行ってしまう。その間、エルムントは監視役として傍にいる。ミュゲットがいる間はミュゲットが嫌がるため家の中に入らないよう配慮してくれているようだが、ミュゲットが行った後はフランが中に招き入れているのかもしれない。だから二人は仲がいいのだとミュゲットは推測。
 たった五日だが、五日もあればフランは人と親密になれる。

『ずっと一緒』

 その言葉を他の人間に言ってしまうフランを見るミュゲットの瞳は微かに揺れていた。

「ミュゲット」

 頭の中をぐるぐると回り続ける言葉にできない感情のせいで男の声も耳に入らない。

「ミュゲット」

 一点を見つめたままミュゲットは止まった時の中から動き出せないでいる。
 カツ、カツとゆっくり鳴る足音にも気付かないでいると白い布が目の前を覆う。

「うっ!」

 ガッと顎を掴まれ強制的に上を向かされたことでミュゲットの意識は現実世界へと戻ってきた。
 いつの間に目の前に来たのか、男の雰囲気から怒りを感じることに失敗したとミュゲットが慌てる。

「余に二度も名前を呼ばせた女はお前が初めてだ」
「ごめ……なさ……」
「余を前に別のことを考えていたとはな」
「ご、ご褒美のことを考えていました……」
「欲深いな。聞かれてもいない褒美について考えていたのか」
「そう、です……」

 何もかもを見透かしているような瞳から目を逸らすと顔は逸らしていないのに掴んだ顎を揺らされる。目を逸らすなとでも言わんばかりに。それが痛みを生じる時は相手が怒っている証拠。

「余を苛立たせた罰だ。褒美は与えん」
「……はい」

 褒美など最初から欲しくもない。フランは褒美をもらえた。それで満足だった。
 エルムントのことは予想もしていなかった褒美だったとしてもフランがストレスを溜めずに生きていけるのなら、自分がいない間の支えができたのならそれでいい。

「そんなのひどいよ!」
「フラン! やめろ! 口を出すな!」
「やだ! ミュゲットは最近すっごく疲れてるの! それでも完璧に踊ったんだよ! それなのに二回名前呼んだから褒美はなしなんてあんまりすぎる!」
「フランやめなさい。皇帝陛下に失礼よ」
「だっておかしいじゃん! ミュゲットだってご褒美もらうべきだよ! 毛皮とかさ!」
「毛皮?」
「フランッ!!!!!」

 ミュゲットの怒声にフランが驚いて目を見開く。じわりと滲む涙と震えるへの字に曲がった唇。またやってしまったと後悔するが、その話をここでされるのは避けたかった。

「余が与えた毛皮があるはずだ」
「フランはね。でもミュゲットはないもん」

 震えた声で告げられた事実に男はミュゲットの手を引いてホールから出ていく。今までで一番強い力。体重をどれだけ後ろにかけようと男の足は止まらない。
 グッと握り込まれた手首が折れるのではないかと思うほど痛む。

「ミュゲットに乱暴しないで!」
「フランやめろ! お前が口を出すことじゃない!」
「でもミュゲットが連れて行かれちゃう!」
「お前たちは捕虜だ! どう扱おうと皇帝陛下の自由なんだ!」
「だけど──!」

 追いかけようと廊下に飛び出したフランをエルムントが身体に腕を回して止める。
 目の前にでも飛び出そうものならフランの命はないだろう。
 今日の皇帝陛下は機嫌がいいほうだった。二人の舞にミスはなく、フランが褒美をもらえて大成功で終えられるはずだったのに、考えすぎて自滅した。ミュゲットはフランの心配ではなく自分の心配をすべきだった。

「ッ!」

 見慣れた部屋に入るとベッドに投げ飛ばされる。
 怒った表情ではないが、怒っているのがわかる雰囲気にミュゲットは恐怖で身体が小刻みに震えるのを感じながら抵抗は見せず黙っていた。

「あの毛皮はお前にやったのだ。それをお前は妹にくれてやったと?」
「……はい」
「余はお前の妹にくれてやったのではない」
「い、妹は何も持っていないのです」
「お前も同じだろう」
「け、毛皮は私が着るより妹が着るほうが似合うと思って──」

 頬に衝撃が走り、後から襲いくる痛みとジンジンとした熱に目を見開いた。打たれたのだとわかったのはそのすぐ後。頬を押さえて男を見るも相変わらず表情は読めない。だが、抑えきれないほど苛立っているのはわかった。
 頬を押さえていた手を離すと滲んだ血がついている。それだけの力で打たれたのだ。
 誰かに頬を打たれたのは生まれてはじめて。王女である自分の頬を打てるのは親である母と父だけ。その二人でさえミュゲットの頬を打ったことはない。

『お前たちは捕虜だ! どう扱おうと皇帝陛下の自由なんだ!』エルムントの言葉は正しい。ミュゲットは捕虜。その捕虜の頬をどれだけの力で何回打とうが咎める者は誰もいない。相手はこの国の王。皇帝陛下なのだから。

「取り戻せ」
「妹には陛下からの贈り物だと言いました」
「お前は嘘つきだな」
「ごめんなさい」
「愚者の一つ覚えみたいに謝るな。お前からの謝罪は聞き飽きた」

 どうやっても上手くいかない。今日は誰もが気分良く帰れると思っていたのに、また妹を不安にさせ、男を怒らせ、自分は頬を打たれて唇を切った。
 ため息さえ出ない状況にミュゲットは目を伏せる。

「お前の待遇など余の一言で決まるとわかっているはずだ」
「何をすればあなたが喜び、何をすれば怒るのか私にはわかりません」
「これだけ余に抱かれていながら学習さえしていないと?」
「私は捕虜であり、あなたの娼婦です。恋人でもなければ伴侶でも愛人でもない。あなたの考えや感情を読み取るのは不可能です」

 暖炉のおかげで部屋は暖かいはずなのに、急に部屋が冷えたような感じがした。いや、実際に冷えたのだ。さっきまでパチパチと音を立てて燃えていた木からは火が消え、部屋からは明かりが消えた。窓は閉まっている。だが、確かに冷気を感じる。

「地下牢に入って奴隷として生きたいようだな」
「……もしそうなったとしても受け入れます」

 地下牢がどれほど寒いのかミュゲットは知らない。ミュゲットがフランに再会したのは暖かい部屋だったから。それでも妹がエルムントと一緒にいることで寂しくなくなるのであれば奴隷になっても構わないとさえ思っていた。
 気まぐれで何を考えているのかもわからない男に抱かれ続ける日々を、相手が飽きるまで続けなければならないのなら地下牢で生きるほうがマシだと。

「娼婦だと言ったな。なら娼婦らしく、その身体で余を満足させてみよ」

 肌がビリビリッとするほどの怒りを相手から感じながらミュゲットはベッドの上で立って男の首に腕を回す。娼婦という言葉と娼婦という存在は知っていても娼婦の技など知るはずがない。相手を満足させるどころか、男の泣きどころさえ知らないミュゲットに娼婦のような振る舞いはできない。
 自ら重ねる口付けの辿々しさも、傷だらけの身体に触れる手の動きも全てまるで今日初めて初夜を迎える者の動き。
 いつも受け身だったミュゲットにとって相手を満足させるという行為は今までの人生で何よりも難しいこと。
 目を見ずともわかる。肌に突き刺さるほど冷たい視線が降り注いでいる。

「余が満足できなければフラン・フォン・ランベリーローズは明日から兵士の慰み者として地下牢に放り込む」
「ッ!? そんなっ、妹には手を出さないって言ったじゃない!」
「お前がいい子にしていれば、と何度言わせるつもりだ」
「今日は、あなたが望んだ舞を見せたわ。それなのに──」
「全てはお前次第だ。余を満足させられれば妹は明日からもエルムントと過ごすことができるだろう。満足できねばエルムントは別部隊に移動させ、妹は本物の娼婦にしてやる」

 呼吸はどうするのかと考えることもできず、ミュゲットは一点を見つめたまま呼吸を忘れていた。
 頭の中をぐるぐると回る嫌な光景。妹はきっと耐えられないだろう。
 ミュゲットの瞳から涙が溢れ、頬を濡らす。

 いつまで耐えられるだろう──
 
 そんなことが頭をよぎっていた。
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