顔も知らない婚約者 海を越えて夫婦になる

永江寧々

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運命とは

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「いやあ、あんなに豪勢な料理を用意していただき申し訳ない!!」

 その日の夜、ダイゴロウは手土産片手にハロルドの両親へと挨拶に向かった。
 ユズリハに手紙を出すときに彼の両親にも一緒に出していたためアポなし訪問ではないが、両親は引き攣った笑みを浮かべながらの対応しかできなかった。
 ユズリハの家に泊まり、食事もシキが用意してくれたのだが、ウォルターもシェフにかなりの量を用意させていたその例も兼ねての挨拶。
 同席していたクリフォードがユズリハに向けたような嫌味を連発していたが、ダイゴロウの耳にはほとんど届いていなかった。
 ルーシィがクリフォードを止めることもなく、ダイゴロウと軽やかに挨拶を交わし、ダイゴロウが退席するまで大人しくしていた。

「お前は運命ってあると思うか?」

 布団の中で問いかけられたことにユズリハは「んー」と声を漏らす。

「わらわは目に見えぬ物は信じぬたちでのう。幽霊も信じておらぬし、そなたらが口にする神とやらも信じてはおらぬ。運命などという言葉は兄上同様、笑い話として聞いておったぐらいじゃ……」
「でも?」

 ユズリハの言い方で先があるのが読めたハロルドの促しに胸元から顔を上げたユズリハが苦笑する。

「あの鐘の音が気になっておってな」
「僕もだ」

 教会は港から遠く、そこで結婚式が挙げられていたとしても港まで聞こえるはずがない。それなのに二人の耳には間近で鳴ったように大きな鐘の音が聞こえたのだ、ハッキリと。
 ハロルドもどちらかといえば現実主義であるため、運命だ神だと目に見えない物を信じてはいない。

「僕たちの出会いだって惹かれ合ってのことじゃない。僕はお祖父様が、お前は父親が勝手に決めた結婚だった。会った瞬間に周りが見えなくなるほど燃え上がる感情があったわけじゃないし、お前は淡々としていた」
「そなたは嫌悪しておったしのう」
「言わなかったのに」

 あえて言ったユズリハの笑顔に眉を寄せるもすぐに笑って額に口付けを落とすハロルドがギュッとユズリハを抱きしめる。

「僕はお前の人間性に惹かれた。これは運命による見えない力の働きじゃなくて、お前が僕を拒絶せずありのまま接して受け入れてくれたからだ。でもあの二人は言葉ひとつ交わしてないのにキスをした。口裏を合わせたわけでもなく、運命だと言った」
「否定できぬものがあると?」
「お前もそう感じたんだろ?」
「うむ」

 難しい話だと二人は思った。信じるにしても疑うにしてもあの二人の心は既に結ばれているようなもので、ウォルターの問いかけにルーシィはすぐ覚悟を決めたようだった。
 ユズリハは兄のこと、フロイドは兄と兄嫁のこと。上手くいく方法などあるのだろうかと二人は揃って感じる頭痛に溜息をついた。
 自分の周りにいる人間には不幸になってほしくない。それはどうしようもないクズの兄にでもそう思う。
 もし今回のことがバレれば騒動はボヤ程度では済まないだろう。ウォルターが敵に回ることはないとしても両親はルーシィの家に慰謝料を請求するはず。そして聞くに耐えない罵詈雑言の嵐をぶつける。
 それをルーシィが受け止め、きっと自分の両親からも責められるのは間違いない。
 想像するだけで胃が痛む。
 布団に入ってから何度吐いたかわからない溜息。心配するユズリハが背中を撫でると頭上から「ありがとう」と声が降ってくる。


 それから帰国までの一週間、リンタロウとルーシィが接触することは一度もなかった。
 リンタロウがルーシィの様子を誰かに聞くことはなかったし、ユズリハたちの結婚生活をからかい、別世界である異国の地の観光を楽しんだ。

「あっという間じゃったのう」
「お前の手紙が嘘じゃないってわかってよかった」
「嘘は書いておらぬ」
「らしいな」

 手紙には顔見知りができて以前より散歩がずっと楽しくなったと書いてあったが、それを確認する術がなかっただけに心配していた。
 それがこの一週間でユズリハお気に入りの店に行っては楽しげに会話する様子に安堵するばかり。リンタロウは自国の言葉しか話せないため自らコミュニケーションは取れなかったが、ユズリハの通訳を受けて話をした。
 思っていたよりずっとフレンドリーで差別がない。奇異の目を感じなかったわけではないが、多いとも思えなかった。
 この世界で暮らしているなら安心だ。リンタロウは確信する。

「遅れてごめんなさい!」
「義姉さん」

 馬車から降りてきたルーシィが慌てて駆け寄るも、立つのはハロルドの隣。
 本当は今すぐにでも抱きつきたい。もう会えないのだ。また会うためには和の国に行くか、リンタロウが来るしかない。リンタロウには店がある。頻繁に渡れる距離でもない。
 滲見そうになる涙を瞬きすることで抑えると深呼吸する。

「ジジ様が迎えに行ったのか」
「兄さん、怒ってませんでしたか?」
「あのビビリが俺に逆らえると思うか?」
「感情的なとこあるから」
「出迎えに行って見送りに行かんのは失礼だろうが!!」

 港に響く怒声にハロルドが反射的に飛び上がった。
 久しぶりに聞くウォルターの怒声。自分に言われたわけではないとわかっていながらも心臓が異常な速さで脈を打つ。

「何も言わずに見送ったぞ」

 本当にそう言ったのだとしたら、いくら兄でも逆らえるはずがない。今頃荒れているかもしれないが、ルーシィを行かせたのは賢い選択だ。

「父上、この船、わらわが来たときよりも豪華になってないか?」
「あ? いや、どこも……ああ、そういえば改修したな。中が少しボロになってたからな」

 言いたいことが伝わったユズリハはブリッジに足をかけて甲板へと向かう途中で振り返る。

「そなたらも一緒にどうじゃ? 乗ったことないじゃろう?」

 ハロルド、ウォルター、ルーシィが後に続き、その後ろをリンタロウが続いて乗る。

「これ、一般人も乗ってもいいんですか?」

 男が一人、ダイゴロウに声をかけてきた。中を気にするように背伸びをして様子を伺おうとするも目の前に立ったダイゴロウによって視界を覆われる。

「悪いが、あれは友人だ。これは俺の船だから一般人は乗せないことになってる」

 全員の顔を覚えたわけではないが、見覚えのある顔だ。目深にハンチング帽をかぶって顔を隠しているつもりだろうが、ダイゴロウはルーシィが到着した直後に降りてきたこの男の顔を見ている。
 ヘインズ家の使用人の一人だ。
 おおかた、和の国に興味を持つルーシィの浮気を疑ってクリフォードが寄越したのだろうと推測しては船に振り返って声を張る。

「改修したのは中だからな! 中を見ろ! 豪華になってるぞー!」 

 早く中に入れ。遠回しに伝えるダイゴロウにユズリハが手を振って皆で中に入った。

「少しだけじゃぞ」

 ドアにもたれかかるユズリハの言葉を合図に二人は抱き合ってキスをする。
 やれやれと溜息混じりに首を振るも、ルーシィが涙を流しながら掻き抱く様子に“運命”というあやふやな言葉を信じざるを得なくなった。
 何度も唇を啄んでは密着するように腰を抱く兄のキスシーンは見るに耐えないと目を閉じ、腕を組みながら終わるのを待つ。
 目を閉じて待っているだけの時間が異様に長く感じるだけなのか、それとも実際に長い時間が経っているのか、五分数え終わってもまだリップ音が聞こえることにユズリハの頭が噴火した。

「いつまでしておるつもり──んんんっ!?」

 ハロルドの手が口を覆ったせいで怒鳴れず足をバタつかせるだけ。

「もうすぐ別れるんだ。大目に見てやれ」

 心が惹かれ合い、結ばれていようとも自分たちように一緒にいることはできない。もうすぐ船が出発する。ルーシィはこのままついてはいけないのだからと諭すハロルドにユズリハも足を止めて眉を下げる。

「またな」

 唇を離したあとの第一声がそれかと呆れて開いた口が塞がらないユズリハが肩を竦める。

「我が兄ながらロマンのカケラもない男じゃ」
「お前の兄だから、だろ」
「あー悲しいのう。悲しい悲しい」

 ユズリハの言葉とは正反対にルーシィは嬉しそうだった。

「すごかったね! 貴族よりお金持ちなんてすごいわ!」
「父上は金をかけるのが好きな男でな」
「でもずっと船の上なんて飽きちゃいそう。私は馬車がいいわ」
「確かに飽きる。わらわは馬車も飽きるが」

 ユズリハはルーシィと並びながら笑顔で降りてくる。その後ろをハロルドとウォルターが歩き、リンタロウは甲板の上からひらひらと緩く手を振る。

「ダイゴロウ! また俺も和の国へ行くからな!」
「待っているぞ!」

 年齢も体格も違う二人が抱き合い、背中を叩き合う。

「リンタロウ! この国はどうだった?」
「んー……微妙。やっぱ和の国がいいな」

 周りは和の国の言葉を話せない者ばかりなため遠慮なく正直に言葉にしたリンタロウにウォルターが笑い声を上げる。

「また来いよ」
「考えとく」

 そう言って引っ込んだリンタロウにダイゴロウが呆れながらブリッジへと足をかけた。

「父上!」

 やはり父親が同じ空間にいると安心感が違った。和やかで賑やかで落ち着く。だから帰ってほしくない。ずっとここにいてほしい。でも、行くなとは言えない。
 和の国には従業員がいて、親しい近隣住民がいて、商売がある。家庭に入った娘のために全て捨ててくるような男ではないことは娘のユズリハが一番よく知っている。
 大きな身体を抱きしめれば太い腕が抱きしめ返してくれる。それだけで涙が出そうだった。

「約束、忘れるでないぞ」
「お前もな」

 ダイゴロウは健康でいること。ユズリハは幸せでいること──互いに交わした絶対に破ってはならない約束。身体を離し、小指を絡めて確かに約束する。
 寂しい。言葉にはしないが、思いが涙となって溢れてしまう。
  
「いつからお前はそんな泣き虫になったんだ? 俺が泣け泣け言っても泣かなかった奴が今生の別れでもねぇのに泣くんじゃねぇ」
「泣いておらぬ! これは目から水が出ておるだけじゃ!」

 もう我慢する必要がない場所で生きているのだと安堵する。あのまま家にいればユズリハはずっと親に、兄に、気を遣い続けていただろう。
 母親を亡くして寂しくなった家を静まり返らせないようにと、母親がいた頃のようにと必死に騒ぎ続けていた。そしてそこに涙は禁止だと自分に言い聞かせて。 
 今はこうして簡単に涙を見せられる環境にいる。それだけでダイゴロウは安心できる。

「幸せか?」
「愚問じゃな」

 変わらぬ笑顔が愛おしい。このまま連れて帰ってしまいたいぐらいだ。
 もうそこに親の自由はなく、引かれた一線を越えることは許されない。今はもう「親だから」ではなく「親であろうとも」の状況。一番は親ではなく夫であるハロルドなのだから。

「ハロルド、頼んだぞ」
「任せてください」

 嘘偽りに塗れた瞳も笑顔ももうない。だからダイゴロウは安心して甲板へと上がっていく。
 ゆっくりと引き上げられるブリッジがなくなると船がゆっくりと海へと動き出す。
 追いかけたくなる足を地面に打ちつけたように動かず、ユズリハはその場で手を振り続ける。何度も、何度も、手を振っては笑顔を見せて二人を呼ぶ。
 しゃがみ込んで泣くのではないかと心配していたが、ユズリハは袖で涙を拭うといつもどおりの笑顔を見せた。

「帰ろう、お前様」

 大きく伸びをするユズリハに手を差し出すとちゃんと握られる。その手を離さないようにしっかりと握りながら二人は馬車に乗り込んだ。
 賑やかだった家に帰ればまた静かな空間に逆戻りだが、二人はなんだか逆に落ち着く感じを得ていた。
 
「これが我が家なのじゃな」

 自分が住んでいた家と同じはずなのに、ここにダイゴロウとリンタロウがいたことで実家にいる感じはしなかった。
 ここはハロルドと暮らす家。自分がいて、ハロルドがいて、シキがいる。
 居間の真ん中に立ち、庭から差し込む光を感じながらそう噛み締めていた。
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