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大切な日

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 家に帰って朝言ったことに答えは出たかと問いかけたが、予想どおり『何も浮かばなんだ』と答えられたことで完全にハロルド任せになった。
 学校を終えてから街を駆け回ってはあれでもないこれでもないと独り言が多い学生というイメージを店員に与えながら済ませた買い物にハロルドは満足できていない。
 用意するには時間が全く足りなかったのだ。せめて三ヶ月前には知りたかった。それだけの時間があれば何か一つぐらいはユズリハも浮かんだはずだし、リサーチだってできたはず。
 今回は完全にリサーチ不足。妻だなんだと言いながら誕生日さえ知ろうとしなかった自分のいい加減さに何度腹を立てたことか。叩きすぎた太ももが痛い。

 そして迎えた新年。
 目の前にはテーブルを埋め尽くすほどの品数。豪勢すぎる料理。魚を丸々一匹塩で覆って焼いていたときは驚いた。ユズリハもシキも『これがなきゃ始まらない』と言っていたが、年始にそれほど力を入れないヘインズ家にはなかった光景だ。
 いつもよりもずっと華やかな着物に着替え、髪に挿している髪飾りも特別仕様なのか豪勢な飾りがついているユズリハにも驚いた。和の国にとって年始がどれほど特別な物であるかが伝わってくる。
 シキもこの日ばかりは和の国の正装に着替えてユズリハの後方に腰掛けた。
 緊張する必要などないはずなのに、なぜか漂う空気がいつもと違う感じがして緊張してしまう。落ち着こうとハロルドが深呼吸を終えたのを合図にユズリハが正座のまま一歩後ろへと下がって姿勢を正した。それに合わせて姿勢を正すハロルドを見つめるユズリハの真剣な表情に何かあるのかと落ち着けた緊張が走る。

「昨年は大変お世話になりました。皆様の支えがあってこうして素晴らしい新年を迎えることができました。本年も皆様に幸多き年でありますようお祈りしております」
「本年もどうぞよろしくお願いします」

 あまりにも仰々しい挨拶に戸惑うハロルドに向かってシキが続く。二人で深く頭を下げる様子にハロルドも慌てて頭を下げた。

「よ、よろしくお願いします!」

 自分だけ和装ではないことも浮いている感じがするが、今はそれよりも挨拶の仕方さえ知らないことが恥ずかしかった。
 あきらかなる勉強不足。いつも口ばかりだと新年早々感じさせられてしまうことに頭を下げたまま苦笑する。

「よし、食うか!」
「へ?」
「どうした?」
「い、いや、いつもどおりになったから」

 雰囲気がいつもどおりに戻ったユズリハに戸惑い続けるハロルドにシキと二人で大笑いする。

「和の国では家族であろうとあれぐらいの挨拶はする。新しい一年を迎えたからこそ新年だけは大仰にするのじゃ」
「初めてお前を怖いと思った」
「はっはっはっはっはっはっ! 教えておらなんだな、すまんすまん」

 新年も変わらず明るい笑顔を見られたことは嬉しいが、ハロルドの緊張はユズリハの雰囲気が違ったからだけではなく、これは誕生日のせいでもある。
 
「これはユズリハの好物か?」
「新年を祝う料理じゃ」
「お前の好物は?」
「どれも好きじゃが」

 そうじゃなくてと言おうとしたが、ハロルドは逆に都合が良いと考えた。
 これが誕生日を祝うためのメニューでないなら好都合。自分のプランが霞むことはないと。

「もう脱いでいいか? 息が詰まりそうだ」
「さっき着たばかりであろうが」
「ダイゴロウの旦那がいねぇんだ。それぐらい許してくれないかい?」
「それもそうじゃな。好きにせよ」

 奥へ着替えに向かったシキをハロルドが追いかける。

「お前さんの崇高な趣味は男の着替えも対象とはねぇ」
「覗きは趣味じゃないって言ってるだろ! しつこいぞ」

 いつまでもそのネタでからかってくるシキにはうんざりだが、今は怒って引き返すことはできない。
 聞きたいことがあった。

「シキはユズリハに何を贈るんだ?」

 シキとプレゼントがかぶっていたらどうしようとずっと気になっていた。
 だが、シキから返ってきたのは意外な言葉。

「なんも」
「何も!?」

 護衛であり世話役であるシキが何も贈らないなどありえるのかと思わず大きくなった反応に慌てて口を押さえた。

「祝いの言葉ぐらいは言うが、それ以外は何もせんよ」
「誕生日だぞ?」
「お前さんも知ってのとおり、アイツは自分のことにはあまり興味がない。だから昔からあれこれ欲しがらん性格でね。ダイゴロウの旦那が困ってあれこれ用意しても『いらん』の一言で済ませた。誕生日というだけで大仰に祝われることもあまり好まんらしい」
「祝っても喜ばないってことか?」

 もしそうなら考えに考え抜いたプランは失敗に終わる。
 初めて祝える記念日を失敗に終わらせるわけにはいかないと障子を掴んだ。

「何が一番喜ぶ?」
「食い物かねぇ。アイツが持つ唯一の欲と言えば食欲だしな」

 色気のない話だと溜息をつくもユズリハらしいと口元が緩む。
 頭を掻きながら障子から手を離してユズリハが待つ居間へと戻ろうとしたハロルドにシキが声をかけた。

「お前さんからならなんでも喜ぶんじゃないかねぇ」
「なんでも、なんて言葉に甘えたくないんだ。僕はユズリハが本当に喜ぶ物をしてやりたかった」

 もう用意してしまった物を喜んでもらえるかはわからない。本当は泣いて喜ぶぐらいの物をしてやりたかったが、まだユズリハを知ったと語るには浅すぎる。
 でも、できる限りのことをしてやりたい。そう答えるハロルドにシキは笑みを浮かべながら障子を開けた。いつもどおりの格好だ。

「アイツが一番喜ぶのは言葉にしてやることだ。贈り物よりも言葉さね」

 スッと納得できるほどユズリハらしいと思った。
 バンッと背中を叩かれたことで思わずむせるもシキの笑顔にハロルドも笑い、共に居間へと戻った。

「男二人で奥で何しておったのじゃ?」
「女には言えんことだな」
「隠し芸の最終確認か?」
「それが嫌でダイゴロウの旦那から離れたのにお前まで強要するなら俺は逃げるからな」
「冗談じゃ」

 二人を待たずに既に料理に箸をつけているユズリハの前に腰掛けてハロルドも皿と箸を取る。
 ヘインズ家に嫁いでも食事は三人。ユズリハはハロルドの両親に挨拶に行くとは言わないし、ハロルドも挨拶に行けとは言わない。この家はヘインズ家とは区切られた別空間のようなもの。
 きっと両親は新年に息子が食事の席にいないことを不満に思っているだろうが、ハロルドは気にしない。こっちで過ごすことのほうがずっと大事だとこれを見れば尚更強く思った。
 朝から豪華すぎる食事を腹が膨れて横になりたくなるほど食べてはゴロ寝をする。
 ヘインズ家では絶対にありえないことだ。

「和の国は今日はどうやって過ごすんだ?」
「何もせぬ」
「何も?」
「食っては寝てを繰り返すだけじゃ。三が日そうして過ごす」
「三日も!?」
「うむ」
「新年なのに?」
「新年だからじゃ」

 どこまでも違うのだと驚きに目を瞬かせる。
 新年早々、三日も食っては寝るを繰り返す生活を送る理由がわからない。新年からそんな体たらくでいいのかと困惑するハロルドにユズリハが笑う。

「お前様もすぐに慣れる」

 和の国の人間がのんびりしているのはそのせいかと、そこにだけ妙に納得してしまった。
 それから本当に何もすることなくシキは縁側で昼寝をし、ユズリハも上品な装いが台無しと思うほど四肢を放り出して寝転んでお喋りをするだけだった。
 昼になるとむくりと起き上がって「腹が減った」と漏らす。朝のまま片付けもせず広げてある料理に箸を伸ばそうとするユズリハにハロルドが待ったをかける。

「ちょっと待ってろ!」

 玄関へと走っていき、いつの間にか置いていたハンドベルを持って思いきり鳴らした。

「何事?」
「そこから動くな!」

 立ち上がろうとした足を戻して座り直し、シキを見るも動いていない。怪しいことではないらしいと待つことにした。
 それから五分ほど待つとハロルドが大皿を両手に戻ってきた。

「それは?」
「たぶんだけど、お前が好きな物」

 テーブルを開けてくれと顎で指示するといくつかの重箱が重ねられて床に置かれ、空いたスペースに大皿を置く。
 皿の上に乗っているのは茶色いボールのような物だが、ユズリハはこれが何かを知っている。

「揚げドーナツ!」

 散歩に出かけたときによく食べるユズリハの好物だ。揚げ物はあまり好まないユズリハだが、これは別だと嬉しそうに食べていたのを思い出してシェフに頼んでいた。

「何やら豪勢じゃのう」
「こっちはメープル、こっちはグレーズ、こっちは粉糖、こっちはチョコレートでコーティングしてある」

 山積みにしてあるドーナツは約二十個。二口で食べられるサイズと言えど多い。シェフに用意してくれと言うと驚いていた。ハロルドも自分がサプライズでこの量を出されると多いと驚くが、ユズリハに欲しい物がないと言われた以上は量で勝負するしか考え付かなかった。
 それでも成功だと言えるほどユズリハの表情は輝いている。

「わらわのために?」
「嬉しいか?」
「最高に」

 むりやり欲しい物を考えさせなくて良かったと心から思った。こんな物で喜んでもらえるならいくらでもする。

「火傷するなよ。こっちは揚げたてで、こっちは冷えてる」

 コーティングされている物とかけて食べる物で温度が違うと説明すると迷うことなく揚げたてを手にしてかぶりついた。

「サックサクで……」

 幸せそうに表情を緩めるユズリハは噛み締めているため言葉が止まる。

「よかったな、ユズリハ。俺は昨晩から料理に必死でおやつまで用意してやれなかったから」
「そうなのか?」
「こんだけの料理用意しながらおやつまで手が回るなら忍びなんざ引退して料理人になるべきだと思わんかい?」
「なれるだろ、料理人」
「ここでは忍びは職業として役に立たんからなぁ。廃業は考えてない」
「役に立たないのに?」
「だからこそさね」

 楽して生きたいだけだと小声で付け足すユズリハにハロルドも納得の頷きを見せた。

「幸せじゃ」
「僕もお前のその顔が見られて幸せだ」

 上品な笑みよりも好物を頬張りながら見せる笑顔のほうが魅力的に見えるのはなぜだろうと不思議に思いながらも笑顔を向ける。
 一つ二つ、三つ四つとなくなっていくドーナツ。

「ドーナツの塔じゃな」
「ちなみに夜はケーキだからな。特注だぞ」
「なんと!」
「ただでさえ年始は太るってのに、これは例年以上に太っちまうな」

 シキのからかいにユズリハが鼻を鳴らす。

「旦那様がわらわのために用意してくれた物ぞ。太ろうが全部喰らい尽くしてくれる」
「二重顎になったら写真撮らせてくれ。ダイゴロウの旦那に送る」
「性悪め、失せろ」
「やだね」

 宣言どおり、ユズリハは昼間のドーナツもケーキも完食した。
 チョコプレートに書かれた祝いの言葉と名前と年齢に感動して『飾る』と言い出したときはシキとハロルドの二人が大笑いし、ユズリハが怒った。
 このプレートは来年は十八の数字に変わっている。十七歳と書かれているのは今年だけ。だから保存しておきたいと言うが、溶けるかカビが生えるかのどっちかだと説得されて食べることにした。その際に見せた惜しげな顔はハロルド的にツボだったのか、笑い続けていた。
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