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聖夜祭

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 聖夜祭の本番は夜からだというのにハロルドは朝からずっと落ち着きがなかった。
 昨日、学校から帰るとテーブルの上に学校で開催される聖夜祭のビラが置いてあった。なぜここにあるんだと驚いたハロルドにユズリハが「ニックがくれた」と説明してくれたのだが、これまた内心穏やかではなかった。

『楽しんでまいれ』

 そう言った瞬間、絶対に勘違いをしていると確信して鞄を放り出し向かいに座った。

『行かないからな!』

 学校主催のパーティーなら学生は絶対出席だと思っていたのだろうユズリハの不思議そうな顔。
 ユズリハにとって聖夜祭の時期は特別なものではないため何も期待してはいないのだろうが、ハロルドとしては期待してほしい。一緒に過ごすことも、特別なプレゼントがあることも、その夜のことも。全部期待しすぎなほど期待してほしいのに、ユズリハはそういうタイプではない。
 言わなければ伝わらない。それは痛いほどわかっているから力説する。

『聖夜祭はお前とデートするって決めてるんだから絶対に行かない』

 そう断言して迎えた当日。
 ハロルドは心を落ち着かせるためにモミジの木の下に立って葉を見上げる。

「雪が降ればいいんだけどな」

 朝から震えるほど冷え込んでいるため夜になれば雪が降ってもおかしくない。
 和の国の中でもユズリハの住む地方はそれほど雪が降る場所ではなかったらしく、見たことがないわけではないが、あまり積もることはなかったと言っていた。
 だからせっかくなら見せてやりたい。それも聖夜祭という特別な日に降るロマンチックな雪を。そして二人で一緒に雪化粧されたモミジを見たい。
 でも今はまだ降っていない。夜には降るだろうか。
 何度も空を見てはまだかまだかと子供のように楽しみにしている。

「義姉さん、まだ?」
「まーだ。あんまりしつこいと池の底に沈めちゃうわよ」

 兄は結局無事だった。当然ではあるが、世間話程度に旅行はどうだったか聞くと異様な剣幕で怒鳴り散らされた。

『あんな女と結婚したのが間違いだった!』と百八十度変わった意見に驚くものの、猫をかぶっていたエルザの本性を知ればそれも無理はないような気がしてあまり言葉を返さなかった。
 兄は淑女が好きで、従う女が好き。だから淑女代表のようなエルザを気に入っていたのに実際は気の強い女だった。ましてや和の国好き。
 和の国を見下している兄としてはそれも許せなかったのだろう。

『離婚だ離婚!』

 そう捲し立てていたのは部屋の中だけで、祖父が『何を騒いでいる?』と入ってきた瞬間にその意見は消えた。
 まだ結婚して一年も経っていないのに離婚を考えるなど旅行先で何があったのか気になったが、エルザは答えてくれない。
 一つ聞いたのは、エルザが夫と湖に突き飛ばしたということ。
 甘えるように寄ってきたエルザが湖にかかる橋の板に足を引っ掛けて転びそうになり、それで兄を突き飛ばしたと聞いたのだが、ハロルドはそれを聞いてゾッとした。本当に転びそうになったせいか?と。
 エルザに直接問いただしたところで笑顔で「転んじゃった」と答えるのは目に見えているため聞かないが、不安になる。
 その不安要素を持った女と愛しの妻が一緒にいる。聖夜祭のお出かけのための準備をエルザが手伝ってくれているのだ。
『私がお土産に買ったワンピースを着せるの。ドレスアップするんだから』と張り切っていたルーシィに部屋に引きずられていったユズリハの悲鳴が響き渡ったのは一時間前のこと。
 何をされているんだと不安に感じながらもシキが『任せるしかない』と、どこか諦めたように言うからハロルドもそれに従って待っている。
 あとどれぐらいかかるのだろう。
 庭を歩き回り、雪が降らないか空を眺めたり、池の魚に餌をやっては何度目かの溜息をついたとき、奥から女二人が出てきた。

「あ……」

 もじつくユズリハに駆け寄るとエルザがニヤついた顔を見せている。満足できる完成度に鼻高々な様子。
 
「な、何か言ってくりゃれ」

 ワンピースを着たユズリハを見るのはこれで二回目。ユズリハは基本的に和装しか着ないため洋装を着ている姿は何度見ても新鮮に見える。
 前回はシキが化粧を施し、それもよく似合っていたが、今回は別格だった。
 化粧をし慣れたエルザが施した化粧はシキが使わない色を使い、華やかに見える。
 見つめるばかりで何も言わないハロルドにからかいでもいいからと頼むがハロルドにからかうつもりはない。

「キレイだ」

 ストレートに伝えるとユズリハよりもエルザが騒ぐ。

「キャー! 言うじゃない! 言うじゃない!」

 ハロルドがそんなことを言うタイプだとは想像もしていなかったルーシィがキャッキャッとはしゃいでは近くに立つシキの腕を叩く。

「せっかくの仕上がりなんだ。化粧が落ちて化物になっちまう前に出かけちゃどうだ?」
「それはわらわのことではあるまいな?」
「さあ? 誰のことだろうな?」

 出かけるのは夜まで待つつもりだった。聖夜祭で街が賑わうのは夜で、あちこちに普段の倍以上の出店があって行列ができる。
 ハロルドたちは飲めないが、ホットワインで身体を温めて歩く者たちもいる。自分たちはニックの店であのジャムを湯で溶いた者でも飲もうと考えているが、外はまだそれほど暗くはない。
 いつもとは少し違った景色の中を歩きたいハロルドはどうしようか迷っていた。
 
「時間がもったいないしな。行くか」

 迷ったのは三秒もなく、ユズリハに声をかけて手を差し出す。

「エルザに手を出すでないぞ。そなた、年上好きじゃからのう」
「残念だが、俺のが年上なもんでね」
「私は年上が好きよ」
「人妻は面倒なんでお断り」
「ふふっ、残念ね」

 エルザは冗談が好きで、そういう部分はユズリハによく似ている。
 憧れだった人の本性はイメージを反転させるほど違っていたが、話す分には今のほうが楽しい。少し怖い部分も拭えないが。
 二人の見送りを受けて手を繋いで街へ出る。

「当たり前じゃが、和の国とは全く違うのう」
「和の国は雪が降ったらどうするんだ?」
「閉じこもる」
「遊ばないのか?」
「和の国の人間はこのようなコートは持っておらぬ。靴下を履くことも少なく、防寒具がとにかく少ない故、冬は閉じこもる者が多いな」

 少し見てみたい気もするが、前に見た光景が賑やかだっただけに寂しく感じるのだろうと思うと行きたいとは思わない。
 
「寒くないか?」
「うむ。そなたの手の熱で手が溶けてしまいそうなほどじゃ」
「身体はもっと熱いぞ」
「……外で盛ってくれるな」
「部屋でならいいのか?」

 ますます大胆になってきたハロルドを厄介だと思いながらもユズリハも少し慣れてきた。
 呆れた顔を見せながら肩を竦めて笑うとハロルドも笑みを浮かべる。
 まだキス以上には踏み込めていない。できるだけ応えたいと言ってはくれたが、本能的な拒絶はまた別物。恥ずかしいのか、まだそこまで許してはいないのか、きっとユズリハ自身も困惑するだろうから急かすつもりはない。かといって十年二十年も待つつもりはなく、来年の一年間で今より先には進みたいと思っている。
 それを伝えれば意識はしてもらえるのだろうが、負担にも思わせるからと今はまだハロルドの胸の内にしまっているのだが、いつまで持つかはハロルドにもわからない。

「本当に欠席してよかったのか? 学校行事であろう?」

 まだ気にしているのかとハロルドの呆れた顔が向く。

「行事じゃない。あれは聖夜祭と言いながら学校への寄付を集めるパーティーなんだ。僕には関係ない」
「在学生でありながらか?」
「参加は自由で強制じゃない。僕はお前と過ごすって言っただろ」
「まあ、そうなのじゃが……申し訳なくてな」
 
 ユズリハは考えすぎる部分があり、ハロルドはそこが嫌いだった。
 なぜ人の言葉を正面から受け入れようとしないのか。なぜ気を遣っていると思うのか。なぜこうして尽くされていることに喜ぼうとしないのか。
 そういうユズリハを見ると愛情が伝わっていないのではないかと不安になる。幾度となく愛は伝えてきたつもりだ。言葉でも行動でも。それでもユズリハは喜びながらも心のどこかではそれを半分どこかへ逃しているような気がするときがある。
 おおらかでなんでも受け入れてしまうような性格でありながら隠し事も平気でする。
 どうしたら信用してもらえるのか……夫婦でありながらそんなことを考えなければならないことが寂しかった。

「僕は学校に友人はいないんだ。出席したところで誰とも喋らない無駄な時間を過ごすことになる。ましてやパーティーにはアーリーンがいるんだ。誰が行きたいと思う」
「アーリーンは元気にしておるか?」
「……気になるのか?」

 あれだけのことを言われておきながらと呆れ顔を続けるハロルドに苦笑を見せてかぶりを振る。

「わらわが来るまでお前様とアーリーンは互いに想い合っておったのじゃろう?」
「……過去のことだろ」
「後入りしたわらわに負の感情を抱くのはおかしなことではない。もう怒ってやるな」
「僕はお前のようには思えない。僕が決めたことなんだから僕だけに言えばいいのに、わざわざ待ち伏せしてお前に言うなんて卑怯だろ。それもあんな言い方……」

 一部始終を聞いていただけに思い出すだけで腹が立つ。負の感情は友人にでも愚痴ればいい。それなのにわざわざ本人にぶつけて傷つける性悪さに嫌気がさした。
 だから卒業までアーリーンと話すつもりはなく、今後一生、関わるつもりもない。それだけはユズリハがなんと言おうが変えるつもりはなかった。
 
「わらわは気にしておらぬよ」
「お前が気にしてなくても僕が気にするん──」
「ハロルド!」

 聞き覚えのある声に嫌な予感がする。
 だんだんと増えてきた人混みの中で手を振る男が一人、こっちへ向かって歩いてくる。

「知り合いか?」

 答えないハロルドに首を傾げているハロルドが一歩前に踏み出してユズリハを背中に隠した。

「クラスメイトだ」

 相手はユズリハをブスじゃなかったと言った男。
 この日、ハロルドが最も会いたくなかった相手だ。
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