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初デート

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 朝からソワソワして落ち着かないハロルドは珍しく自室にいた。
 何度も何度も鏡の前に立ってはネクタイの位置や髪型を確認する。
 いつもとさほど変わりはないのだが、今日は「少しぐらいはいいか」と甘えた気持ちを出したくはない。出すわけにはいかない。
 
「よし!」

 気合を入れて向かうは第二の家である“ユズリハ邸”

「おはよう」

 朝起きてから帰ったため二度目の挨拶になるのだが、緊張を紛らわせるために挨拶をしたハロルドに同じ言葉は返ってこない。

「ユズリハ? シキ?」
「こっちだ」
「ま、まだ出来上がっておらぬ! 呼ぶでない!」
「もう終わるって言ってんだろ。観念しろって」
「こ、心の準備ができておらぬ……!」
「そんなもんは川にでも捨てろ」

 声がするほうへ向かうと居間ではなく奥の部屋にいることがわかり、ユズリハの部屋だろうかと扉を開けてみるも中にはいない。

「こ、こら! 勝手に人の部屋を開けるでない!」
「夜這いに来るときのために確認しておかないとな」

 最近、ユズリハより優位に立てる方法がわかってきたハロルドがニヤを声に乗せながら言うもユズリハも負けてはいない。

「ほう、では今宵、準備をして待っておるぞ。来ねばジジ様に泣きついてやる」
「……お祖父様を出すのは卑怯だろ」
「なぜじゃ? 夜這いに来るのであれば問題なかろう」
「来るとき、って言っただろ。今日とは言ってない」
「ハロルド・ヘインズは口だけの男じゃったか。これは痛い所を突いてしもうたようじゃな、すまぬすまぬ」

 この減らず口だけは何度聞いても可愛くない。照れているときはあんなにも欲情をかき乱すというのに、それ以外は欲情のよの字も出てこないのだから不思議だと肩を竦めながら声のする隣の部屋の障子の前に立った。

「入っていいか?」
「ならぬ! ならぬぞ!」
「ドーゾドーゾ、今すぐ連れてってくれ」

 シキの言葉に従って障子を開けると化粧道具を片付けるシキより中央で背を向けて座っているユズリハが目に入った。

「それは……?」

 いつもどおりの和装だと思っていたハロルドにとってワンピースを着ているユズリハには驚きしかない。
 裾が広がって大きな花びらとなり、中央で膝を抱えるユズリハはめしべかと妙な感想が頭に浮かぶ。

「これは買い物に行った際にお嬢が気に入ったのを俺が隠れて買ってきたやつだ」
「わらわはいらぬと言うたのに」
「綺麗だって言ってただろ」
「言うただけで欲しいとは言うておらぬ。感想を述べたまでじゃ」

 拗ねたような口調で話すユズリハの裾を少し寄せて両膝をつくと「顔を見せてほしい」と頼んだ。

「わらわはいつもどおりの姿でお前様と一緒に出かけたかった」

 今日は二人きりのデートの日。
 ハロルドが『デートしよう』と誘ったことがキッカケで実現した。

「僕もそのつもりだったけど、どうした?」
「俺がせっかくだからって洋装を着せてみた。郷に入っては郷に従え。ここで和の国を味わってんだから外でこっちの世界を経験して楽しむのも悪くないだろ? さすがにドレスは破られそうで買えなかったが」
「似合わぬと言うておるのに……強引な奴じゃ」
「嫌いじゃないだろ?」
「強要されるのは嫌いじゃ」

 肩を竦めて笑うシキが立ち上がって壁にもたれかかり、顎でハロルドに指示出す。
 せっかくなら楽しんでもらいたい。朝から憂鬱なまま出かけてほしくはないと何か良い言葉をかけるためユズリハの肩を掴んで強制的に向かせるも顔が膝の間に埋もれてしまう。

「ユズリハ」
「わかっておる。顔は上げる。その前に一つ約束してくりゃれ」
「いいよ」
「笑うでないぞ」
「笑わない。約束する」

 その言葉に覚悟を決めたようにゆっくり息を吐き出したユズリハが顔を上げるとその顔に固まった。

「どうだ? 俺の渾身の力作は」

 和の国の人間は平凡な顔が特徴的であり、ユズリハも特段目が大きいとかまつ毛が長いとかそういうことはなく、和の国を歩けばどこにでもいる顔をしている。
 だが今日は違った。シキが施した化粧によって目がハッキリとし、まつ毛も伸びている。唇には赤い紅が引かれ、どこか艶めいて見える。
 まだ十五歳。これからまだ成長する。少女が女性に変わる瞬間があるのだ。今はまだその瞬間に達していなくとも、間違いなく今日のユズリハは女性に変身している。

「普段から化粧すればいいのに」

 その言葉にユズリハの爪先がハロルドの足の甲に乗った。

「お前様、それはどういう意味じゃ? ん?」
「そのままの意味だ!」

 圧をかけるユズリハを軽々と持ち上げるとそのまま一回転するのに合わせてワンピースの裾が広がる。
 普段は綺麗に纏められている髪も今日はポニーテール。横にはハロルドが送った髪飾りがついている。
 トンッと下ろされると腕を叩かれた。

「失礼な男じゃ。普段せぬ化粧をしたら言わねばならぬことがあるじゃろう。き──」
「綺麗だ」

 自分で言えと言おうとしたことだが、先回って言われると恥ずかしくなる。

「こういうのっぺり顔のほうが化粧は映えるってもんよ」

 ハロルドに背を向けてシキに寄ったユズリハの膝が勢いよく持ち上がるもシキの手によって止められる。

「勢いは悪くねぇが、俺もまた男でいたいんでね」
「覚えておれ」

 悪者が逃げ去る際に口にするような言葉を吐き捨てるように言ったユズリハはせっかく化粧で美人になったのにいつもどおりだと笑ってしまう。

「はいはい、未来永劫覚えてますよ。ほら、時間は有限だ。こんなとこで無駄に時間潰してねぇでさっさと行きな」

 二人の背中を押してデートに向かうよう言うとハロルドが手を差し出す。その手を素直に握って玄関へと向かい、用意されていた新品の靴に足を通して馬車で街へと向かった。

「そなたが笑われねばよいのじゃが……」
「お前を笑う奴がいたら唾吐きかけてやる」
「紳士的な振る舞いはどうした?」
「紳士は神じゃない。怒ることもあれば唾を吐きかけることもある」
「今日は笑顔で過ごしてくりゃれ」

 笑い者になることに怒っていたのが嘘のようだと嬉しくなるが、クリフォードにしたような振る舞いだけはやめてほしいと今度はユズリハから手を握ってお願いする。

「わらわはそなたが怒ることは望まぬ。それがわらわのためであろうと、そなたには笑顔でいてほしい」
「僕の感情は無視か?」
「そうじゃ。そなたの役目は感情を押し殺し、笑顔で過ごすこと。よいな?」
「僕はこのまま馬車の中で過ごしてもいいけどな」

 ハロルドの言葉の意味が理解できなかったユズリハが眉を寄せて考える。

「外に出た意味がないではないか」
「馬車の中でもできることはある」
「本は持ってきておらぬぞ」
「本なんか必要ない。この身一つでできることがあるだろ?」

 隣に移動して肩同士が触れ合い、囁かれることでようやくわかったユズリハが走行中であるにもかかわらずドアに手をかけようとするのを強く掴んで止める。

「冗談だ、冗談! 何もしない! ちゃんと降りて食べ歩きするから! 降りるな!」
「嘘とは思えぬ! そなたの声は本気じゃった!」
「冗談だって! 冗談じゃなかったらお祖父様に言ってもいい!!」

 祖父の名前を出さなければ止まらないのが悔しい。
 帰りの馬車で言えばよかったと思うほど警戒するユズリハに両手を上げながら向かいへと戻ることでようやく少し解かれる。

「僕は紳士だぞ」
「唾を吐く紳士は信用できん」
「僕だって初夜は大事にしたい」

 初夜と口にはするが、完全にタイミングは失っている。
 既に結婚同意書にはサインを済ませてそれなりに時間が経っている。結婚式を挙げる予定はない。一緒には暮らしているが部屋は別々。
 結婚同意書にサインはしているのだから夫婦は夫婦だが、状況としては間借りか同棲状態。
 子供ができなくとも身体の関係があってもおかしくはない。むしろあるべきだ。しかし、一緒に風呂に入ったこともなければ添い寝もない。

「初夜のことなん──」
「到着しました」

 御者のタイミングの悪さに目を閉じ眉を寄せながら開いたドアから降りるユズリハを追いかけて外に出た。

「んー! 食欲を誘うイイ香りじゃ! 行くぞ! 今日は飯はいらぬと言うてきた。腹がはち切れるほど食べるぞ!」
「淑女とは」
「わらわは淑女ではない。残念じゃったな」

 体現するように大声で笑うユズリハの声に目の前の公園内で商売をする屋台の店主が顔を覗かせ手を上げる。

「ユズリハ! なんだよお前、オシャレして化粧までしちまって! お前、美人だったんだな!」
「化粧せずとも美人であろうが」
「……いやー……それはわかんねぇわ~」
「よし、もう買わん」
「冗談冗談! お前はいつも美人だよ! ほら買ってけ買ってけ! な!? 今なら揚げたてだぞ!」

 ハロルド一人なら絶対に寄らない店だ。
 衛生面がどうなっているかもわからない屋台など信用できない。床を虫が這っているかもしれないし、店主の手が衛生的であるかもわからない。器具はちゃんと洗っているのか? 油は新しいのを使っているのか?
 疑問を口にし出すとキリがないため何も言わないが、確かに食欲をそそるイイ匂い。

「ヘインズ家の坊ちゃんは……」

 食べないよな?と言いたげな店主に「食べる」と言って二つ購入した。

「お前様もきっと気にいるぞ」
「気に入らなかったらどうする」
「食べる前にそのようなことを考えるな。美味さはわらわが保証する」
「お前の舌が確かである保証がないのに?」

 確かにと笑うユズリハが袋の端を持って受け取る。

「端を持たねば火傷するぞ」

 揚げたてを袋に入れてすぐに渡す店主は慣れているのかしっかり掴んでいるが、ユズリハを信じようと端を持って受け取ってから袋越しに触るとバッと手を離して振って冷ますほど熱かった。

「お前様は命知らずか」
「どれだけ熱いのか気になるだろ」
「あつあつじゃ」

 顔も名前も覚えられ、軽口を叩かれるほど仲良くなっているユズリハに驚きながらも馴染んでいる場所があるのだと少し嬉しくなった。
 ここはユズリハにとってあまり良い思い出の場所ではないはず。アーリーンの馬車に乗せられてハロルドとの婚約破棄を強要された思い出がある。
 それでもユズリハはデートで行きたい場所を聞かれた際に一番にここを挙げた。
 アーリーンのことを思い出さないかと聞いてもユズリハは『過去のことを引きずって美味い物を逃すなど馬鹿げておる』と言って候補に置いた。

「舌を火傷するでないぞ」
「お前は庶民的な物が好きなんだな」

 庶民的という言葉に目を細めたユズリハがニヤつく。

「一口食べてもそのような愚かな発言ができるか楽しみじゃのう」

 お先にと言わんばかりに息を吹きかけてから大口を開けてかぶりついたユズリハがその熱さに顔を左右に振って熱さを逃すのを見て、発言を撤回するどころか食べることすら躊躇してしまう。

「食べふのは? あふふ」

 店主もハロルド・ヘインズに売ってよかったのだろうかと心配の表情を向けている。それに気付いているからこそ逃げられないのもあって、ユズリハより少し長めに息を吹きかけて冷ましてから端にかぶりついた。

「ん!?」

 歯を入れた瞬間にサクッと軽い音が鳴り、噛み切るのに力のいらない柔らかさに目を瞬かせる。
 家で出されるクッキーやスコーンとは違うサクッと感にまた口が進む。周りにまぶされている粒の細かい砂糖が舌に触れると一瞬で溶けていく。少しひんやりとして感じるのもまた不思議で、その美味しさに目を細めて舌鼓を打つ。

「美味いであろう」
「ッ!」

 すっかり美食の世界に入り込んでいたハロルドは一瞬、ユズリハの存在を忘れていた。
 目を開けて横を見ると相変わらずニヤついているユズリハがハロルドの言葉を待っている。
 美味いという一言を。 

「……まあ、食べられないわけじゃない」
「なんじゃそなた、男らしくないのう」
「お前がニヤついてるから望む言葉を言いたくないんだ!」
「ほうほう。わらわがニヤついておらねば美味いと言うておったということか」
「……そうだよ」
「ニック! ハロルド・ヘインズが美味いと言うたぞ!」

 店主に向かって声を張ると店主がガッツポーズを見せた。
 貴族は絶対に立ち寄らない店。そこに名家の貴族が寄っただけでも自慢できることなのに、美味いと言わせたとなれば看板にできると店主は早速紙にハロルドの名前を書いて貼り出した。

「美味い物は美味いと素直に言え」
「美味いよ」
「わらわのお気に入りの場所を山ほど案内してやる。楽しみにしておけ」
「僕はお前と違って大喰らいじゃないからな」
「よきかなよきかな」

 食べ終えてから立ち上がって向かうは別の屋台。それを何件か回ってはベンチで休憩する。
 何か飲みたいと言うも飲み物におすすめはないらしく、それならと今度はハロルドおすすめの場所に行くことにした。
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