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変わり者

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「何してるんだ?」

 縁側に座って放り出した足は洗濯用のタライのような容器の中に突っ込まれている。中には水が張られており、その中に足を突っ込んでいるため買い物にでも行った帰りかとも思ったが使用人がいない。

「シキとかいう男は?」
「あそこじゃ」

 指差すほうを追うと庭に植えてある大きな木の太い幹の上で器用に横になっているシキの姿があった。膝を立てて、その膝の上にまた足を乗せる。両手は頭の後ろ。
 ハロルドも子供の頃に木登りぐらいしたことはある。スイスイと登っていく兄に挑発されて登ったはいいが、そのあと降りれないと泣いた。使用人が大慌てし、ハシゴを持ってきたがそれでも怖くて降りられず、最終的に父親が抱えて降りることとなった。それ以降、ハロルドは木登り禁止となった過去があり、シキを見てその苦い思い出が蘇ってしまう。

「で、お前は使用人が起きるまで足をそのままにしておくのか?」
「これは使用人に足を拭かせるためにしておるわけではない。暑い日にはよくこうしておったのじゃ。わらわの国に比べるとここはそれほど暑くはないがな」

 祖父は和の国に行くといつも『向こうは暑い!』と言っていた。だが、ユズリハを見ても汗はかいていない。懐かしんでいるのだろうか。

「……それよりお前……いくら人が来ないからってその足はどうなんだ……」

 ユズリハは異国へ来たからといってドレスもワンピースも着ない。祖父に言えば喜んで仕立てさせるのだろうがそれもない。和の国のドレスを着ているのだが、今は到着したときよりも随分と薄手の物へと変わっている。
 その薄手の着物の合わせ目を緩めて裾もかなり広げて太ももまで生足が見えている状態に視線を逸らしながら指摘するもユズリハは慌てて直すことはしない。

「お前様の言うとおり、人が来ぬのじゃから問題なかろう」
「今は僕がいるだろ」
「同世代の生足を見るのは紳士的に抵抗があるか?」
「嫌な言い方するな! こっちじゃ男に肌を見せるのは品がないと言われてるんだ!」
「そうか。じゃが、お前様は婚約者。問題なかろう」

 こういう恥じらいのなさもハロルドは嫌だった。
 もう少し裾を上げれば下着まで見えてしまうだろうほど既に見えている状態なのに、婚約者といえど少し前までは顔も知らない他人だった。婚約者というのも形だけ。そんな男の前で平然と肌を見せられる女は淑女ではない。
 嫌悪した表情を浮かべるハロルドを見てユズリハが目を細めて捲り上げていた裾を膝まで下ろした。

「足はダメでも胸元はよいのか? こっちではここまで見せると聞いたぞ」
「こっちでは昔からデコルテの美しさで競い合ってたからいいんだ」
「ほう。顔で競うよりは差別的ではないのう」
「だからって出すなよ」

 見たくもないと顔を背けると相変わらず小馬鹿にしたようにクスクスと小さな笑い声が聞こえてくる。それがまたたまらなくハロルドを不愉快にさせる。

「和の国ではここを出すのは娼婦と言われておる」
「足はいいのかよ」
「大通りでこのようなことはせぬ。家でやっておることにグダグダ言うのは口うるさい男か姑ぐらいじゃ」
「僕がグダグダ言う口うるさい男だって言いたいのか?」
「おや、心当たりが?」

 ユズリハと話しているといつも腹が立つ。笑い合ったことはないし、笑い合えるような話題があるとも思えない。

「そなたの片想いの相手は淑女なのじゃろうな」
「当たり前だ。僕は粗暴な女を好きになったりはしない」
「写真はないのか?」
「あったとしてもお前には見せない」
「旦那様は秘密主義か」
「旦那様って呼ぶな。あと、お前様っていうのもやめろ。不愉快だ。様を付けていようと女が男をお前なんて呼ぶのは許されないんだぞ」

 全てが合わない。ユズリハの発言にいちいち目くじらを立てるのも嫌で、学校に和女が婚約者となったことがバレておらずアーリーンと気持ちが通じ合っていると確信した最高の日をユズリハに会ったことでこのまま腹を立て続ける最悪な日に変わってしまうのが嫌でそのまま踵を返して家へと戻っていった。
  
「ハロルド」
「ッ!? お、お祖父様……なんでしょう?」

 まるで帰ってくるのを見ていたようにタイミングよく現れた祖父に大袈裟なほど肩を跳ねさせて足を止めたハロルドは口から心臓が飛び出さないよう口を手で押さえた。
 まさか向こうで暮らせという話ではないだろうなと緊張しながら笑顔を作って見せるといつもの威圧感を漂わせながら近付いてくる。
 祖父が一歩近付けば心臓が一回大きく跳ねる。

「ユズリハの家に行ったのか」

 見られていたんだと息が止まる。だとしたら立ち寄ってから出てくるのが早すぎた。婚約者として受け入れている構えを見せているのだから、立ち寄ったのならそれなりの時間を過ごしたことを見せなければならないのにと拳を握りながら怒られるのを目を閉じて待つ。
 婚約者に寂しい思いをさせるな、海を渡って嫁ぎに来てくれた婚約者にもっと気を遣えと怒られるだろうことは容易に想像がつくため先に謝っておこうと頭を下げようとしたハロルドの肩に優しく手が乗せられた。

「よくやった」
「え?」

 予想を裏切る褒め言葉だった。

「ユズリハのことをちゃんと気にかけているんだな。えらいぞ」

 ただ立ち寄っただけ。そこに努力は必要ない。今日一週間ぶりに学校に行ったことでアーリーンの可愛さを再確認した。だからユズリハとは全く違うことを比べるために立ち寄ったことでまさか「えらい」と言われるとは想像もしていなかった。
 必死に努力して勝ち取った満点さえ“当然”と言われてきたのに、たった五分、ユズリハの家に立ち寄っただけで褒められた。それも優しい微笑みと共に。
 ずっと祖父に認められたいと思っていたハロルドにとって歓喜するほどのことなのに、素直に喜べない。
 祖父が本当は認めてくれていたことはユズリハから聞いて知っているが、本人の口から褒め言葉が出たことはなく、実感はなかった。
 そして今もそれは同じ。褒められた事実はあれど、それは自分が勝ち取った努力によるものではない。
 結局のところ、祖父は孫の行いを褒めているのではなく、孫が婚約者を気にかけていること、その部分だけを褒めたのだ。
 ここでハロルドが満点のテストを見せてもそれを褒めることはないのだろう。

「婚約者ですから」

 笑顔でそう返しはしたが、拳は緊張から怒りによるものへと変わっていた。

「何を話したんだ?」
「あ、いえ、話はあまりできなかったんです。彼女、水の中に足をつけて涼んでいたので……その……」
「ああ、肌が見えていたか」
「はい。せっかく涼んでいるのに僕のせいでやめさせるのは申し訳なくてまた次の機会に、と」
「気遣いは必要だからな。良い判断だ」
「ありがとうございます」

 頭を撫でて褒められたこともなかった。
 嘘をつくことは嫌いだった。嘘をついて褒められても嬉しくないと思っていたから。でも褒められたい。だからなんでも必死に努力して兄より優秀な成績を残し、兄より優秀だと認められることに成功した。
 でもそれが今、とても馬鹿馬鹿しく思えてしまった。必死に努力してきたことも、祖父に褒めてもらいたいと縋るような思いでいたことも。
 立ち寄ったという事実だけで褒めるのだから祖父の大事なものは家族ではなくユズリハなのだとわかってしまった。
 嘘をついても褒められる。バレたら泣いてもずっと怒られるから嘘はつかないようにしていたのもあるが、きっとバレることはない。ユズリハは婚約者のことを悪くは言わないし、庇う。それは初対面の日のことで確信していた。
 それなら嘘をつけばいい。簡単なことだ。

「ハロルド、たまには一緒に食事をしろ」
「あ、はい! じゃあ、今日は食堂に行きますね!」
「俺ではなくユズリハとだ」
「……あ……ああ……なるほど……」

 やはり結局はこうなのだ。祖父が欲しいのは孫との食事の時間ではなく、孫が婚約者と食事をする事実。

「そうですね。じゃあ、彼女の都合を聞いてみます」
「お前が向こうに行け」
「え?」
「食事はシキが用意してくれる。ユズリハがこっちに来れば気を遣って疲れるだろう。お前が向こうに行って和の国の食事を楽しめ。婚約者のことを知るのも大事なことだ」
「で、でも……」

 それなら向こうがこっちに来てこれから慣れていかなければならない国の食事に慣れるべきなのではないかと思うが言えない。何を言ったところで「来たばかりだぞ」「婚約者の国を知るのは良いことだ」とまずはユズリハを優先する。
 結婚で慣れなければならないのは夫ではなく妻なのに、これはもはや優遇ではなく差別。

「嫌なのか?」
「い、いえ、そういうわけでは! ただ、僕が一緒に夕食を、と言うと彼女は遠慮するかもだし、緊張で食べにくかったりするんじゃないかなって」
「ユズリハは繊細な娘だが、夫となる男と飯を食うことはおかしなことではない。緊張するのなら回数を重ねて慣れていけばいいだけのこと。お前が寄り添ってやれ」
「は……い……」

 言わなくても同じだった。
 婚約者のことを一言も話さない男が今更気など遣うはずがない。
 自分は王族ではなく貴族。しかも長男ではなく次男。責任はそれほど重たいものではないのになぜ自分のほうがこんなにも苦労を強いられなければならないんだと腹が立つ。
 アーリーンが自分と駆け落ちでもしてくれないかとする覚悟もないのに妄想に逃げてしまう。

「お祖父様は随分と彼女を気に入っているのですね」
「ユズリハは賢い女だ。物怖じすることなく冷静で聡明。笑顔が愛らしいのが最も気に入っている」
「でも彼女は大口を開けて笑いますし……」
「父親に似たんだ」
「彼女の母親は?」
「既に亡くなっている。だが、これは俺の口から話すことではないからな。知りたければユズリハに聞くといい」
「わかりました」

 母親が亡くなっていることには驚いたが、聞くつもりはなかった。母親が生きていようと引っ越してこないのであればいてもいなくても同じこと。
 ユズリハが母親恋しさに毎日泣いているのであれば話の一つでも聞いてやってもいいと思うが、そうではない。悠々自適な暮らしを満喫している。
 父親に似ているのであれば父親の背中を見て生きてきたということ。
 ダイゴロウに悪印象はない。見た目どおりの豪快さはむしろ爽快でもあった。
 しかし、それはあくまでも男だからであって女もそれで良いとは言えない。女は豪快よりも控えめがウケる。男に寄り添う淑女であれ。それが貴族の男の望むこと。
 ユズリハは貴族の妻には向いていない。ましてやハロルド・ヘインズの妻には。

「これから互いに知り合っていけ」
「そう、ですね」

 ごめんだと内心で吐き捨てながらも笑顔は崩さず、宿題があるのでと会話を終えて部屋に帰った。
 鞄を床に叩きつけ、ベッドにダイブするとそのまま枕に顔を押し付けて祖父への暴言を吐き出した。
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