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受け入れるべきこと
しおりを挟む「お嬢様、ご気分はいかがですか?」
目が覚めると天井よりも先に彼の心配そうな顔が視界に映る。最近は目が覚めるといつもこの顔を見ているような気がする。
ゆっくり起き上がると背中を支えてくれる手は父の手でも伯父の手でもない私を安心させる彼の手なのに今はその手が少し怖い。
「思い出したの……」
「はい……」
「地震が起きて、施設が崩れる前に私は伯父さまに連れて行かれた。目が覚めたら自分が持ってる最後の記憶から余念が経ってて、父は仕事に行く途中で事故にあったって伯父さまに聞かされてそれを信じてた。父が亡くなって四年間、私は父が死んだショックで忘れてたんだって思い込んでた」
記憶がない事を『お前にとってショックが大きすぎることだから仕方ない』という伯父の言葉を私は信じていた。伯父が嘘をつくわけがないと思い込んでいたのだ。
「朝になると伯父さまは当たり前のようにおはようと挨拶をしたわ。それで、昨日は夜更かしでもしたのか?なんて聞いて近くにある本を指差すものだから、そうだったのかもしれないと……」
なぜ何も疑わなかったのか、自分でも不思議だった。私がマヌケだという以外に理由はないけれど、嘘をつき続けていた伯父のことはショックだった。
「私は父の欲望の被験者だった。あなたは研究員で父に加担していて……でも私と同じになって……実験を……私の隣にいた人……」
「はい」
眠っていた記憶が全て呼び覚まされ、夢だと思っていた気持ち悪いものが一つずつジグソーパズルのようにカチッとハマって絵になっていく。
一人ぼっちになってから何があったのか、伯父の家で目を覚ます前まで何があったんか、全て思い出してしまった。
彼の顔を見つめて離せば視線を逸らさず頷かれる。嘘偽りのない優しさのない真実。
「あなたは私を探していたの?」
「はい」
「
彼は就職先を探していたんじゃない。
「私が声をかけなかったらどうするつもりだったの?」
「何とかして接触を、とは考えていました」
「あなたそれじゃただの変質者よ」
ずっと私を探していたのだ。
「お嬢様のお傍にいることこそが私の使命だと、運命なのだと、あの日、そう思ったのです。ですから何とかしてお嬢様のお傍にと……こうして執事の役目を頂けたのは奇跡としか言い様がございません。身に余る光栄でございます」
置いていかれた彼があの場所からどうやって逃げたのかはわからないし、聞く気もない。今ここにいる事が全てで、過去はもう知りたくなかった。
「おかしいと、思ってたの……」
「……はい……」
「眼を覚ましてから私、何も変わらなかったから。大きくなってドロワー図を脱いで、ドレスのためのクリノリンを身につけるはずだった。私はもうすぐ二十歳になるのに……二十歳でこんな顔をしている子なんていないわ」
毎日何度も鏡を見る。
朝起きて髪にブラシを通す時。顔を洗った時。ネグリジェからワンピースに着替えた時。お風呂に入る前。ドライヤーをかける時。朝から晩まで何度も何度も鏡の中の自分を見ても何一つ変わってはくれなかった。
人は一年一年大きくなっていく。それが成長。中身の成長を知るよりわかりやすい成長が外見だ。その外見が変わらないのはおかしいと思っていたけど、伯父に聞いても「大きくなってるじゃないか」と、そう答えるのに一度だって戸惑いを見せなかったから自分で気付かないだけかと思うようにしてた。
鏡の前でネグリジェを捲ってドロワーズが似合う自分に何度首を傾げただろう。
「あのシルクの……あなたに捨てさせたドレスが似合うような女性になりたかった……」
「きっととてもお似合いになったことだと思います」
私のために作られた私のためのドレスなのだから似合ったはずだと私も思う。それでも着ることはできなかった。
「遠い遠い名前だけの親戚が十七歳のデビュタントで着なさいと勝手に作った物だったの。今まで一度も会ったことのない相手が急に親戚ぶって小さな子供に媚びを売るの。わかる?」
名前さえ知らない大人達が自分を取り囲んで「残念だ」「遺産はどうする」と話す光景はおぞましいものだった。
「ああ、この人達は私が両親を亡くしたことを心配してるんじゃなくて遺産をどうするかを気にしてるだけなんだってすぐにわかった。書類関係に強いから自分に任せろとか、資産運用がどうとか親切ぶって……」
父親の葬式にさえ出られらなかった私にとって親戚と口にする大人達は欲にまみれた怪物でしかなく、今思えば皆、父と同じような目をしていた。
「でも一番気持ち悪かったのはドレスを作った男。品定めのように視線を這わすあの目つき……吐き気がしたわ。だからあのドレスは大嫌いなの。薄気味悪い豚のような男が創った物が素敵だなんて思いたくもなかったから」
「それで……」
こみ上げそうになる怒りを抑えようと深呼吸をするだけなのに代わりに涙がこみ上げる。
「私はもう、大きくなることも、大人の美しさを手に入れることもないのね……」
背が伸びて長い手足で美しいドレスを着てみたかった。パニエもクリノリンも必要ないマーメイドラインのドレス。
シーツを握る私の手は子供そのもので、ネイルが似合う大きな爪もない。
「お嬢様、あなたはとても美しいのです」
「美しいなんて言わないで。その言葉はもう聞きたくない。……呪いのようで、大嫌い……」
美しいという言葉は嫌いではなかった。父が私を褒めてくれる最上級の言葉だったから。母を褒めるように私を褒める。それだけで嬉しくて、幼い私は何度も何度も鏡を見て微笑んでいた。
しかしそれも今となっては呪いの言葉でしかなく、父の言葉は私に喜びではなく呪いを残した。永遠に解けることのない忌まわしい呪いを。
「お父様はどうして自分で試さなかったの……」
自分で試していれば何も壊れずに済んだかもしれないのに、なぜ私や彼でしか試さなかったのか。
「自分よりも美しく、そして愛しい者だからこそ一番に結果を出したかった」
「父がそう言ってたの?」
頷く彼に私は首を振る。まだ信じられない。
「お母様が亡くなられるまで博士は本当に品のある柔らかな方でした。不毛なことかもしれないと理解されておられました。娘は私を恨むだろうとおっしゃられた時の表情は今でもよく覚えています」
思い出して辛そうに顔を歪める彼の記憶にはどんな父がいたのだろう。
「でもそれ以上に失うことを恐れておいででした。ですからお母様を失われてその恐怖にのみ込まれてしまったのでしょう。最も恐れていたことが現実になってしまった以上、もう手を止めるわけにはいかなかった」
そう言ってくれればよかったのに、父は私ではなく研究だけを見ていた。私がどんな思いでこの屋敷にいたのかも知らずに。
「人はいつか死ぬ。親は子より先に死ぬのが通常ですが、残念なことに順番が逆になることもあります。娘まで、というのは覚悟できなかったのでしょうね」
研究者としての父を私は知らない。父にとってあの研究がどの程度の望みで始めたのかはわからないが、いつしかそれが父にとって縋りつく薬のようになっていたのは確かで、私はきっとそれを理解することはできない。だけど、、父が私や母に溢れんばかりの愛を持っていた事だけはわかる。
彼が言うように父は愛する妻を失い、悲しみの闇から抜けることができず、狂ってしまったのだ。
「いつも家族の写真を胸ポケットに入れて大事に持ち歩かれていましたよ。皆が呆れるほど自慢ばかりで……」
まるで庇うような言葉にカッとこみ上げるものを感じた。
「良い父親だったって言いたいの? 母が死んで私はこの家に置き去りにされた! 四年間も実験体にされて、実験した本人は満足して愛する妻のもとへ旅立った! 私は今のまま大きくなれないのに! いつまで経っても女性のままで女性にもなれない! 十年後も二十年後もずっと子供のままよ! 父は私の夢も人としての尊厳も何もかも奪った!」
良い面もあったと言いたげな彼に一つ言葉を吐き出すともう止まらなかった。冷静にと思っていた感情はあっけなく爆発し、部屋に私の怒鳴り声が響き渡る。私の感情に合わせて父の銀器が床や壁にぶつかる音、窓ガラスが割れる音がした。
価値のなくなった銀器たち。お茶とケーキを楽しませてくれた銀器たち。父を恍惚とさせた銀器たち。もう何一つ役に立たない銀器たち。
それはまるで私自身のように思えた。
「お嬢様おやめください!」
彼の大きな手が私の手を強く掴んでシーツに押さえつけると同時に涙が溢れだす。
「……思い通りになって満足した?」
「お嬢様……」
「あなたがいなきゃ私は何もできない。息も吸えなくなるの。私の物語にあなたは必要で、この先、一人ぼっちにならないためにはあなたがいなきゃダメなの。これで満足?」
彼が語った私への欲望は思い通り現実になった。
真実を知る前から私は彼に依存して、彼がいなければ何もできない人間に成り果てていた。彼もそうなることを望んでくれていたのなら大喜びするべきなのに、今は心からそれを喜ぶことができない。
声を張り上げ、物を投げ、嫌味を口にする私の姿は彼の目にどんな風に映っているのだろう。きっととても醜いはず……。
「お嬢様の夢は、なんですか?」
「夢なんて……もうない……」
「では、夢としていたことは、なんですか?」
嫌味に顔を歪めることなく「おはようございます」と朝の挨拶でもしかねない柔らかく優しい表情で彼は私に夢を問う。表情を歪めたのは私のほう。
私の夢はなんだったか……
「……お母様のようになりたかった。いつも笑顔で優しくて、お料理もお菓子作りも上手な素敵な女性。子供と一緒におやつを作って、庭で愛する人と愛する子供と三人でティータイムを楽しむの。毎日笑顔で溢れる家庭を作る。お金なんてなくてもいい。美しい物も必要ない。ドレスも銀器もそこにはないの」
過ごしてきた物から美しさを排除しても幸せな家庭が作れると想像だけなのに私は少し笑顔になる。私が理想とする私の家族。
「素敵な女性になって愛する家族を作りたかった。……でも、それが一番叶わないことになった。子供なんて産めないし……結婚もできない……」
母は私の憧れだった。娘から見ても素敵な女性で、私が一番目標とする人。女優でもモデルでもなく、私は母になりたかった。それももう叶わない。願うべきではないのだ。
私がもっと知恵を、知識を、勇気を持っていれば母は助かっていたかもしれない。父は狂わずに済んだかもしれない。
その負い目が私を許さないから。
何より、一緒に老いる楽しみを私は共有することができない。一緒に死ぬことさえできない。この身体では介護さえできない。
私はこれからどういう人生を送っていけばいいのか、一気に押し寄せる不安に涙は大粒に変わり、滝のように流れて頬を濡らす。
「私がいつもお傍に」
シーツに押し付けられた私の手を包み込むように手を回した彼の声の優しさに思わず顔を向ければ、彼にとって不老不死になったことは不幸ではないのだとわかった。どこか嬉しそうにさえ見える彼に私は何も答えなかったのに彼はそんな私の態度を気にするどころか笑っていた。
「私のためにお菓子を焼いてください。大好物なんです、タルト・タタン」
この状況でタルト・タタンと口にする彼に私は目を瞬かせる。
彼の好物など聞いていなかったし、知りもしなかった。いつも作るだけの彼と一緒に二人きりでティータイムを過ごしたことがなかったのを今思い出した。
彼にとってここまでが筋書き通りなのだとしたら私がどう対応したところできっと彼の思い通りにしかならない気がして諦めることにした。彼は私をよく知っている。私が知らない私のことを私以上に知っているのだ。
彼が私の物語の登場人物なのではなく、私が彼の物語の登場人物なのかもしれないと思うだけで諦めがついてしまうのだから不思議。
「じゃあ……教えてくれる?」
「喜んで」
タルト・タタンは食べる専門だった。料理はできないし、お菓子だって作れない。母が死んで以来、私はタルト・タタンを口にしなくなったけど、タルト・タタンは私が最も愛するお菓子だ。それを他人の味で上書きしたくないし、母の味ではないと思うのも嫌だった。
だが彼が望み、私が変わるキッカケになるのならタルト・タタンのレシピを引っ張り出してきてもいいのかもしれない。
嬉しそうに笑う彼につられて私も涙で濡れた顔のまま笑った。
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