溶け合った先に

永江寧々

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狂気~執事side~

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ブラン博士の下で働きはじめて三年が過ぎても不老不死の研究成果は全くと言っていいほど成果が出なかった。当然だ。人間の細胞を変化させる方法など世界中の情報をかき集めてもわかるわけがない。それでもブラン博士は研究をやめようとはしなかった。いつも「長い目で見る必要がある」と言っていたが、最近はどこか焦りを感じているように見えた。

「子供の成長はあっという間だよ」

そう呟くことが多くなり、笑顔も少なくなったように思えた。
一年ずつ増えていく家族の写真。奥さんに変化は見えなかったが、娘のほうは成長を続けている。まだ幼い子供のように見えていたのが、今年の写真では少女と女性の間に立っているように見えた。
年齢より大人びて見える彼女をとても美しいと心惹かれる自分に気付いていた。
写真を見た誰もが「美しくなった」と言う度に彼は「そうだろう」と上機嫌になり「大人っぽくなった」と言う度に「仕事に戻れ」と不機嫌になった。焦っていたのだ。娘の成長が思ったよりも速いことに。

「またハリケーンかよ。島が揺れるんだよな」

その年、過去最大のハリケーンが数日後にやってくるとニュースで流れているのを見ていた彼は研究員たちの言葉に「私は来られないが、気を付けなさい」と言って自宅へ帰った。研究も大事だが、ハリケーンの中、愛する妻子を自宅に残しておくわけにはいかないと正しい判断をした彼は家に戻って娘を見ながらどんな思いを抱えているのだろうと、最近そればかり考えている。
娘が美しく成長していくのは親にとって嬉しいはず。だが彼は少し違っていて、美しく成長する娘に焦りを感じていた。止まってくれと願っているのだろう。

「地震か⁉」
「ハリケーンの影響だ!」
「島が揺れてるぞ!」
「これまだ本番じゃないからな!」

都心にいる時には絶対感じなかった地面が揺れているような感覚。地震かと思うほどの揺れに全員が地面にどこかに掴まっている。こんな日ぐらい自宅待機にしないのかと思ったが、いつ成果が出るかわからない研究は二十四時間誰かが見ていなければならなかった。ブラン博士がいないこともあって、全員が出勤して様子を見守っていた。

「成果は出たか?」
「ブラン博士⁉ どうしてここに⁉」
「成果がもうすぐ出るはずだ。居ても立っても居られなかった」
「奥様と娘さんは⁉」
「妻は対処に慣れている。過ぎ去ったらすぐ戻るつもりだ」

信じられなかった。愛する家族より研究成果を優先したこの男に失望を感じながらもこの研究に命を懸けているのだと感心もした。
普通なら船など出せないだろう状況を無視して強硬手段に出てまでやってきた博士はそれから成果が出るまでずっとモルモットを見つめ続けていた。

「遅いな」

想像していたよりもずっと時間がかかっている結果に焦っていた。この島を直撃していない今ならまだ急げば戻れると思っているのだろう。それが自殺行為だとわかっていながらも自分勝手に残してきた妻子のために、彼ならやってしまうのだろうと想像していたが、ハリケーンがこの島を直撃したことで電気が全て落ちたことでデータ化されなかった。

結局、ブラン博士がこの島を出たのはハリケーンが過ぎ去ってからで、戻ってくるのに一週間かかった。




「……はか、せ……?」
「研究を急げ……もたもたするな……死ぬ気でやるんだ……」

戻ってきた男がブラン博士であることを認識するのに誰もが時間を要した。
あの西端な顔立ちは消え、頬が窪むほど痩せこけ、髪は真っ白になった彼を、その血走った目を直視できる者はおらず、狂気を感じさせる様子に誰もが慌てて持ち場に戻った。

「急げ……急げぇぇええ!」

精神病棟から脱走した重症患者なのではないかと思わせる異様な雰囲気だが、身につけている物は確かにブラン博士の物だった。自分で掘り出した宝石で作ったと自慢していた結婚指輪。首には妻子の写真入りのロケットペンダント。胸元からはお気に入りの懐中時計がぶら下がっている。

『妻と娘には宝石商をやっていると言ってるんだ。実際に私は宝石には目がなくてね、章石商の仕事も少しやっているんだ。だから半分は嘘じゃない』

そう笑顔で語っていたブラン博士はもう存在しないらしい。

「神など……存在しない……」

何百回何千回と繰り返し呟き続ける彼を誰もが気味悪がっていた。

「なぜ結果が出ないんだ! 私の娘が! あの美しさが消えてしまったらどうするつもりだ! お前らが命を捨てたところで償うことなどできんのだぞ!」

結果が出ないことに怒鳴り散らすことも増えた。「長い目で見るしかない」と苦笑していた彼とは別人なんだと改めて感じた。彼は既に悪魔に取り憑かれたように一心不乱に研究に没頭し、いつ眠っているのかもわからないほどいつ見ても実験室に立ち続けていた。

「ふはは……フハハハハハ! やったぞ……見たか……傷が消えたんだ……傷が! 消えたんだぞ! 戻るんだ! 傷は塞がる! 完成だ! 完成したんだ!」
「ブラン博士! やめてください!

実験用モルモットが成果を見せたのはそれから一年が経った頃。
実験用モルモットにつけた傷が瞬時に塞がったのを見た博士は両手を震わせながら周りの研究員たちに成果を見たかと何度も問いかけてはモルモットをメスで刺し続ける。成功の喜びはわかるが、響き渡るモルモットの悲鳴、飛び散る血しぶきに耐えられなくなった研究員たちが一斉に博士を取り押さえた。それでも彼の狂気は止まらなかった。
俺も、他の研究員たちもそうだが、毎日感じる博士の狂気に精神が慣れつつあり、床に押さえつけられたまま狂ったように笑いながら涎をまき散らす彼を異常だとは思わなくなってきていた。

「娘を連れてくる……。早い方が良いに決まっている……あの美しさに陰りなど許されんのだ……」

モルモットで結果が出ただけだというのに博士はその日のうちに研究所を飛び出した。周りが「まだ早いのでは」と止める声も聞かず、完成したのだと確信を得て娘を連れに行ってしまった。
周りが不安げに顔を見合わせたところでもう遅い。
誰も本気で止めようとしなかったのは、半分以上の研究員たちがこの不老不死という狂った研究に染まっていたのだから。

「彼女が来る……」

俺は、まだ一度しか、それもモルモットで結果を出しただけの研究をまだ十代の娘に施す不安より、彼女に会えるという期待に胸を躍らせていた。
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