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おかえり
しおりを挟むディルが修行に出て五年が経った。
「ディルはまだかよ!」
「知らねぇよ」
「ディルが戻ってくるまででいいから人増やしてくれよ!」
「そこまで儲かっちゃねぇよ。増やしてほしけりゃその汚ェ身体で稼いでこい」
「身体で稼いでんだろうが! 毎日重労働だぜ! 振ってんのは腰じゃなくてフライパンだがな!」
連日大忙しで休憩時間も取れないシェフたちが厨房内で喚く。ディルは器量が良く、厨房もホールも担当でき、材料が少なくなれば駆け回って準備してくれたためシェフたちは料理に集中できた。ディルが抜けた穴の大きさを実感しながら五年が過ぎたシェフたちは毎日同じ言葉を繰り返す。
五年も経てば年代が変わった者もいる。体力の限界を迎えるのが早くなったことでジルヴァに懇願することが増えたのだがジルヴァが首を縦に振ったことは一度もない。
「アイツまさか今年の年末まで働いて来年の年始に帰ってくるつもりじゃねぇだろうな!?」
「知らねぇよ」
「そんぐらい手紙のやり取りしてねぇのかよ!」
「俺は忙しいんだよ」
「電話があんだろ!」
電話はある。でも電話はしない。それはディルも同じだった。電話をして声を聞けば帰りたくなる。だから互いに電話はかけない。
ディルの覚悟は相当だったらしく、この五年間一度も帰ってくることはなかった。毎年訪れる大型連休に来る手紙は『今年も帰れません』だった。今年ももうすぐその手紙がやってくるだろう。
「向こうでディルに言い寄るダーリンがいたかもな」
「お前の奥さんにもな」
「やめろよ!」
「お前が先に言ったんだろ」
厨房から聞こえてくる声に客たちが笑う。ディルがいなくなって寂しいといまだに訴える客もいた。
「でもオージおじさんの言うとおり、お兄ちゃん今年帰ってこないかも」
「帰ってくるのは来年の頭かも」
十六歳になった二人は去年学校を卒業してナーシサスで働き始めた。そのせいもあってシェフをもう一人雇う余裕はないとジルヴァは言う。
ホールが華やかになったことで男の客が増え、儲けは以前よりも出ているが忙しさも増えた。
フリルのワンピースがよく似合う二人の急成長には毎日一緒に過ごしているジルヴァでさえ驚くものがある。
「おチビちゃんだった二人がここまで美しく育つとは驚きだよ」
「お触り禁止」
尻を触ってくる客の頭には水をかけていいとジルヴァから許可をもらっているため運んでいたグラスを客の頭上で逆さまにして水をぶっかける。それには周りの客もおかしげに笑い、ランチタイムはディナーより賑やかな雰囲気となっている。
「ミーナに恋人ができたこと知ったらディル泣くぞ」
「間違いなく泣くだろうな。二階から飛ぶかもしれねぇぞ」
「そんなにひどい人じゃないよ」
「可哀想なだけだよね」
姉の恋人を可哀想呼ばわりするシーナの腕をミーナが肘で軽く突くも否定はしない。
「結婚の話は?」
「出てるけどまだしない。お兄ちゃんに紹介して、お兄ちゃんが認めてくれなきゃ結婚しないって決めてるの」
「相手はそれでいいって?」
「うん。そうじゃなきゃダメだって」
「良い人じゃないか!」
嬉しそうに笑うミーナの幸せを誰もが願っているが、そこに笑みがないのはジルヴァだけ。
先にミーナから紹介を受けたジルヴァはその相手を見て驚いた。相手もジルヴァを見て驚いたし、怯えもしていた。相手が相手なだけに反対しようかとも思ったが、ミーナは賢い。愛があれば、と語るような女ではないため冷静に相手を見ていると信じている。事情を知れば変わってしまうかもしれないが、それを今ぶち壊すのは自分の役目ではないと黙っている。
「でもさ、お兄ちゃんが帰ってくるのが来年だったら?」
「来年まで待つよ。今年結婚しても来年結婚しても同じだもの」
「ミーナはママになりたいんでしょ?」
「やめてよ。こんなとこで話すことじゃないでしょ」
「少しでも早いほうがいいんじゃないかなって思って言っただけだもん」
シーナの暴露を恥ずかしく感じたミーナが少し突き放すように言い、シーナと距離を取る。
「どんな人なんだい? ディルみたいな人と結婚するって言ってただろう?」
「もうすぐランチタイム終わるからさっさと食え。クローズは待たねぇぞ」
ジルヴァの声にまだ食事の途中だった客が慌てて食べ始める。残っているからとランチタイムの終了を遅めたりはしないのを皆知っている。
ホールに出てきたジルヴァが無言で時計を指し始めたらカウントダウン開始の合図。各々がテーブルに金を置いて逃げるように店を出ていく。
「シーナも早く恋人欲しいなぁ」
「シーナすぐ冷めちゃうのやめたら?」
「シーナがしようと思ってそうしてるんじゃないもん。追いかけてるのが楽しいの。追いかけられると嫌になっちゃうんだもん」
「恋愛できないよ?」
「追いかける楽しさ知らないミーナにはわかんない」
「わかりたくない」
告白されて付き合った。最初は断っていたが、男は半年間毎日毎日花束を持って門前で待ち伏せした。強引に手を繋ぐこともキスをすることもしない。かといって強引に家まで送ることもしなかった。
『好きです、ミーナさん』
そう言って花束を渡し、ミーナはいつも『ごめんなさい』と答える。断られるとわかっていながら告白している男はそれで落ち込むことはせず『一緒に帰ってもいいですか?』と言葉を続けて反応を待った。半年後、ミーナは告白にこそいつもどおりの答えだったが、一緒に帰ることだけは受け入れた。帰り道、花束を持つ男は一緒に帰れるからといってそれ以上を望みはしなかった。そうしたことが何度か続き、真っ赤な花束を受け取った日、ミーナは告白に頷きを返した。
恋人ができたミーナを羨みながらも相手からの反応が返ってくると冷めるシーナの話を聞いてもミーナはその感情を理解することができない。今持っている感情だって兄が反対すれば消えるかもしれないとさえ思っているのだ。
始まったばかりの恋愛感情を自分でコントロールするのは難しい。だからデートはいつもシーナに付き添ってもらう。男が嫌な顔しないのをいいことに。卑怯だとわかっている。相手の気持ちを利用したズルい行為。でも、相手への好きという気持ちと親代わりの兄を天秤にかけたとき、まだ兄のほうが重たいのだ。
五年間離れている間も兄はずっと気にかけてくれた。一日だって手紙を欠かしたことはない。誕生日には必ずプレゼントも添えてくれたし、ホリデーカードも忘れたことはない。だから兄が反対すれば彼のことは諦める。自分の気持ちだけで反対したりしない人だからこそ、その意見に従おうと思っている。どんなに相手を好きになっていたとしても、その気持ちは変わらない。
だから本当は早くディルに帰ってきてほしかった。来年と言わずに今日にでも。早く紹介したい。良い人だねと笑ってほしい。そう思うほどにはもう彼のことを好きになってしまっているから。
でも待つと決めた。兄は遊びに行っているわけではないから。兄は夢を追いかけて家族から離れた場所で一人戦い続けている。だから急かすつもりはないし、動揺させたくないから恋人ができた話はしていない。帰ってきた兄に話せばきっと驚くだろう。ショックを受けるかもしれない。そんな兄にどうやって話を切り出すべきかを考えるのにミーナも時間が必要で、すぐに帰ってきてほしい思いとは裏腹にまだもう少し後でもいいと思っていた。
「なんの話してるの?」
唐突に聞こえた聞き慣れたその声に全員が驚いた顔で勢いよく振り向いた。
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