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閉店
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夕飯を持って行ったとき、ロイクはもうフクーシャのもとへと旅立っていた。
オージたちは全て知っていたのだろう。ロイクの意向でジルヴァたちには伝えなかった。アルフィオは怒っていたが、ジルヴァは何も言わなかった。それが彼らの優しさであることを知っているから。
フクーシャの名前の下にロイクの名前を刻んで全員で頭を下げた。ロイクだけがかぶることを許された長い長いコック帽。鬱陶しいからと滅多にかぶることはなかったが、大事に取ってあったそれを墓の前に置く。
「俺はまだ成人迎えてねんだぞ。向こうで山ほど怒られろクソジジイ」
責任持てと言いたかったが、ここまで育ててくれたことだけで充分だった。
数日前までちゃんと生きていたのにもう何を言っても返事も声も聞こえない。乱暴に頭を撫でられることも拳を落とされることも背中を叩かれることもない。
皆が目を閉じているときでよかった。今、目を開けるとまた泣いてしまいそうだったから。
「さて、と……」
暫くして全員が顔を上げたのを確認するとオージが重たい口を開いた。そこから出てくる声はいつもとは違い、言わなければならないことがあるように聞こえた。
「片付けないとな」
「……何をだ?」
ジルヴァだけがわかっていないような雰囲気にアルフィオが口を開こうとするもオージが先に声を発する。
「フクシアは閉店する」
頭を鈍器で殴られたような感覚に目は一点を見つめたまま固まり、口を開けても言葉が出てこない。
「は……? なに、言ってんだ?」
そういえばジルヴァ以外の誰もコックコートを着ていない。今日は忙しいから休みにすると聞いていたが、明日からは今までどおり開店するものだと思っていたジルヴァにとって耳を疑うような言葉。
「こんな日にふざけてんじゃねぇぞ!」
「ジルヴァやめろ!」
「ジルヴァ!」
オージに掴みかかるジルヴァをアルフィオとデイブが止めるもジルヴァはオージを掴み直そうと手を伸ばし、蹴ろうと足をバタつかせるも随分と背が伸びたアルフィオに引きずられると前に進むことができない。
「オージ、テメー……自分が何言ってるかわかってねぇわけじゃねぇよなァ!?」
「わかってる。でもこれはもう決定したことだ」
「……この店を売るってのか? ここがどんな店か、どういう場所か、ここにどれだけの思いが詰まってるかわかって言ってんだよなッ!?」
「ジルヴァやめろって」
「やめろ? やめろってのはくだらねぇこと言いやがったアイツに言えよ! ああ、そうか。独立してぇのか? だからロイクが死んですぐ閉店決めたんかよ! でなきゃおかしいもんなァ! そうじゃなきゃできるはずがねぇ! ロイクが愛したこの店を! ロイクの宝物であるこの店を閉店させるなんてよぉ! 薄情者! テメーには心がねぇのかクソ野郎! ふざけん──ッ!?」
大通りまで響き渡っているだろう絶叫にも近いジルヴァの怒鳴り声。歴は短くとも恩義は誰よりも感じているジルヴァの気持ちを知らない者はいない。この悲痛な声に胸を痛め、オージでさえ何も言い返さなかったが、アルフィオだけは違った。大きな手で思いきりジルヴァの頬を殴った。
「アルフィオッ! 女の顔は──」
「女とか男とか関係ねぇよ、特にコイツは」
「アルフィオ……テメー……」
地面に尻餅ついたまま睨みつけるジルヴァをアルフィオも睨みつける。
「オージがマジで独立したいから閉店決めたって本気で思ってんのか?」
「それ以外ねぇだろうが! オーナーが死んだらはい終わりって他に理由あんのかよ!」
「店のことを決めるのは誰だよ」
その言葉にジルヴァが目を見開き、思わず後ろを振り向いた。
「……冗談、だろ……」
一番弟子であるオージが勝手に決めるはずがない。独立したいなんて一言も言ってなかったオージが急に狙ったように舵取りをするはずがない。わかっていた。だけど、もしそうだとしたら感情をぶつける相手がいない。考えを改めさせる相手がいない。
「オージはロイクから指示を受けてた。この店は自分が好き勝手やってきた店だからお前らにそれを背負わせるわけにはいかねぇって。オージはかまわねぇって言ったんだ。だけど、ロイクは店閉めろの一点張りで……」
オージだけではない。自分以外の全員が知っていたんだと全員の顔を見てわかった。
シェフになると言った。オーナーになると言った。それは全てこの店で、という意味だったが、ロイクは違った。それがジルヴァに大きなショックを与える。
「オーナーが一番心配してたのはお前のことだよ、ジルヴァ」
目の前にやってきたオージがしゃがんで目線を合わせる。
「才能はアルフィオのが上だが、ジルヴァは根性がある。負けず嫌いなのが良い。誰かと勝負するつもりはさらさらねぇが、世間様はなんでも比べたがるからな。これからは文字どおり生き残りをかけた戦争になるだろう。その時代に生き残れるのは負けず嫌いな奴だけだ。そこはアルフィオよりジルヴァのが強ぇだろうなっていつも言ってた」
でも、と続けるオージの目がジルヴァの目を捉える。
「アイツはこの店に、俺に固執しすぎてるから心配だ。こんな小せぇボロい店じゃなくて新しい設備のあるデカい店で修行するべきなんだよ。世界は広いんだ。世界を見たほうがいい。汚ぇ、臭ぇ、小せぇの三拍子が揃った店のオーナーは年寄りがやって丁度いんだよ。ここはアイツの居場所でもあるが、居場所は他にも作れる。作らなきゃダメだ」
以前、ジルヴァも言われたことがあった。
『一匹狼気取るのは悪いことじゃあねぇ。人に依存するよりずっといいからな。でもな、料理はチームでやるもんだ。お前一人であれだけの料理を捌けるか? お前が偉そうに一人でやれるって意地張って、やってみろってボイコットされたらどうする? 店は回んねぇぞ。それはお前の強がりを間に受けてボイコットした奴らがバカなんじゃねぇ。お前がちゃんとチームと絆を作らねぇのが悪いんだ。やり方が合わねぇなら突き放すんじゃなく話し合え。でなきゃシェフにはなれねぇぞ』
料理が作れたらそれでいいわけじゃないと言われた。それはお説教ではなくジルヴァの将来を見据えてのことだがジルヴァは『ウルセー』とだけ返した。
ロイクが言ったことは厨房に立ったことがある人間ならわかる。連携しなければ上手く回らないことがほとんどで、チームで絆を築き上げ信頼しているから誰も一つ一つ指示を出すことはしない。シェフとして厨房に立ったとき確かにそれを感じ取った。
「だからな、ジルヴァ……お前はお前の居場所を──ッ!」
「うるせぇ!」
地面についている手で土を握ればそれをオージの顔に投げつけた。デイヴがオージに距離を取るよう言い、オージも数歩下がった。それを追うようにジルヴァも立ち上がり、その場にいる全員を睨みつける。
「勝手なこと言いやがって……! 俺の人生勝手に決めてんじゃねぇぞ! 何が最善かは俺が決めんだよ!」
「お前は何も変わらず店を続けていけるのか? もし味が変われば客は落胆する。この店の味を愛してくれてた客に落胆させず彼の味を完璧に再現できるってのか?」
「事情話せばわかってくれるだろ!」
「わかってくれる? お前はそんな傲慢な気持ちで店続けていくつもりか? オーナーが死んだんだから味が変わるのは仕方ない。お前らそれを理解して食いに来いって客に言えんのか? 誰が言う? 俺か? お前か? アルフィオか? デイヴか? ジョシュか? ピエールか? 誰に言わせるつもりだ?」
オージが言っていることは正しい。自分たちはシェフだが、この店の味を決めているのも守っているのもロイクだった。何年働いていてもロイクに足りないと言われることはあったし、ロイクの味に慣れていてもそれを忠実に再現することは難しい。ほんの少しの量が増減しただけで味は最悪に変わってしまう。ロイクの味を求めてくる客たちにはすぐにわかってしまうだろう。
「俺は怖いよ。落胆した客たちの足が遠のいてこの店が落ちぶれていくのを見るのは。愛されたフクシアはこれで終わったほうがいいんだよ」
「ジルヴァ、俺らはロイクに拾ってもらったじゃん。ロイクが大事にしてきたこの店を守るのは継続じゃなくて閉店なんだよ、きっと」
惜しまれながら終わる。それが一番キレイな形なんだろう。客たちも落胆せず、常連たちの記憶には楽しかった、美味しかった記憶だけが永遠に残る。またあの味が食べたいと惜しまれることは悪いことじゃない。それこそロイクが築き上げてきた歴史なのだから。
「売ったらここに……わけのわかんねぇもんができるんだぞ……」
「でも家賃が払えなくなっても売らなきゃいけねんだよ。落ちぶれて閉店して売りに出すほうが申し訳ねぇだろ」
ジルヴァにあるのは勢いだけで、アルフィオのほうがずっと大人だった。冷静になりきれないジルヴァの頭はそれを理解しようとしない。
「だったらさっさと片付けて出ていけよ」
「ジルヴァ、あそこには残れないぞ」
「閉店だろ。わかってんだよ。さっさと失せろ」
涙を拭ったジルヴァの静かな声にアルフィオが眉を寄せる。こういうときのジルヴァは暴走する傾向にあり、それを放置しておくと厄介なことになるため店へと向かったのを追いかけて肩を掴むも乱暴に払われた。
「テメーもだぞ、アルフィオ」
黙っていたアルフィオも今やジルヴァの中では敵なのだろう。一人先に中へと入っていったジルヴァをどうすべきかわからず頭を抱えて髪を掻き乱す。
「ジルヴァも連れてけ」
「努力はするけど、たぶんジルヴァは俺と同じ道は行かないと思う」
「それでもシェフの道には行くさ。アイツはオーナーの期待を裏切れねぇだろうしな」
「オージたちはどうするの?」
「他の店で働く。俺らは料理しかできねぇからな」
それぞれが頷きながら店内に入り、置いていた道具を分け合い持ち帰る。まるで自分の家のように好き勝手置いていた私物を箱の中に入れる瞬間の寂しさに数えきれないほどの溜息が聞こえた。
閉店については話し合っていたこともあってそれぞれ既に新しい店は決まっている。アルフィオとジルヴァだけが決まっていない。アルフィオもまだ急いで決めようとは思っていなかった。
「じゃあな、アルフィオ。世界見てこいよ」
「世界のアルフィオって呼ばせてやるから」
「たっかい酒奢れよ」
「任せろ」
楽しげに笑いながら手を振り合う彼らをジルヴァはカーテンの隙間から見ていた。
ロイクが亡くなったばかりだというのにさっさと閉店を決めてしまった彼らにジルヴァは冷めた目を向けていた。
オージたちは全て知っていたのだろう。ロイクの意向でジルヴァたちには伝えなかった。アルフィオは怒っていたが、ジルヴァは何も言わなかった。それが彼らの優しさであることを知っているから。
フクーシャの名前の下にロイクの名前を刻んで全員で頭を下げた。ロイクだけがかぶることを許された長い長いコック帽。鬱陶しいからと滅多にかぶることはなかったが、大事に取ってあったそれを墓の前に置く。
「俺はまだ成人迎えてねんだぞ。向こうで山ほど怒られろクソジジイ」
責任持てと言いたかったが、ここまで育ててくれたことだけで充分だった。
数日前までちゃんと生きていたのにもう何を言っても返事も声も聞こえない。乱暴に頭を撫でられることも拳を落とされることも背中を叩かれることもない。
皆が目を閉じているときでよかった。今、目を開けるとまた泣いてしまいそうだったから。
「さて、と……」
暫くして全員が顔を上げたのを確認するとオージが重たい口を開いた。そこから出てくる声はいつもとは違い、言わなければならないことがあるように聞こえた。
「片付けないとな」
「……何をだ?」
ジルヴァだけがわかっていないような雰囲気にアルフィオが口を開こうとするもオージが先に声を発する。
「フクシアは閉店する」
頭を鈍器で殴られたような感覚に目は一点を見つめたまま固まり、口を開けても言葉が出てこない。
「は……? なに、言ってんだ?」
そういえばジルヴァ以外の誰もコックコートを着ていない。今日は忙しいから休みにすると聞いていたが、明日からは今までどおり開店するものだと思っていたジルヴァにとって耳を疑うような言葉。
「こんな日にふざけてんじゃねぇぞ!」
「ジルヴァやめろ!」
「ジルヴァ!」
オージに掴みかかるジルヴァをアルフィオとデイブが止めるもジルヴァはオージを掴み直そうと手を伸ばし、蹴ろうと足をバタつかせるも随分と背が伸びたアルフィオに引きずられると前に進むことができない。
「オージ、テメー……自分が何言ってるかわかってねぇわけじゃねぇよなァ!?」
「わかってる。でもこれはもう決定したことだ」
「……この店を売るってのか? ここがどんな店か、どういう場所か、ここにどれだけの思いが詰まってるかわかって言ってんだよなッ!?」
「ジルヴァやめろって」
「やめろ? やめろってのはくだらねぇこと言いやがったアイツに言えよ! ああ、そうか。独立してぇのか? だからロイクが死んですぐ閉店決めたんかよ! でなきゃおかしいもんなァ! そうじゃなきゃできるはずがねぇ! ロイクが愛したこの店を! ロイクの宝物であるこの店を閉店させるなんてよぉ! 薄情者! テメーには心がねぇのかクソ野郎! ふざけん──ッ!?」
大通りまで響き渡っているだろう絶叫にも近いジルヴァの怒鳴り声。歴は短くとも恩義は誰よりも感じているジルヴァの気持ちを知らない者はいない。この悲痛な声に胸を痛め、オージでさえ何も言い返さなかったが、アルフィオだけは違った。大きな手で思いきりジルヴァの頬を殴った。
「アルフィオッ! 女の顔は──」
「女とか男とか関係ねぇよ、特にコイツは」
「アルフィオ……テメー……」
地面に尻餅ついたまま睨みつけるジルヴァをアルフィオも睨みつける。
「オージがマジで独立したいから閉店決めたって本気で思ってんのか?」
「それ以外ねぇだろうが! オーナーが死んだらはい終わりって他に理由あんのかよ!」
「店のことを決めるのは誰だよ」
その言葉にジルヴァが目を見開き、思わず後ろを振り向いた。
「……冗談、だろ……」
一番弟子であるオージが勝手に決めるはずがない。独立したいなんて一言も言ってなかったオージが急に狙ったように舵取りをするはずがない。わかっていた。だけど、もしそうだとしたら感情をぶつける相手がいない。考えを改めさせる相手がいない。
「オージはロイクから指示を受けてた。この店は自分が好き勝手やってきた店だからお前らにそれを背負わせるわけにはいかねぇって。オージはかまわねぇって言ったんだ。だけど、ロイクは店閉めろの一点張りで……」
オージだけではない。自分以外の全員が知っていたんだと全員の顔を見てわかった。
シェフになると言った。オーナーになると言った。それは全てこの店で、という意味だったが、ロイクは違った。それがジルヴァに大きなショックを与える。
「オーナーが一番心配してたのはお前のことだよ、ジルヴァ」
目の前にやってきたオージがしゃがんで目線を合わせる。
「才能はアルフィオのが上だが、ジルヴァは根性がある。負けず嫌いなのが良い。誰かと勝負するつもりはさらさらねぇが、世間様はなんでも比べたがるからな。これからは文字どおり生き残りをかけた戦争になるだろう。その時代に生き残れるのは負けず嫌いな奴だけだ。そこはアルフィオよりジルヴァのが強ぇだろうなっていつも言ってた」
でも、と続けるオージの目がジルヴァの目を捉える。
「アイツはこの店に、俺に固執しすぎてるから心配だ。こんな小せぇボロい店じゃなくて新しい設備のあるデカい店で修行するべきなんだよ。世界は広いんだ。世界を見たほうがいい。汚ぇ、臭ぇ、小せぇの三拍子が揃った店のオーナーは年寄りがやって丁度いんだよ。ここはアイツの居場所でもあるが、居場所は他にも作れる。作らなきゃダメだ」
以前、ジルヴァも言われたことがあった。
『一匹狼気取るのは悪いことじゃあねぇ。人に依存するよりずっといいからな。でもな、料理はチームでやるもんだ。お前一人であれだけの料理を捌けるか? お前が偉そうに一人でやれるって意地張って、やってみろってボイコットされたらどうする? 店は回んねぇぞ。それはお前の強がりを間に受けてボイコットした奴らがバカなんじゃねぇ。お前がちゃんとチームと絆を作らねぇのが悪いんだ。やり方が合わねぇなら突き放すんじゃなく話し合え。でなきゃシェフにはなれねぇぞ』
料理が作れたらそれでいいわけじゃないと言われた。それはお説教ではなくジルヴァの将来を見据えてのことだがジルヴァは『ウルセー』とだけ返した。
ロイクが言ったことは厨房に立ったことがある人間ならわかる。連携しなければ上手く回らないことがほとんどで、チームで絆を築き上げ信頼しているから誰も一つ一つ指示を出すことはしない。シェフとして厨房に立ったとき確かにそれを感じ取った。
「だからな、ジルヴァ……お前はお前の居場所を──ッ!」
「うるせぇ!」
地面についている手で土を握ればそれをオージの顔に投げつけた。デイヴがオージに距離を取るよう言い、オージも数歩下がった。それを追うようにジルヴァも立ち上がり、その場にいる全員を睨みつける。
「勝手なこと言いやがって……! 俺の人生勝手に決めてんじゃねぇぞ! 何が最善かは俺が決めんだよ!」
「お前は何も変わらず店を続けていけるのか? もし味が変われば客は落胆する。この店の味を愛してくれてた客に落胆させず彼の味を完璧に再現できるってのか?」
「事情話せばわかってくれるだろ!」
「わかってくれる? お前はそんな傲慢な気持ちで店続けていくつもりか? オーナーが死んだんだから味が変わるのは仕方ない。お前らそれを理解して食いに来いって客に言えんのか? 誰が言う? 俺か? お前か? アルフィオか? デイヴか? ジョシュか? ピエールか? 誰に言わせるつもりだ?」
オージが言っていることは正しい。自分たちはシェフだが、この店の味を決めているのも守っているのもロイクだった。何年働いていてもロイクに足りないと言われることはあったし、ロイクの味に慣れていてもそれを忠実に再現することは難しい。ほんの少しの量が増減しただけで味は最悪に変わってしまう。ロイクの味を求めてくる客たちにはすぐにわかってしまうだろう。
「俺は怖いよ。落胆した客たちの足が遠のいてこの店が落ちぶれていくのを見るのは。愛されたフクシアはこれで終わったほうがいいんだよ」
「ジルヴァ、俺らはロイクに拾ってもらったじゃん。ロイクが大事にしてきたこの店を守るのは継続じゃなくて閉店なんだよ、きっと」
惜しまれながら終わる。それが一番キレイな形なんだろう。客たちも落胆せず、常連たちの記憶には楽しかった、美味しかった記憶だけが永遠に残る。またあの味が食べたいと惜しまれることは悪いことじゃない。それこそロイクが築き上げてきた歴史なのだから。
「売ったらここに……わけのわかんねぇもんができるんだぞ……」
「でも家賃が払えなくなっても売らなきゃいけねんだよ。落ちぶれて閉店して売りに出すほうが申し訳ねぇだろ」
ジルヴァにあるのは勢いだけで、アルフィオのほうがずっと大人だった。冷静になりきれないジルヴァの頭はそれを理解しようとしない。
「だったらさっさと片付けて出ていけよ」
「ジルヴァ、あそこには残れないぞ」
「閉店だろ。わかってんだよ。さっさと失せろ」
涙を拭ったジルヴァの静かな声にアルフィオが眉を寄せる。こういうときのジルヴァは暴走する傾向にあり、それを放置しておくと厄介なことになるため店へと向かったのを追いかけて肩を掴むも乱暴に払われた。
「テメーもだぞ、アルフィオ」
黙っていたアルフィオも今やジルヴァの中では敵なのだろう。一人先に中へと入っていったジルヴァをどうすべきかわからず頭を抱えて髪を掻き乱す。
「ジルヴァも連れてけ」
「努力はするけど、たぶんジルヴァは俺と同じ道は行かないと思う」
「それでもシェフの道には行くさ。アイツはオーナーの期待を裏切れねぇだろうしな」
「オージたちはどうするの?」
「他の店で働く。俺らは料理しかできねぇからな」
それぞれが頷きながら店内に入り、置いていた道具を分け合い持ち帰る。まるで自分の家のように好き勝手置いていた私物を箱の中に入れる瞬間の寂しさに数えきれないほどの溜息が聞こえた。
閉店については話し合っていたこともあってそれぞれ既に新しい店は決まっている。アルフィオとジルヴァだけが決まっていない。アルフィオもまだ急いで決めようとは思っていなかった。
「じゃあな、アルフィオ。世界見てこいよ」
「世界のアルフィオって呼ばせてやるから」
「たっかい酒奢れよ」
「任せろ」
楽しげに笑いながら手を振り合う彼らをジルヴァはカーテンの隙間から見ていた。
ロイクが亡くなったばかりだというのにさっさと閉店を決めてしまった彼らにジルヴァは冷めた目を向けていた。
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