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母親が死んだ日
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「あーあー、殺しちまった」
軽い口調。まるで料理を失敗しただけのような言い方だ。
フェイルが腕を離すと母親はドサッと人形のように地面に倒れて動かなくなった。ピクリともしない。涙で濡れた視界の中で何が行われたのかハッキリと認識できなかったが父親の言葉が全てを物語っている。
床に倒れている母親を見下ろすもジルヴァは何も感じていなかった。母親が死んでしまった衝撃も悲しみも寂しさも。いや、開放感はあったのかもしれない。父親が母親について文句を言うことはなくなり、ジルヴァ自身もそこにいる母親を無視しなくて済むようになったのだから。嫌悪と憎悪に塗れた表情を向けられることはもうない。「気持ち悪い」「バケモノ」と言われることもない。そこにある安堵がジルヴァに悲しみをもたらすことはなかった。
「病院行こうな」
優しく抱き上げてくれる父親がアリーゼを跨いで病院へと走った。
「娘を! 娘を診てくれ!!」
病院に入ってすぐ大声で医者を呼ぶと看護師数人と医者が驚いた顔でやってきた。ジルヴァを受け取ってベッドに寝かせる。
「ひどいな……」
表情を歪めるほどひどい状態のジルヴァの手をフェイルがしっかりと握る。
「娘はまだ七歳なんだ。これからスゲー美人に成長していくんだよ。傷なんか残らねぇよな? な?」
「お父さん、大丈夫ですから落ち着いてください」
混乱したように声を上げるフェイルを宥めるように看護師が声をかけるも医者の目は彼の血塗れた拳を捉えていた。
「処置しますからお父さんは外でお待ちください」
「できるだけ傷が残らないようにしてやってくれ! ジルヴァ、痛いだろうけど頑張れよ! 大丈夫だからな!」
シャッと音を立てて閉められたカーテンの向こうでフェイルが叫ぶ。落ち着かせようと何度も声をかけながら椅子が置いてある場所まで誘導する看護師もフェイルの血塗れの手が気になっていた。
「フェイル・アーカーソンさん?」
椅子に腰掛けて祈るように手を組んでその上に額を乗せていたフェイルが降ってきた声に顔を上げる。目の前には警察官のワッペンをつけた制服を着た二人の男性。誰が呼んだか聞くまでもない。フェイルはできるだけ表情を崩さないよう二人の目を見つめる。
「そうですが……」
「少し、お話を伺っても?」
「はい」
大声を上げて暴れ回るのではないかと心配していた医者たちは彼が静かに対応している様子を覗き見ていた。あの手についた血は娘の血を拭ってついたものではない。拭うなら指の背で拭わず手のひらで拭うはず。手のひらにもついていないわけではないが、あからさまに量が違う。だから医者は気になった。
「もういいかな? 娘さんにも話を聞きたいんだ」
「ああ、いいよ」
「ジルヴァ……!」
個室に移動していたジルヴァの元へと移動してきた警察官がドアをノックする。後ろにフェイルがいることを確認してから医者が立ち上がった。
処置が終わったジルヴァの顔は包帯で巻かれ、生活に支障をきたすだろう状態にフェイルが絶句するもベッドに腰掛けそっと抱きしめた。その様子に医者も警察官も表情を緩めることはなく観察している。
「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」
「いたい」
「そうだね。痛いだろうね」
素直に答えるジルヴァに頷いた警察官がベッドの脇にしゃがみ、ベッドに横になっているジルヴァと視線を合わせた。
「お父さんは立ってもらえますか?」
「はい」
反論はしない。この状況を医者が疑っているから警察を呼ばれた。ここで横暴な態度を取ろうものなら疑惑が向けられると判断してのこと。ジルヴァの傷については関わっていないためフェイルは冷静でいられる。
立ち上がる際にジルヴァに手を握られれば「大丈夫だ」と優しく声をかけた。
「お嬢ちゃん、お母さんに殴られたのかな?」
「うん」
「お母さんはいつも君を殴るのかい?」
「ううん。でも、死ねばいいのにって……いつも言ってた」
誰が誰にも向けていい言葉ではないそれを実の娘が記憶するほど日常的に母親が言っていた。それだけで虐待だと警察官は判断する。
「いつもは殴らないお母さんがどうして今日は君を殴ったのかな? 怒ってた?」
「怒ってた」
「何かあったのかな?」
「わかんない。死んでくれない?って言われて……」
今までは呟きだったが、今回は直接言われた。父親のいない空間で言われた本気の言葉を思い出すとじわりと涙が滲む。唇が震え、への字に曲がる。涙が頬を伝うのに時間はかからず、ボロボロと何粒もこぼれ落ちる。
「私が、バケモノだから……」
「バケモノ?」
「きもちわるいって……。生まれてきてはずかしくないのって……」
深く傷ついた心が枯れることのない涙を流させる。口を開けたまま涙を流し口呼吸を繰り返すジルヴァの背中を看護師が優しくさする。
「この子は両性具有といって男女両方の性器を持っている。極めて珍しい出現率ではあるが、例がないわけじゃない」
傷がどこにあるか確認するために服を脱がせた医者たちは驚いたが、処置を止めることはなかった。症例が極めて少なく、世間一般にお披露目できることでもないため世の中でジルヴァのような身体を「悪魔」「呪い」「バケモノ」と言う人間がいることも知っている。だから母親が言い放った事実に驚きはないがショックはあった。一番受け入れてやらなければならない立場の人間が突き放したのだから少女の心の傷は想像もできないほど深いだろうと。
「溜め込んでたものが爆発したってとこか」
立ち上がって一緒に来ていた相棒に耳打ちすると頷きが返ってくる。
「俺が悪いんです」
フェイルの言葉に全員が顔を向ける。
「昨日、この子の七歳の誕生日だったんです。ケーキを買って帰ったら妻は急に不機嫌になって……」
「奥さんが作って待っていたとか?」
「いいえ、妻はケーキなんて焼きません。家事はしますが育児には一切関わろうとしなかったんです。だから私はこの子に誕生日ケーキを味わせたくて用意したら、それが気に入らなかったのでしょう」
「彼女が生まれたとき、奥さんはなんと?」
「外へ」
本人に聞かせる話じゃないだろうと外を指差す医者に従い、医者も一緒に四人で病室の外へと出ていく。内側からドアを閉める看護師に不安げな表情を向けるジルヴァに「大丈夫よ」と優しい声と優しい微笑みが向けられた。
「泣いていました。触れたがらず、必要最低限のことを嫌そうな顔でするので育児は全て私が請け負うことに」
「じゃあ奥さんは家事だけを?」
「そうです。娘のことを愛そうと努力もしなかったくせに二人目は普通の子が生まれるだろうから二人目を作ろうと言い始めて……」
最悪だと同情で首を振る警察官に俯いて鼻を啜る。肩に手を置いて慰められると同じように首を振って顔を上げ、鼻を手で擦って大きく息を吐き出した。
「あの子は一つでいい物を二つ持って生まれてしまっただけなんです。普通なんです。それを妻は普通じゃない。呪われている。悪魔の子だと言い続け、その感情は娘にも伝わり、娘もいつしか妻には近付かなくなりました」
容易に想像がつく医者が頷く様子を警察官が横目で見る。そういう例があるのだろうと納得はするが、だからといってまだ同情とともに話を切り上げるつもりはなかった。
「その血は?」
警官の一人がフェイルの拳についた血が誰の血か気になって問いかけた。
「これは妻を殴ったときについた血です」
「奥さんに暴力を?」
「娘はまだ七歳です。そんな娘をこんな状態になるまで殴ったことが許せなくカッとなって手を上げました。本当に許せなくて……!」
誰が見ても眉を顰めるほどひどい状態。愛する妻が愛する娘をこんな状態にしたとわかれば逆上する人間もいるだろう。だが、二人はその拳から目を離さない。何が言いたいのかわかったフェイルが医者に手を差し出す。
「もしこれが娘の血だと疑っているのならどうぞ検査してください。娘の血ではありませんから」
睨むのではない強い目で訴えるフェイルを見たあと、近くを通った看護師に検査するように伝えた。
「アーカーソンさん、これはあなたを疑っているからするのではなくあなたが娘さんを虐待していないという証拠のためにします。気を悪くしないでください」
警察を納得させるためには検査をして証拠を出すのが一番だと医者は判断した。
「奥さんは今どうしてますか?」
「娘を殴るだけ殴って、俺が殴ったら悪魔を庇うのかと喚いて家を飛び出しました。妻が娘を悪魔だと言い出したときにさっさと離婚すべきだったのに俺は……!」
「誰でも子供に親は必要だと思ってしまいます。親の離婚によってトラウマを作る子供も大勢いますから、簡単な決断ではないですよ」
また涙を流すフェイルに椅子に座るよう背中に手を添えて誘導している間、もう一人の警察官が医者を少し離れた場所に誘導する。
「ここには?」
「彼が運んできた。娘さんを抱えて診てくれと必死な形相で」
「車は?」
「汗だくだったから走ってきたんだと思う」
身なりが良いとは言えないフェイルの格好。どちらかと言えば貧乏なのが伺える。車を持っていないことには納得できた。
救急車を呼ぶでもなく自分で抱えて病院まで走る父親が語る後悔と育児放棄の妻のこと。話を聞いただけで帰るには充分な内容だが、まだ確証が足りないと一人が病室へと戻る。
「お父さんはお母さんを殴ってたかい?」
「うん」
隠そうとせず素直に答えることに安心する。七歳といえど子供は親を庇うことを知っているから。
「お父さんは車で君をここに連れてきてくれたんだって?」
「車ってなに?」
不思議そうな顔をするジルヴァに何度か頷きを見せたあと、警察官はドアを開けてフェイルを中に入れた。ベッドに駆け寄ったジルヴァに頬を寄せて髪を撫でるフェイル。
「ごめんな! もっと早く助けてやれてたら……!」
「だいじょうぶだよ。助けてくれたもん。助けてってお願いしたら助けてくれたもん。スーパーヒーローみたいだった」
謝る父親に笑顔を見せようとする娘に怯えはない。後悔で涙する父親からの愛情を娘はちゃんと感じ取っている。
痛み止めが効いているおかげで苦痛なく嬉しそうに笑う娘の手が父親の頭を撫で、それにまた涙する父親を見て警察官二人は医者に向かって帽子を少し上げて出ていった。
「しばらく入院してもらいます」
「わかりました。娘をお願いします」
医者と看護師にそれぞれ深く頭を下げるフェイルは入院に必要な物を聞き、また走って家へと戻っていった。
軽い口調。まるで料理を失敗しただけのような言い方だ。
フェイルが腕を離すと母親はドサッと人形のように地面に倒れて動かなくなった。ピクリともしない。涙で濡れた視界の中で何が行われたのかハッキリと認識できなかったが父親の言葉が全てを物語っている。
床に倒れている母親を見下ろすもジルヴァは何も感じていなかった。母親が死んでしまった衝撃も悲しみも寂しさも。いや、開放感はあったのかもしれない。父親が母親について文句を言うことはなくなり、ジルヴァ自身もそこにいる母親を無視しなくて済むようになったのだから。嫌悪と憎悪に塗れた表情を向けられることはもうない。「気持ち悪い」「バケモノ」と言われることもない。そこにある安堵がジルヴァに悲しみをもたらすことはなかった。
「病院行こうな」
優しく抱き上げてくれる父親がアリーゼを跨いで病院へと走った。
「娘を! 娘を診てくれ!!」
病院に入ってすぐ大声で医者を呼ぶと看護師数人と医者が驚いた顔でやってきた。ジルヴァを受け取ってベッドに寝かせる。
「ひどいな……」
表情を歪めるほどひどい状態のジルヴァの手をフェイルがしっかりと握る。
「娘はまだ七歳なんだ。これからスゲー美人に成長していくんだよ。傷なんか残らねぇよな? な?」
「お父さん、大丈夫ですから落ち着いてください」
混乱したように声を上げるフェイルを宥めるように看護師が声をかけるも医者の目は彼の血塗れた拳を捉えていた。
「処置しますからお父さんは外でお待ちください」
「できるだけ傷が残らないようにしてやってくれ! ジルヴァ、痛いだろうけど頑張れよ! 大丈夫だからな!」
シャッと音を立てて閉められたカーテンの向こうでフェイルが叫ぶ。落ち着かせようと何度も声をかけながら椅子が置いてある場所まで誘導する看護師もフェイルの血塗れの手が気になっていた。
「フェイル・アーカーソンさん?」
椅子に腰掛けて祈るように手を組んでその上に額を乗せていたフェイルが降ってきた声に顔を上げる。目の前には警察官のワッペンをつけた制服を着た二人の男性。誰が呼んだか聞くまでもない。フェイルはできるだけ表情を崩さないよう二人の目を見つめる。
「そうですが……」
「少し、お話を伺っても?」
「はい」
大声を上げて暴れ回るのではないかと心配していた医者たちは彼が静かに対応している様子を覗き見ていた。あの手についた血は娘の血を拭ってついたものではない。拭うなら指の背で拭わず手のひらで拭うはず。手のひらにもついていないわけではないが、あからさまに量が違う。だから医者は気になった。
「もういいかな? 娘さんにも話を聞きたいんだ」
「ああ、いいよ」
「ジルヴァ……!」
個室に移動していたジルヴァの元へと移動してきた警察官がドアをノックする。後ろにフェイルがいることを確認してから医者が立ち上がった。
処置が終わったジルヴァの顔は包帯で巻かれ、生活に支障をきたすだろう状態にフェイルが絶句するもベッドに腰掛けそっと抱きしめた。その様子に医者も警察官も表情を緩めることはなく観察している。
「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」
「いたい」
「そうだね。痛いだろうね」
素直に答えるジルヴァに頷いた警察官がベッドの脇にしゃがみ、ベッドに横になっているジルヴァと視線を合わせた。
「お父さんは立ってもらえますか?」
「はい」
反論はしない。この状況を医者が疑っているから警察を呼ばれた。ここで横暴な態度を取ろうものなら疑惑が向けられると判断してのこと。ジルヴァの傷については関わっていないためフェイルは冷静でいられる。
立ち上がる際にジルヴァに手を握られれば「大丈夫だ」と優しく声をかけた。
「お嬢ちゃん、お母さんに殴られたのかな?」
「うん」
「お母さんはいつも君を殴るのかい?」
「ううん。でも、死ねばいいのにって……いつも言ってた」
誰が誰にも向けていい言葉ではないそれを実の娘が記憶するほど日常的に母親が言っていた。それだけで虐待だと警察官は判断する。
「いつもは殴らないお母さんがどうして今日は君を殴ったのかな? 怒ってた?」
「怒ってた」
「何かあったのかな?」
「わかんない。死んでくれない?って言われて……」
今までは呟きだったが、今回は直接言われた。父親のいない空間で言われた本気の言葉を思い出すとじわりと涙が滲む。唇が震え、への字に曲がる。涙が頬を伝うのに時間はかからず、ボロボロと何粒もこぼれ落ちる。
「私が、バケモノだから……」
「バケモノ?」
「きもちわるいって……。生まれてきてはずかしくないのって……」
深く傷ついた心が枯れることのない涙を流させる。口を開けたまま涙を流し口呼吸を繰り返すジルヴァの背中を看護師が優しくさする。
「この子は両性具有といって男女両方の性器を持っている。極めて珍しい出現率ではあるが、例がないわけじゃない」
傷がどこにあるか確認するために服を脱がせた医者たちは驚いたが、処置を止めることはなかった。症例が極めて少なく、世間一般にお披露目できることでもないため世の中でジルヴァのような身体を「悪魔」「呪い」「バケモノ」と言う人間がいることも知っている。だから母親が言い放った事実に驚きはないがショックはあった。一番受け入れてやらなければならない立場の人間が突き放したのだから少女の心の傷は想像もできないほど深いだろうと。
「溜め込んでたものが爆発したってとこか」
立ち上がって一緒に来ていた相棒に耳打ちすると頷きが返ってくる。
「俺が悪いんです」
フェイルの言葉に全員が顔を向ける。
「昨日、この子の七歳の誕生日だったんです。ケーキを買って帰ったら妻は急に不機嫌になって……」
「奥さんが作って待っていたとか?」
「いいえ、妻はケーキなんて焼きません。家事はしますが育児には一切関わろうとしなかったんです。だから私はこの子に誕生日ケーキを味わせたくて用意したら、それが気に入らなかったのでしょう」
「彼女が生まれたとき、奥さんはなんと?」
「外へ」
本人に聞かせる話じゃないだろうと外を指差す医者に従い、医者も一緒に四人で病室の外へと出ていく。内側からドアを閉める看護師に不安げな表情を向けるジルヴァに「大丈夫よ」と優しい声と優しい微笑みが向けられた。
「泣いていました。触れたがらず、必要最低限のことを嫌そうな顔でするので育児は全て私が請け負うことに」
「じゃあ奥さんは家事だけを?」
「そうです。娘のことを愛そうと努力もしなかったくせに二人目は普通の子が生まれるだろうから二人目を作ろうと言い始めて……」
最悪だと同情で首を振る警察官に俯いて鼻を啜る。肩に手を置いて慰められると同じように首を振って顔を上げ、鼻を手で擦って大きく息を吐き出した。
「あの子は一つでいい物を二つ持って生まれてしまっただけなんです。普通なんです。それを妻は普通じゃない。呪われている。悪魔の子だと言い続け、その感情は娘にも伝わり、娘もいつしか妻には近付かなくなりました」
容易に想像がつく医者が頷く様子を警察官が横目で見る。そういう例があるのだろうと納得はするが、だからといってまだ同情とともに話を切り上げるつもりはなかった。
「その血は?」
警官の一人がフェイルの拳についた血が誰の血か気になって問いかけた。
「これは妻を殴ったときについた血です」
「奥さんに暴力を?」
「娘はまだ七歳です。そんな娘をこんな状態になるまで殴ったことが許せなくカッとなって手を上げました。本当に許せなくて……!」
誰が見ても眉を顰めるほどひどい状態。愛する妻が愛する娘をこんな状態にしたとわかれば逆上する人間もいるだろう。だが、二人はその拳から目を離さない。何が言いたいのかわかったフェイルが医者に手を差し出す。
「もしこれが娘の血だと疑っているのならどうぞ検査してください。娘の血ではありませんから」
睨むのではない強い目で訴えるフェイルを見たあと、近くを通った看護師に検査するように伝えた。
「アーカーソンさん、これはあなたを疑っているからするのではなくあなたが娘さんを虐待していないという証拠のためにします。気を悪くしないでください」
警察を納得させるためには検査をして証拠を出すのが一番だと医者は判断した。
「奥さんは今どうしてますか?」
「娘を殴るだけ殴って、俺が殴ったら悪魔を庇うのかと喚いて家を飛び出しました。妻が娘を悪魔だと言い出したときにさっさと離婚すべきだったのに俺は……!」
「誰でも子供に親は必要だと思ってしまいます。親の離婚によってトラウマを作る子供も大勢いますから、簡単な決断ではないですよ」
また涙を流すフェイルに椅子に座るよう背中に手を添えて誘導している間、もう一人の警察官が医者を少し離れた場所に誘導する。
「ここには?」
「彼が運んできた。娘さんを抱えて診てくれと必死な形相で」
「車は?」
「汗だくだったから走ってきたんだと思う」
身なりが良いとは言えないフェイルの格好。どちらかと言えば貧乏なのが伺える。車を持っていないことには納得できた。
救急車を呼ぶでもなく自分で抱えて病院まで走る父親が語る後悔と育児放棄の妻のこと。話を聞いただけで帰るには充分な内容だが、まだ確証が足りないと一人が病室へと戻る。
「お父さんはお母さんを殴ってたかい?」
「うん」
隠そうとせず素直に答えることに安心する。七歳といえど子供は親を庇うことを知っているから。
「お父さんは車で君をここに連れてきてくれたんだって?」
「車ってなに?」
不思議そうな顔をするジルヴァに何度か頷きを見せたあと、警察官はドアを開けてフェイルを中に入れた。ベッドに駆け寄ったジルヴァに頬を寄せて髪を撫でるフェイル。
「ごめんな! もっと早く助けてやれてたら……!」
「だいじょうぶだよ。助けてくれたもん。助けてってお願いしたら助けてくれたもん。スーパーヒーローみたいだった」
謝る父親に笑顔を見せようとする娘に怯えはない。後悔で涙する父親からの愛情を娘はちゃんと感じ取っている。
痛み止めが効いているおかげで苦痛なく嬉しそうに笑う娘の手が父親の頭を撫で、それにまた涙する父親を見て警察官二人は医者に向かって帽子を少し上げて出ていった。
「しばらく入院してもらいます」
「わかりました。娘をお願いします」
医者と看護師にそれぞれ深く頭を下げるフェイルは入院に必要な物を聞き、また走って家へと戻っていった。
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