十歳で運命の相手を見つけた少年は小さな幸せを夢見る

永江寧々

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十六歳の誕生日

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 十六歳の誕生日はどの年齢に至る誕生日よりも特別な日。
 この国では十六歳で成人となる。成人になれば親の庇護下から外れ、独り立ちを強制される。それによって苦しむ者もいれば喜ぶ者もいる。
 ディルはもう親はいないが、成人したことで誰かに頼らなければならないことがなくなった。これで家を借りられる。お酒も飲める。吸いはしないが煙草だって買える。禁止されることは何もない。あったとしても犯罪だけだが、ガーベージには犯罪がない。だからディルはこれで自由になった気分だった。

「今日は一緒にお祝いできるんでしょ?」
「もちろんだよ。ちゃんと雇い主に許可取ったから大丈夫」
「絶対だよ? 約束破ったらお兄ちゃんのこと嫌いになるからね」
「絶対の約束」

 指を差し出せば妹二人の小指が絡まる。約束の歌を歌って指を話すと二人は顔を見合わせて笑う。
 この二人だけでも安全な家に住まわせる。それがディルの唯一の願い。明日から本格的に家を探そうと決め、仕事へと向かった。
 十六歳の誕生日は妹たちと祝いたいと言うとアッサリ許可が下りた。マダムが“ママ”であれば反応は違ったのかもしれないが“ご主人様”となってから扱いが変わった。ティニーが言った『あれだけ良くしてもらっておいて』には当てはまらない扱いだ。でも気にはしない。何を言われようと、どんな扱いだろうと自分はもう成人した。マダムの顔色を伺い続ける必要はなくなったのだ。伺わなければならない人物がいるとすればジンだけ。それもどうにかなるだろうと前を向けるようになった。ジンはあの客の男と違って取引材料を簡単にバラしたりしないだろうから。

「おはようございま──うわあッ!?」

 いつものように店に足を踏み入れるとパンッパンッと銃声のような音に思わず声をあげて驚いた。何事かと目を瞬かせたディルの視界に映ったのはクラッカーを持つオージたちの笑顔。

「十六歳の誕生日おめでとさん」
「「「「おめでとさん!!」」」」

 十一歳の誕生日から彼らはずっと祝い続けてくれている。雨だろうが晴れだろうが変わらない笑顔でディルにクラッカーを向けるそれをディルは忘れていた。

「ありがとう! 構えてなかったらビックリした!」
「自分の誕生日忘れてたわけじゃねぇだろうな?」
「忘れてないよ。ミーナとシーナにも朝から一緒に祝うの忘れてないだろうなって脅すような声出されたからね」
「よし。ほんじゃ、今日もバリバリ働いて、夜は盛大なパーティーと洒落込もうぜ!」

 そんなに張り切らなくてもいい。そう思いながらも皆が自分以上に盛り上がっている姿を見ていると嬉しくなるためお言葉に甘えることにした。

「ジルヴァ」

 厨房の中にいたジルヴァに駆け寄ると今日のメニューを書いていた手を止めて身体を向けてくれる。

「今日の主役様、いかがなさいました?」
「もー、そういう言い方しないでって毎年言ってんのに」
「事実だろ?」

 朝からジルヴァの笑顔が見れた。それはジルヴァが上機嫌である証拠。人の機嫌なんてどうでもいいのにジルヴァが上機嫌であるとディルの世界は明るく色付く。

「そうだけど、主役様って言うならお願い聞いてくれる?」
「今年はプレゼントじゃなくてお願いってか? ならこのプレゼントは捨てちまうか」
「え!? え、え、え、え、えッ!? 待って! 何それ! 今年のプレゼント!? ホントに!?」

 作業台の上にドンッと置かれたのはナイフロースケース。音からして中身がある。シェフナイフは前にもらった。でもそれだけ。大人になったディルが使うには小さくなってきている。だから引っ越しをしたら余ったお金で買い揃えようと思っていたのだが。

「ジルヴァ太っ腹だな」
「お前の腹ほどじゃねぇよ」

 オージが自分の腹を叩いてパンパンッと良い音を鳴らし「違いない」と笑うとつられたように皆も笑う。

「開けてもいい?」
「お前のだからな」

 緊張する。紐を解く手が情けないほど震えているが、その指で軽めに結ばれている紐を解き、ゆっくりと転がし開封した。

「お、おお……」

 一度だけ皆のナイフケースを見せてもらったことがある。ケースも違えば中身も違うが、やはり立派だった。
 シェフナイフ専用のカバーは持っていた。もらったときに付いていた物だが、それでも外から眺めて喜んでいた子供の頃。今日からは大人。しかも大人になった日に憧れの物がもらえた喜びに胸が震える。

「ずっと欲しかったんだ。皆が持ってるし、カッコイイし、シェフって感じで。でもオレはまだ見習いだからこんなの持ったら」
「生意気なクソガキだって?」

 ジルヴァだけが言うその言葉にディルは嬉しそうな笑みを浮かべる。

「うん。だから十六歳になったら買いに行こうって思ってたんだ。ジルヴァに生意気だって言われても大人になった第一歩としてさ」

 ジルヴァも同じ考えでいてくれたのかもしれないと思うと感動はひとしお。革で作られたロールケースを指先で愛おしそうに撫でるディルをジルヴァは笑顔で見ていた。

「革は使えば使うほど柔らかくなる。これが破れちまうんじゃねぇかって思うほど柔らかくなった頃ならお前もシェフになれてるかもな」
「絶対なるよ! シェフになるのはオレの夢だもん!」
「甘ったれなガキがどんなシェフになるのか楽しみだな」

 シェフになる夢を笑うことも否定することもしないジルヴァは何年経っても変わらない。ずっと好きなままだ。

「このセレクトは初心者向けだからお前がそれなりに使い心地に違いがわかるようになったら自分で選んで買い換えろ」
「わかった」

 返事だけは一人前だが、ディルはきっと一生これを使い続けるだろう。誰に初心者向けだと言われても大人になった記念日にジルヴァがくれたシェフとしての宝物を買い替えられるはずがない。

「ジルヴァ、ここに置いててもいい?」

 マダムの家には持って帰りたくなかった。見つかれば人質のようにされる可能性がある。脅迫される要素は少しでも排除したかった。何より、これはマダムには絶対に触られたくない物だから。ジョージやティニーにも。

「肌身離さず持ってる物だってわかってるけど……」
「好きにすりゃいいだろ。お前はこれからもここで働くんだろ? 泥棒でも入らねぇ限り、誰も盗りゃしねぇよ」
「ありがとう!」

 嬉しいを顔に出すディルの頭をジルヴァが乱暴に撫でる。誕生日プレゼントはこれだと言われてもディルは文句を言いながらも喜んだだろう。こうして誕生日をマダムたちではなくジルヴァたちと過ごせることが心から嬉しかった。

「で、お前のお願いって?」
「あ、いいよ! こんなのもらってお願いまでなんて──」
「俺が聞いてんだ。言えよ」

 女性でこれほど恫喝するような声が似合う人はいないだろうと思いながらもキュンと音を立てる胸をドンッと叩いて息を吐き出す。

「あのー……さ、引っ越しを、ね、考えてるんだ」
「マジか! 良いことじゃねぇか!」
「わッ!」

 後ろからやってきたオージたちの声に驚いて肩が跳ねた。

「ミーナたちのためにも良い選択だな」
「うん。それで買おうか借りようか迷ってるんだ」
「借りとけ」

 ジルヴァの即答にオージたちも頷く。

「どっちも安くねぇ金払うが、借りても環境が嫌なら逃げ出せる。でも買っちまうと意地が出てきちまう。せっかく買ったのに、ってな。家を買うのはその環境に身を置く覚悟してからでいい。とりあえずは借りろ」
「じゃあそうする」
「相談ぐらいお願いじゃなくてもできるだろ」
「あー……いや、そうじゃなくて。いつでもいいんだけど、一緒に内見行ってもらえたらなって……思っ、て?」

 人差し指同士を突き合わせながらクルクルと回す乙女感にオージたちが吹き出しそうになるのを唇を内側に引っ込めることで堪えている。少し上目遣いで見るディルにジルヴァはあえて顎を上げて見下すような視線を向けた。返事はすぐに出てこない。

「俺も忙しいからな」
「それはわかってるよ! 長時間引っ張るつもりはないんだ! 最初は妹たちと見に行って、候補がいくつか上がったらその候補をジルヴァにも一緒に見てもらって良いか悪いかの判断をしてもらえればなって思って……るん、だけど……」

 かなり早口になってしまった自分の必死さが恥ずかしくなって急に声のトーンも下がる。出会ってから六年だが、こういうディルは十歳の頃から変わっていないことにジルヴァがククッと喉奥を鳴らして笑う。

「冗談だっての。一緒に行ってやるよ。お前じゃ業者からぼったくられて悲惨な契約結ばされるだろうからな」
「ミーナとシーナがいりゃ大丈夫な気もするけどな」
「オレは!?」
「まー……妹についていけ」
「ひどくない!? 金出すの俺なんだよ!?」
「男ってのはそういうもんだ。金払って女の尻の下で生きる生き物」
「悲しいな」
「ホントにな」

 遠い目をするオージたちが家庭でどう過ごしているのかうっすらとではあるが見えたような気がして同情の声もかけなかった。

「ケーキも用意してあるからな。お前のためのご馳走メニューもジルヴァが何日も前から考えたんだぜ」

 言うなと頭を叩かれるオージの言葉にディルの期待のこもった目がジルヴァに向けられる。

「マジだよ。十六の誕生日は特別だからな。お前の好物たくさん用意してやっからソース一滴だって残すんじゃねぇぞ」
「全部舐め取るから大丈夫! 絶対残さない!」

 まだお祝いは始まってない。今日はディルの十六歳の誕生日だが、今日が記念日の人は大勢いる。給料日の人も。だからディルは先にそういった人たちを祝うことから始まる。おめでとうを言われる立場だが、おめでとうも言う。

「じゃあ夜のために昼休憩に寝てもいい?」 
「賄いは?」
「夜めちゃくちゃ食べたいから」

 心は浮かれていても身体は疲れている。心で身体を動かしているようなものだ。昼寝をしなければ夜は眠たくなるかもしれない。一瞬だって欠伸を出したくないから、感じたくもないからディルはまた一つお願いをした。
 いつもなら心配の顔を向けるオージたちがそれだけは笑顔で「めちゃくちゃ寝てこい」と背中を押してくれた。
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