鑑賞用王女は森の中で黒い獣に出会い、愛を紡ぐ

永江寧々

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国の外に出て

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 エイベルが迎えに来た日、アイレの協力もあって難なく国を出ることができた。気配も匂いもわからなくする妖精の糸がいかに優れものであるか、エイベルは感心しっぱなしだった。
 どこに行くかは決まってはいない。ダークエルフと共存している国があるとの情報を頼りに向かうかどうかも迷っていた。
 ダークエルフはどこにいても歓迎はされない。ダークエルフの姿を見ただけで戦慄する者もいる。自分だけならどうとでもなるが、クラリッサがいる以上は下手に街に入ることはできない。クラリッサはダークエルフと同じぐらい有名なのだから、囲まれでもしたらと考えると森の中で暮らすことが安全だという結論に至った。

「森で暮らすことに不安はないか?」
「ないと言えば嘘になるわ。でも不安なのは暮らしじゃなくて、あなたに迷惑をかけること」

 互いに家族を捨てて国を出た身で今更何を言っているんだと顔に書くエイベルにクラリッサが苦笑する。

「私、外のことは何も知らないの。一歩も出たことがないんだもの。パンやミルクを買うためのお金もないし、持ったこともない。お金の稼ぎ方だって知らないのに、私、あなたの足枷にはなりたくな──いたっ!」

 強めのデコピンをされたことでクラリッサが額を押さえながら痛みにその場で足をバタつかせる。涙を滲ませながら見上げると呆れた顔で仁王立ちするエイベルと目が合った。

「鑑賞用として大事に大事にされてきた王女様を嫁にもらった男がそんなことを覚悟できていないと思うか?」
「それは……」
「お前は俺の傍にいればいい。それが仕事だ」
「でも……んッ」

 うるさいと言わんばかりにキスで唇を塞がれると癖のようにクラリッサの腕がエイベルの首に回る。何度経験しても甘くふわふわとした感覚にクラリッサの身体からはあっという間に力が抜けてしまう。その身体を抱え、見つけた洞窟の中へと入っていく。上質なドレスだが、これからはそんなことを気にする余裕もない暮らしが始まると敷物は探さず地面に下ろした。
 騒ぐこともせず、戸惑いもせず大人しく座るクラリッサを横目にエイベルは一度洞窟を出て枝を集めて簡単に火を起こす。冷えた身体が火の温もりに包まれると感じていなかった緊張が解れていく。
 あまり近付いてはドレスが火の粉で焼けてしまうかもしれないからと誘うのではなくエイベルがクラリッサの隣へと腰掛けた。

「知らないことは罪だと言うが、それは知らないことを知らないからとそのままにしていることが罪なんだ。知らなければ知ればいい。俺が全部教えてやる」

 嬉しい言葉にクラリッサは声を漏らして笑う。

「おかしなことを言ったか?」
「いいえ、とても素敵な言葉だったわ。ただ、お父様はそう言ってくれなかった。お前は何も知らなくていい。この世界がどんなものかなど考えず、ただ笑っていればいいんだって言い続けたから、私もそうするようにしてた。でもそれこそ罪だったのよね」

 知らないことを知ろうとしなかったことを罪というのなら自分こそ罪だったのだと火を見つめるクラリッサの肩をエイベルが抱き寄せ、クラリッサはそのまま肩に頭を預ける。

「肩はもう痛くない?」
「アイレが治してくれた」
「感謝しないとね」
「付きまとわれることになるぞ」
「いいじゃない。アイレは無害よ」

 小さく笑ったエイベルが「そうだな」と小さくではあるが認めたことに笑顔を浮かべたクラリッサの前にポンッと音を立ててアイレが現れた。

「呼ばれて飛び出たアイレだぞ!」
「ほらな」

 洞窟の中にいることがなぜわかるんだと呆れた顔を見せるエイベルにクラリッサの笑いが大きくなり肩を揺らす。

「オイラだってクラリッサの家族だ」
「ペットの間違いだろう」
「家族よ、エイベル」
「ペットでいい」

 頑なに認めようとしないのはエイベルの中で家族に理想を持つようになったから。クラリッサとの間にまだ子供がいないのに子供のようにわがままな家族が増えるのは認めたくなかった。

「オイラから逃げられると思うなよ」
「また会えて嬉しいわ」
「オイラもだ」

 クラリッサが地下室に閉じ込められていたときも会いに行っていたことは本人には内緒にすると決めているため何も言わない。泣いていたことや弱音を吐いていたことは誰にも知られたくないだろうと判断してのことだ。

「ずっとここで暮らすのか?」
「そんなわけないだろう。ここで暖を取っているんだ」
「家はどうするんだ?」
「建てる」
「家の建て方知ってるのか?」
「森の中に勝手に建物が建つと思っていたのか?」
「ダークエルフにそんな能力があったんだなーって思っただけだ」
「狩られたいのか?」
「へへん! やれるもんならやってみろ!」

 挑発し合う二人の火花を消すように両手を叩いて仲裁すれば睨み合っていた二人が同時に顔を背けるのを見て肩を竦める。

「家を建ててやろうか?」
「できるの?」
「妖精はそんなに魔力持ってないけどさ、それぐらいはできる。あ、一瞬で建てるのはムリだぜ」
「何ができるんだ?」
「木を木材に変えて組み立てていくことはできる」
「それは俺にもできる」
「時間が違う。オイラは一瞬でここら一帯の木を切ることができる」

 できないことに見栄を張ることはできない。勝負だと言われればエイベルが負けるのは目に見えている。

「でも魔力量によるから腹一杯食べて魔力回復しないとな」
「今はクッキーも何も持ってないわ」

 地下室から連れ出されてそのまま国を出たためキャンディ一つだって持ってはいない。アイレが大好きなクッキーもないと眉を下げれば得意げな顔をしたアイレがクラリッサの目の前に手品のようにパパパパッとお菓子を出して見せた。

「これは?」
「リズがくれたお菓子」
「……リズ?」

 思考が止まったクラリッサがお菓子を見つめながら心の中で自問を繰り返す。リズとはあのリズか? 妹のリズ? それともリズという名の仲間のこと?
 直接聞かなければわからない疑問を顔に書いてアイレを見るとアイレは「クラリッサの妹」とハッキリ言った。

「どう……え……リズ?」

 語彙力を失ったように言葉が出てこないクラリッサが何を言いたいのかわかっているアイレはおかしそうに笑ってクラリッサの手の上にあるお菓子の上に腰掛けた。

「リズ、オイラのことずっと見えてたんだって」
「そうなの!?」

 衝撃に大きくなった声が洞窟の中で反響する。

「で、でもあの子、一言もそんなこと言わなかっ……」

 自分が見たことを誰かに言えば不幸になると思って言えなかったと泣いたリズを思い出すとクラリッサは静かに口を閉じた。

「ね、アイレって言われてオイラ、つい出ていっちゃったんだ。そしたらお菓子たくさんもらった」
「そうだったの」
「クラリッサの様子報告するって約束したし」
「ふふっ、私にもリズたちの様子、教えてくれる?」
「ああ、いいぞ!」

 架け橋となったアイレがくれたクッキーを一枚齧ると湿気はなく、サクッと良い音がする。それをエイベルの口に持っていくと齧るのではなく指ごと食べられてしまう。
軽く立てられる歯になんの抗議だと目で訴えるも面白くないと顔に書いている。

「そうだ、アイレ。エイベルの傷を治してくれてありがとう」
「いいんだ。でも、元通りにできるわけじゃないからエイベルの腕──」
「アイレ」

 怒ったような声が言葉を遮り、アイレが気まずい表情を浮かべてクラリッサから目を逸らす。

「エイベル? ……まさか……」

 ここに来るまでずっと手を繋ぎっぱなしだった。川を渡るときは抱きかかえてくれた。だからクラリッサは何も心配していなかったが、アイレの口調からはエイベルの腕が万全ではないことを物語っているようで、エイベルを見るもエイベルはクラリッサを見ない。

「お前を抱き上げることに問題はない」
「抱き上げることにはってこと?」
「弓も引ける」
「引いてみて」

 引こうとはしなかった。きっと試してみたのだろう。弓の名手と名高いダークエルフにとって狩りは重要なもの。自分の腕試しであり、生きる術だ。それを失ったのだとすれば大問題だと目を見開く。その表情にため息をつくと渋々語り始めた。

「汚い手を使った罰だろう」
「汚い手?」

 エイベルは助けてくれたのであって何か卑怯な手を使ったようには見えなかった。エイベルは兄の銃で倒れた被害者であり、罰が下るようなことは何もしていない。国王を殴ったことで天罰が下るのなら神の存在は認められないとクラリッサは首を振る。

「あえて撃たれたんだ」

 何度思考を止めればいいのかわからない驚きが続くことでクラリッサは何度も固まる。なぜ?と簡単な言葉も発することができず、表情で訴えた。

「撃つ際に火薬に火がつく音でタイミングがわかる。銃口から出てくる弾も見えた」
「じ、じゃあどうして避けなかったの?」

 わざわざ撃たれる必要がどこにあったんだと戸惑うクラリッサの頬に手を添えると火で暖まったのがじんわりと伝わり、真っ直ぐ見つめる赤い瞳から目が離せなくなる。

「お前を確実に手に入れるためだ」

 ドクンと大きく心臓が跳ねた。

「そんなことしなくたって……」
「父親を見捨てて自らの足でやってきたか?」
「それは……」

 きっとできなかった。あのままエイベルが森へ帰れば兄と父に暴言を吐きかけられただろう。怒鳴り散らされ人格否定までされたかもしれない。それでも耐えて耐えて、結婚する日を待つだけだっただろう。家を飛び出すことなどできるはずがないと自分を抑え込むだけの生活に戻るのは容易に想像がつく。

「踏み出すにはキッカケが必要だ。お前は一人で歩くことができても一人で踏み出すことはできない。お前は俺の傍にいたい。俺はお前を手に入れたい。それを叶えるためには犠牲が必要だ」
「それが腕だって言うの……?」

 代償としてはあまりにも大きすぎるものだ。

「お前と手が繋げて、抱き上げることができて、こうして触れて体温を感じることもできる。弓の精度が落ちただけで済んだなんて安いもんだ」

 何も安くはない。何も安くはないのだと何度も頭を振るクラリッサにエイベルが微笑む。

「弓が引けないんでしょう……?」
「ノロマな動物がいれば狩れる。それが無理ならどこかで働けばいい。普通に働けばお前と二人、生きていくのには困らない稼ぎぐらいはあるだろう」

 まだ受け入れてくれる国も見つかっていないのにそんな話は絵空事でしかないとエイベルもわかっているが、もう暗い未来は彼の中には存在しない。ずっと手に入れたかった者を手に入れたのだ。あとは二人で進むだけ。そこに不安などは欠片もない。

「それでいいの? 狩りが好きだったんでしょ?」
「お前を好きなほどじゃあない」

 言いきるエイベルに対して申し訳なさから涙が頬を伝う。

「……いいの? 後悔しない?」
「もう後悔なら飽きるほどした。お前を手に入れたあとでする後悔などあるはずないだろう」

 飛びつくようにしがみつくと抱きしめられる。ごめんなさいと心の中では何度も繰り返すが言葉にはしない。言葉にすることこそ相手に申し訳ないことだから。
 狩りをして生きてきたダークエルフが狩りをすることができなくなった。人間が受け入れてくれるかもわからない中で働くと口にすることがどれほど覚悟のいることか。それなら自分が道に立ってお金がないと書いた札を下げて缶か何かを持っていたほうが辛くないはずだと考えるのに、許可されないとわかっているから言えない。怒られるのは目に見えている。

「笑え。得意だろう?」
「もちろんよ」

 それだけでいいとエイベルの言葉なき思いが伝わってくる。クラリッサはそれを受け入れて笑顔を見せた。作り物ではない、完璧ではない、涙で濡れたくしゃくしゃの笑顔を。
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