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戴冠式
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国民から直接非難を受けた国王は公式の場に姿を現すこともなく、長男の戴冠式が行われることとなった。妻と余生を過ごすと言って妻が暮らす離れを訪れると妻は既に離れにはおらず「国王ではないあなたに価値はありません。自分がどれほど価値のない人間であったか後悔しながら生きていくことを願っています」と書かれた紙がテーブルの上に置いてあった。
エヴァンたちは数日前に母親から呼び出され、自由になろうと思うと言う母親の意思を尊重して先に別れを告げていたため父親が慌てて報告に来ても誰一人驚きはしなかった。驚いたのは父親だけで、リズが言った『当然だと思う』の一言にショックを受けてフラつきながら離れに戻って引きこもっている。
新国王誕生の日にそれを見守る王は不在だが、家族は誰も気にしてはおらず、気にしているのは司祭と貴族だけ。その貴族もエヴァンが王になることに反対だとごねていたが、父親からの進言もあってエヴァンが正式に王位を継ぐこととなった。
そして戴冠式の日、エヴァンの緊張は頂点に達していた。
「希望って字を書いて飲む意味ある?」
「身体の中に希望を溜め込むんだよ」
「希望を溜め込んだら緊張はなくなるの?」
「不安を溜め込むよりいいだろ」
エヴァンが緊張している姿を見るのはきょうだい全員初めてで、何度も肩を上下させては身体をほぐし、手のひらに書いた希望の字を何十回と飲み込み続けても落ち着かない様子に皆が笑う。
「チラホラぐらいかと思ってたのにな」
「地面が見えないよ」
広場に集まった国民は新王に期待はせず、勝手にやってくれと思っているのではないかと思っていただけに広場の地面が見えないほど人で溢れ返っている光景を覗き見してはまた希望の字を書いて飲み込む。
「大丈夫だよ、兄さん。兄さんならやれる。この日のために何百枚も紙を無駄にしてきたじゃないか」
「別の言い方ないのかよ」
新王としてのスタートで失敗したくないと何日も何時間も机に向かってスピーチ内容を書き続けていたのをウォレンは補佐として隣でずっと見ていた。その姿はいい加減な人間とは程遠く、父親を反面教師としようとする男の姿であることにウォレンは感動した。だから心配はしていない。最後に聞いたスピーチ内容は新王として立派なもので、聞いた国民は安心するだろうと太鼓判を押せるほどだったのだから。
気合を入れるために背中を強めに叩いたウォレンが見せた笑顔は三秒後に青くなり、口を押さえて隅へと走り、嘔吐する。
「あれ、何回目?」
「五回」
リズとダニエルが肩を竦めて笑い、ロニーがウォレンに駆け寄って背中をさする。
「ちょっと寂しいね」
「そうだな」
この場にいるのは五人。五人ではなく七人きょうだいで育った彼らにとってこのめでたい日に二人足りないことが寂しくてならない。問題であった父親はもう表に出ることはなく、覇気さえも失ったのだから戻ってきてもいいと言いたいが、デイジーはパン屋で働く毎日に楽しさを感じているため戻る気はなく、クラリッサはまだどこにいるのかわからない。
リズがどんなにわがままを言おうとこの場に七人揃うのは不可能で、それはリズもわかっている。
「ねえはきっと喜んだだろうね」
「当たり前だろ」
ダニエルの肩に頭を預けながら呟くリズの頭を二回ほど軽く撫でるダニエルはふとクラリッサの姿を思い出した。いつも背筋を伸ばし、美しいドレスを身に纏いながら優雅に歩き、名を呼んで振り向いた表情は既に美しく、そこから変わっていく笑顔は更に美しかった。芸術品と呼ぶに相応しいほどの美しさはあったが、自分たちにとってクラリッサは芸術品ではなく、ただの姉でしかなかった。それなのに守ってやれなかったのだ。
この場にいればあの美しい笑顔で祝福していただろう。人前に出るときの所作や笑顔の作り方をこの世界で最も叩き込まれた人物だ。彼女にかかればエヴァンでさえ立派な紳士に見えるほど変わっただろうが、そんなことは思ったところで本人がいないのでは叶わぬことだと小さな笑みを浮かべて緩く首を振る。
「あの日のにいはかっこよかったね」
国王としての説明責任を果たすこともせず、城の中へと逃げ帰った父親の代わりにエヴァンが押し寄せる国民の前に立って頭を下げた。
『ダークエルフの森を燃やすことはしません。皆さんの不安を煽るような告知をしてしまい、申し訳ありませんでした』
『俺たちのことなんて何も考えてない計画だぞ! 何をどう考えたらこんな計画が出てくるんだよ! 森が燃えて街まで延焼しないって約束できないだろ!』
『ふざけるなよ! こっちは毎日命懸けで働いて生きてるんだ! 大事なのは金持ちの貴族だけで貧乏な平民はどうでもいいってか!?』
『モレノスの国民であることが恥ずかしいよ!』
目の前に立つ相手が父親から息子に変わろうと国民たちは怒りを鎮めようとはしない。一度湧き上がった怒りは相手が王族であり大人である限りは止まらないのだ。
次々と投げつけられる言葉にエヴァンは一切の反論はせず、国民の怒りを見つめながら受け止め続けた。
『国王の暴走は息子として必ず止めることを約束します。森を焼かせることも、これ以上の税の吊り上げもしないことも約束します。ただ、もうしばらく時間をください』
お願いしますと深く頭を下げるエヴァンに降りかかる罵倒は続いたが、その言葉に怒りを鎮める者もいた。リズたちはエヴァンと一緒に頭を下げようと踏み出したのをウォレンが止めた。これは長男であり、次期国王であるエヴァンが受け止めなければならない問題だからと。
その日の光景を思い出してリズは表情を緩め、赤い生地に金糸で縁取られたマントを羽織る兄を初めて誇らしく思った。
「これからだ。期待も失望も常にあの肩に乗ってる地獄がこれから始まるんだ」
ダニエルの呟きに頭を起こしたリズが笑う。
「にいなら大丈夫だよ」
「なんの自信だよ」
「だってにいはリズたちのにいだもん」
「なんだそれ」
相変わらずなんの根拠もない自信にダニエルが笑うと戻ってきたウォレンとロニーが二人の隣に立った。
「姉さんに約束したもんね、ボクたちがこの国を変えるって」
あの日交わした約束は一生かけて守らなければならず、エヴァンも含めた全員が頷く。
「じゃあ兄さん、僕たちは先に席に行ってるから」
「ああ」
「頑張ってね、にい。希望でお腹一杯にしちゃダメだよ」
「もう腹一杯だわ」
「頑張れよ、新王様」
「おう」
「スピーチ、期待してる」
「プレッシャーかけんな」
それぞれが一言ずつ声をかけて王族の席へと出ていく。四人が顔を出すと広場に集まる人々が湧かせる歓声を耳にしながらリズが呟いた。
「ねえが愛されてたってよくわかるね」
「一人でこれ以上だもんな」
国の行事でクラリッサが顔を出すだけで今の倍は歓声が上がった。たった一人、王女が顔を覗かせただけで歓声が上がり、皆がクラリッサの名前を呼び続けた。
クラリッサの顔を、笑顔を一目見ようと国中の人間が広場に集まっていたのは今ではその思い出を本人不在でしか懐かしむことができない。
「ほら、手ぇ繋いでやる」
「いいの?」
「スピーチ中に言われるほうがウザいからな」
差し出された手を嬉しそうに笑って握るリズは今にも吐きそうな気分だった。
父親は非難されても仕方ないだけのことをしてきた。貴族ばかり優遇し、国民のことは気にかけるパフォーマンスだけで実際は何も気にかけず負担ばかり強いてきたから自業自得だと。王族に不信感を持っただろう国民に向けて自分が王であることを示す式典はエヴァンにとって不安でたまらないはず。これから何十年も続くだろう重責を王冠と共に受け取る兄がちゃんと国民に受け入れられるか心配でならない。
緊張したときはいつもダニエルの手を握った。パレードで手を振る日も、誕生日のスピーチをする日も、いつもこうして手を握って人の体温で安心してきたのに今日はなかなか手の震えが止まらない。心臓が二つあるように感じるほど歓声よりも心臓の音が響き、説明できない涙が滲みそうになる。
「にいなら大丈夫なんだろ?」
エヴァンが出てくる場所を見つめたまま言葉を発するダニエルの横顔を見て目を瞬かせたリズは深呼吸をして兄が出てくる場所へと顔を向け、笑顔を浮かべる。
「にいなら大丈夫。だって、にいだもん」
自分に言い聞かせるようにそう言葉にすると「あ、にいが出てきた!!」とすぐに大きな声を出し、国民たちと一緒に大きく手を振った。
エヴァンたちは数日前に母親から呼び出され、自由になろうと思うと言う母親の意思を尊重して先に別れを告げていたため父親が慌てて報告に来ても誰一人驚きはしなかった。驚いたのは父親だけで、リズが言った『当然だと思う』の一言にショックを受けてフラつきながら離れに戻って引きこもっている。
新国王誕生の日にそれを見守る王は不在だが、家族は誰も気にしてはおらず、気にしているのは司祭と貴族だけ。その貴族もエヴァンが王になることに反対だとごねていたが、父親からの進言もあってエヴァンが正式に王位を継ぐこととなった。
そして戴冠式の日、エヴァンの緊張は頂点に達していた。
「希望って字を書いて飲む意味ある?」
「身体の中に希望を溜め込むんだよ」
「希望を溜め込んだら緊張はなくなるの?」
「不安を溜め込むよりいいだろ」
エヴァンが緊張している姿を見るのはきょうだい全員初めてで、何度も肩を上下させては身体をほぐし、手のひらに書いた希望の字を何十回と飲み込み続けても落ち着かない様子に皆が笑う。
「チラホラぐらいかと思ってたのにな」
「地面が見えないよ」
広場に集まった国民は新王に期待はせず、勝手にやってくれと思っているのではないかと思っていただけに広場の地面が見えないほど人で溢れ返っている光景を覗き見してはまた希望の字を書いて飲み込む。
「大丈夫だよ、兄さん。兄さんならやれる。この日のために何百枚も紙を無駄にしてきたじゃないか」
「別の言い方ないのかよ」
新王としてのスタートで失敗したくないと何日も何時間も机に向かってスピーチ内容を書き続けていたのをウォレンは補佐として隣でずっと見ていた。その姿はいい加減な人間とは程遠く、父親を反面教師としようとする男の姿であることにウォレンは感動した。だから心配はしていない。最後に聞いたスピーチ内容は新王として立派なもので、聞いた国民は安心するだろうと太鼓判を押せるほどだったのだから。
気合を入れるために背中を強めに叩いたウォレンが見せた笑顔は三秒後に青くなり、口を押さえて隅へと走り、嘔吐する。
「あれ、何回目?」
「五回」
リズとダニエルが肩を竦めて笑い、ロニーがウォレンに駆け寄って背中をさする。
「ちょっと寂しいね」
「そうだな」
この場にいるのは五人。五人ではなく七人きょうだいで育った彼らにとってこのめでたい日に二人足りないことが寂しくてならない。問題であった父親はもう表に出ることはなく、覇気さえも失ったのだから戻ってきてもいいと言いたいが、デイジーはパン屋で働く毎日に楽しさを感じているため戻る気はなく、クラリッサはまだどこにいるのかわからない。
リズがどんなにわがままを言おうとこの場に七人揃うのは不可能で、それはリズもわかっている。
「ねえはきっと喜んだだろうね」
「当たり前だろ」
ダニエルの肩に頭を預けながら呟くリズの頭を二回ほど軽く撫でるダニエルはふとクラリッサの姿を思い出した。いつも背筋を伸ばし、美しいドレスを身に纏いながら優雅に歩き、名を呼んで振り向いた表情は既に美しく、そこから変わっていく笑顔は更に美しかった。芸術品と呼ぶに相応しいほどの美しさはあったが、自分たちにとってクラリッサは芸術品ではなく、ただの姉でしかなかった。それなのに守ってやれなかったのだ。
この場にいればあの美しい笑顔で祝福していただろう。人前に出るときの所作や笑顔の作り方をこの世界で最も叩き込まれた人物だ。彼女にかかればエヴァンでさえ立派な紳士に見えるほど変わっただろうが、そんなことは思ったところで本人がいないのでは叶わぬことだと小さな笑みを浮かべて緩く首を振る。
「あの日のにいはかっこよかったね」
国王としての説明責任を果たすこともせず、城の中へと逃げ帰った父親の代わりにエヴァンが押し寄せる国民の前に立って頭を下げた。
『ダークエルフの森を燃やすことはしません。皆さんの不安を煽るような告知をしてしまい、申し訳ありませんでした』
『俺たちのことなんて何も考えてない計画だぞ! 何をどう考えたらこんな計画が出てくるんだよ! 森が燃えて街まで延焼しないって約束できないだろ!』
『ふざけるなよ! こっちは毎日命懸けで働いて生きてるんだ! 大事なのは金持ちの貴族だけで貧乏な平民はどうでもいいってか!?』
『モレノスの国民であることが恥ずかしいよ!』
目の前に立つ相手が父親から息子に変わろうと国民たちは怒りを鎮めようとはしない。一度湧き上がった怒りは相手が王族であり大人である限りは止まらないのだ。
次々と投げつけられる言葉にエヴァンは一切の反論はせず、国民の怒りを見つめながら受け止め続けた。
『国王の暴走は息子として必ず止めることを約束します。森を焼かせることも、これ以上の税の吊り上げもしないことも約束します。ただ、もうしばらく時間をください』
お願いしますと深く頭を下げるエヴァンに降りかかる罵倒は続いたが、その言葉に怒りを鎮める者もいた。リズたちはエヴァンと一緒に頭を下げようと踏み出したのをウォレンが止めた。これは長男であり、次期国王であるエヴァンが受け止めなければならない問題だからと。
その日の光景を思い出してリズは表情を緩め、赤い生地に金糸で縁取られたマントを羽織る兄を初めて誇らしく思った。
「これからだ。期待も失望も常にあの肩に乗ってる地獄がこれから始まるんだ」
ダニエルの呟きに頭を起こしたリズが笑う。
「にいなら大丈夫だよ」
「なんの自信だよ」
「だってにいはリズたちのにいだもん」
「なんだそれ」
相変わらずなんの根拠もない自信にダニエルが笑うと戻ってきたウォレンとロニーが二人の隣に立った。
「姉さんに約束したもんね、ボクたちがこの国を変えるって」
あの日交わした約束は一生かけて守らなければならず、エヴァンも含めた全員が頷く。
「じゃあ兄さん、僕たちは先に席に行ってるから」
「ああ」
「頑張ってね、にい。希望でお腹一杯にしちゃダメだよ」
「もう腹一杯だわ」
「頑張れよ、新王様」
「おう」
「スピーチ、期待してる」
「プレッシャーかけんな」
それぞれが一言ずつ声をかけて王族の席へと出ていく。四人が顔を出すと広場に集まる人々が湧かせる歓声を耳にしながらリズが呟いた。
「ねえが愛されてたってよくわかるね」
「一人でこれ以上だもんな」
国の行事でクラリッサが顔を出すだけで今の倍は歓声が上がった。たった一人、王女が顔を覗かせただけで歓声が上がり、皆がクラリッサの名前を呼び続けた。
クラリッサの顔を、笑顔を一目見ようと国中の人間が広場に集まっていたのは今ではその思い出を本人不在でしか懐かしむことができない。
「ほら、手ぇ繋いでやる」
「いいの?」
「スピーチ中に言われるほうがウザいからな」
差し出された手を嬉しそうに笑って握るリズは今にも吐きそうな気分だった。
父親は非難されても仕方ないだけのことをしてきた。貴族ばかり優遇し、国民のことは気にかけるパフォーマンスだけで実際は何も気にかけず負担ばかり強いてきたから自業自得だと。王族に不信感を持っただろう国民に向けて自分が王であることを示す式典はエヴァンにとって不安でたまらないはず。これから何十年も続くだろう重責を王冠と共に受け取る兄がちゃんと国民に受け入れられるか心配でならない。
緊張したときはいつもダニエルの手を握った。パレードで手を振る日も、誕生日のスピーチをする日も、いつもこうして手を握って人の体温で安心してきたのに今日はなかなか手の震えが止まらない。心臓が二つあるように感じるほど歓声よりも心臓の音が響き、説明できない涙が滲みそうになる。
「にいなら大丈夫なんだろ?」
エヴァンが出てくる場所を見つめたまま言葉を発するダニエルの横顔を見て目を瞬かせたリズは深呼吸をして兄が出てくる場所へと顔を向け、笑顔を浮かべる。
「にいなら大丈夫。だって、にいだもん」
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