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父親という生き物
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クラリッサが地下室に入れられてから家族で食事をすることはなくなった。父親がそう宣言したわけではなく、個人がそう判断して集まらなくなったのだ。
エヴァンとウォレンは自室で、リズとダニエルとロニーは同じ部屋に集まって朝食をするようになった。
「旦那様が部屋まで来るようにと」
「わかった」
父親からの呼び出しも以前なら父親自ら部屋までやってきていたが、最近ではそれもなくなって使用人が呼びに来るようになった。
立ち上がって部屋を出れば向かう先は父親の執務室。そこまでの道のりがひどく遠く感じるのはリズと話し合ってからだ。妹には兄の顔を見せたが、その威勢を本当に父親に向けられるかが心配だった。
「父上、お呼びでしょ……ウォレンもいたのか」
部屋に入ると先に父親の前に立っているウォレンになぜいるんだと驚いた顔を見せるエヴァンに父親は嘲笑めいた表情で鼻を鳴らす。
「お前だけでは頼りないからな、ウォレンにも手伝わせることにした」
「頼りないって……ダークエルフを撃ったのは俺だぞ! ウォレンはただ見てただけだろう!」
「お前がもっと早く駆けつけていれば私がこんな目に遭うこともなかったのだ」
お前がテラスでクラリッサを叩いたりしなければこんなことにはならなかったんじゃないのかと目に怒りを込めるが、大きく息を吐き出して怒りをやり過ごす。
「ウォレンはお前に足りないココがある」
トントンと頭を叩いてバカにする父親に笑顔を浮かべてウォレンの横に立てば勢いよく肩を組んだ。
「お前は賢いからな! 頼りにしてるぜ!」
「僕は兄さんほどしっかりしてないからね、せめて少しでも助けになればって思っただけだよ。どこまで手伝えるかわからないけど……」
「お前は頭脳担当、俺は実行担当だ」
「頭脳がなければ計画は成り立たんからな」
父親が会話に参加してくることに苛立ちを感じながらも無視をしてエヴァンはソファーに腰掛けた。
「兄弟揃っての大仕事だ。あの忌々しいゴミ共が住まう森を徹底的に燃やしてしまえ」
「それじゃあ計画を立てようか」
父親の言葉を合図にウォレンが中央に置いてあるテーブルの上に大きな地図を広げた。モレノスの地図だ。
「えっと……僕らの家がここで、ダークエルフの森がここ。で、森に近付いて油をまくのは不可能だろうから火矢を放つ予定として……火矢は何発用意する予定?」
「三千発だ」
「それを撃つ弓兵の数は?」
「三百なら用意できると言っていた」
確実性を得たい父親にとって安い金で大勢を雇って失敗するよりも高い金を払ってでも騎士団から弓兵を雇ったほうがいいと考えて契約しに行ったのだが、その回答にウォレンが片手を上げる。
「三百人用意しても、どこから放つの?」
「屋敷の周りに配置する。それから屋根にも」
「それはムリだと思うよ」
「なぜだ?」
エヴァンが言えば問答無用で「根性なし」と罵るだろう父親も聡明と評判のウォレンの話は聞くことがエヴァンはいつも腹立たしくて仕方ない。だが、ウォレンは気が弱くともこの屋敷で誰よりも賢い頭脳を持っているのは間違いない。誰もそれに異論を唱える者などいないほどに。
「ダークエルフは耳が良い。目も。三百人もの弓兵が足音を鳴らせば彼らは何事だって警戒するはず。こちらから向こうは見えなくても向こうからは見えてるわけで、大勢の弓兵が屋敷の周りに配置されてるのを見れば僕でも気付く。それを見て向こうが気付いたら厄介だよ」
「ならどうすればいいんだ?」
「弓兵の数は減らすしかない。」
「いくら減らす?」
「三百人は現実的じゃないから……多くても三十人だろうね。それでも多いぐらいだと思う。ここは戦場じゃないからね」
「それは減らしすぎだ! 何かあってからでは遅いんだぞ!」
三十人で三千発撃つのは現実的ではない。いくら強者の弓兵だとしてもどこまで上手くやれるのかわからない。三十人が一斉に火矢を放った時点で間違いなくダークエルフは表に出てくるだろう。一斉に駆け込まれでもすれば万が一があると危惧する父親の声が大きくなる。
「相手が何人いるのか把握できない以上は森を燃やすこと自体が現実的じゃないんだよ」
「娘に手を出されて黙っていろと言うのか!? そんなことを許せばアイツらはどんどん森から這い出てくるんだぞ!」
「落ち着いてよ。問題はそこだけじゃないんだから」
まだあるのかと声を張る父親を宥めながらウォレンが地図に印を書き込んでいくのを父親が覗き込む。
「ダークエルフの森を燃やすことに成功したとして、国民たちの避難場所は決まってるの? どこからどこまでの国民を避難させる範囲は決まってる?」
「いや……」
ダークエルフの森を燃やすことしか考えていなかった父親の口が急にもごつき始めた。
「まさか、勢いだけでやろうと思ってたわけじゃないよね? ダークエルフの森を燃やせればそれでいいと思ってたわけじゃないよね?」
責めるような口調に父親が目を逸らす。
「あれだけ大きな森を燃やせば、火は森だけじゃなくて街にも広がる。国中を覆うほどの煙が出るだろうし、避難先もなく実行するなんてありえないよ」
「だ、だが、煙が見えれば逃げるだろう?」
「パニックになった人間が冷静に逃げられると思う? ダークエルフの森が燃えるってことはダークエルフも森から逃げてるってこと。それが更にパニックに拍車をかけることになる。国民に何も言わずにはじめたことで国民をパニックに陥らせるなんて国王でも許されることじゃないと思うけどね」
私怨だけで動こうとしている父親の計画性のなさに呆れた顔を見せるウォレンに父親は明らかなる焦りを見せていた。ウォレンの力が必要なのはエヴァンではなく父親のほうだ。
自分の評判は落としたくない、最高の国王でありたい、人々から忌み嫌われているダークエルフの森の排除に成功すれば世界でも認められる国になると考えているのだろうことがウォレンには透けて見えている。
「そ、そうだな! エヴァン、お前はそこまで考えていたのか!?」
急に話を振られたエヴァンは焦ることなく肩を竦め、いつの間にか飲んでいたウイスキーが入ったグラスを軽く持ち上げて笑う。
「俺は聡明な父上の指示に従うつもりだった」
あからさまな嫌味を含んだ言い方に父親がテーブルを叩く。
「このバカッ! お前は次期国王だぞ! 自分の頭で考えんか!」
棚上げもここまでくると笑えると言い返そうとエヴァンが口を開いたのを見てウォレンがテーブルを数回ノックするように軽く叩いた。怒鳴り合いはもうたくさんだと、もともと苦手な大声の中にいたくないウォレンが口を開く。
「僕が思うに、一番問題なのは森が燃えたそのあとだよ。国中に蔓延する煙の中をダークエルフが駆け回るかもしれないってこと」
そんなことにさえ考えが至らなかった父親がハッとした表情で息子を見た。
「騒ぎに乗じて逃げるだけならいいよ。でもこれを機に復讐に来たら? 勝てる?」
「そ、そのときのために兵を雇う! 弓兵を三十人に減らすなら用意していた予算で騎士を雇えばいい! アーテルとニヴェウスにも参加させる」
提案に息子二人が首を振るのを見て父親の焦りは止まらない。
「あの二人はリズの護衛として派遣されてるんだよ。警備が仕事じゃないから手伝わないよ」
「王の命令だぞ!」
「彼らにとって王の命令は絶対じゃない」
「なら騎士の称号を剥奪する!」
「リズのことは誰が守るの?」
「もう守らんでいい! 結婚させればいい話だ!!」
めちゃくちゃなことを言いはじめた父親にさすがのウォレンも呆れ果ててため息をついた。頭を抱えたくなるほどの暴君が父親であることが情けなく恥ずかしいのだ。クラリッサにかまけていたときの父親はここまでではなかった気がしていたが、実際はこの横暴さが全てクラリッサに向いていたから自分たちはその部分にあまり触れずに済んでいたのだと実感したウォレンがまた地図に印をつけはじめた。
「火矢の火力はそれほど強くないから三十人が一斉に火矢を放ったとして距離から考えると森に火の手が上がるまでの時間は……」
ブツブツと呟きながら燃えるまでの時間と被害の範囲を計算して書き込んでいく内容に父親が絶句する。
「僕たち王族に復讐に来るだけなら良いけど、国民を殺し回ったら……」
呟きの中に混ぜる不安要素に父親が震えながら再び机を叩いた。
「先に違反者となったのはあいつらだ!」
「だとしても、居場所を奪われたことで激昂した彼らの行動は予測できない。煙の中で戦えるはずないしね……」
不安な表情を見せるウォレンに父親も不安になる。地図上に広がる予想だけでも壮絶なものであり、自慢のモレノスが一瞬で崩れてしまう可能性もあるようなものだった。
「国民を殺すことで国民を守れなかった王として責める理由を作るかもしれない。国王が森を燃やさなければ今も平和に暮らせたはずなのにってね」
「わ、私は違反した奴らを罰することが国のためだと思ったんだ!」
「でも、国民に何も告げずにやればそんなのは国民からすれば言い訳だよ。生活の補償もされないんじゃあ、国民は納得しない。パニックのまま逃げる中で誰かが死んだらその家族は国王を恨み、その友人や知人も憎む。そしてそれは連鎖となって広がっていくんだ」
想像するのも恐ろしいほどの怒りが全て自分に向けられると思うと父親は思わず口を手で押さえて立ったまま気絶したように動かなかった。動けないのだ。
国王としての評判は進退に繋がる。まだクラリッサを手放さないのはまだ自慢したいからで、息子に代わればそれもなくなってしまうかもしれない。国王であり続けるから自慢も自由にできるのであって、後退はまだ考えていないだけに子供たちからの批判より国民からの批判があることのほうが当然ダメージは大きい。
「国民に事前通告があっても結局は彼らは耳が良いからバレそうだし……バレたとき、どうするかとか考えてる?」
国王としての考えが聞きたいと言わんばかりの表情で問いかけてくるウォレンの質問をそのままエヴァンに投げた。
「エヴァン! 考えているのか!?」
「俺は──」
頭を掻きながら答えようとした瞬間、部屋にノックの音が響いた。何事かと三人が一斉に顔を向けると開いたドアから顔を覗かせた使用人が遠慮がちに声を出す。
「エヴァン様、少しお時間よろしいでしょうか?」
「どうした?」
中には入れない使用人のためにエヴァンがそこまで歩いて用件聞きにいくが、使用人は気まずそうに一度国王を見てからエヴァンを見た。
「かまわない、話せ」
「は、はい。それが、その……ロニー王子がクラリッサ王女に会いたいと朝からずっと泣いたままでして……。リズ王女とダニエル王子が慰めてくださるのですが、それも効果がなく……」
しどろもどろに話す使用人にエヴァンが驚かないのはクラリッサが地下牢に入れられてから何度も起こっていることだから。誰よりもクラリッサに懐いていたロニーは今でもクラリッサが好きで、会いたいと何度も言う。十七歳になった今でもロニーは十歳の頃と同じように泣いて訴えることが多い。リズもダニエルも大人になり、何度も理由を話して慰めてくれてはいるのだが上手くいかない。だから定期的に会わせるようにはしている。
「あー……今はちょっと時間が取れないんだ。あとで行くから……」
「いいよ、兄さん。計算は僕に任せて、兄さんはロニーのところに行ってあげてよ。ロニーはクラリッサが大好きだったから辛いんだ。話をしてやって」
「いいのか?」
ウォレンが自分に任せてと言うのは珍しい、というよりははじめてかもしれない。いつも自信がないウォレンは決定を全て家族に任せてきた。流れる波に乗って動くのがウォレンだったのが、苦手な父親と二人になることを自ら選んだことにエヴァンは驚きを隠せなかった。
そんなエヴァンの顔を見てウォレンが笑う。
「兄さんは実行なんでしょ? 今ここに必要なのは頭脳だから、兄さんは必要ないよ」
「言ってくれる」
笑顔で「すぐ戻る」と言い、出ていくエヴァンを父親は止めなかった。
「お前に王位を譲ったほうがいいかもしれないな」
「僕は人前で上手く話せないし、期待されると吐いちゃうからむりだよ」
「そんなものは慣れだ」
「王になるには素質がいる。そうでしょ?」
ウォレンは王にはなれない。それは誰よりも自分がわかっていることであり、父親もそれは否定しない。愚かでも決定力がなければ周りの言葉に流されてしまう。エヴァンは自分が進みたい方向や方針が決まっているだけに流されも揺れもしない。ウォレンはそれが羨ましかった。
「さ、やろう。計画しないと」
「頼んだぞ」
背中を叩く力は優しく、微笑みかけられたのも初めてだったが、ウォレンは笑顔を作るだけで心の底からは喜ばなかった。これがクラリッサが受けてきた虚しさなのだ。調子の良いときだけ優しい笑顔と言葉をかけ、気に入らなければ怒鳴りつけて罵倒する。幼い頃からそんな理不尽さを受けて育ってきた。父親が怖いから守ろうともしなかった自分を恥じたエヴァンに自分も続きたいと思った。
だからウォレンは提案する。
「国民に事前に告知はしておこう。パニックは避けるべきだ」
エヴァンとウォレンは自室で、リズとダニエルとロニーは同じ部屋に集まって朝食をするようになった。
「旦那様が部屋まで来るようにと」
「わかった」
父親からの呼び出しも以前なら父親自ら部屋までやってきていたが、最近ではそれもなくなって使用人が呼びに来るようになった。
立ち上がって部屋を出れば向かう先は父親の執務室。そこまでの道のりがひどく遠く感じるのはリズと話し合ってからだ。妹には兄の顔を見せたが、その威勢を本当に父親に向けられるかが心配だった。
「父上、お呼びでしょ……ウォレンもいたのか」
部屋に入ると先に父親の前に立っているウォレンになぜいるんだと驚いた顔を見せるエヴァンに父親は嘲笑めいた表情で鼻を鳴らす。
「お前だけでは頼りないからな、ウォレンにも手伝わせることにした」
「頼りないって……ダークエルフを撃ったのは俺だぞ! ウォレンはただ見てただけだろう!」
「お前がもっと早く駆けつけていれば私がこんな目に遭うこともなかったのだ」
お前がテラスでクラリッサを叩いたりしなければこんなことにはならなかったんじゃないのかと目に怒りを込めるが、大きく息を吐き出して怒りをやり過ごす。
「ウォレンはお前に足りないココがある」
トントンと頭を叩いてバカにする父親に笑顔を浮かべてウォレンの横に立てば勢いよく肩を組んだ。
「お前は賢いからな! 頼りにしてるぜ!」
「僕は兄さんほどしっかりしてないからね、せめて少しでも助けになればって思っただけだよ。どこまで手伝えるかわからないけど……」
「お前は頭脳担当、俺は実行担当だ」
「頭脳がなければ計画は成り立たんからな」
父親が会話に参加してくることに苛立ちを感じながらも無視をしてエヴァンはソファーに腰掛けた。
「兄弟揃っての大仕事だ。あの忌々しいゴミ共が住まう森を徹底的に燃やしてしまえ」
「それじゃあ計画を立てようか」
父親の言葉を合図にウォレンが中央に置いてあるテーブルの上に大きな地図を広げた。モレノスの地図だ。
「えっと……僕らの家がここで、ダークエルフの森がここ。で、森に近付いて油をまくのは不可能だろうから火矢を放つ予定として……火矢は何発用意する予定?」
「三千発だ」
「それを撃つ弓兵の数は?」
「三百なら用意できると言っていた」
確実性を得たい父親にとって安い金で大勢を雇って失敗するよりも高い金を払ってでも騎士団から弓兵を雇ったほうがいいと考えて契約しに行ったのだが、その回答にウォレンが片手を上げる。
「三百人用意しても、どこから放つの?」
「屋敷の周りに配置する。それから屋根にも」
「それはムリだと思うよ」
「なぜだ?」
エヴァンが言えば問答無用で「根性なし」と罵るだろう父親も聡明と評判のウォレンの話は聞くことがエヴァンはいつも腹立たしくて仕方ない。だが、ウォレンは気が弱くともこの屋敷で誰よりも賢い頭脳を持っているのは間違いない。誰もそれに異論を唱える者などいないほどに。
「ダークエルフは耳が良い。目も。三百人もの弓兵が足音を鳴らせば彼らは何事だって警戒するはず。こちらから向こうは見えなくても向こうからは見えてるわけで、大勢の弓兵が屋敷の周りに配置されてるのを見れば僕でも気付く。それを見て向こうが気付いたら厄介だよ」
「ならどうすればいいんだ?」
「弓兵の数は減らすしかない。」
「いくら減らす?」
「三百人は現実的じゃないから……多くても三十人だろうね。それでも多いぐらいだと思う。ここは戦場じゃないからね」
「それは減らしすぎだ! 何かあってからでは遅いんだぞ!」
三十人で三千発撃つのは現実的ではない。いくら強者の弓兵だとしてもどこまで上手くやれるのかわからない。三十人が一斉に火矢を放った時点で間違いなくダークエルフは表に出てくるだろう。一斉に駆け込まれでもすれば万が一があると危惧する父親の声が大きくなる。
「相手が何人いるのか把握できない以上は森を燃やすこと自体が現実的じゃないんだよ」
「娘に手を出されて黙っていろと言うのか!? そんなことを許せばアイツらはどんどん森から這い出てくるんだぞ!」
「落ち着いてよ。問題はそこだけじゃないんだから」
まだあるのかと声を張る父親を宥めながらウォレンが地図に印を書き込んでいくのを父親が覗き込む。
「ダークエルフの森を燃やすことに成功したとして、国民たちの避難場所は決まってるの? どこからどこまでの国民を避難させる範囲は決まってる?」
「いや……」
ダークエルフの森を燃やすことしか考えていなかった父親の口が急にもごつき始めた。
「まさか、勢いだけでやろうと思ってたわけじゃないよね? ダークエルフの森を燃やせればそれでいいと思ってたわけじゃないよね?」
責めるような口調に父親が目を逸らす。
「あれだけ大きな森を燃やせば、火は森だけじゃなくて街にも広がる。国中を覆うほどの煙が出るだろうし、避難先もなく実行するなんてありえないよ」
「だ、だが、煙が見えれば逃げるだろう?」
「パニックになった人間が冷静に逃げられると思う? ダークエルフの森が燃えるってことはダークエルフも森から逃げてるってこと。それが更にパニックに拍車をかけることになる。国民に何も言わずにはじめたことで国民をパニックに陥らせるなんて国王でも許されることじゃないと思うけどね」
私怨だけで動こうとしている父親の計画性のなさに呆れた顔を見せるウォレンに父親は明らかなる焦りを見せていた。ウォレンの力が必要なのはエヴァンではなく父親のほうだ。
自分の評判は落としたくない、最高の国王でありたい、人々から忌み嫌われているダークエルフの森の排除に成功すれば世界でも認められる国になると考えているのだろうことがウォレンには透けて見えている。
「そ、そうだな! エヴァン、お前はそこまで考えていたのか!?」
急に話を振られたエヴァンは焦ることなく肩を竦め、いつの間にか飲んでいたウイスキーが入ったグラスを軽く持ち上げて笑う。
「俺は聡明な父上の指示に従うつもりだった」
あからさまな嫌味を含んだ言い方に父親がテーブルを叩く。
「このバカッ! お前は次期国王だぞ! 自分の頭で考えんか!」
棚上げもここまでくると笑えると言い返そうとエヴァンが口を開いたのを見てウォレンがテーブルを数回ノックするように軽く叩いた。怒鳴り合いはもうたくさんだと、もともと苦手な大声の中にいたくないウォレンが口を開く。
「僕が思うに、一番問題なのは森が燃えたそのあとだよ。国中に蔓延する煙の中をダークエルフが駆け回るかもしれないってこと」
そんなことにさえ考えが至らなかった父親がハッとした表情で息子を見た。
「騒ぎに乗じて逃げるだけならいいよ。でもこれを機に復讐に来たら? 勝てる?」
「そ、そのときのために兵を雇う! 弓兵を三十人に減らすなら用意していた予算で騎士を雇えばいい! アーテルとニヴェウスにも参加させる」
提案に息子二人が首を振るのを見て父親の焦りは止まらない。
「あの二人はリズの護衛として派遣されてるんだよ。警備が仕事じゃないから手伝わないよ」
「王の命令だぞ!」
「彼らにとって王の命令は絶対じゃない」
「なら騎士の称号を剥奪する!」
「リズのことは誰が守るの?」
「もう守らんでいい! 結婚させればいい話だ!!」
めちゃくちゃなことを言いはじめた父親にさすがのウォレンも呆れ果ててため息をついた。頭を抱えたくなるほどの暴君が父親であることが情けなく恥ずかしいのだ。クラリッサにかまけていたときの父親はここまでではなかった気がしていたが、実際はこの横暴さが全てクラリッサに向いていたから自分たちはその部分にあまり触れずに済んでいたのだと実感したウォレンがまた地図に印をつけはじめた。
「火矢の火力はそれほど強くないから三十人が一斉に火矢を放ったとして距離から考えると森に火の手が上がるまでの時間は……」
ブツブツと呟きながら燃えるまでの時間と被害の範囲を計算して書き込んでいく内容に父親が絶句する。
「僕たち王族に復讐に来るだけなら良いけど、国民を殺し回ったら……」
呟きの中に混ぜる不安要素に父親が震えながら再び机を叩いた。
「先に違反者となったのはあいつらだ!」
「だとしても、居場所を奪われたことで激昂した彼らの行動は予測できない。煙の中で戦えるはずないしね……」
不安な表情を見せるウォレンに父親も不安になる。地図上に広がる予想だけでも壮絶なものであり、自慢のモレノスが一瞬で崩れてしまう可能性もあるようなものだった。
「国民を殺すことで国民を守れなかった王として責める理由を作るかもしれない。国王が森を燃やさなければ今も平和に暮らせたはずなのにってね」
「わ、私は違反した奴らを罰することが国のためだと思ったんだ!」
「でも、国民に何も告げずにやればそんなのは国民からすれば言い訳だよ。生活の補償もされないんじゃあ、国民は納得しない。パニックのまま逃げる中で誰かが死んだらその家族は国王を恨み、その友人や知人も憎む。そしてそれは連鎖となって広がっていくんだ」
想像するのも恐ろしいほどの怒りが全て自分に向けられると思うと父親は思わず口を手で押さえて立ったまま気絶したように動かなかった。動けないのだ。
国王としての評判は進退に繋がる。まだクラリッサを手放さないのはまだ自慢したいからで、息子に代わればそれもなくなってしまうかもしれない。国王であり続けるから自慢も自由にできるのであって、後退はまだ考えていないだけに子供たちからの批判より国民からの批判があることのほうが当然ダメージは大きい。
「国民に事前通告があっても結局は彼らは耳が良いからバレそうだし……バレたとき、どうするかとか考えてる?」
国王としての考えが聞きたいと言わんばかりの表情で問いかけてくるウォレンの質問をそのままエヴァンに投げた。
「エヴァン! 考えているのか!?」
「俺は──」
頭を掻きながら答えようとした瞬間、部屋にノックの音が響いた。何事かと三人が一斉に顔を向けると開いたドアから顔を覗かせた使用人が遠慮がちに声を出す。
「エヴァン様、少しお時間よろしいでしょうか?」
「どうした?」
中には入れない使用人のためにエヴァンがそこまで歩いて用件聞きにいくが、使用人は気まずそうに一度国王を見てからエヴァンを見た。
「かまわない、話せ」
「は、はい。それが、その……ロニー王子がクラリッサ王女に会いたいと朝からずっと泣いたままでして……。リズ王女とダニエル王子が慰めてくださるのですが、それも効果がなく……」
しどろもどろに話す使用人にエヴァンが驚かないのはクラリッサが地下牢に入れられてから何度も起こっていることだから。誰よりもクラリッサに懐いていたロニーは今でもクラリッサが好きで、会いたいと何度も言う。十七歳になった今でもロニーは十歳の頃と同じように泣いて訴えることが多い。リズもダニエルも大人になり、何度も理由を話して慰めてくれてはいるのだが上手くいかない。だから定期的に会わせるようにはしている。
「あー……今はちょっと時間が取れないんだ。あとで行くから……」
「いいよ、兄さん。計算は僕に任せて、兄さんはロニーのところに行ってあげてよ。ロニーはクラリッサが大好きだったから辛いんだ。話をしてやって」
「いいのか?」
ウォレンが自分に任せてと言うのは珍しい、というよりははじめてかもしれない。いつも自信がないウォレンは決定を全て家族に任せてきた。流れる波に乗って動くのがウォレンだったのが、苦手な父親と二人になることを自ら選んだことにエヴァンは驚きを隠せなかった。
そんなエヴァンの顔を見てウォレンが笑う。
「兄さんは実行なんでしょ? 今ここに必要なのは頭脳だから、兄さんは必要ないよ」
「言ってくれる」
笑顔で「すぐ戻る」と言い、出ていくエヴァンを父親は止めなかった。
「お前に王位を譲ったほうがいいかもしれないな」
「僕は人前で上手く話せないし、期待されると吐いちゃうからむりだよ」
「そんなものは慣れだ」
「王になるには素質がいる。そうでしょ?」
ウォレンは王にはなれない。それは誰よりも自分がわかっていることであり、父親もそれは否定しない。愚かでも決定力がなければ周りの言葉に流されてしまう。エヴァンは自分が進みたい方向や方針が決まっているだけに流されも揺れもしない。ウォレンはそれが羨ましかった。
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「頼んだぞ」
背中を叩く力は優しく、微笑みかけられたのも初めてだったが、ウォレンは笑顔を作るだけで心の底からは喜ばなかった。これがクラリッサが受けてきた虚しさなのだ。調子の良いときだけ優しい笑顔と言葉をかけ、気に入らなければ怒鳴りつけて罵倒する。幼い頃からそんな理不尽さを受けて育ってきた。父親が怖いから守ろうともしなかった自分を恥じたエヴァンに自分も続きたいと思った。
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