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きょうだいであること

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 夜も更けた頃、リズの部屋に小さなノックの音が聞こえた。

「リズ、ちょっといいか?」

 エヴァンの声だ。
 ニヴェウスがドアに向かい、鍵とドアを開けるとエヴァンが中に入ってくる。リズはもう寝巻きに着替えているが、エヴァンはまだ着替えていない。

「さっき帰ってきたの?」
「ああ」
「パパの代わりって忙しい?」
「まあな。でもいつかは俺が引き継ぐことだからな、そう思えば平気さ」

 ふーん、と音を漏らしたリズが机の上に広げていた紙を畳んで机の引き出しにしまうのが見え、エヴァンは本題に入ることにした。

「リズ、これ以上の反抗はやめろ」

 父親の見方のような言葉にリズが唇を尖らせる。

「リズ、反抗なんかしてないもん」
「してるだろ。父上がパーティーに出ろと言っても出ないし、デザイナーが来ても追い返す。お前は王女だろう」
「意味のないパーティーはつまんないから嫌い」
「お前のために父上はパーティー会場の絨毯もカーテンもピンクにしたんだぞ、あの趣味の悪い会場を晒す恥がお前にわかるか?」 
「あんな趣味の悪いピンク、リズのピンクじゃない。リズはリズのお部屋みたいなピンクがいいの」

 自分のピンクの髪がお気に入りのリズはピンクが大好きで、部屋は何もかもがピンク。カーテンも絨毯もベッドシーツもクッションもドレスもシャンデリアも全てピンクの特注品。ピンクでなければ嫌だと拗ねるリズのわがままを父親はずっと受け入れてきたのに、リズはその恩を返そうとしないことをエヴァンは快く思っていなかった。

「じゃあこの部屋のピンクを会場で再現したらパーティーに出るんだな?」
「やだ」
「リズ」
「今のパパは嫌い! ねえの代わりはしない! リズにはできない! リズは鑑賞用王女にはなれないし、なりたくない! 完璧な笑顔なんて知らないし、作りたくもない! リズはリズとして生きていくの! パパのためには生きない!」

 リズは昔から自我が強く、幼少期には既に自分というものを持っていた。イエスとノーがはっきりしており、何をどう言い換えても自分が望むとおりでなければ全てノーを口にする子供だった。それは成長する度に強くなりお手上げ状態であったのも確か。素直な部分と頑固な部分がハッキリと分かれているだけに取扱注意の娘であり、今もそれは変わらず続行中。
 それでもエヴァンも引くわけにはいかない。ボロボロの顔で面に出られない父親の代わりに国王代理を務めている身として妹を手懐けなければならないのだ。だから厳しくすると決めたエヴァンがノーを突きつける。

「お前には皇女としての務めを果たす義務がある」
「ねえが出席してたパーティーはなんのためにやってたの?」
「懇親会のようなものだ」
「貴族は貴族で集まるよね? パパが開く必要あった?」
「貴族が一堂に会すれば横の繋がり大きくなって貴族たちは喜ぶ。王族は個人ではやっていけない。貴族との繋がりが必要なんだ」
「ならパパだけ出ればよかったのに、ねえに強要する必要あったの?」
「あれは父上がやっていたことだ! 俺は知らない!」
「でも今、リズにパーティーに出ろって言ってるのはにいだよ」

 面に立たないリズにはわからないという兄の思いをリズは一蹴する。必死に訴えてもリズが理解しようとしないのはリズが楽なポジションで生きているせいだとエヴァンは思っていた。父親が甘やかし続けた結果が今のリズを作ったのだと。
 このままでは自分が国王になったとき、リズは足を引っ張る可能性がある。それだけは避けなければならないとも考えていた。

「お前が何を考えているのかは知らんが、これ以上のわがままは許さないぞ」
「わがままなんか言ってないもん。にいがおかしなこと言ってるからリズはそれは違うよって言ってるだけだもん」
「俺はおかしなことは言ってない。いいか、こうなったのはクラリッサがダークエルフと繋がってたせいだ。ダークエルフがクラリッサと繋がってたせいで父上は生死の境を彷徨い、国王として面に立つことができなくなったんだ」
「でも元気だし」
「元気だろうと殴られた傷は消えない! 父上の痛々しい姿を見てよくそんなことが言えるな!?」
「言うよ。だってパパもにいも、ねえの傷は見ようとしなかったんだもん」
 
 声を荒げるエヴァンに言い放った一言がエヴァンの口を閉じさせた。
 家族は皆、クラリッサがどれだけ努力してきたかを知っているが、その努力を労おうとした者はいない。誰もがそれを心の中だけで大変なことだと思い、クラリッサが笑っているから深刻には捉えてこなかった。
 父親の横暴さに傷ついていたのはエヴァンでもデイジーでもなくクラリッサだ。それでもクラリッサは自分ばかり辛い目に遭っていると家族に訴えることは一度だってしなかった。全員がそれに甘えていたのだ。
 歯向かえば怒られる。父親を怒らせないで済むならそれが一番で、クラリッサがそれを甘んじて受け入れているならそれでいいだろうとさえ思っていた事実がエヴァンの中にあるためリズの言葉が深く突き刺さった衝撃で反論する言葉が出てこなかった。

「リズにパーティーに出ろって言うのは誰? にい? それともパパ?」
「……父上だ」
「じゃあ断ってよ。リズが出たくないの知ってるでしょ」
「口汚く罵られるのわかってるだろ。お前が断ればまだ優しい」
「でも怒るもん」
「俺はあの口汚さに耐えられないんだ」
「だから言うこと聞くの? マリオネットみたいに?」

 自覚がないわけではないエヴァンが拳を握る。言いなりになる未来など想像もしていなかった。いや、想像はできたはずなのに想像しようとしなかった。父親とは違う、立派な王になろうと心がけていたはずなのに国王代理となった今でさえ自分の意見は少しも出せず言いなりになっている。それが悔しかった。

「にいは意気地なしだよ」

 伏せがちだった視線を上げてリズを見ると強い眼差しと絡んだ。

「何も犠牲にせずに安全なとこで身を守ってる。パパが怒るのが嫌だって、怒られないようにってそればっかりに必死でさ……かっこ悪いね」

 同情するような言葉にカッとなったエヴァンが声を荒げる。

「俺は後継なんだ! 当然だろ!」
「きょうだいを守るのは当然じゃないの?」

 一気に興奮が冷める問いかけにエヴァンが俯く。

「……守ってるだろ……」

 声が小さいのは自信がないからか、エヴァンは顔を上げようとしない。

「デイジーのために何かした?」
「…………」
「ねえのために何かした?」
「…………」

 何もしていないから返せない。ただ口を閉じ、激昂する父親の標的にならないようジッとしていただけ。

「にいたちはズルいよ。そんなにパパが怖い?」

 甘やかされてきたお前に何がわかると拳を震わせながら顔を上げたエヴァンは初めて妹を睨みつけた。

「男と女じゃ背負ってるものが違うんだよ!」
「きょうだいの間じゃそんなの言い訳だよ」
「言い訳じゃない! 事実だ!!」

 首を振るリズは自分の姿がちゃんと見えていないだろうエヴァンに言い放った。

「今のにいはパパにそっくり」

 ショックを受けるほどの衝撃的な言葉にエヴァンが目を見開く。図星を突かれて激昂し、怒鳴り散らすことで相手を威圧すれば自分を正当化できると思っている人間に見えたのかと。

「パパの期待はさ、ねえにだけ向いてるからリズたちが一緒に背負うことはできないけど、ねえが一人で苦しむのはおかしいよ。辛いって一人で泣くのもおかしいよ。リズたちは誰の家族? ねえでしょ? 助けあわなきゃ、支え合わなきゃ家族じゃないよ。都合の良いときだけ家族なんて、そんなの一番おかしいことなんだよ」
「…………」
「ホントはもっと早く、もっともっと早く、ねえを助けてあげなきゃいけなかったのに……リズたちは、ねえを犠牲にして楽をしてた。パパに怒られたくないから、パパの言いなりになりたくないから、パパが鬱陶しいから、パパが、パパがって……一番嫌なことから逃げるために、ねえの背中に隠れてた」

 語る度にリズの瞳から一つ、また一つと大粒の涙がこぼれていく。

「ねえは……文句も言わずに……リズたちを守ってくれてたのに……リズたちは……ねえの傷を……見ようともしなかった……」
「ッ……」
「それなのに……また同じようなこと、しようとしてる。ねえが今、一番苦しくて、辛くて、悲しいときに……もう、見てないふりなんて、したくない」

 エヴァンは誰よりも知っている。幼いクラリッサが泣いていたこと、嫌がっていたこと、苦しんでいたこと。でもきょうだいが増えるたびにクラリッサの口から負の感情が溢れることは少なくなり、いつしかそんな感情はないのではないかと思うほど言わなくなってしまった。なくなったなど、あるはずがないのに思い込むようにすることで妹を支えるという兄の責任から逃れたのだ。
 リズはいつも手を差し伸べようとした。自分は何をした? 長男でありながら父親の顔色ばかり伺い、下にいる六人のきょうだいのために何をしてきた? 自分に問いかけようと胸を張れるような答えは一つも出てこない。胸を張れるようなことは何もしていないのだから。
 そして今もまた、繰り返そうとしている。父親の顔色を伺い、自分が苦労するのを避けるために嫌がる妹を叱りつけて説得しようとし、地下室に幽閉されている妹がどんな思いでいるのか見てみぬふりをしようとしている。
 ボロボロと溢れる涙を手の甲で拭い続ける妹が必死に戦い続けているのに自分は何をしているんだと唇を噛み締めるエヴァンが滲む涙を思いきり鼻を啜ることで堪えて顔を上げた。

「俺はまだ、間に合うか? 手を差し伸べて、兄ちゃんしてもいいか」
「にいだもん、当たり前だよ」

 嬉しそうに笑って抱きついてくる妹を受け止めて強く抱きしめたエヴァンは、こんなことをすることさえ何年ぶりだろうかと思ってしまう自分が情けなく、そして恥ずかしかった。
 簡単なことだ。辛いと、嫌だと泣いていれば抱きしめて話を聞いてやる。兄として妹を背中で守って父親に意見することなんて難しくもないのに、ずっと放棄してきた。そんな人間がどうやって良い国王になれるというのか、エヴァンは何十回と襲い来る情けなさを噛み締めながら自分が目標とする人間になるため意思を固めた。

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