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過ち

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 三人を見送ったあと、エイベルは屋敷からは見えない場所で座りこんだ。

「俺にできることはなんだ……?」

 内部の人間でさえ他者の協力を扇ぐほど難しい状態になっている今、クラリッサが幽閉される理由となった自分に何ができるだろうと考えるも解決策は出てこない。透視ができる訳ではないため内部構造も知らないだけに見つかれば最後、暴れるしかない。そうなれば仲間を追い詰めるだけとなり、人間とダークエルフの和解など不可能になってしまう。
 クラリッサに伸ばす手はある。だが、伸ばす方法が見つからない。乱暴に髪を掻くと髪を結っていた紐が切れ、はらりと地面に落ちた。

「ッ!」

 拾おうと手を伸ばすと肩に鋭い痛みが走る。一ヶ月前の傷がまだ疼く理由はなんだと仲間たちが必死に考えてくれていたが、治癒知識のないダークエルフが何人集まろうと結果は同じ。誰にもわからないのだ。

「ムリしないほうがいいよ」

 地面に落ちた紐がゆっくりと浮き上がり、エイベルの髪を結った。聞き慣れた声に顔を上げると目の前にアイレが仁王立ちで姿を現した。

「アイレか。何用だ?」
「ダークエルフがバカみたいに大騒ぎしてるからうるさいって言いに行ったらエイベルいなかったから探してた。アイツら黙らせてよ。うるさくて昼寝もできやしない」

 文句を言いに来たわりには表情にも声色にも怒りは感じられない。肩へとふわふわ寄っていくアイレの小さな手が傷口に触れると淡い光が傷口の中へと入っていく。痛みはなく、温かささえ感じることに目を閉じて暫し思考を止める。

「俺たちだって暮らしてるのにギャアギャアギャアギャア迷惑なんだよ」

 不満を口にするアイレが離れると肩からも温もりが消え、エイベルの目がゆっくりと開く。

「俺はもうダークエルフの長ではない」
「……ふーん」
「驚かないのか?」

 長年やってきた長であり、周りからも長に相応しいのはエイベルだけだと持ち上げられてきた。アイレは当然それを知っていただろうが、驚きひとつ見せないことにエイベルのほうが驚いてしまう。

「だって、クラリッサと生きていくためには森を出なきゃいけないじゃん」

 あの森に住まう者の中でアイレだけがエイベルがクラリッサと暮らせる可能性を信じている。クラリッサがこのままでは終わらないことも、エイベルがクラリッサのために森を出ることもアイレは当然のことだと考えている。

「こんな傷作ってさ、クラリッサに心配させる材料でも残しとくつもり?」
「ダークエルフは治療法を持っていない」
「薬草治療があるじゃん」
「調合法を知らん」
「普段あれだけ威張っておいて死に直面したら治療法もなく駆け回っての他力本願なんてすごいね」
「そうだな……」

 自分たちは強いと慢心してきたからこその結果だとこんなことにならなければわからなかった。過去から学べることはいくらでもあったはずなのに、学んだことは人間が残酷な生き物であることだけ。引き継がれたのは憎しみだけ。愚かな話だと今更になって自嘲が込み上げる。

「オイラたちが無能だって言ったこと謝れよな」

 アイレが肩から離れると温もりが消えると同時に痛みも傷も消えていた。また仁王立ちに戻ったアイレにエイベルは肩を触って傷があった場所を確認したあと、素直に頭を下げた。

「治癒といい、ストールといい……ダークエルフが妖精族を見下すことなどできるはずがなかったのにな。妖精族は戦うことはできずとも、生き抜く術を知っている素晴らしい種族だ。それを認めようとせず見下し続けたこと、ここで謝罪させてくれ。すまなかった」

 本気で謝って欲しかったわけではない。ただ、ダークエルフの長が傷を受けて腕がダメになりかけているのを救ったのだから妖精族が無能ではないことを認めろと言いたかっただけなのだ。それなのにエイベルは人が変わったように頭を下げて真摯に謝ってくれた。それが驚きで、そして理由もわからずアイレは涙が出そうになった。鼻を啜って強く息を吐き出したあと、エイベルの肩に腰を下ろして笑顔を見せる。

「イリオリスエイベル?」
「違いない」

 苦笑しながら認めるエイベルをアイレはほんの少しだけ好きになった。

「あのストールだが──」
「待って。その話より先にしなきゃいけない話があるんだ」

 なんだと不思議そうな顔を見せるエイベルに向けるアイレの表情にもう笑顔はない。何か不安に感じているような、そんな表情を浮かべている。

「ダークエルフの森を燃やすって話が出てる」
「なに?」

 耳を疑うような言葉に一瞬で険しくなるエイベルの表情。

「クラリッサの父親がそう息巻いてる。ダークエルフが契約違反を犯したのだから自分たちが律儀に契約を守ってやる必要はないって」

 森を出たことがバレただけで契約違反となる条件の下、人間と和平を結んだ。森を飛び出しただけではなく人間に手を出せば最悪の事態が降りかかるのは目に見えていたことだ。自分にだけ降りかかればいいが、そんなはずはない。人間はエイベルというダークエルフを憎んでいるのではなくダークエルフそのものを憎んでいるのだからダークエルフが暮らす森を攻めるなど子供でもわかること。
 それを脅しと笑い飛ばすことができないのは、クラリッサの父親が利己主義な人間であるから。森を燃やされれば仲間は家を失うことになる。それだけは避けなければならないが、やってしまった以上は避けられない。

「クラリッサは地下だし、父親は毎日怒ってるし、家族の仲も悪くなってる」
「俺のせいだ……」

 アイレもそんなことはないと慰めはしない。こうなったのは間違いなくエイベルのせい。クラリッサを守ったと言うことはできても、結果的に危惧していた妹への負担が大きくなってしまったことはクラリッサの望まぬところ。家族を守ってきたクラリッサにとって今回のことは複雑な心境なのだろう。
 一日中壁を見つめているクラリッサをアイレはずっと見ていた。声をかけたいと思っても今のクラリッサに気を遣わせるようなことはしたくない。だからアイレはこの一ヶ月、ただジッと見守ってきた。

「嘆くのは最後だよ」

 どうすればいい──誰かにそう縋ってしまいたかった。

「ありがとう、アイレ」
「どこ行くの?」
「俺はもう皆をまとめる長ではないが、ダークエルフだからな」

 できることをやらなければならない。クラリッサのためにできることはない。外に出て迎えに行けば今度は銃弾一発では済まないだろう。そこでリズが何を叫ぼうと止まることはなく、撃つのはエヴァンではなく父親だろうことが容易に浮かんだ。
 クラリッサのことはリズに任せることしかできないため、エイベルは森へ戻ることにした。もし、万が一にでもアイレが耳にした情報が近々実行されてしまうのであれば準備が必要だと。

「裏切り者がなんの用だよ」
「出ていけよ、裏切り者」
「お前はもう長じゃねぇからな、恥晒し」
「お前のせいで全部めちゃくちゃだよ」
「人間が攻め入ってきたら全員ぶっ殺してやる」
「戦争だ」

 戻ってきたエイベルに向ける目は既に敵意に満ちている。次々に発せられる罵倒の言葉にエイベルは嫌味を返すことはしない。
 ダークエルフが戦争に怯えることはない。だから皆で声を上げて士気を高める。人間のように銃や大砲を持ち出すことはできなくとも銃や弓、自慢の目や肉体があるのだ。スナイパーよりも正確な目と弓で戦える。木に登って監視もできる。先代の敗北で学んだことは全て生かすつもりだった。

「国王はこの森に火を放つつもりだ」

 死刑宣告のように静かに告げられた言葉にザワつきは起こらず、水を打ったように静まり返った。
 森がなくなればどこまで戦えるかはわからない。一斉に銃を放たれて回避できるだろうかと不安が過ぎる。先祖たちはそれができずに命を落としたのだ。監視するには高台が必要で、スナイパーのように狙い撃つにも隠れる場所が必要。森を燃やされてできることなど逃げることだけ。人間に放たれた火矢によって焼け広がる森から無様に逃げる様を想像するだけで仲間が怒りに震えているのが見てとれた。

「権限は全て国王にある。貴族たちが反対しようと意味はないだろう」

 そもそもダークエルフに味方する者などほとんどいない国で守ろうとしてくれる者などいるはずがなく、アイレの情報はほぼ決定事項だと捉えて間違いない。

「何十本もの火矢が放たれると燃え広がるのはあっという間だ」
「撃ち落とせばいい。俺たちならできる」
「もし火矢だけではなかったらどうするんだ? 松明を持った兵士たちが駆けてきたら?」
「やってやるよ」
「分けられるのか?」

 火矢が何本放たれるのかもわからない、兵士が何人用意されるのかもわからない。ダークエルフは弓の強者だとしても全員が一本も外さず矢を落とせるわけではない。十人が迎え撃ち、八人が成功したとして二人が落とせなかった火矢が森に到達し、それを消しに行く者をどこから割くのか。入り口に割く人員から出そうにも松明が放られるかもしれない状況でよそ見はできない。一発撃って終わることはないだろう火矢が何本も連続で放たれ、その度に落とす者がいれば火は瞬く間に大きくなって広がっていく。

「逃げろってのか? 家に火を放たれて黙って似げろってのかよ! 俺は腰抜けじゃねぇぞ!」
「そうだ! 俺たちもあの屋敷に火矢を放とう!」
「それがいい! そうしようぜ! 目に物見せてやる!」
「屋敷全部が燃えるほどの火矢を放ってやる。先制攻撃だ!」

 また声を上げ始めた仲間たちに眉を寄せるエイベルはその光景を見ながら過去を思い出していた。
 先代が人間と和平を結ぶ契約をしたとき、仲間は声を揃えて否定した。人間を許すな。銃や大砲の攻略法さえわかれば自分たちは負けないと大勢が先代を囲んで大声を張り上げ続けていた。
 ただ目を閉じて彼らの声にジッと耳を傾けていた先代が言った言葉が印象的だった。

『愚かな過ちは正さなければならないが、そのためにはまず何が過ちなのかを自分で見つけなければならない。それは過ちを正すよりも難しいことで、一生見つからない場合もある。だから同じ過ちを繰り返し続ける。そしてそこには必ず「仕方ない」という言葉がくっついている。それを口にすることで自分たちを正当化するのだ』と。
 今、それと同じことが起ころうとしている。人間が仕掛けようとしていることを返すだけなのだから自分たちが悪いのではない、森を燃やそうとする人間が悪いのだと。

「命よりも誇りが大事か?」
「当然だ!!」

 ダークエルフはプライドが高く、プライドだけならハイエルフにも負けはしない。だから戦わずして逃げるなど到底考えられないことはエイベルも知っている。エイベルとて少し前まで誰かに聞かれれば同じように答えていたはずだから。それでもエイベルはそんな風に考えることはできなくなった。

「その先にある物はなんだ?」
「栄光だ」
「その栄光は命よりも輝かしいものか?」
「当然だ!」
「エイベル、まさかお前、人間の女なんかのためにプライドを捨てるというのか?」
「地に落ちたな……」

 次々と向けられる失望の眼差しにもエイベルは動じない。

「命あっての物種だろう」
「戦わずして逃げた命になんの価値がある!!」
「先代が命を賭して人間と契約を交わした意味を思い出せ!! 」

 響き渡るエイベルの声にまた静寂が訪れる。

「時間がないかもしれないんだ。それだけは頭の片隅に置いておいてくれ。必要なのは己のプライドではなく、子供たちの未来だ。魂の解放にはまだ早すぎるんだ」

 真上にあったはずの太陽はいつしか沈み、月が同じ場所に上がってもエイベルたちの話し合いは続いていた。
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